脳科学から見た「私」の正体:空っぽの妄想に執着する必要はない

「私」は誰なのか?

私たちは日常、何気なく「私」という言葉を使っています。しかし、その「私」とは一体何なのでしょうか?脳科学の最新の研究成果に基づき、「私」の正体を探っていきたいと思います。

脳が創り出す「私」

脳科学の研究によると、「私」という実体は存在しないことが分かっています。私たちの脳は、膨大な情報を処理し、意味を作り出す能力を持っています。そして、その意味の一つが「私」なのです。つまり、「私」は脳が創り出す錯覚に過ぎないのです。

「私」は意識していない

私たちの行動の大部分は、意識的な選択ではなく、脳の自動処理によって行われています。例えば、呼吸や心臓の鼓動、歩いたり食べたりする動作などは、意識的にコントロールする必要はありません。

さらに、最近の研究では、脳が行動を起こす前に、意識がそれを認識しているということが分かっています。つまり、「私」が行動を選択したように感じるのは、脳が後から辻褄を合わせて作り出した錯覚なのです。

「私」は妄想であることのメリット

「私」が妄想であると知ると、私たちのものの見方は大きく変わります。

  • 執着から解放される

実体のない「私」に執着する必要はありません。苦しみや怒り、恐怖などの感情は、「私」を守るために生じますが、その「私」自体が空っぽであれば、それらの感情に振り回される必要もなくなります。

  • 世界とのつながりを感じる

「私」は自然界から独立した存在ではなく、宇宙全体とつながっているという感覚が生まれます。他者への優しさや思いやりが自然と湧いてくるようになるでしょう。

自己変革のための生まれ変わりセミナー

心理療法の技術やマインドフルネス、臨死セミナーと瞑想などを駆使した「自己変革のための生まれ変わりセミナー」では、「私」の正体を知り、妄想に執着することなく、より自由に生きられる自分へと変容するためのサポートを提供しています。

セミナーでは、以下のような内容を扱います。

  • 脳科学から見た「私」の正体
  • 「私」に執着する理由とメカニズム
  • 執着を手放し、自由に生きるための方法
  • マインドフルネスや瞑想の実践
  • 臨死体験の瞑想 死から今自分が生きていることを瞑想し人生を総括する

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「私」の正体を知り、私たちが提唱するニューヒューマンとなり、真の自由を手にするための第一歩を踏み出すチャンスです。今すぐセミナーに参加して、新しい自分に出会いましょう!

「どうでもいい」という生き方 – こだわりから解放され、自分らしく生きるために

「どうでもいい」という言葉は、一見ネガティブに聞こえるかもしれません。しかし、その真の意味を理解し、実践することで、私たちは人生における様々な問題に対処する新しい方法を見出すことができるのです。

日常生活の中で、私たちは仕事、人間関係、自己評価など、あらゆる場面で自分の考えや感情に振り回されがちです。過去の失敗や将来への不安、他人の評価など、様々なことにこだわり、本来の自分らしさを見失ってしまいます。

「どうでもいい」という概念は、こうしたこだわりから自由になった行動をすることを可能にしてくれます。物事の本質を見極め、何が真に重要で、何がこだわりの対象にすぎないのかを見分ける能力を身につけることで、私たちは自分らしく生きることができるようになるのです。

この概念を実践することで、ストレス軽減、自己肯定感の向上、柔軟な思考力、問題解決能力の向上、人間関係の改善、人生満足度の向上など、多岐にわたる効果が期待できます。

しかし、「どうでもいい」という概念を実践するのは簡単なことではありません。長年のこだわりを手放すためには、自分自身と向き合い、内面の変化を起こす必要があります。

こうした「どうでもいい」の考え方を深く理解し実践していくには、日々の意識的な努力が欠かせません。時には、自分自身と向き合い内面を見つめ直すような機会を作ることも大切です。例えば、「自己変革のための生まれ変わりセミナー」では、マインドフルネスや臨死体験瞑想、心理療法の技術などを通して、意識変容を促す体験ができます。このようなセミナーに参加してみるのも、自分自身と向き合う良い機会になるかもしれません。

