自由を取り戻すとは

思考や感情をコントロールする方法を教えるセミナーや本などがたくさんあります。
けれど、コントロールできるなら、苦しい場面で何度も同じこと(コントロール)をし続ける必要はないではないですか。

本当は、不愉快な思考や感情がときおり現れるのを止める方法は、私たちにはわからないのです。
もしできるならば、もうすでに悩んだり苦しんだりしていないはずではないですか?

人生に向かって進んでいくとき、あなたはあらゆる種類の思考や感情、身体感覚を体験する運命にあります。1つ(人生)をとって、別のもの(すべての思考や感情)をとらずにすむわけにはいきません。

そんな都合のいい話があるはずありません。

けれども私たちは、あなたが自分の不安な心と身体に、人生を進む道を邪魔されずにすむ方法を教えることができます。

あなたは不安や苦しみ、劣等感などといかに戦い、いかに取り去り、いかに忘れ、いかに言葉を言い換えてごまかすか、というおなじみの対処方法のために人生に背を向けるのをやめることを学びます。

自分の感情的・心理的苦痛に苦しむことをやめる方法も学びます。

自分にもっと優しくなり、自分をネガティブな評価や非難で打ちのめし、もがき苦しまないためのスキルを育みます。

そしてこれが一番重要なことですが、不安などの不快な思考や感情を打ち負かすのではなく、人生を一歩ずつ前に進みながらこれらを温かく迎えることで、すり抜ける方法をお教えします。

充実した人生を送ることは、どうやって不安などの不快な思考や感情をすり抜けるかにかかっています。

歩いてみたい道はどんな道?

不快な思考や感情は、強力です。
発生させないこともできないし、発生するたびに戦い、無視し、除去しようとし、ごまかし、ポジティブになろうとコントロールします。

しかし、コントロールしないと決めたからといって、おとなしくなりません。
コントロールしないときめたら、直ちに、これらの思考や感情は、あなたを怒鳴り上げ、もっと恐ろしいことになると脅し、これまでと同じこと(コントロール)をさせようとします。

そうして、こう言うのです。

コントロールしないなんて無理だ。
私には無理だし、誰もできない。
そんな簡単なものではない…

という思考にとらわれ、コントロールすることを正当化し、ますます同じことをし続けるのです。

いつもあなたに思いつく唯一の選択肢は、コントロールやそれに似た方法を用いてもっともっと努力することでした。

けれど、コントロールやそれに似た方法は、いつもと同じで、積極的に悪化させ、慢性化すると、同じ状況で、同じ対処法を繰り返すことになります。

悲しいことに、一時的にはこの方法はホッとするのです。
だから、同じ悩みや苦しみ、無力感などから抜け出ないのです。

分かっているけれど、やめられないというのは、その思考を信じてしまうと、結局、同じことを繰り返すことを選択しているのです。

私は今のやり方は苦しい、苦しいが、それを続ける、と宣言しているようなものです。

役に立たないこれまでの方法は、もういいではないですか。
もう、充分、真剣に、真面目に取り組んできました。
あなたには責任はありません。

ただ、あなたの選択した方法が役に立たないだけなのです。

役に立たないやり方を捨てて、新しい方法を身につけない限り、自分や自分の人生に制限を設けたままになるような気がしませんか?

新しいやり方を捨てようとすると、いつもいつも抵抗があります。
けれど、抵抗を信じたり、私を論破したところで、あなたの何が変わるというのでしょうか。

いや、コントロールは役に立ってる、おまえの言うことはできない。

それを信じたら、あなたは何をし続けますか。

これまでと同じことをすれば、これまで手に入れたものしか手に入らないのです。

私たちは、これまでの方法とは全く違う、しかも心理学にベースをおいた方法を提供します。

それはあなたのこれまでの常識的な方法とは違うでしょう。

けれど、歩いてみたいと思いませんか?

どんな思考や感情があったとしても、それに影響を受けない人生を。
そうなるとあなたは何ができるでしょう。

それこそ、あなたが歩いてみたいと思った人生ではないですか?

