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「私」は誰? その3 本当の私
みなさんは疑問に思わないでしょうか?
思考から物事を眺めたり、世界を眺めたりするのではなく、思考そのものを眺める、という時、思考を眺めているのは一体誰なのかを。
そして、思考を眺めている誰かは思考を持たないのか、ということを。
このように、思考を眺めている誰かのことを私たちは「観察者としての自己」と言います。
「観察者としての自己」は、自己にとってはもっとも重要で、ずっとあなたと共にあったにもかかわらず、ことばのうえでは、一番馴染みのない自己の側面でしょう。
そして、ことばでの説明が本当に難しく、体験でしか感じることが出来ません。
なぜなら、ことばで構成されるものではないからです。
そして、とらえどころがなく、かつ、哲学的な自己のことです。
観察者としての自己は、ことばの関係が作り出すモノではありません。
ですから、概念化された自己のように「私は○○だ」と表すことが出来ない自己、なのです。
これまでには、多くの名前で呼ばれてきました。
「文脈としての自己」、「超越した自己」、「スピリチュアルな感覚」、「モノがない自己」「大いなる自己」などと呼ばれ、「観察者としての自己」はあまり使われてきませんでした。
私たちのセミナーでは、最後の「観察者としての自己」を用います。
私たちのセミナーにとって、観察者としての自己は、ことばを使う結果として生じるものであり、精神的な健康にとても重要なものです。
だんだん禅問答のようになりますが、よく聴いてください。
ただ、このような説明でしか、伝えようがないのです。
そして、それは体験でしか身に付けることができないものなのです。
決して、理解できるものでもなく、知るものでもないのです。
セミナーでのエクササイズであなたは「観察者としての自己」を体験するでしょう。
けれど、悲しいことに私たちはものを伝えるのにことばでしか伝えることができないのです。
ですから、私もまた、あなたにことばで伝えなければなりません。
観察者としての自己の立場にいる時、私たちは、「気づいていることに気づいている」ことを自覚しています。
たとえば、あなたが夕日を見ているところを想像してください。
「私は夕日を観るのが好きだ」こう思うのが概念としての自己です。
観察者としての自己は、このことに気がついている誰かであり、それはあなたと呼ばれるものなのです。
その時、あなたは、思考の一部ではないのです。
そして、思考や思考から出てくる感情には全く関係のない、そして、あなたの人生全体を入れる容れ物のように、安全な場所なのです。
しかし、それには形はありませんし、もちろんモノとして存在もしません。
モノとして存在しないため、境界も限りもないのです。
観察者としての自己は、定義の上では見ることができません。
たとえば、この自己は「モノ」として体験することはできません。
それにもし、この自己を「見つめる」ことができるとしたら、誰が見つめることになるのでしょう。
常に見つめる自己だからです。
自己を見つめる自己は存在しないのです。
沈みゆく夕日の光のように、見えるのはほんの一瞬です。
しかし、違うレベルから見ると、あなたが今座っている椅子や、足にふれる床と同じように、実体のある存在として、あなたは存在し続けています。
あなたが生きる活力を取り戻すにつれ、苦悩との戦いはついに終わりを迎えます。
その活力は、あなたが、あるがままの「自分自身でいる」ことによって生み出されます(これが、観察者としての自己です)。
このとき、観察者としての自己を見つめたという証拠を自分のこころの中に求めないでください。
あなたが、私ではない「誰か」ではなく、あるがままの「私」として生きるとき、はじめて苦悩との戦いの重要性は色あせていくのです。
私たちはセミナーで、私についてを深く徹底的に科学的に分析します。
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「私」は誰? その2
私たちは「私」について分析する時、一般に私たちが思う「私」を
「概念化された自己」
と呼んでいます。
なかなか難しそうですが、言っていることは簡単なのです。
「概念化された自己」とは、ことばでラベリングされたり、評価されたり、要約された「モノ」としてのあなた自身のことです。
それはことばで表現された
「私は、~だ」という自己
のことで、「私は、年をとっている」、「私は、不安症だ」、「私は、親切だ」、「私は、ずるがしこい」、「私は、ひねくれ者だ」、「私は会社員だ」、「私は大阪市出身だ」、「私は、かわいらしい」、「私は、美しい」などです。