「どうでもいい」という言葉は、私たちに新しい生き方を提示してくれます。それは、自分自身と向き合い、真の自由を獲得していくための道筋なのです。この概念を理解し、実践していくことで、私たちは一人一人が自分らしく生き、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

こだわりから解放されて生きる。そんな「どうでもいい」という生き方を、一緒に探求していきませんか。「自己変革のための生まれ変わりセミナー」で、新しい自分への第一歩を踏み出してみるのはいかがでしょうか。

四苦八苦は絶対に避けられない

人生には、生老病死や愛する人との別れ、思い通りにならないこと、嫌な人との出会いなど、様々な苦しみが付きものである。これらの苦痛は、人生にセットされた避けられない要素だと言えるであろう。

私たちは、これらの苦痛から逃れようと必死になる。しかし、逃げれば逃げるほど、苦痛は脳に刻み込まれ、身動きができなくなってしまうのである。例えば、嫌なことから逃れようと家に引きこもれば、一時的には安心感を得られるかもしれない。でも、いざ一人になったとき、生きるためのスキルがないことに気づかされるのである。

引きこもっている間も、将来への不安は頭から離れない。そんな苦しみから逃れようと、ゲームなどに没頭する人もいるであろう。でも、それは一時しのぎにすぎない。

本当に大切なのは、これらの苦痛をありのまま受け入れることである。そうすれば、苦しみに支配されることなく、自分の行動を選択できるようになる。

人生の苦しみから目を背けず、真摯に向き合う勇気を持つこと。それが、よりよい人生を歩むための第一歩なのかもしれない。

死を意識し、今を生きる!充実した人生を送るための思考法

妄想に惑わされない、真実の自分と生きる

私たちは、喜び、悲しみ、怒り、恐怖など、様々な感情に彩られた人生を歩んでいます。しかし、これらの感情は脳内で作り出される「妄想」であり、必ずしも真実とは一致しません。

過去の経験や価値観に基づいた妄想は、時に私たちを苦しめ、行動を制限してしまうことがあります。しかし、私たちは妄想に支配されるのではなく、自分自身をコントロールする力を持つことを理解する必要があります。

どんな妄想が頭をよぎっても、それに振り回されることなく、妄想に反応せず活き活きと生きることが重要です。

真実の自分と繋がる

社会的な役割や他人からの評価によって定義されるのではなく、自分が何を求め、何に喜びを感じるのか、自分自身と向き合うことで、真実の自分を見つけることができます。

真実の自分を見つけることは簡単ではありません。しかし、それを通じて、私たちは自分自身の可能性を最大限に発揮し、より充実した人生を送ることができるのです。
そのために『自己変革のための生まれ変わりセミナー』を実施し、そのあとの研究会でスキルとして身につけるエクササイズを行います。

たまたま生きている奇跡

私たちは、生きることが正しいと思って生きているわけではありません。たまたま生きているそのことを大切にし、どんな死に方であったとしても、死ぬまでは活き活きと生きる。
私たちは誰もがいつかは(その時期は誰にも分からない)必ず絶対に死にます。

この有限な時間を無駄にせず、後悔のない選択をするために、今この瞬間を大切に生きることが重要です。

妄想を超えて、真実の自分と生きる

  • 思考や感情は脳内で作り出される妄想であり、真実とは異なる。
  • 妄想に振り回されることなく、これらに反応しないことによって、妄想とは関係のない行動ができる。
  • 真実の自分を見つけ、可能性を最大限に発揮する。
  • たまたま生きている奇跡を大切にし、今この瞬間を活き活きと生きる。