心と人生の自由を取り戻す
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言葉は言葉、思考は思考、事実は事実。

「不安」や「パニック」「自信のなさ」という言葉は、さまざまなことを連想させます。

こうした連想の中には、今まだ起きていない未来のことを、しかも特定のあり得ないような破滅的なことをあたかも、今あるかのように思ったり、人から笑われている信じていたり、馬鹿にされていると信じていたり、心臓発作を起こしたり、命を落としたり、気を失ったり、頭がおかしくなったり、自制心を失ったり、精神病院に運ばれたりというイメージが含まれます。

あなたのマインドはまたこうした連想に、「悪い」「危険」「弱い」「愚か」「恥ずかしい」などの評価を与えるでしょう。
こうした判断を下すレッテルもまたそれぞれに連想をもたらし、その多くはきわめて否定的なものなのです。

ここで重要なのは、「不安」「パニック」「自信のなさ」という言葉は本当の不安、パニック発作、自信のなさではなく、またこの言葉と結びつく連想や評価とも同じではないということです。

「不安」「パニック」「自信のなさ」という言葉は単なる言葉にすぎません。
「不快」「悪い」という評価もただの言葉なのです。

あなたには、これらを単に言葉として扱うという選択ができます。
また、言葉や連想、評価に対し、言葉以上のものとして対応することもできます。

言葉を言葉としてとらえることを通り越すと、自分のマインドの作り出した幻想を鵜呑みにすることになります。

思考は単なる思考にすぎないのに、鵜呑みにしてしまうと、危険なほど深刻な何かに変わります。

そうなってしまうと往々にして、あなたにとって役に立たない過去の行動パターン(思考や感情のコントロール、イヤだ悪いと評価したものからの逃避、回避など)に縛られてしまいます。

私たちはこれを「マインドの罠(マインド・トラップ)」と呼んでいます。

考えてみてください。

あなたが「不安」「パニック」「自信のなさ」という言葉やそれが連想させるものに対し、その言葉や連想があたかも現実であるかのように反応したら、どうなるでしょうか?

人目を避け、家に閉じこもるか、人の言葉や行動の端々からさまざまなことを推測して「そうに違いない」とかたくなに思い込み、攻撃的になったり自己嫌悪に陥ったり、あるいは横になって精神安定剤を飲み、心をなごませる音楽を聴き、医師か友だちか家族を呼ぶか、自己啓発本を読んで良くなった気になるか、または救急外来に駆け込むことになるかもしれません。

こんな時は、今、ここに、それらが現実にはないということです。
あなたの頭の中だけでの反応なのです。

要するに、あなたは言葉や連想に対して行動をもって反応するのです。

これが私たちの言う「思考を事実として信じてしまう」(フュージョン)というものです。

つまり言葉やイメージ、記憶<評価に対し、あなたが行動で反応することです。

あたかも自分のマインドの産物が、それが表すか関連する現実の出来事と同じものであるかのように反応してしまうのです。

フュージョンとは説明しにくく、まして頭で理解するのは難しい概念かもしれません。
そこで私たちはセミナーでの体験を通して、フュージョンについてあなたがもっと体験を通して理解できるようお手伝いをしていきます。

とりあえず今のところお願いしたいのは、不快な思考や感情にとらわれてフュージョンすることで、こうした思考や感情があおられると、不安という苦悩が作動し出すのだということを心に留めておいていただくことです。

ここでは、あなたの判断するマインドが働きますが、このようなとき、マインドはあなたの一番の味方ではありません。

自分のマインドがフュージョンへの道を野放しでたどるままにさせておくと、当然ながら、あなたの頭の中の厄介で否定的な情報に強く反応し、思考を過大に重視しがちになるでしょう。

そのあげく、あなたは行きづまってしまう恐れがあるのです。

私たちの方法は、おなじみのコントロールやそれに似たものではありません。
むしろ、ことごとくこれまであなたがやってきたものとは正反対のことでしょう。

私たちは、

「より良く生きるためには、まず、より良く考え、より良く感じる」

とは主張しません。

というのは、私の過去のブログや日記を見てもらえば分かるように、感情や思考はコントロールしたり、除去したりすることはできない上に、そうしようと格闘している間こそが「苦悩」といわれるものなのですから。
そして、同じ状況になるたびに同じことをすることこそ、役に立たないやり方なのですから。

