「不安」や「パニック」「自信のなさ」という言葉は、さまざまなことを連想させます。
こうした連想の中には、今まだ起きていない未来のことを、しかも特定のあり得ないような破滅的なことをあたかも、今あるかのように思ったり、人から笑われている信じていたり、馬鹿にされていると信じていたり、心臓発作を起こしたり、命を落としたり、気を失ったり、頭がおかしくなったり、自制心を失ったり、精神病院に運ばれたりというイメージが含まれます。
あなたのマインドはまたこうした連想に、「悪い」「危険」「弱い」「愚か」「恥ずかしい」などの評価を与えるでしょう。
こうした判断を下すレッテルもまたそれぞれに連想をもたらし、その多くはきわめて否定的なものなのです。
ここで重要なのは、「不安」「パニック」「自信のなさ」という言葉は本当の不安、パニック発作、自信のなさではなく、またこの言葉と結びつく連想や評価とも同じではないということです。
「不安」「パニック」「自信のなさ」という言葉は単なる言葉にすぎません。
「不快」「悪い」という評価もただの言葉なのです。
あなたには、これらを単に言葉として扱うという選択ができます。
また、言葉や連想、評価に対し、言葉以上のものとして対応することもできます。
言葉を言葉としてとらえることを通り越すと、自分のマインドの作り出した幻想を鵜呑みにすることになります。
思考は単なる思考にすぎないのに、鵜呑みにしてしまうと、危険なほど深刻な何かに変わります。
そうなってしまうと往々にして、あなたにとって役に立たない過去の行動パターン(思考や感情のコントロール、イヤだ悪いと評価したものからの逃避、回避など)に縛られてしまいます。
私たちはこれを「マインドの罠(マインド・トラップ)」と呼んでいます。
考えてみてください。
あなたが「不安」「パニック」「自信のなさ」という言葉やそれが連想させるものに対し、その言葉や連想があたかも現実であるかのように反応したら、どうなるでしょうか?
人目を避け、家に閉じこもるか、人の言葉や行動の端々からさまざまなことを推測して「そうに違いない」とかたくなに思い込み、攻撃的になったり自己嫌悪に陥ったり、あるいは横になって精神安定剤を飲み、心をなごませる音楽を聴き、医師か友だちか家族を呼ぶか、自己啓発本を読んで良くなった気になるか、または救急外来に駆け込むことになるかもしれません。
こんな時は、今、ここに、それらが現実にはないということです。
あなたの頭の中だけでの反応なのです。
要するに、あなたは言葉や連想に対して行動をもって反応するのです。
これが私たちの言う「思考を事実として信じてしまう」(フュージョン)というものです。
つまり言葉やイメージ、記憶<評価に対し、あなたが行動で反応することです。
あたかも自分のマインドの産物が、それが表すか関連する現実の出来事と同じものであるかのように反応してしまうのです。
フュージョンとは説明しにくく、まして頭で理解するのは難しい概念かもしれません。
そこで私たちはセミナーでの体験を通して、フュージョンについてあなたがもっと体験を通して理解できるようお手伝いをしていきます。
とりあえず今のところお願いしたいのは、不快な思考や感情にとらわれてフュージョンすることで、こうした思考や感情があおられると、不安という苦悩が作動し出すのだということを心に留めておいていただくことです。
ここでは、あなたの判断するマインドが働きますが、このようなとき、マインドはあなたの一番の味方ではありません。
自分のマインドがフュージョンへの道を野放しでたどるままにさせておくと、当然ながら、あなたの頭の中の厄介で否定的な情報に強く反応し、思考を過大に重視しがちになるでしょう。
そのあげく、あなたは行きづまってしまう恐れがあるのです。
私たちの方法は、おなじみのコントロールやそれに似たものではありません。
むしろ、ことごとくこれまであなたがやってきたものとは正反対のことでしょう。
私たちは、
「より良く生きるためには、まず、より良く考え、より良く感じる」
とは主張しません。
というのは、私の過去のブログや日記を見てもらえば分かるように、感情や思考はコントロールしたり、除去したりすることはできない上に、そうしようと格闘している間こそが「苦悩」といわれるものなのですから。
そして、同じ状況になるたびに同じことをすることこそ、役に立たないやり方なのですから。
こういうものは、実は、よけいに悩みを深めるのです。
つまり、「悪い」「不快」と評価した思考や感情を取り去ったりコントロールしたりしなければ、よく良く生きることができないと信じているからです。
つまりは、永遠により良く生きることはできないのです。
心と人生の自由を取り戻す
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