私たちが悩み苦しんでいるとき

ある人が1週間後のプレゼンのことを考えて、不安になっています。


失敗したらどうしよう、頭が真っ白になってフリーズしたらどうしよう、
吐いたらどうしよう、声がうわずって笑われたらどうしよう・・・


こんなことばかり考えて夜も寝ることはできませんし、準備すらおぼつきません。
そしてますます気が焦り、ついには不安が恐怖に変わるのです。

深呼吸してみたり、「自分は大丈夫だ」と言い聞かせてみたり、
ジョギングして気を紛らわせてみたり、いろんなことを試します。
その時はホッとするのですが、しばらくするとまた不安が強くなります。

ついには、逃げ出すことを考えてしまいます。

病気にならないかな、親戚で不幸が起きないかな・・・

状況は違っても、多かれ少なかれ私たちはこんな経験があるでしょう。

ある人は特定の人を苦手とし、ある人は特定の状況を苦手とし、ある人は電車や自動車など特定の乗り物を苦手としているでしょう。

あるいは、過去のことを何度も反芻して思い出して後悔し、気が滅入ってしまうどころか、
「自分はダメなやつ」と信じている人もいるかも知れません。

ここで気づいて欲しいことは、

未来も過去も、今にない時間なのです。
どんなにありありとイメージし、感じたとしてもこの世界のどこにもない時間なのです。
これらは脳が生み出す、実体のない時間なのです。
他人からは観察できないもので、自分の頭の中だけのことです。
他人には全く関係がないもので、自分の頭の中だけの事実なのです。

これは、幻想や妄想といいます。

事実とは、他人から観察や測定が可能なものであって、そもそも意味がありません。人間がいなくても存在するものです。

幻想や妄想とは、他人から観察や測定が不可能なもので、脳の働きの結果生まれるものです。(思考、判断、意味づけ、比較、理由づけ、評価、感情などなど)人間がいないとなくなるものです。

実体のないもので頭いっぱいにして苦しんでいるのです。
頭の中だけのイメージを外の世界に投影して、世界を見ているのです。
今、ここにないことを考えてひとり苦しんでいるのです。

それが不合理と分かりながら、
しかし、その人の中では事実ですから、苦しむのです。
このように不安や恐怖が強く、後悔の念に襲われている人は、
それが頭の中だけの幻想や妄想と分からずに、

これが事実

と信じて疑わないのです。
自分の脳内だけのものを幻想や妄想とは決して思わないのです。
事実と信じているからこそ、不安や恐怖だけではなく、ドキドキしたり、吐いたり、下痢をしたりするなど身体症状を伴うのです。

映画を事実と錯覚して、感情や身体感覚まで発生させているようなものです。

その人を眺めてみましょう。

その人は今、安全なところにいるはずです。
もし危険なところであれば、

逃げるか戦うか

ととっさに判断して行動します。

不安でいることができるのは、
十分に不安を感じることができる場所と時間が保障されているからなのです。
つまり、まだ何事も起きていない、あるいは出来事が起きてしまって今は何もない安全なところであるにもかかわらず、幻想や妄想に苦しんでいるのです。

その人にとってはどんなに事実のように見える思いや感情があったとしても、
他人から見たら、安全なところでじっとしているだけなのです。
ただじっとしてうずくまって苦しんでいる人がいるだけです。


苦しみはその人の頭の中だけの出来事なのです。
頭の中でどんな恐ろしい、不安な場面が展開されようと、
その人の外側では、相変わらず太陽が照り、鳥はさえずり、風は吹いて、
テレビからは番組が流れ、他の家族は遊園地に行ったりしています。

世界はその人の頭の中の思考や感情とは関係なく動いています。
苦しみは人から観察できない、その人の頭の中だけの出来事です。

その人は、頭の中にしかない思考や感情に囚われて、
その人だけにしか見えない記憶や映像を見て、
その人だけしか分からない苦しみにもだえているのです。

頭の中で上映される不安や後悔いっぱいの自分だけの映画を見て感情や身体感覚を持っているのです。
不安と後悔というバーチャルリアリティの中で苦しんでいるようなものです。