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価値ある人生を歩むためのライフ・ヴァリューとは
価値ある人生とは
「価値ある人生」とは、自分のライフ・ヴァリューに向かって歩み続ける人生のことです。この「ライフ・ヴァリュー」とは、人生における価値や生きる目的を指し、具体的な達成可能な目標とは異なります。その特徴は「絶対に手に入らないものであり、常に行動によって表現されるもの」です。
例えば、「愛する」「社会に貢献する」「他者に尽くす」といった行為そのものがライフ・ヴァリューとなります。これらの行為は単なる達成目標ではなく、完結することのないものであり、私たちの人生に方向性を与えるものです。ライフ・ヴァリューに基づいた行動は、ただ一度行えば終わりというものではなく、継続して行うことが求められます。それによって私たちは、自己の内面的な成長を続け、深い充実感を感じることができます。
ライフ・ヴァリューは、北極星のような存在とも言えます。私たちは決してその場所に到達することはないかもしれませんが、常にその方向を目指して歩み続けることが大切です。このような生き方をすることで、私たちの人生はより活き活きとし、日々の行動に充実感を感じられるようになります。また、ライフ・ヴァリューに向かって生きることは、人生において困難や苦難に直面した際にも大きな支えとなります。たとえ目標が達成できなくとも、その過程での努力や行動こそが意味を持ち、私たちを成長させてくれます。
ゴールとライフ・ヴァリューの違い
具体的なゴールを達成することももちろん重要ですが、それだけでは人生の深い満足感を得ることは難しいかもしれません。ライフ・ヴァリューに沿った生き方を意識することで、どんな状況においても自分の生きる意味を感じながら前進することができます。例えば、困難な状況に直面したときでも、「他者に尽くす」「思いやりを持つ」などのライフ・ヴァリューを思い出し、それに基づいて行動することで、困難な状況に対しても前向きに取り組むことができます。
ライフ・ヴァリューと社会とのつながり
ライフ・ヴァリューはまた、私たちが他者との関係を深め、社会とのつながりを感じるためにも重要な指針となります。ライフ・ヴァリューを基にした行動は、周囲の人々にポジティブな影響を与え、他者との共感や理解を育むことにもつながります。これにより、個人としての充実感だけでなく、社会の一員としての意識も高めることができます。人は誰しも社会的な存在であり、他者とのつながりを持ちながら生きることで、より豊かな人生を送ることができるのです。
終わりのない旅としてのライフ・ヴァリュー
このように、価値ある人生とは、常に自分のライフ・ヴァリューに沿った行動を取り続けることであり、それが生きることに深い意味と充実感をもたらします。ライフ・ヴァリューは終わりのない旅路であり、その道のりを進むことこそが、人生にとっての本当の価値なのです。その過程においては、苦しみや困難も避けられないかもしれませんが、それらさえもライフ・ヴァリューに基づいた生き方の一部として受け入れることができるのです。そして、その道を歩み続けることで、私たちは本当に価値ある人生を築いていくことができるのです。
苦痛を苦悩に変えない生き方
苦しみは自分が作り出している
多くの人が感じている「苦しみ」とは何でしょうか。それは、もしかすると私たち自身が作り出しているものかもしれません。私たちは、日々の出来事に対して解釈を加え、その解釈が感情を生み出し、時にはそれが苦痛をもたらします。しかし、その苦痛をさらに「苦悩」にまで拡大させているのも、実は私たちの思考や感情に対する執着です。
本来、この世界にはただ「モノ」が存在し、その「もの」が動いているだけです。しかし、私たちはその「モノ」に対して意味を与え、解釈を行い、その結果、さまざまな感情を生み出します。ある出来事に対して、苦しいと感じるのは、その出来事そのものが苦しみをもたらしているわけではなく、私たちの解釈によってそう感じているのです。
苦痛は避けられないが、苦悩に変える必要はない