人は、思考をいとも簡単に、自動的に事実として受け取ってしまいます。
思考は、音や文字、イメージからなるもので、事実とは別のものです。
そして、思考は、その正しさを証明するために、いろいろなものを評価し、いろんな理由づけをして正しいとますます思うようになるのです。
試しに「私は○○だ」と思ってください。
○○の内容はあなたがネガティブと評価したことを入れてみてください。
その思いとともに、それを強化する理由づけが次々に出てきて、「ほら、正しいんだ」とかたくなになるでしょう。
でも、あなたが今したことといえば、「思っただけ」なのです。
「思っただけ」で、あたかも事実であるかのような錯覚をし、感情まで出して、どうしようもない無力感を感じさえした人もいるかもしれません。
概念化された自己には、内容がたくさん詰まっています。
この内容は、あなたが今まで自覚なしに語ってきたあなたとその生活についての物語です。
あなたの生活、あなたの人生でもあるのです。
そこに含まれているのは、思考、感情、身体感覚、記憶、行動的な傾向といったありとあらゆるものです。
そういったものを使って、あなたは今まであなた自身を「一枚の静物画」のように固定化されたモノに作り上げてきたのです。
これはおそらく、あなたがもっとも慣れ親しんだ自己でしょう。
なぜなら、それは、あなたとその生活に対してことばを当てはめたときに、自然に作り出されるものだからです。
あなたを苦悩させるという点では、概念化された自己は、もっとも危険です。
その理由は、概念化された自己は、自分の行動を理由づけする物語や、あなたの体験に整合性をもたせる考えによくなじむからです。
それは、心地良いけれど、息の詰まるもので、際限なく「同じものを再生していく」ようになっていきます。
たとえば、周囲から「あまり重要でない」と評価されている人を見たときに、その人の人生の大部分が、その見方と同じように思えたことはありませんか?
あるいは、自分のことを犠牲者だと思っている人は、なぜか、こころの中にしろ、現実にしろ、いつも何かの犠牲者になっているということを目にしたことはありません
か?
もし、あなたが不安、うつ、ストレスで苦悩しているなら、こうしたものに対する自覚は、ほとんど間違いなく、あなたの概念化された自己の一部になっているでしょ
う。
あなたの感情的な問題は、つまり、不安やうつ、ストレスで苦悩しているなどは、あなたが人生について、あなた自身に語る物語の一部になっているのです。
これは、あなたの知っている事実が、「現実ではない」と言っているのではありません。
あなたが語る事実の多くは、おそらく大部分がそのとおりなのだと思います。
しかし、あなたの不安やうつの物語は、あなたの人生そのものを語っているのではありません。
もっと言えば、それは、おそらくあなたが知りうる以上のことを語っているのです。
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「私」は誰? その1
私について説明してください、というと何か哲学的な感じさえします。
そして、実際にこのようなことに私たち人は考えをめぐらせてきました。
特に、大きな苦悩にうち沈んでいる時、「自分って一体何だろう」と思ってしまうものです。
「○○市で生まれ、今、○○に住んでいる」
「男である」
「名前は○○である」
「性格は○○である」
「家族は○人で、両親は健在である」
「勤めているところは○○である」
こんなことを「私」の説明にするかもしれません。
でも、よく考えてください。
それぞれは「私」の局面の説明であって、「私」そのものの説明ではないのです。
一体、私って何でしょう・・・・
少し話はそれますが(とは言っても本質をお話ししているつもりですが)
「不安がいっぱいな私」
「生きる価値のない私」
「いつも失敗ばかりして、迷惑をかけている私」
このようにネガティブに私を表現している時、あなたは思考が与えるモノをそのまま信じてしまっている状態なのです。
では、次のようにイメージしてください。
突然、奇跡が起きて、あなたの過去や今の状況は何も変わらないまま、問題だけがいつもの生活から、すっかり消えました。
たとえば、あなたが「私はこういう人間だ」という質問に対して、「対人恐怖だ」と書いたとしましょう。
ある日突然、対人恐怖がなくなります。
それ以外の過去や今の状況は以前と同じです。
あなたは、別人になることもなく、あなたのままです。
では、その状況で、次の質問を自分に尋ねてみましょう。
その問題がすっかりなくなることで、誰か困る人はいますか?
