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人生を変える「常識」に反する視点
私たちの考え方:「常識」に反するように見えることばかり
私たちの考え方は、多くの人々が抱く常識とは大きく異なるものです。例えば、次のような点が挙げられます:
思考や感情はコントロールできない。
思考や感情は行動を完全に支配しない。
死後は全くの『無』であり、未来のことより今を大切に生きるべきだ。
人生には苦しみが伴う(四苦八苦)ため、苦しみを完全に取り除くことはできないが、その苦しみを苦しみとして感じる必要はない。
避けられない苦しみを避けようとすることで、それがより大きな苦悩になる。
現実を逃げずに受け入れる(アクセプタンス)。
思考や感情、『私』という意識も脳の活動から生じる幻想であり、実体はなく、それに執着することが苦しみの原因となる。
未来や過去への不安や後悔も脳が作り出したものであり、現実には存在しない妄想である。それに執着する必要はない。
社会における「常識」や「価値観」も幻想であり、それに執着することは無益である。
人生における苦しみは避けられないが、それにどう反応するかは自分で選ぶことができる。
すべての生物は電気信号と化学反応で動く機械であり、人間も例外ではない。
これらの考えは、私たちの日常における「当たり前」を根本から覆すものです。以下に、いくつかの具体的な例を挙げて説明します。
思考と感情はコントロールできない
多くの人は、自分の思考や感情を意志の力でコントロールできると考えていますが、実際にはこれらは脳の自然な反応であり、完全にコントロールすることは非常に難しいのです。また、感情が行動を支配していると考えがちですが、実際には「やる気がないから動けない」のではなく、感情に関係なく行動を選ぶことが可能です。
例えば、朝起きて「外に出たくない」と感じることはよくありますが、もし火事が起きたら、やる気に関係なく外へ飛び出すでしょう。これは、思考や感情が行動を決めているわけではなく、私たちが感情に左右されずに行動を選ぶことができることを示しています。
感情に支配されない行動
多くの人は、感情が自分の行動を決めると思い込んでいますが、実際には感情に関係なく自分の行動を選ぶことができます。例えば、誰かと口論した後に落ち込むことはありますが、その感情に支配されて行動しないわけではありません。冷静に自分の行動を見直すことで、その後の対処をポジティブな方向に持っていくことができます。このように、感情に支配されることなく、価値に基づいて行動を選ぶことが可能なのです。
苦しみの受け入れと心の自由
辛い出来事が起きたとき、それを無理に避けようとせずに受け入れることで、心が自由になることがあります。この「受容」(アクセプタンス)が、苦しみから心を解放する鍵なのです。人はどうしても苦しみから逃げたいと思いますが、実際には苦しみを受け入れることで、その苦しみから解放されることが多いのです。
この考え方は、「苦しみそのものは避けられないが、それを避けようとすればするほど、かえって苦悩が深まる」という点に通じています。この現実を認識し、受け入れることで、私たちは苦しみを減らし、より実りある人生を生きることができるのです。
死を受け入れることで今を生きる
「死」を「無」として受け入れる視点も重要です。死後に魂が存在するという考えに頼るのではなく、今この瞬間を大切に生きることこそが、真に価値のある生き方です。死を恐れるのではなく、その現実を受け入れることで、私たちは生を最大限に活かすことができます。
この「死の受容」という考え方は、哲学者ハイデガーの「死の先駆的覚悟」にも似ています。ハイデガーは、死の存在を自覚することが、私たちにとって最も深い生きる意味を見つける方法であり、それにより自己の限界を超えた行動が可能になると述べています。
自分の価値に基づいた行動
こうした考え方は、自分が何に価値を置くかを基に行動を選ぶことにつながります。感情に流されるのではなく、自分の価値観に基づいて行動することで、他の人々や周りの環境との一体感を感じ、視野を広げることができます。このようにして、自分の人生の価値を追求し、意義のある生き方を実現することができます。
私たちは、このような考えをもとに、感情に囚われず自由に生きる方法を提供しています。もし興味があれば、ぜひセミナーで一緒に新しい生き方を学んでみませんか?
