本業では、さまざまな人と出会うのです。
もちろん、弁護士たちややっかいな人々たちとの交渉や相談事など、出会いの種類と内容は多岐にわたります。
そういった機会が、私にとってさまざまな心理的技法の実験場となるのです。
ところで、最近、こんな人と知り合いました。
関西ではある中堅どころの会社の社長なのですが、ひどくポジティブ思考なのです。
どんなふうにポジティブかというと、
さまざまな法違反を犯していることが分かり、行政当局から指導があったにもかかわらず、
「何とかなるさ。ひどいことは絶対に起きない」
と社員に朝礼などで言い、行政に対する対応を無視し続けていたのです。
すると、もっと強い行政側の指導があり、会社が大変なことになるかもしれない状態になると、
「○○(自社の社員)のせいにして、そいつが悪かったことにして、行政に報告しろ」
「行政担当者は○○の対応に腹を立てているのだから、私がいって謝ればなんとかなる」
と言い、実際に謝りに行ったそうです。
謝ったところでどうにもならないのに、翌日の朝礼では、
「担当者に謝ったから大丈夫。みなさんはこれまで通りの働き方で働いてもらいたい」
とまた、一切の行政に対する対応をせずに事業を行い続けました。
そして、会社存続の危機になるくらいの処分を受ける段階になっても、
「私がまじめに対応している、その真心はきっと担当者に伝わっているはず」
と社員たちに説明し、現在は、会社自体が本当に存続の危機に陥っています。
この後に及んでも、次の事業展開のために、新規に資金を投資して全く別事業に乗り出す、ということすら考えています。
確かに、ポジティブですね。
いえ、ポジティブすぎます。
けれど、よく見てください。
辛いこと、自分にとって不利なものから目を背けるためにこの人はポジティブという逃避を行っているのです。
ポジティブがすべていいわけではありません。
人は、ポジティブに考えると、必ずネガティブも考えるように作られています。
たとえば、
最高にポジティブな言葉
「私は、すべての人を愛し、すべての人のために尽くす最高の人だ」
と自分に対してこんなポジティブな言葉を投げかけてみてください。
必ず、
「そんなことないさ・・・実際はすべてを好きでもないし、すべてに尽くしているわけでもない。最高どころか、最低の部分も持っている」
とネガティブな発言も強くなるでしょう。
ポジティブもネガティブも自分の感情の評価にしかすぎません。
都合良く、ポジティブだけを切り取って、ネガティブを切り捨てるというのは、喜びだけを感じて、悲しみを悪いものとして切り捨てるようなものです。
そして、そんなことはできないことくらいみなさんは分かっているはずなのです。
にもかかわらず、ポジティブが素晴らしいと思い込み、自分の一部であるネガティブを取り去ろうと必死になるときがあります。
ポジティブを追求するとき、実はこの社長のように、本当に辛いこと、認めたくないことから目をそらす逃避であることも多いのです。
ポジティブだとか、ネガティブだとかと感情にレッテルを貼って、できもしないネガティブの取り去りに汲々としているのは、あたかも、感情や思考に振り回されて生きているようなものです。
あなたの人生は、あなたが作り出した思考や感情のものではなく、あなた自身のものなのです。
感情や思考に振り回されない人生、少し想像してみてはどうでしょうか。
きっと、感情や思考が邪魔してできなかったことができるようになると思います。