これらの理解を深め、実践することで、私たちは日々直面する多くの妄想を超えて、現実に基づいた選択を行い、本当に価値のある人生を送ることができるのです。

思考や感情に囚われず、自分らしい人生を歩んでいきましょう。

コントロールの迷宮を抜け出す:アクセプタンスで自己解放へ

私たちは、コントロールできないことをコントロールしようとして、とても悩みます。

なぜなら、コントロールできないものは、コントロールできないからです。そして、コントロールできないことに対して怒り、憎み、攻撃的になります。あるいは、無価値感、劣等感に襲われます。

 

たとえば、人の言動はコントロールできません。

なぜなら、その人はあなたではないからです。

その人にはその人の行動や思考があるからです。

その人に成り代わって、どう生きるべきか、どう行動すべきか、どう考えるべきかをコントロールすることなんて絶対にできないのです。

 

同じように社会をあなたはコントロールすることはできません。

あなたはあなたの人生しか生きることができないのです。

 

しかし、実際のあなたはどうでしょう。

人や社会をコントロールしようとしていませんか。

 

もし、あなたがある人から悪口を言われたらどうしますか。

悲しい気持ちになったり、腹が立ったりするでしょう。

では、なぜそんな気持ちを持つのでしょうか。

 

そんな時のあなたの心の中を見てみましょう。

きっと

 

私の悪口を言うべきでない

私の悪口を言ってはいけない

 

というものが必ずあるでしょう。

 

これら

 

~べきでない

~べきである

~ねばならない

~してはいけない

 

などというものは「べき思考」と呼ばれもので、あなたの頭の中にあるルールです。

 

べき思考」はとても厄介なものです。

これらは、さまざまな理由づけや評価で武装して「この世の常識」「みんなが守るべきもの」に変わります。

「正義」「正しさ」という評価で武装するともっとやっかいなことになります。信念や価値観という形をとって、その人にとっては絶対的に正しいもの、人にとっても社会にとっても正しいものと信じてしまうからです。

 

べき思考」はあなたが定めたあなただけのルール(マイルール)にしか過ぎません。

全ての人があなたと全く同じ内容の「べき思考」を持っているわけではないのです。

べき思考」は実体として存在しません。

妄想なのです。

 

あなたがいくらルールを作っても破られる時があります。

自分に課したルールが破られると、自分に腹立ち、嫌になります。

人に課したルールが破られると、相手に腹立ち、失望します。

 

よく考えるとおかしなことに気づきます。

自分が作ったルールを他人が守らなければいけないことはないのです。

しかし、自らのルールを万人が守るべき「常識」と信じてしまうと、それに反する言動をする人を許せなくなるのです。

 

自分が作ったに過ぎないルールに人を従わせるためには、あなたはその人の思考や感情、どのような言動をすればよいかの行動をコントロールする必要があります。

実際にこのようなことはできるでしょうか。

 

あなたの作り上げたルールは人をコントロールしないし、そのルールは決して世界の常識でもないのです。頭の中にあるルールが単なる妄想であることをわからず、それを実体だと信じて、それによって人をコントロールしようとするのです。

あなたは決して人をコントロールできません。

同じような意味で社会もコントロールできません。

 

コントロールできないものをコントロールしようとする試みは、現実を思考で否定するようなものです。必ず、完全に失敗します。

 

過去もコントロールできません。

すでに起きている現実を「そうであってはならない」「こうすべきだ」と思考で否定しているだけなのです。

起きてしまった出来事に対して「なぜか」と原因を突き詰め、分析することも直接に役立つことではありません。

起きてしまった出来事に対して、今、この時にできる行動をすることが先決であり、分析は事後に行えばいいことです。

なぜならば、起きてしまった出来事に「なぜか」と問うのは、たいていの場合、現実否定が含まれているからです。

人生において、大切な人との離別や死、裏切り、自分の病気などに出くわした時に「なぜこうなったんだ」と分析しても解決にならないのです。分析している間は何かしている気持ちになることが多いですが、長い目で見ると、苦悩を深めているだけです。