セミナーのご案内
私たちのセミナーでは、感情や思考に左右されない生き方を学ぶ実践的なプログラムを提供しています。このプログラムを通じて、死や苦しみの受け入れについて深く理解し、本当に大切なものを再認識し、より意義のある人生を生きるためのサポートを行います。
この機会に、ぜひ私たちのセミナーに参加して、「思考や感情に支配されない生き方」を手に入れてみてください。死と生、苦しみと喜びを受け入れることで得られる新たな自由と深い満足感を、私たちと一緒に体験しましょう。
臨死体験が教える生の価値
死を意識することの重要性
私たちは皆、必ず死を迎えますが、普段どれくらいそのことを意識しているでしょうか。多くの人は死を遠い未来のことと考えていますが、実際には命がいつ終わるかは誰にも分かりません。明日も生きているかは誰にも分からず、人生は一度きりでやり直しは効きません。
死の恐怖から逃れるために、死後の世界や魂、神という観念を作り出してきましたが、これらの幻想は現実の生を曇らせることがあります。本当は、死の先には「無」が待っているという現実があるだけです。この避けられない事実を直視し、受け入れることが、充実した人生を生きる第一歩です。
ハイデガーの「死の先駆的覚悟」
哲学者ハイデガーが唱えた「死の先駆的覚悟」は、死の存在を自覚することで初めて人は自分自身の人生を真に生きることができるとしています。死と向き合うことで、自分の限りある命の時間をより意識するようになり、これまでの人生を振り返り、本当に大切なものに集中することができます。その結果、私たちは自分の本質に立ち返り、心から納得できる生き方を選ぶことができるのです。この「死の先駆的覚悟」を持つことで、人生の一瞬一瞬がどれだけ貴重であるかを再認識し、充実感を持ちながら生きることができます。
さらに、死の存在を受け入れることにより、自分自身の限界を知り、それが自分の行動をより目的に向かわせる力となります。この覚悟は、人生におけるさまざまな選択や判断において、本当に価値があることに集中する手助けとなります。日常の些細な不安や恐れを乗り越え、本当に意味のある経験や関係性を築くことに専念できるようになります。また、この姿勢は、私たちが他者と接する際にも現れ、深い共感や思いやりを持った行動が可能になります。死の現実を見据えることで、人生の意味を再発見し、深い満足感とつながりを感じながら日々を送ることができるのです。
臨死体験と生きる意味
死を真剣に考えることは、生きる意味を見つめ直す重要な機会です。臨死体験を通じて死を仮想的に体験することで、生の一瞬がどれほど貴重かを再認識できます。こうした体験を通じて、日々見失いがちな大切なことに気づき、今をより大切に生きることができます。臨死体験は私たちに、自分がどれだけ多くの時間を無駄にしてきたか、そして本当に大切なものは何であるのかを鮮明に理解させてくれます。この理解を通して、私たちはこれまで無意識に過ごしていた日常の一瞬一瞬を新たな目で見つめることができるようになります。そして、それは単なる気づきにとどまらず、実際の行動にも反映されるようになります。たとえば、家族や友人との時間をこれまで以上に大切にし、自分が情熱を持って取り組めることにもっとエネルギーを注ぐようになります。また、過去の失敗や未練を引きずることなく、今の瞬間を充実させることができるのです。こうした姿勢が、私たち自身の幸福感を高めるだけでなく、周囲の人々との関係性をも向上させ、共により良い人生を築く力となります。
死後の世界と「今」を生きること
死後の世界や魂の存在に対する考え方は、私たちの生き方に大きな影響を与えます。
私たちは科学的に考えたうえで死後は全くの「無」であるととらえています。
死後の世界も救済も神も仏も何もない全くの「無」です。
