今日は「死」について、ちょっとだけ・・・
みなさんは、家族や知人などで「死」を見たことがあるという人も多いでしょう。
死を見たとき、ふと頭をかすめることがあります。
「私もいつかは死ぬんだ」
と。
でも、不思議なことに、そのいつか、というものはずっと遠い先のことと信じています。
20年後、30年後、50年後、60年後・・・というふうに。
でも、それらに根拠はあるのでしょうか。
確かに、私たちがこれから何年後かに生きている証拠や保証はどこにあるのでしょうか。
こういうことを言うと、
「怖い」
と思うでしょう。
そうです、死は本能的に怖いものなのです。
なぜなら、誰もが体験するものでありながら、体験するとその先が分からないからです。
何よりも、どんなにお金を持っていても、どんなに人を愛し、憎んだとしても、
どれほどの経験を持っていたとしても、どんなに名誉や権力を持っていても、
どんなに苦しみを持っていたとしても、
死は、全てを残して、たった一人で経験するものなのです。
二人で死のうが、多数で死のうが、体験は一人一人のものなのです。
死に臨んでは、一切のものが死を遠ざけることはできないという事実が紛れもなくあります。
死は恐ろしくないという人も、死の恐ろしさの代わりとして、来世や死後の世界というものに希望を託します。
そうすることによって、恐怖が和らぐこともあるからです。
無意識的に、あるいは努めてそのようなことを考えないようにしようと思っている人も多いでしょう。
必ずいつか分からないときに体験するものであるのに、自分の体験と切り離してこのように死を取り扱うこと自体が、死の恐怖の大きさを物語っているのです。
たとえば、幼いときの体験を自分の目から見るように思い出すことができますし、未来の予想もまた、自分の目から見るように想像できます。
しかし、死については、それをイメージするとき、そのイメージの中に必ず自分というものが、自分の死体、棺桶、祭壇などのように直接的、間接的に存在します。
つまり、道のものであり、恐怖が大きいため自分の目から体験しているようにイメージすることができず、
自分から抜け出したかのようにして、あたかも自分が死の体験から回避するようにしてしかイメージできないのです。
死は、人生の総決算でもありますが、だからといって予想できる死ばかりではありません。
交通事故や突然死、闘病中の突然の悪化など、予想もしない形で死はいつ訪れるかも分かりません。
だからといって死の恐怖を感じながら生きることは全く意味がないことでもありますし、心と体を壊すだけでしょう。
よく考えると、「死」というものは私たちの人生について多くのことを教えてくれます。
本当に活き活きと過去生きてきたのか、今も生きているのか、
自分は一体何をしたいのだろう、自分と対人、対社会との関係はどうなんだろうか、と。
それを真剣に見つめ直す時間があってもいいのではないでしょうか。
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ここにある体験談から見ても、多くの人の心に何らかの衝撃と気づきを与えていることに間違いありません。
自分自身と本当に向き合い、見つめ直す時間を持ってみるのもいいかもしれません。
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