マインドフルネスと分析的瞑想

マインドフルネス


私たちのエクササイズの中にはマインドフルネスを多く利用しています。


マインドフルネスとは、「今、ここ」に注意し、自分の体や心に起こっていることに注意する瞑想法で、第3世代認知行動療法では多く取り入れられています。
欧米では、ストレスやうつ、不安や恐怖などに対する効果が認められ、医療はもちろん企業研修などに取り入れられています。

瞑想法といえば、霊的・宗教的な意味合いがあり、特殊な体験や超常的な力を得るために行うものと考えている人もいますが、そのようなものは現実逃避であり、妄想であると退けます。

また、従来の認知行動療法とは違って思考の内容を変更したり、書き換えたりすることなく、ただ、思考を思考として、感覚や感情をそのままのものとして扱うものです。

その源流は、仏教でのヴィパッサナー瞑想ですが、そこから宗教色を取り除いたものとして、純粋に心理療法的技法として発展しています。

私たちの瞑想もまた、マインドフルネスを基本とし、特殊な体験をしたり、超常的な力を得たりするためのものではありません。
私たちの瞑想法は、広範な問題を解決し、外界および内界をありのままに捉える眼を養う助けとなるものです。

分析的瞑想


私たちが使用する瞑想はマインドフルネスとともにもう一つのものがあります。
分析的瞑想といわれるものです。


マインドフルネスは思考や感情、感覚をただそれに取り込まれずに観察するものですが、分析的瞑想では思考を使います。

分析的瞑想とは、知的な考察によって一定の問題を理解しようとするものです。

一つのテーマについて、テーマから注意をそらさずにテーマと一体となって、自分自身の経験によって得た考え、疑問、イメージなどを用いて深く考え抜きます。
この瞬間は、心の中で行う講義のようなものになるかもしれません。

問題点を自分自身に解説したり、双手に分かれて論争したり、あるいは、フリースタイルの思考の冒険を行っているような感じです。
この瞑想中、疑問が必ず生じてきます。

しかし、それをもっともらしく言いつくろったりはしません。
疑問とは質問のことであり、質問には解答が必要です。
ですから、自分が考えている内容、その理由に関しては明確であることです。
疑問点があるなら、結着をつけるか、あるいは、しばらく横に置いて、後ほど、再び取り組むようにします。

分析中、そのテーマに関する直観的洞察が生じてきた場合は、分析を中断して、できるだけ長い時間、その直観に意識を集中させます。
それが弱まってきたなら、再び分析的探究を始めてもよいし、あるいは、そこで瞑想を終わりにしてもかまいません。

分析的瞑想のテーマとなっているものが

  • 空性について
  • 苦悩について
  • 永久不変なものはないことについて
  • 死について
  • 思考の「自己」に対する投影について
  • 心の連続性について

特に、空性については、物事の存在そのものについて瞑想します。
とりわけ一番身近である「私」の本質とその存在・非存在について深く瞑想します。
思考を観察するとき、それを観察している「私」は一体何ものなのか、そもそも私とはどこにあるのかについて洞察します。
これは、非常に難しいものですが、興味が尽きないものでもあります。

何よりも、恐怖や不安、劣等感などを感じている主体としての「私」ですから、それらについて洞察することは、遙かに得るものが多いのです。


これらの瞑想法は、人生、苦しみ、死、人間関係についての思い込みに私たちの目を向かわせ、そうした思い込みや期待が、不幸や挫折感の原因となっていることに気づかせてくれるものです。

ここでの瞑想法については音声データとしてダウンロード販売をしているものもありますので、ぜひ体験してみてください。

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