死を「無」として受け入れることで、私たちは無駄な幻想にとらわれることなく、より純粋に「今」を生きることができます。死後の世界の幻想は、死の恐怖から生まれたものであり、それによって私たちは現実の「生」を見失ってしまうことがあります。こうした幻想は、不安や恐れを和らげる一方で、私たちが現在の生を十分に生きることを妨げることがあります。死という避けられない事実を「無」として受け入れることで、私たちは幻想や妄想から解放され、今という瞬間に集中することができるのです。この姿勢は、人生の各瞬間をより豊かに、意味深いものとする手助けとなります。
「無」に帰るという現実を受け入れることは、私たちにとって非常に重要な転機となります。この考え方は、過去や未来にとらわれずに、目の前の出来事や経験に全力で向き合う姿勢を育てます。それにより、私たちは人生の中で本当に大切なものに気付き、価値を見出すことができるのです。こうして、日々の些細な出来事や、人とのつながりをより大切に感じ、人生全体の質を向上させることが可能になります。死を受け入れることは、ただ消極的に受け止めるのではなく、私たちの生を積極的に活かすための鍵となるのです。
自覚を持って生きる
「死の自覚」を持つことで、私たちは今この瞬間を無駄にせず、本当に意味のある行動を選び取ることができます。死から逃げずに向き合うことで、私たちは執着や妄想から解放され、より自由で豊かな人生を生きられます。死という不可避な事実に向き合うことは、私たちに勇気を与え、これまでの価値観を見直し、日常の何気ない瞬間に深い感謝と意義を見出す手助けとなります。この過程を通して、自分の存在意義や、何が本当に大切であるかを再確認することができ、結果として他人との関係性もより深いものになります。死の現実を受け入れたとき、私たちは他者に対してもより優しく、思いやりを持って接することができるようになり、そのことがまた、私たち自身の生をより豊かなものにするのです。
セミナーのご案内
私たちのセミナーでは、臨死体験瞑想や「死を通じて生を見つめる」プログラムを提供しています。これらのプログラムは、死という避けられない現実を深く理解する機会を提供します。こうした体験を通じて、本当に大切なものを再認識し、人生をより意義あるものにできます。
この機会に、ぜひ私たちのセミナーに参加し、「死を通じて生を見つめる」時間を過ごしてみてください。死の現実を受け入れることで得られる新たな生きる力と深い満足感を、私たちと共に体験しましょう。
やる気がない時の行動選択
思考と感情に左右されない行動
多くの人は「やる気がないから動けない」「気分が乗らないから今日はやめておこう」といった理由を使い、行動しないための言い訳にしています。しかし、これは単なる言い訳、理由付けにしか過ぎません。実際のところ、思考や感情は行動を支配しません。行動が本当に不可能なのは、物理的にできない場合に限られます。
例えば、「足を骨折したから歩けない」というのは物理的な制約です。一方、「やる気がないから外に出られない」というのは思考や感情が理由の制約であり、実際には行動することが可能です。このように、物理的な制約と感情の制約は全く異なります。例えば、気分が乗らなくても、友人との約束があれば外出することができる場合もあるように、感情が行動の絶対的な制約ではないことが分かります。これは「できない」と「しない」の混同です。
布団に横たわっている状況でも、急に火事が起これば、どんなに気分が乗らなくても飛び起きて外に出るでしょう。つまり、行動は思考や感情に関わらず選択できるのです。もちろんやる気があって行動できるのは望ましいですが、やる気が出るかどうかはその時々の感情次第です。やる気が出るのを待ってからしか行動できないのならば、感情をコントロールすることが必要ですが、感情を完全にコントロールするのは難しいものです。そもそも思考や感情をコントロールすることが苦悩を深めることを、これまでブログで書き続けてきました。まさにそのことを言ってるのです。
自分への問いかけと行動の選択
