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過去にも書きましたが、ニーバーの祈りというものが大好きです。
この画像ににもつけていますが、「祈り」をあの有名なグリーンスリーヴスの曲に合わせて
歌う人もいるようです。
あの曲ととても合いますね。
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
コントロールできないものをコントロールしようとすると必ず苦しみが出てきます。
コントロールできるのに、コントロールできないと信じて何もしないと行き詰まったままになります。
何よりも、コントロールできることとできないことの見分けができる知恵が必要なのです。
このニーバーの祈りによく似たものがあります。
困難が我々を襲った時、治療法があったなら
落ち込まないといけない何の理由があるだろうか
もし助けになるものが何もないなら
落ち込むことが何の役に立つだろうか
まさに、この言葉の通りです。
困難に陥ったとき、方法があるのにさまざまな理由づけをして回避し、
何もしないまま、それでも「何とかして欲しい」と苦悩したり、
もうなすすべがないのに、「何とかしたい」ともがいて、
さらに自分自身を傷つける行為は意味がありません。
人生を歩んでいると、さまざまな出来事があります。
苦痛は避けることはできません。
なぜなら、死ぬこと、別れること、病気になることなどは人生につきものなのです。
自らがこれらの苦痛を避けようとどんなに努力していても、苦痛のほうからある日ひょっこりとやってきます。
それとともに、不安や絶望、恐怖などという感情も発生します。
あるいは、ゴールを達成できないかもしれないという未来に対する不安や「あの時こうすれば」という過去に対する後悔も発生するでしょう。
歩んでも歩んでも出口が見えないような焦りにも出会うかもしれません。
このような感情や思考に遭遇したとき、これまでと同じような方法、つまり「回避」を行ってしまうと、私たちは「人生でやりたいこと」に向かって歩むことはできなくなります。
歩むことより、そこから逃げ出すこと、あきらめること、もがくことに時間を費やすことになるでしょう。
そんな時は、不快な思考や感情から回避することを考えず、戦うこともコントロールすることもせず、ただ完全に受け入れてください。
そして、一歩退いて、全体を眺めるようにしてみてください。
きっとこんな光景が見えるはずです。
さまざまな出来事が人生のすべてではなく、一部分にしか過ぎないこと。
そして、都合よく「よい」と評価したことだけを取り入れ、「悪い」と評価したものを取り去ることなんて絶対にできっこないこと。
そもそも、「いい」「悪い」と評価している自分の思考そのものに振り回されていること。
が分かるでしょう。
さらに、思考や感情を自分自身と同一視して体験しているところから、もっと退いて自分自身を眺めてみることも重要です。
つまり、映画の観客として自分や思考や感情を眺めてみると、つらいという事実そのものに直面しているのではなく、つらいと評価している感情や思考に反応していることが分かるでしょう。
それらの思考や感情は私たちを支配し、言うことを聞かせようとさまざまな怒鳴り声を上げ、証拠や理由づけ、評価を大量生産していることが分かるでしょう。
それでも、空を見上げると、私たちの「人生をかけてやりたいこと」は空に輝く星のように、いつもそこにあり、私たちはその星の方向に向かって歩くことができるのです。
何よりもそれらを眺めている私たちの場所は、思考でも感情でもありませんから、決して思考や感情によって傷つくことがない絶対的に安全な場所にいることが分かると思います。
私たちは、不快と評価した思考や感情、それらすべてと戦うこともなく、無視することもなく、コントロールすることもなく、避けることもなく、それらすべてを引き連れて、「人生をかけてやりたいこと」の方角に歩くことができるのです。