こういうものは、実は、よけいに悩みを深めるのです。

つまり、「悪い」「不快」と評価した思考や感情を取り去ったりコントロールしたりしなければ、よく良く生きることができないと信じているからです。

つまりは、永遠により良く生きることはできないのです。

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自分の価値を高めるコツ

V.d.s.事務局の保田です。

今日は、自分の価値を高めるコツについて書きます。

 

他の人から、自分の価値を高めるためのコツがあります。

それは、他の人を褒めることです。

内面でも、外見でも、持っている持ち物でもなんでもいいです。

これだけで、あなた自身が輝いて見えます。

 

たまに、他の人を褒めると自分の価値が下がると感じて、他の人の悪口を言って他の人を落とし、自分を高めようとする人がいますが、そんな事をしていると、どんどん自分の価値は下がっていきます。

 

ずっと他の人の悪口を言っている人なんて嫌ですよね。

 

そして、他の人を褒めることが出来るということは、他の人のいい所に気付くことが出来る観察力と、心の余裕がある証拠でもあります。

ですから、どんな所でもいいので、深く考えずに褒めてみましょう。

持っている小物でも、服装でも、内面的な部分でもどこでもいいです。

いろんな人を褒める週間を付けることで、心に余裕のある、輝いた素敵な人になっていきましょうね。

是非、やってみてください。

 

評価も単なる評価。事実と異なる。

人が体験すること、行うこと、考えることはほとんどすべてに、ある種の評価や判断がついて回ります。
良いか悪いか、正しいか間違っているか、幸せか悲しいか。

たとえば、心の健康は、感情的・心理的な苦痛はただの苦痛ではなく「悪い」苦痛であるということに基づいています。
あなたはこの評価するという習慣を、周囲のほとんどの出来事に対してと同様に、反射的にいともたやすく自分自身や自分の個人的な体験に用いてしまいます。

体験を評価することは、現実の評価であって現実そのものではないとあなたが認識しているのなら、そうすることには何の問題もありません。

なぜなら、あるものを「良い」という評価をする人もいれば、「悪い」と評価する人もいます。
人が何をどのように評価しようと、事実そのものが評価とともに変化するわけではないのです。
つまり、「悪い」と評価している自分がいるだけであって、「悪い」と評価したとたん、そのものが何か悪いものになるわけでもないのです。

別の言い方をすれば、アヒルの子は「醜い」とも「かわいい」とも呼べますが、それでもアヒルの子がアヒルであるという
ことに変わりはありません。

これは重要なポイントで、私たちのセミナーのなかでくり返し取り上げていきます。

あなたの体験を評価することで、体験そのものに何かが付け加わるようなことはほとんどありません。

否定的な評価を鵜呑みにして不必要にあおれば、自分の苦悩を不必要にかき立てていることが多いのです。

私たちが自分自身や自分の体験を否定的に、醜い、壊れた、しくじった、弱い、価値がない、愚かな、頭がおかしい、ばかげたなどと評価すると、ただ自分が傷つくだけです。

あなたは次々と浮かぶ評価をコントロールできないかもしれませんが、評価をあおるか否かは選択できます。

私たちは、評価を単に評価として眺め、評価をあおらない方法を学んでもらうことにしているのです。

おもしろいでしょう?

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そんなことできるもんか

「あなたがこれまでしてきたことを続けるならば、これまで手にしたものしか得られないでしょう!」

つまり、これまでと違う結果を得るためには、これまでしてきたこととかなり違うことをする必要があるのです。
この日記やブログを読んだだけで、何かがすぐにできるわけではありません。

これを読むと、たくさんの思考が囁くでしょう。
その内容は、どれも聞いたものばかりです。

「そんなことできるもんか」
「誰もがそんなことできない」
「そんなことできるなら、こんなに悩んでいない」

という、もっともらしい言葉を信じるならば、あなたは聞違いなく、いつも手にしているものをあいかわらず手にしつづけるはずです。

なぜなら、いつもこの言葉を聞き、つぶやき、そうして、同じことを繰り返してきたのですから。
「できない」のではなく、「しない」理由づけをそのまま信じてきたのですから。

感情や思考は、直接はコントロールできませんが、行動はコントロールできます。

どんなにイヤなことでも、イヤだと思いながら行動はできるでしょう。
ところが、行動できない理由に、イヤだ、というものを持ってくると、イヤだからできない、というでしょう。

