最近、よく思うのです。
会議をするときに、誰かが案を出すと、決まってできない理由を考え出す人がやたら多いことを。
できない理由を挙げてみると・・・
・これまでやったことがない、前例がない。
・これで上手くいくのかどうか分からない、保証がない。
・仕事が増える。
・理想は素晴らしいが、どうしていいのか分からない。
・これまでで十分ではないか。
など、枚挙にいとまがありません。
会議は、ある案が出たときに、
・代案を出し、代案と比較する
・代案がないときは、現状と比較する
その上で、メリット、デメリットを検討し、採用するか否かを決定するものでしょう。
ところが、代案なき反対は、単なる雑音や悪口にしかすぎないのです。
そして、それは誰にでもできることであり、それをわざわざ反対する意見を表明するのは、
・私の方がその案を出した人より素晴らしいと主張する
・自分の仕事量が増えることを勝手に想像し、それを避ける
・面倒なことはしたくない
・もし失敗したときのことを考えて、責任を回避したい
などという思いがあるのでしょう。
けれど、悪口や雑音を会議の席上で発言することこそ、無意味であることに気がついていないのです。
ですから、その案と同等かそれ以上の効果を持つ代案が思いつかないときは、発言するな、と私の会議のルールで決めています。
理由は以上の通りですから。
ところで、新しい案を提示した場合、
その完成形がどんなものであるのか
その完成形が生み出す効果は何か
逆に、デメリットは何か
それを完成させるために、今持っているリソースは何か、ないリソースは何か
ないリソースはどのようにして手に入るか
ないリソースを手に入れることは簡単か、困難か
さらに、完成に至るまでに考え得る障害はあるのか、ないのか
あった場合、どのように対処するのか
完成形が上手くいくかどうかどうすれば分かるのか
上手くいかなかった場合、どのようにすれば上手くいくのか
もし、途中で完成形ができない場合でも、それに変わるものを生み出すことができるか
などを私は検討することにしています。
ブリーフセラピーでもこれに近い考え方を持っていますし、セラピーにおいても
何が原因か
と過去指向で無益な無意味な原因追及をするより、
どうすればできるのか
という解決志向の方が遙かに生産的なものでもあるのです。
このように、セラピーでの手法は現実の生活やビジネスにも応用可能なものなのです。