起きてしまった出来事をありのまま認め、そこから自分がとり得る選択をし、行動する必要があります。その場合にも、自分がとり得る合理的な行動をとり、他人や社会のようにコントロールはできないものは、アクセプタンスする必要があります。

 

コントロールできるものはコントロールし、コントロールできないものはコントロールしないこと、コントロールしない代わりに受け入れることなのです。

受け入れるといっても、条件付きではなく、事実そのものをありのまま全部受け入れる(アクセプタンス)のです。

何よりも、コントロールできるものとできないものをしっかりと区別できる知恵がとても必要となります。

私たちの根底にあるものMEMENTO MORI,CARPE DIEM,VANITAS

私たちの根底にあるものが、MEMENTO MORI,CARPE DIEM,VANITAS です。

これはキリスト教の影響下にあったヨーロッパのバロック期にもてはやされました。私たちは、宗教とは関係なく、戒めとして、そして行動指針としてこれらを重要視しています。

 

古代ローマで将軍が勝利の凱旋パレードを行うとき、将軍の使用人は「MEMENTO MORI」と将軍に囁いたとされています。

 

Respice post te!

Hominem te esse memento!

Memento Mori!

 

このラテン語はこう書いてあります。

 

振りかえろ!

あなたもまた人であることを忘れるな!

あなたもまた必ず死ぬことを忘れるな!

 

今は勝利の絶頂にいるかもしれませんが、明日には戦いに敗れて死んでいるかもしれません。

人は必ず死にます。

その死ぬ時期すら分かりません。

このことは私たちがセミナーで何度も繰り返してきたことでもあります。ともすれば「私は死ぬ」「私はいつ死ぬかも全く分からない」ということすら忘れて、人生を蕩尽してゆくこともしばしばです。

 

人生はゲームのようなものです。しかし、たった一度だけのゲームなのです。いつゲームオーバーになるか分かりません。

ある日突然やってくるのです。

私たちはこのゲームしかできないのです。

リセットもセーブもありません。

だとしたら、たまたま生まれたうえに、このゲームをせざるを得ないなのなら、とことん楽しまないと損です。

このように死と向き合い、死を真面目に考える者のみが、よく良く活き活きと生きることができるのですから。

生きていることは、死んでいないということ。そして、生きることに意味はありません。

生きることそのものを楽しんでゆくのです。

その中には四苦八苦が必ずあります。その四苦八苦すらも人生の一部なのです。

 

過去はすでになく、明日はまだ来ていません。

いつ死ぬか分からないからこそ、CARPE DIEM(一日の花を摘め 一日を摘め 今を楽しめ)なのです。

古代ギリシアのホラティウスが著した『歌集』には

 

Carpe diem quam minimum credula postero

明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め

 

と書いています。

まだ来てもいない未来は過去と同じく妄想です。

未来や過去はあったこともないし、あることもないのです。

私たちが生きているのは今しかありません。

常に今を生きているのです。

そして、この今こそが現実です。

現実である今から逃避して、ありもしない未来や過去へ妄想の旅をして自ら苦悩を作り出す必要はないのです。今この瞬間を私たちは精一杯味わい尽くしながらゲームをしてゆくのです。

人生は短く、時間はつかの間です。そして誰もが死んでゆくのですから、今ある機会をできるだけ楽しむことです。

 

妄想を取り払うと、そこには実体があるだけです。

実体とは、

 

ものがあってものが動いているだけ

 

なのです。

そこに意味はありません。意味は妄想だからです。

そして、ものすらも、想像を絶する広大な宇宙のありとあらゆるものが素粒子の流れにしか過ぎません。

あたかも空(くう)のようなものです。そして素粒子から構成されている宇宙は無から誕生しました。

まさにVANITAS(虚無)なのです。

旧約聖書の伝道の書にもこう書かれています。

 

Vanitas vanitatum omnia vanitas.

