固有で独立した「私」などというものは存在しません。あなた自身を構成しているものも、過去から何度も使い回されている原子に過ぎないのです。しかも、その原子さえも日々少しずつ入れ替わっています。 あなたの感じている「私」という感覚も、脳が生み出した実体のないものなのです。 実体を持つこの宇宙のどこを探しても、「私」という独立した存在は見つかりません。
このことから分かるように、あなたの体はあなただけの所有物ではなく、誰のものでもありません。 そう、あなたは「私」が実体のあるもの、永遠に変わらないものだと、そして自分の体を自分のものだと、ただ思い込んでいるだけなのです。そもそも「所有」という概念自体が、単なる妄想に過ぎません。「私」そのものが幻想であるのに、どうして自分の体の所有権を主張できるのでしょうか。
もし脳が「私」という感覚を生み出さなければ、私たちはありのままの世界を感じることができたはずです。
繰り返しますが、「私」というものは妄想なのです。
実体として存在するのは、原子、突き詰めれば素粒子の絶え間ない流れだけです。私たちは、万物から独立して存在しているのではなく、その大きな流れの一部に過ぎません。
このような状態を
万物の一体性(ワンネス)
と呼びます。
ワンネスこそが真実であり、私たちが本来いるべき姿なのです。
人間が意味を持つ言葉を最初に創り出した時、おそらく最初の言葉は「私」だったのでしょう。「私」という言葉が生まれると、自動的に「私でないもの」が区別されます。 このように、本質的には全て同じものなのに、私たちの脳が生み出した「私」は、他のものと区別してしまうのです。
その結果、私たちは全体から切り離された存在として孤独を感じ、他人と比較したり、争ったりします。「私」が実体であり、独立した存在であると信じ込み、その「私」に執着するとどうなるのか、今のあなたなら容易に想像できるでしょう。万物の一体性を理解しない愚かな人間たちが、この地球上でどのような愚行を繰り返しているのかは明らかです。
万物の一体性の視点から見れば、他人や動物、物も全て同じ価値を持つものとして見えます。脳が生み出した「私」という区別は、単に物事を認識し、分類するためのものであり、その区分が真実ではないことを理解するのです。
具体的には、自分にできないことを他人が行っている場合、それを「自分の代わりに、自分ができないことをその人が行っている」と考えます。他人も自分と同じように感じる存在なのです。 同じように、愚かな行動をしている他人を見たとき、それをまるで自分が行っているかのように感じて、その人を見るのです。 そうなると、その人に対する憎しみや怒りよりも、慈しみの気持ちが自然と湧き上がってきます。
あなたが幸せでありますように。
ここで言う「あなた」とは、目の前の他人だけではありません。他人を自分自身の一部として慈しむ気持ち、それがこの言葉に込められた意味なのです。お分かりいただけたでしょうか。