思考や感情に対する誤解を解くために、「やる気がないからできない」と感じたときには自分に問いかけてみてください。「例えば、過去にやる気がなくても行動した結果、うまくいった経験はないか?」といった具体的な成功事例を思い出し、それを参考に行動することで、より実践的に行動できるようになります。また、「これは本当にできないのか、それともやらない選択をしているだけなのか?」と問いかけることも有効です。ほとんどの場合、物理的な制約がない限り、やらないのではなく、やろうとしないだけです。このように行動に対する認識を変えると、思考や感情に左右されず、自分の意志で行動できる可能性が広がります。
思考や感情を受け入れて行動する
実際、思考や感情が行動を制約することはありません。それらを意識しながらも行動することは可能です。例えば、気分が乗らないときでも短時間だけ作業を始めてみる、あるいはタスクを小さく分けて一つずつ取り組むなど、具体的な行動方法があります。「やる気がない」と感じるときや「気分が落ち込んでいる」と思うとき、その感情を受け入れつつ(これまでのブログに書いていたように、これをアクセプタンスといいます。完全に受け入れることです。)も価値ある行動を選び続けることができます。このような行動は、思考や感情を避けたり変えたりするのではなく、それらを抱えたまま、つまりアクセプタンスしたまま前に進むという選択です。
これを繰り返すことで、私たちは思考や感情と適切な距離を取ることができ、感情に振り回されずに価値に基づく生き方が可能になります。
「ニューヒューマン」とは何か
多くの人は、思考や感情に振り回されて行動が制限されていると感じていますが、実際にはこれらは単なる脳の反応に過ぎず、私たちを支配するものではありません。感情はそのままにして行動することで、どのような絶望的な感情があっても、やるべきことを選び取ることができます。
私たちの目指す「ニューヒューマン」とは、このように思考や感情の影響を受けつつも、それに支配されることなく、自分の価値に基づいた行動を選び取る人です。例えば、仕事でプレッシャーを感じても自分の目標に向かって一歩ずつ行動を続けたり、ストレスを感じながらも家族との時間を大切にするなど、感情を抱えながらも価値に沿った行動を選び続ける姿勢が「ニューヒューマン」の特徴です。
この生き方を通じて、私たちは思考や感情をただの現象として受け入れ、真に充実した人生を歩むことができるのです。
思考と感情の受け入れ方:新しいアプローチ
多くの人は、感情や思考をコントロールしようと試みます。それは一時的に安心を得られるからです。しかし、私たちがもがけばもがくほど苦しみは深まります。これは、溺れた人が必死にもがいてさらに沈んでしまう状況と同じです。実際には、もがかずに水に身を任せることで体が浮かび上がり、救われるのです。アクセプタンスも同様で、完全に受け入れることによって初めて私たちは自由になれます。
アクセプタンスとは、試しに少しだけ受け入れることでも、一部を受け入れることでもありません。完全に受け入れることが必要です。私たちの思考や感情は、コントロールできるものではありません。それを無理にコントロールしようとすること自体が、さらなる苦しみを生む原因です。私たちはこれまで、感情に対してもがくことで何とか乗り越えようとしましたが、実際にはそのもがきが状況を悪化させてきました。つまり、同じことを繰り返し、根本的な解決には至らないのです。
思考や感情は脳の活動の結果生ずる「単なる思考や感情」であって、自分の外に実体として存在するものではないのです。
実体として存在しないことは、これら思考や感情は幻想や妄想の類と同じなのです。
どんなに事実で実体があるように見えても、あなたの頭の中の出来事にすぎません。
アクセプタンスの本質は、感情や思考に対して無理に抵抗せず、その存在をただ受け入れることです。例えば、怒りや悲しみ、不安といった感情が湧き上がったとき、それを抑え込んだり変えようとするのではなく、ただそのままに受け入れることが大切です。感情が浮かんでくるのは自然なことです。しかし、それに対して抵抗することで、苦しみは強まり、さらに深い葛藤を生むのです。