仏教の教えには「四苦八苦」という言葉があります。生老病死や愛別離苦など、私たちが避けて通れない苦痛が人生には存在します。しかし、重要なのはその苦痛をどのように受け止めるかです。苦痛を苦痛として感じることは自然なことですが、その苦痛を「苦悩」にまで引き上げてしまう必要はありません。
「苦痛」とは、例えば身体的な痛みや感情的な辛さのことです。しかし、「苦悩」とは、それに対して私たちが自ら作り出す二次的な反応です。苦痛が存在すること自体は避けられない現実であり、それを問題視するのではなく、苦痛を苦悩に変えてしまい、身動きが取れなくなることこそが本当の問題なのです。
思考や感情をただの「思考や感情」として捉える
実際、私たちが感じている思考や感情は単なる反応に過ぎません。それは、出来事そのもの、つまり「事実」とは異なるものであり、私たちが後から付け加えた意味合いに過ぎないのです。このことを訓練によって理解し、思考や感情に振り回されないことが、自由で活き活きとした人生への第一歩です。
思考や感情をただの「思考や感情」として認識することで、どのような破滅的な考えが頭に浮かんでも、それが現実を決定づけるわけではないと気づくことができます。たとえ不安や恐れ、絶望のような感情が湧いてきたとしても、それとは関係なく、自分の価値に基づいた行動を選択することが可能です。このようにして、自分の人生をより価値ある方向に導くことができます。
活き活きと生きるために
活き活きと生きるとは、自分の思考や感情にとらわれず、価値に基づいた行動を取ることです。私たちは、自分自身の内面にある無意味な解釈や執着から解放され、より自由に行動することを目指すべきです。そして、そのためには訓練が必要です。
私たちは、その訓練と方法を提供することを目指しています。思考や感情に対する距離を持ち、それを現実と混同しないようにすること。そして、自分にとって価値ある方向に向かって進む力を育むこと。それが、苦しみから解放され、活き活きとした人生を送るための道です。
どんなに苦痛が伴う状況でも、それを苦悩に変えず、価値ある人生を歩むための道を一緒に模索していきましょう。
不安を手放し、今を生きる方法
多くの人が苦しみ続ける理由は、思考や感情が脳内で作り出された妄想(現実には存在しないもの)であるという事実を理解していないからです。人々は、思考や感情を実体のあるものと信じ込み、それに振り回されることで、無意味な苦悩を生み出しています。
苦しみ続ける人の特徴として、以下の点が挙げられます。
思考や感情をコントロールできない
人は思考や感情を直接コントロールすることはできません。例えば、「赤い象について考えないでください」と言われても、赤い象について考えてしまいます。同様に、不安や恐怖などの感情を無理に消そうとしても、それは逆効果です。コントロールできないものをコントロールしようとすることでもがき、苦しみが生じます。コントロールできないものは完全に受け入れる(アクセプタンス)しかありませんが、それには訓練が必要です。
思考の現状維持作用
思考は現状を維持しようとする働きを持っています。これは、未知なるものに対する不安や恐怖から、現状にしがみつきたいという心理が働くためです。そのため、たとえ現状が苦しくても、変化を恐れ、行動を起こせない人が多くいます。この現状維持の傾向は、思考が安全を求めるための本能的な反応であり、特に不確実な未来に対する恐怖が強い場合に顕著に表れます。また、変化に伴うリスクを避けようとするあまり、現状の問題に目をつぶり、そのままの状態に安住しようとする傾向もあります。現状を変えるためには、この現状維持の働きに気づき、それを乗り越える意志と行動力を持つことが重要です。変化は恐れを伴いますが、それを受け入れることで、より良い未来へと進む可能性が開けるのです。
我執へのこだわり
人は「私」という存在にこだわり、それを守ろうとします。しかし、「私」とは実体のない、脳が作り出した妄想に過ぎません。「私」という幻想に固執することで、人は不必要な苦しみを生み出しているのです。
死への恐怖
多くの人は死に対して恐怖を抱き、そこから目を背けようとします。しかし、死は誰にも避けられないものです。死を直視し、受け入れることで、人はより良く生きることができるようになります。