もし、その行動をしなければ死刑だと言われれば、イヤでもするでしょう。
気分が滅入っているから、外に出ることができないと思っていたとしても、家に火がつくと外に出て行くでしょう。
このように、感情や思考が行動の障害になることは、あり得ないのです。

けれど、片足の人は両足で走ることは物理的に不可能なのです。
物理的に不可能なことは、それは事実として不可能なのです。

イヤだと思いながら何かをするのは誠意がない、とそんなことを言う人もいます。
でもよく考えてください。

思っていることと、行動を一致させなければならないとすると、今頃はあなたはどこにいるでしょうか?

殴りたい、殺したい、と思うとあなたはそうしなければならないことになります。

けれど、今、ここにあなたがいるということは、心でどんなに思ったとしても、思考とは別に行動をコントロールできているということです。

思いは思い、事実は事実、感情は感情、行動は行動にすぎないのです。

これらは一つのスキルですから、体験的に学ぶことによって素早く身につけてゆくことができます。

覚えておいてほしいことがあります。

変化は怖いもので、同時に活力あふれるものでしょう。
変化にはある程度のリスクが伴うものです。
それでも、同じことをさらに続けるリスクのほうが、もっと恐ろしいものでしょう。

何か新しいものを手に入れるために、私たちはみな何か新しいことをする必要があります。

じつにシンプルなことです。

そしてそれは、あなたが選択し、コミット(本気で関わる)することで始まります。
不安や絶望、劣等感、無力感などの苦悩に対して別の行動をとれば、得られるものは多く、失うものは何もありません。

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気をつけた方がいい口癖

Vd.s.事務局の保田です。

今日は気をつけた方がいい口癖について書いてみます。

 

気をつけた方がいい口癖の一つに「でも」という言葉があります。

無意識につい言ってしまう言葉ですよね。

 

気持ちはわかるんですが、この言葉が口癖の人は相手を不快にさせている可能性があります。

なぜなら「でも」という言葉は否定や反論する時によく使われる言葉だからです。

「でも」と聞いた相手は、何か反論されたり、否定されると感じてしまいます。

 

もし、何かを言うたびに「違うよ」と否定されたら、あたなはどう思いますか?

きっと嫌な気持ちになると思います。

 

ですから、「でも」と言ってしまう口癖のある人は、「でも」と言う前に相手を肯定する癖をつけてください。

「イエス・バット法」と言われている手法です。

これは、まずは相手の意見を尊重して受け入れてから、反対の意見をいうことで、否定しても相手に不快感を与えづらくなる方法なのです。

 

以前、僕は後輩が離婚の危機にあるときに相談を受けた時の話なのですが、

野球が趣味で、趣味の野球以外は休みの日は外出したくない僕の後輩と、

いろんなことに興味をもち、いろんなことにチャレンジしたいアクティブな嫁なのですが、

ある日、大きな喧嘩に発展しました。(喧嘩はしょっちゅうしてます)

 

嫁さんが突然、「スキューバーダイビングがしたい」と言い出したそうです。

興味のない旦那である僕の後輩は、「バカじゃないの?」と話も聞かずに否定しました。

これが原因で大きな喧嘩になり、嫁が実家に帰ってしまったのです。

 

この相談を受けた僕が言ったのが、

「まず、相手を認めてから否定をしなさい。」

です。

「スキューバーダイビングやりたい」と言われたら、

まず、

「スキューバーダイビング楽しそうだね!世界観が変わるとか言うもんね!」

と肯定してから、

「でも、いろいろとお金もかかるし、まとまった休みもいるから、今は現実的に厳しいかもね。」

とやんわり断りなさい。

そして、嫁は本当に行きたいんではなくて、話がしたいだけだから、いきなり否定するんじゃなくて、話を聞いてあげなさい。

とアドバイスしました。

 

このあと、なんとか離婚の危機から脱出することができました。

 

どんな人でも、否定されると嫌な感じがしてしまいます。

そして、どんな人でも「認められたい」という気持ちをもっています。

ですから、いきなり「でも」と言わずに、まずは相手の話を受け入れましょう。

 

これは、仕事でも恋愛でも友人との会話でも同じです。

特に、プライドの高い年上の人とのやり取りには最適です。

みなさん少し意識してみてくださいね。

 

人生の自由を取り戻す V.d.s.

