自信をなくしたので、自信をつけたいという人が相談によくやってきます。
そして、私たちも当たり前のように自信をなくした、自信をつけたいと言います。
しかし、よく考えてみると、そもそも自信というものは一体何なのでしょうか?
それはなくしたり、つけたりすることができるものなのでしょうか?
たとえば、
ウィルスに感染したから抗生物質を打ちます
骨折したから足を固定します
お腹が空いたから食事をします
このように、具体的な物事には、具体的な対処法があります。
一方、自信とは何なのでしょう?
それが分からないことには、なくしたりつけたりすることすら不可能なのでしょうか?
私たちのセミナーの中でも受講生に質問するのですが、
「花束は存在しますか?」
と。
たいていの人は、「存在する」と言います。
「では、何が花束ですか?」
と再び質問すると、「花が束になったものが花束です」という答えが返ってきます。
「『束』とは何ですか?何本から束になるのですか?」
と三度問うと、2本以上とか、10本くらいといういろんな答えが返ってきます。
みなさんにお聞きしますが、
「その『花束』というものはどこに存在しますか?」
・・・
『花束』というものは抽象的な概念であり、言葉では存在するけれども具体的には存在しないものです。
このようなものはたくさんあります。
『国民』『国家』『民族』『常識』・・・挙げればキリがないものです。
自信もその一つなのです。
実体がないものに対処することはとても困難なことなのです。
言葉が存在するとあたかも具体的な何かがあると勘違いしてしまい易いのですが、実際のところ具体的なものは何もないのです。
言葉だけでしか存在しないもの、たとえば自信などを取り扱ったところで、具体的な対策を立てることができないことはいうまでもありません。
「自信がない」という思考や感情は、その人にとってはさまざまなスキルの不足やそこから発生する感情の集合体でしょう。
対策としては「自信をつける」ということではなく、何が不足しているのかを細分化し、それぞれらついてのスキルや経験をつけてゆくことが、結局は「自信をつける」ということでしょう。
決して、
スキルがないまま「私には自信がある」と思い込ませることでもなく
目を閉じて、ありありと成功したときの感情を奮い立たせることでもなく
感情や思考と戦ったりコントロールしたりするようなことではありません。
このようなことをしても一時的にはホッとする場合もありますが、結局同じことを繰り返してきているはずですし、思考や感情がコントロールできないことは私の過去日記で何度も言い続けてきたことです。
自信をつける、という漠然としたものに挑むより、まず私には何が足りないのか、それを見つけ出すことが大切なのかもしれません。
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