私たちは思考や感情をコントロールするのではなく、観察し、受け入れることで、その苦しみに振り回されずに価値に基づいた行動を選べるようになります。感情を完全に受け入れ、コントロールしようとしないことが、心の自由を得るための鍵なのです。これは、感情や思考と戦わないこと、むしろそれらと共に歩むことを意味します。
例えば、仕事や人間関係でのストレスが溜まったとき、無理にポジティブになろうとせず、「今、こう感じている」という事実をただ受け入れることが重要です。そうすることで、感情に引きずられることなく、自分が大切にしている価値に基づいて行動できるのです。
私たちが提唱する「ニューヒューマン」は、このアクセプタンスを通じて、思考や感情に囚われず、ライフ・ヴァリューに従って生きることを選択できる人々です。彼らは、どんなに絶望的な状況であっても、それを乗り越えようともがくのではなく、感情を完全に受け入れることで、自然と価値に基づく行動を選べるようになるのです。
アクセプタンスは、感情と戦わずに受け入れ、そこから自分のライフ・ヴァリューに従って行動できる方法です。これにより、私たちは感情の波に飲み込まれず、自由で充実した人生を送ることができるのです。興味を持たれた方は、ぜひ私たちのセミナーでこのアプローチを学び、感情との新しい向き合い方を体験してみてください。
がん細胞のような人類と未来への希望
「人類を愚かなサルども」と呼ぶことに抵抗を感じる人は多いかもしれませんが、私たちがこれまでに行ってきた行動を振り返ると、この表現は決して過激ではありません。戦争、差別、環境破壊、そして地球資源の浪費。私たちは地球という舞台に、まるでがん細胞のように振る舞ってきました。人類は、がんのように自己中心的に増殖し、周りの環境を破壊し続けています。しかし、この破壊的な行動を続けた結果として、未来には絶望的な結末が待っていることを忘れてはいけません。
がん細胞は通常の細胞とは異なり、自己増殖を優先し、周りの組織を破壊します。この行動は、私たちが地球で行ってきた振る舞いと酷似しています。しかし、科学的知見によれば、ごくまれにがん細胞が正常な細胞に戻ることがあります。これは「分化誘導」と呼ばれるプロセスで、細胞が誤った増殖を修正し、元の健康な状態に戻ることを意味します。このプロセスは、私たちが未来に目指すべきニューヒューマンの姿を象徴しています。
ニューヒューマンとは、単なる個人の幸福や利益を超えて、地球全体の調和や持続可能性を考え、行動できる存在です。彼らは、自分たちだけの利益を追求する愚かなサルとは異なり、地球や他の生命との共生を重視します。ニューヒューマンは、地球環境や他の生物への配慮を第一に考え、持続可能な未来を築くために行動する、新しい人類の形です。
私たちががん細胞のような自己中心的な行動を続けていては、未来は絶望的です。しかし、ニューヒューマンのように正常な細胞に戻り、他者や自然との調和を目指すことで、未来には新たな希望が生まれます。ニューヒューマンは、思考や感情に支配されることなく、価値ある行動を選び取ります。彼らは、どんな困難や苦悩に直面しても、それを単なる思考や感情と認識し、自分の価値に基づいて行動する力を持っています。
そして、ニューヒューマンはただ自分のためだけではなく、地球全体の未来を見据えています。私たちが今、この道を選び取らなければ、人類の未来は不確かなものになります。ニューヒューマンこそ、私たちがこれから育て、広めるべき存在であり、彼らこそが地球と人類にとっての最後の希望なのです。
未来を築くためには、綺麗事ではなく、現実を直視し、行動を変えていくことが不可欠です。綺麗事を声高に主張する人こそ現実を放置して問題を先延ばしてきた張本人たちなのです。ニューヒューマンのように、地球や他の生命との共生を大切にする新たな生き方を選び取ることこそ、今後の人類の進化の道なのです。