ホームページ: https://v-d-s.net/

思うことはOK。コントロールは×

こんなことはよくあるでしょう。

・自分の服が好きでなくなったら、ただ捨ててしまうか、着てくれそうな誰かに譲ることができます。
・今の仕事が好きでないなら、その仕事を辞めて新しい会社を探し、そこで働くことができます。

このように、自分の外の世界では、不必要なものや壊れたもの、気に入らないものなら、捨てたり、修理したり、取り替えたりできます。

問題は、外の世界で効果のあることをあなたの内面で起きていることに適用しても、うまくはいかないということです。
あなたは自分の好きでない服を扱うのと同じように、自分の思考や感情を扱おうと努力するかもしれません。

そうしたら何が起こるかを理解するために、あなたの体験をよく見てみましょう。

あなたは自分の不快な思考や感情を手放したり投げ出したりできますか?
手放したり、投げ出したりしているなら、どうして今また持っているのでしょうか?
それはこれまであなたにとって効果がありましたか?
過去の苦痛な記憶や、過去を思い起こさせるものを、新しいものと交換できますか?
そんなことができた体験がありますか?

思考を持たないように努力すればするほど、この思考をもっと抱えてしまうでしょう。
同じことが、不快な思考や感情、身体感覚にも当てはまります。

ここで覚えていただきたいことは、「あなたは自分との闘いに勝つことはできない」というものです。

そして不安や不快な感情、思考などを投げ出したいとどんなに願ったとしても、自分の手で抱えて部屋を出て、ゴミ箱に捨てにいくことなどできないのです。

気に入らないリビングの椅子を捨てるように、自分の不安や不快な感情、思考などを取り去ることはできません。

あなたの不安や不快な感情、思考などはあなたの後をどこまでも追いかけてきます。

この基本的な真実を受け入れられるならば、自分がもっと努力したり腕力をつけたりしても、少しも助けにならないという厳しい現実に直面することになります。

では、コントロールがうまくいかないときとその原因をもっとくわしく見ていきましょう。

不安や不快な感情、思考などは、たいていの場合は不愉決な感情状態です。
ですから、「不安や不快な感情、思考などは好きじゃない」とか「不安や不快な感情、思考などから逃れたい」とあなたが言うのは理解できます。

不安や不快な感情、思考などの問題を抱えていないたいていの人も、これらが好きではないはずです。
それでも、不安や不快な感情、思考などが好きでないことが、それだけではとくに問題にならないことにあなたは思い当たるでしょう。
もし問題になるのなら、この地球上の人間のほとんどが不安などの障害に苦しむことになるでしょうから。

問題が起こるのは、「好きでない」ことが、極端に行われるコントロールと結びつくときです。
たとえば、コントロールが過度に強く厳格になって、必要もなく効果もない状況に用いられるときです。

要するに、こうした方法はあなたが望んでいる不安や不快な感情、思考などの減少をもたらさないし、たとえもたらしたとしても、そのために得られる一時的な安らぎによって、あなたの人生は制限されてしまいます。

では、どうしたらよいのか、その方法を私たちはセミナーで教えています。

あなたのこれまでやってきたコントロールや回避するというものではありません。
全く違うものです。

心と人生の自由を取り戻す
https://v-d-s.net

4月度 M.C.S.
4月5日19時から4月7日18時

詳細
https://v-d-s.net/?page_id=824

効果がない11の方法

不安や思考、感情などの対処方法で効果がないものを挙げましょう。
効果が全くないわけではなく、つかの間の安らぎはそれぞれにあるのです。
だからこそ、これらのことをするのです。

たとえば、「もっと前向きに生きろ」、「何も心配することはない」、「すべてうまくいくさ」、「自分を信じろ」、「そんなことは忘れろ」、「とにかく心配するな」・・・これらは非常に無責任ですが、たまに、短期間でも効果があるのです。

全く効果がない11の方法

1.安心させてもらいたがる(不確実性をなくすために行うのですが、ひとときの安心があったとしても、また不安になることを繰り返します。占い師や病院、カウンセラー巡りをすることもおなじです)