空(くう)なるかな、空(くう)の空(くう)。すべてのものは空(くう)なり。

 

 

私たちもまた死ぬとその形状を変え、大気中や土壌、水分、一部は宇宙空間まで出て行くでしょう。そして、また別なものの構成要素として使用されるでしょう。

 

MEMENTO MORI,CARPE DIEM,VANITAS

 

このことばを私たちは常に意識し、行動指針としてゆくのです。

 

 

今だに考えや感情をコントロールしようという人がいるとは驚き

いまだに思考や感情をコントロールして幸せになろう!と言っている人が多いことか。

多くの人は、思考や感情をコントロールできると信じています。しかし、これは幻想です。

思考と感情は、私たちの意識の外で自然に生じ、その多くは直接的なコントロールを超えています。

不安や恐怖、喜びや悲しみなどの感情は、外部の出来事や内面の反応によって引き起こされ、意識的な意思で簡単に切り替えることはできません。

もしできるというのなら、どうして繰り返し不安や恐怖、絶望などが襲ってくるのでしょうか。

 

「赤い熊」の実験

次の一分間、「赤い熊」について考えないようにしてください。

どうなりましたか?

「赤い熊」について考えないようにしようとすること自体が、逆にその思考を強化してしまうのです。
これだけでも思考がコントロールできないことが分かるでしょう。
感情も同じことです。

電車の座席で自分の隣に座っている人を、感情をコントロールして愛することはできるでしょうか。
感情をコントロールできる、というのはこのようなことです。

いずれもコントロールできないことが分かります。

 

思考や感情は、「妄想」と捉えることができます。

これらはその人の脳内だけで発生し、第三者から観察も計測もできず、実体がありません。
このようなものは「妄想」というのです。
妄想には、思考や感情、意味、価値、比較など脳の活動によって生じるものがあります。
それらを事実として混同すると、「妄想」は私たちの行動や反応に影響を与える可能性があります。

事実とは実体があるものであって、第三者から観察も計測もできるものです。
このように考えると意味は脳内で発生する妄想ですから、
事実とは意味がないもの、すなわち単なるモノがあって、モノが動いている状態にしかすぎません。

妄想を事実だと信じる(フュージョンといいます)と、事実のように信じるのです。
事実だと信じると、行動や反応に影響があります。

 

妄想を妄想として認識(デ・フュージョンといいます)し、それに反応しないようにすることで、どんな思考や感情があっても、私たちの行動は自由になります。

絶望や不安を感じながらも、これらの感情を完全に受け入れる(アクセプタンスという)ことで、価値ある人生を歩むことが可能です。

思考や感情を切り分けて、「これは受け入れるが、これはいらない」とすることはできません。

そもそも「いい感情」「悪い思考」というのは、評価であり、評価自体も実体がない妄想の類です。

これを認識することで、私たちは思考や感情に振り回されず、より自由な行動を取ることができます。

思考や感情は行動に影響を与えることはあっても、行動を支配することはできません。

自分の内面の声に耳を傾け、価値ある選択をすることで、より意味のある人生を歩むことができるのです。

V.d.s.は、科学的根拠に基づいたプログラムを提供することで、思考や感情の罠から抜け出し、真の自分へと導きます。

今すぐ、V.d.s.と共に、自由への一歩を踏み出しましょう!

愚かなサルからニューヒューマンへ:苦痛と妄想から自由になるための方法

私たちは、苦痛と妄想に支配された「愚かなサル」として生きています。しかし、意識的に努力することで、苦痛と妄想から解放され、より自由で充実した人生を送ることができる「ニューヒューマン」へと進化することができます。

愚かなサルとニューヒューマンの特徴

愚かなサル

  • 苦痛と妄想に振り回される
  • 人生の現実を否定する
  • 我執にこだわり、争いごとを起こす
  • オカルトやスピリチュアル、迷信などにこだわる
  • 科学的な根拠のないものを信じる
  • 自分の人生を生きることができない