私たちは、これらの問題を克服し、「ニューヒューマン」として生きるための方法を提案しています。
思考や感情との分離(デフュージョン)
思考や感情が現実ではなく、単なる妄想であることに気づくこと。
アクセプタンス(完全受容)
思考や感情を否定したり、コントロールしようとせず、ありのままを受け入れること。
「今、ここ」に意識を向ける
過去の後悔や未来への不安にとらわれず、「今、ここ」に集中すること。
自他同一の意識
「私」という枠組みを超え、全てのものと繋がっているという意識を持つこと。この意識を持つことで、他者との共感や理解が深まり、個々の存在を超えて全体の一部としての自分を感じることができます。自分と他者との区別を和らげ、互いの存在を尊重しながら、全てのものが繋がっているという感覚を育むことが重要です。これにより、孤立感が減少し、より深い安心感や調和を感じることができるようになります。
これらの方法を実践することで、人は苦しみから解放され、より自由で、活き活きとした人生を送ることができるようになるでしょう。
私たちのテキスト「愚かなサルどもへ」に書かれていること
「愚かなサルどもへ」は、私たちのテキストであり、思想的な中心的存在です。
この文書は、妄想や幻想に囚われた人間たち(愚かなサル)に向けて、自我を超えて生きる方法を説いています。具体的には、脳が生み出す思考や感情はすべて幻想であり、それに囚われないことを重要視しています。
この文書の目的は、妄想や幻想に左右されない「ニューヒューマン」となるための道を示すことです。
私たちの目標は、物理的に不可能なこと以外はすべて可能であり、自らの限界を打ち破り、自由に行動し、社会に貢献することです。
さらに、宇宙との一体感やワンネスの実践を通じて、自己と他者の区別を超えた理解を促します。
「愚かなサルどもへ」では、思考や感情の妄想性を指摘し、脳内に浮かぶものに反応せず、行動を重視することが説かれています。
これにより、従来の価値観や信念から自由になり、科学的根拠に基づく新たな生き方を追求することが求められています。
愚かなサルどもからニューヒューマンへ
現在の人類、つまり「愚かなサルども」は、まるでがん細胞のように地球を蝕んでいます。彼らは互いに争い、他の生物を絶滅に追いやり、資源を浪費し、環境を汚染しています。自分たちが地球を支配しているかのように振る舞い、どこに存在しても破壊と汚染をもたらしているのです。
この行動は、宿主である地球をも滅ぼすがん細胞と同じです。もしこの見方に疑問を持つならば、歴史を振り返ってみてください。平和な時代よりも、戦争と破壊の時代の方が長く続いています。人類がいなくても地球は問題なく存続していけるのに、愚かなサルどもがいることで、地球全体が危機に瀕しているのです。
私たちは、この状況を変えるために「ニューヒューマン」という新しい存在を提唱しています。ニューヒューマンは、愚かなサルどものようにエゴや欲望に振り回されることなく、地球との調和を大切にする人々です。彼らは、自分が宇宙の一部であり、地球、動物、他の生命と深く繋がっていることを理解しています。このワンネスの感覚を持つことで、ニューヒューマンは地球と共に生き、動物とも共生する存在を目指します。
私たちの団体は、このニューヒューマンを育てることを目的としています。そのために、さまざまな練習や実践を通じて、会員がニューヒューマンとしての資質を身につけられるようサポートしています。特にマインドフルネスを通じて、会員は自分の思考や感情を冷静に観察し、無駄なエゴや妄想に振り回されずに行動する力を養います。このプロセスを通じて、私たちは地球や動物、そして他の生命との一体感を育み、共に生きる方法を学んでいきます。
愚かなサルどもは、物質的な欲望や短期的な利益を優先し、その結果、環境や生態系を破壊し続けます。しかし、ニューヒューマンは異なります。彼らは、地球や動物、他の生命との繋がりを大切にし、日々「役に立つ行動」を選び取ることを重視します。ニューヒューマンにとって、個人のエゴや欲望を超えた行動こそが、より大きな調和と未来に貢献する鍵なのです。