2.思考停止をしようとする(好ましくない思考を抑圧する。ますますそれに囚われる)

3.情報を集める(自分の否定的な考えを裏付けようとする。ありもしない動向を見つめ、単なる偶然を必然や関係性と勘違いする。危険性を過大評価、過小評価する。見当違いな情報を得る)

4.何度もチェックする(不安を軽くするためにチェックすることが、不安を増大させる)

5.不安の原因となることをしない(効果はすぐ現れるが、自尊心が損なわれ、それに対する対応する機会が失われ、再び同じことがやってきても、回避する。結果的に不安は増大する)

6.アルコールや異性、薬物などで感覚や思考を麻痺させる(即効性のある現実逃避。現実は変わらないため、事態は悪化することが多い)

7.過剰な準備をする(不安から逃れるため、ありとあらゆる可能性を調べ、完璧に準備しないと行動できない)

8.安全行動をとる(実は回避行動で、無意識に行ってしまうものが多い)

9.何度もじっくり考える(じっくり考えることにより、ますます不安に気づく)

10.確実さを求める

11.「異常な」想像をしないようにする

これらを見ても、効果がないものは、思考や感情をコントロールしたり、回避・逃避したりするものばかりであることに気がつくと思います。

これらが役に立って、根本的に解決できたことがあるでしょうか。
つまり、不安や思考、感情ともう戦うことなく、どのような事態に陥ったとしても、これらの方法を使わないようになりましたか?

みなさんの体験を信じてください。

体験こそ事実なのですから。
あなたの中での「私がもっとこれらの方法を頑張れば良くなるに違いない」という言葉を信じないでください。

ここまで読んで、「こうしてしまうものは仕方ない」「やりたくてやっているのではない」という言葉をマインドが告げるでしょう。

では、その言葉を信じたら、どうなるでしょうか。

そう、結局、変化しようとしない自分を正当化しているだけなのです。
そして、これまでと同じことを黙々と続けるだけなのです。

そろそろ、これまでの方法とは違う方法を身につけませんか?

「同じことをやり続ければ、同じものしか手に入らない」のですから。

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4月5日19時から4月7日18時

詳細
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誰のものですか?

何人かの人たちがメッセージをくれたのですが、みなさんの話の趣旨は「あなたは不安や恐怖、嫌な思考は嫌だとは思わないのですか」というものでした。

ここで、お答えします。

そもそも、単なるイメージや記憶、思考、身体感覚の集まりである不安や恐怖に、ネガティブな評価を与えると、あたかもそれが身を滅ぼすかのような錯覚をし、取り去ろう、取り替えよう、修理しようとします。
しかし、思考や感情などは都合よくこのような取り去りなどができないことは、体験上、明らかでしょう。

不安や恐怖、悲しみなどは、それ自体は何の害もないのです。
なぜなら、私たちの人生には必ず現れるものですし、同時に楽しみ、活力に満ちた人生を体験できるからです。
不安や恐怖、悲しみなどがあるのは当たり前であり、これがノーマルな状態なのです。

しかし、不安や恐怖、悲しみが危険なものになるのは、それらを回避し、コントロールしようとする時です。
人生につきものの特定の部分をネガティブに評価し、回避、コントロールする時に初めて危険になるのです。

不安や恐怖、悲しみなどが少ないか多いかは問題ではなく、人生をそのような感情や思考に支配させてしまう時、危険となるのです。

人生を感情や思考に支配させてしまうと、もう自分の人生を生きることができず、自分の人生において本当に大切なことについてまであきらめたり、制限を加えたりするのです。

自分が何者であるか、自分の目的が何であるかについてまで、不安や恐怖、悲しみなどの思考や感情に決められ、それを甘んじて受け入れることになるのです。

朝、起きてイライラすると、イライラの対処をしようとします。
そして時間と努力が費やされます。
つかの間、それは成功することもあるでしょう。
しかし、同じ事態になると同じことをし続けるのです。
成功しない時、イライラに一日中支配され、八つ当たりしたり、閉じこもったりするのです。

一日は誰のものですか、あなたですか、感情や思考のものですか。

人生は誰のものですか、あなたですか、感情や思考のものですか。

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