ニューヒューマン

  • 苦痛と妄想を認識し、それに振り回されない
  • 人生の現実を受け入れ、それに基づいて行動する
  • 我執を手放し、他者との調和を大切にする
  • 科学的思考に基づいて判断し、行動する
  • 自らの人生を創造し、主体的に生きる

私たち

私たちは、ニューヒューマンの育成を目指して活動している団体です。私たちは、人間は本来、苦痛と妄想から解放され、より自由で充実した人生を送ることができるという理想を実現しようとしています。

このブログ

このブログでは、私たちの指導となるテキスト「愚かなサルどもへ」の内容や、セミナー情報などを発信していきます。また、ニューヒューマンになるためのヒントとなるような記事も掲載していきます。

あなたもニューヒューマンになりませんか?

苦痛と妄想から解放され、より自由で充実した人生を送りたい方は、ぜひ私たちと一緒にニューヒューマンを目指しましょう。

まずは、

ホームページから

「自己変革のための生まれ変わりセミナー REGENERATION」

に参加してください。

ニューヒューマンを作り出す

私たちは皆、様々な思考や感情を抱えています。喜び、悲しみ、怒り、不安、そして奇妙な妄想など。しかし、これらの内面的な体験は、第三者から観測も計測もできないものです。では、これらの体験は本当に存在するのでしょうか?

脳科学の観点から見ると、思考や感情は脳の活動の結果生まれてくるものです。そして、客観的な観察や測定が不可能なため、「妄想」と捉えることもできます。つまり、「妄想」は実体として存在せず、脳内における電気信号の産物に過ぎないのです。

私たちは、長年、自分自身の思考や感情と戦い、コントロールしようと努力してきました。しかし、脳の産物である「妄想」と戦うことは、本質的に不可能です。

そこで重要になるのが、「妄想」に対して反応しないというスキルです。これは、思考や感情を否定したり、抑圧したりするのではなく、ただ客観的に観察し、そのまま受け入れることです。

このスキルを身に着けることで、私たちはどんな思考や感情に囚われることなく、価値ある行動をとることができます。私たちは、このスキルを持つ人々を「ニューヒューマン」と呼び、その育成に力を注いでいます。

ニューヒューマンは、思考や感情に振り回されることなく、常に冷静沈着に判断し、状況に応じた適切な行動をとることができます。彼らは、自分自身の内面世界に囚われることなく、より高い目標に向かって邁進していくことができるのです。

ニューヒューマンになるための訓練は、主に以下の3つの要素から構成されます。

  1. メタ認知: 自分の思考や感情を客観的に観察する能力
  2. 受容: どんな思考や感情も否定せず、ありのまま受け入れる能力
  3. 行動: 思考や感情に関係なく、それらとは独立して価値ある行動をとる能力

これらの能力を訓練することで、私たちは「妄想」に囚われることなく、より自由で充実した人生を送ることができるようになります。

私たちは、ニューヒューマンの育成を通して、より良い社会の実現を目指します。思考や感情を超えた生き方を通じて、真の幸福と自由を追求していくのです。

 

私は空っぽの青空

今日は青空が広がっている

どこまでも青空が広がっている

 

青空を見ると

青空というものはどこにも実体はない

青空という言葉があるだけだ

 

言葉があると

実体があるように思う

 

しかし、実体は何もない

 

天気を見ると

今日のように快晴であったり

雲が出ていたり、雨になったり

風が強くなったり、雪が降ったり、台風が来たりする

 

しかしどんな天気になっても

空はそこにある

空は実体がないから

傷つきもしない

 

私たちの考えや感情は

天気のようなものだ

 

私たちの中に

いろんな考えや感情が浮かんできては消える

 

雲ばかりを見つめていると

雲の中に入り込み

自分が雲と一体化したように思う

 

実際は、空は雲そのものでないように

あなたは考えや感情そのものではない

考えや感情を入れている入れ物である

 

考えや感情は

湧いてきて消えるままに放置すれば良い

 

空である自分は何も傷つかない

 

By 京極