もちろん、苦しみのない世界があればそれにこしたことがありませんが、それは実現可能なものなのでしょうか。
残念なことに、そんな都合がいいものは妄想なのです。
嫌なこと、苦しいことは、放っておいても向こうの方からやってきます。
良いこともあれば悪いこともあります。
苦しみをなくすということは、楽しみもなくすことでもあります。
そもそも脳が苦しみや楽しみを生み出すわけですから、脳を壊してしまわないと
苦しみから逃れることはできなくなってしまいます。
苦しみがあるというのは生きる代償でもあるのです。
もし、悩み・苦しみがない世界を目指すというならば、
- どうして絶対に死ぬと分かっているのに、生きているのですか
- どうして絶対に別れがあるというのに、人と関わったり付き合ったりすのですか
- どうして置いたり病気になったりするのに、体を鍛えたり、健康的な生活をしようとするのですか
という問いにどう答えるつもりなのでしょうか。
そもそも生きることはその中に必ず絶望や苦しみを含みます。
そして、それらに必ず出くわすのです。
私たちはそれを否定したり、取り除いたりすることはできません。
私たちができることは、それらを自分のものとして完全に受け入れたうえで、
どうするかの行動を選択することなのです。
苦しみを取り除こうとしたり、なかったものとしたり、戦ったりすると
ますます大きくなります。
一時的にほっとするようなことがあっても、
同じような状況になると同じように苦しんで、同じことをします。
思考や感情と戦ったり、コントロールしようとしたり、
忘れようとしたり、逃げ出しても苦しみは大きくなったり持続したりします。
事実を否定すると苦しみは強くなります。
このように自ら苦しみを無意味に作り出したり、
苦しみをムダに大きくしたりする必要はどこにもありません。
妄想を求めて人生をムダに費やす必要もないのです。
苦しみをなくすことができないのにそれをなくそうとして苦しみ、
苦しみを受け入れたうえで行動を選択できるのに、それをせずに苦しんでいます。
このように、私たちは 私たちは物理的に不可能なことをやろうとして苦しみ、可能なことをせず苦しみます。
コントロールが可能なものはコントロールし、コントロール不可能なものについては受け入れるしかないのです。。