私が好きなことがあります。
それは、瞑想です。
瞑想といっても、落ち着くためにするわけでもなく、「無」を感ずるわけでもでもなく、何かと一体化することでもなく、イメージをありありと感じることでもないのです。
マインドフルネス瞑想といって、『自分の心を観察する』瞑想なのです。
もともとはヴィパッサナー瞑想が原型ですが、宗教色をぬぐい去り、それをセラピーに応用できるようにしたものなのです。
これは一度方法を身につけると、どこでもできますし、何よりも道具が必要ないですし、コストもかかりません。
思考や感情に振り回され、その思考や感情と戦ったり、回避したり、ポジティブに置き換えたり、忘れようとするためにそうするのではなく、ただ、心や感情を観察するのです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~macht/onsei/kuusyou/
たとえば、呼吸の様子を意識できるのであれば、私は呼吸そのものではないのです。
呼吸は常に変化しています。
呼吸は浅くなったり深くなったり、早くなったり、遅くなったりしますが、呼吸に気づいている私は何も変わりません。
子供の頃と大人になった私を比較しても、姿形は変わったとしても、呼吸を意識している私は何も変わりません。
同じように、思考がどこにあるのか、それはどんな形なのか、映像なのか、言葉なのか。
一歩退いて思考を観察してみましょう。
思考も絶えず変化しています。
突然現れては、どこかに消えてゆきます。
常にどんな時も同じ思考がずっとある、ということはあり得ません。
思考は、あるときは本当ですが、あるときは嘘です。
あるときは悲しいものですが、あるときは楽しいものです。
このように絶えず変化しています。
そして、思考を意識しながら、思考を意識している私がいるのです。
思考を意識できるならば、私は思考そのものではないのです。
子供の頃と大人になった私を比較しても、姿形は変わったとしても、思考を意識している私は何も変わりません。
この話を聞いていても、思考は、絶えず分析し、考え、反論したり、非難したり、理屈で説明しようとするでしょう。
これが思考の働きなのです。
この思考の働きを、道を通りゆく人のように、道路を走りゆく車のように、勝手に行き来させておきましょう。
思考は、絶えず気を惹くことをしてみたり、ちょっかいを出したりしてきます。
それでも、それをそのまま眺めてみましょう。
感情もまた常に変化しています。
気分が悪くなったり、ストレスがたまったり、安心したり、不安になったり、いつもいつも変化しています。
怖くなったり、怒ったり、悲しんだりします。
その感情を眺めてみましょう。
感情を観察できるなら、私は感情そのものではないのです。
子供の頃と大人になった私を比較しても、姿形は変わったとしても、感情を意識している私は何も変わりません。
呼吸や思考や感情を意識している変わらない私は、空に似ています。
そして、思考や感情は天気のようなものです。
天気は絶えず変化しますが、ひどい荒れ模様になったとしても、空は全く被害を受けません。
どんなに激しい雷雨でも、荒れ狂う台風でも、猛烈な吹雪でも、空に危害を加えることはできないのです。
そして、空にはどんなひどい天気も受け容れる余裕がありますし、その悪天候も永遠に続くことはありません。
天気はどんどん変化していきます。
虹が見えることも、雷が鳴ることもあるでしょう。
けれど、それらが発生しても、空の様子は刻々と変化し、過ぎ去ってしまうものなのです。
私の心は、決して雲そのものではありません。
雲や雨はどこからか、わき出てやがてどこかに消えてゆきます。
空は、雲や太陽、雨や虹、それらをも含む「入れもの」なのです。
小さな雲の時もあるでしょう。
大きな雲が、空全体を覆ってしまう時もあるでしょう。
天気は常に変わってゆくものなのです。
空の中に、思考や感情、衝動が浮かんでは消えてゆくだけなのです。
どんな天気になろうと、空の本質には何の関係もないのです。
私の心の天気が、どんなふうに移り変わるのか、それをただただとらわれず、評価せず、判断せず、眺めてみましょう。
私たちは時々、空がそこにあることを忘れてしまいますが、それでもやっぱり、空はそこにあります。
空を見られないときもあります。
雲に覆われると、霞んでしまうからです。
ですが、もし雲の上まで上がっていくことができるとしたら、たとえ分厚い、真黒な積乱雲が立ちはだかったとしても、その向こうには、雲ひとつない晴天がどこまでも広がっているはずです。
これからもっともっと、私自身の、この晴天の部分を感じることができるようになっていけます。
この場所では、思考や感情に悩まされる必要がありません。
安全な状態で思考を観察し、受け容れることができます。
入れ物としての空の私は、思考や感情がわき出ては消えてゆく、それを眺めてみましょう。
もし巻き込まれたら、また空に戻りましょう。
この瞑想は空になりきることでもなく、長時間そこにとどまることでもありません。
巻き込まれたら、すぐ空の視点に何度も何度も戻ることなのです。
どうですか?
おもしろいでしょう?
すぐにできるわけではありませんが、慣れてしまうといつでもどこでもできるものなのです。
今、この瞬間、そこにとどまることを知ることは、地味ですが、人生を変える可能性のあるものでもあるのです。
こんなものも用意しています。
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