あなたにとって、この質問が意味をなさなければ、2、3分考えてみて、もう一度、次の質問を自分にしてみてください。
問題に関わっていたのは、誰?
わかりましたか?
自分という人間に対するラベルや物語、理由づけを正当化していたのは、あなた自身だったのです(それがすべてではありませんが)。
どんなにそのラベルを憎んでいたとしても(たとえば、自分が対人恐怖であることを憎んでいたとしても)、自分自身やそのふるまいとラベルとを同一視し、それにこだわるかぎり、結局、あなたはその嫌いなラベルに投資をしてしまっているのです。
投資をするというのは、そのラベルにどんどんエネルギーを与えている状態のことです。
しかも、あなたのふるまいや状況が、そのラベルと矛盾しない場合、それは正しいことになります。
これは何を意味するのでしょうか?
マインドは、「正しいこと」をしながら、それによって、あなたの「心に余裕がなくなる」「人生の制限」をいっそう、強めているのです。
これは皮肉なことです。
「私は○○だ」と自分をことばでラベリングすることの問題は、次の点にあります。
それは、一度、自分に決まったラベルを貼ってしまうと、その見方を維持するために、世界を歪めて見るようになるということです。
ポジティブな側面であれ、ネガティブな側面であれ、それは同じです。
たとえば、「自分の好きなところは?」という質問に、「親切であること」と答えたとしましょう。
そのことに問題はありません。
でも、あなたはいつも親切ですか?
どこでも?
誰に対しても……?
人間は複雑なものです。
「私は○○だ」というとき、真実を伝えきることはできません。
間違いなく、あなたが○○でないときがあります。
○○がポジティブか、ネガティブかは関係ありません。
「私は不安の強い人間だ」と思ったとしても、少なくとも一瞬は、不安ではないときを思い浮かべることができるでしょう。
○○は100%正しいわけではないと気づいたとき、あなたはどのように感じるでしょうか?
たいていの人は、そのようなことに気づくことで動揺してしまいます。
そうした動揺は、ただ単に「誤って」いる(事実ではない)ということから生じるものではありません。
それは、自分が何者かを知りたいという欲求によっても、生み出されるものです。
つまり、私は○○でなければ、一体何なのか、と。
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あなたの価値
人が亡くなって、その後に残されるものは、その人を象徴していたものです。
もう亡くなってしまった人の中で、あなたが尊敬している人のことを思ってみてください。
自分にとって本当に尊敬できると思っている人のことです。
思い浮かべることができましたか?
思い浮かべられたら、今度は、その人を象徴していたものが、今現在もなお(その人が亡くなってから、ずいぶんと時間が経っていても)、もっとも重要かどうかを考えてみてください。
それはその人から教えられた「愛」かもしれないし、「優しさ」、「人に対する思いやり」かもしれません。
あるいは「生きがい」かもしれません。
そうやって考えてみると、重要なのは、その人の物質的な所有物でも、内面的な悩みでもないことに気づきます。
重要なのは、その人の人生に反映している「価値」なのです。
あなたに与えられた地上での時間は限られています。
そして、その時間がどれだけあるかをあなたは知りません。
「あなたは、いつかは死ぬということを知っていながら、どうして生き続けるのですか?」
という問いは、次のような問いと根本的な違いはありません。
「あなたは、いつかは傷つけられると知っていながら、どうして愛し続けるのですか?」
あるいは
「あなたは、自分の目標を果たせるとは限らないとわかっていながら、どうして有意義な人生を送ろうとするのですか?」
または
「あなたは、失敗することもあるとわかっていながら、どうして成功を目指すのですか?」。
苦痛の可能性と、これらの体験から得られる充実感との関係は「コインの裏表」のようなものです。
もし、あなたの人生が実際に何かに向かっているのなら「自分の人生のが、どのような意味をもってほしいのか?」という観点から、自分の人生を眺めるとよいでしょう。
あなたは自分がどうなりたいか、もうわかっていることでしょう。
もしかすると、私たちのセミナーに来る前からあなたは知っているのかもしれません。
しかし、自分の弱さから逃げようとして、自分がどうなりたいかを隠していただけだったのかもしれません。
大切な「何か」をもっているということは、とてもすばらしいことです。
しかし、その大切な「何か」をもつことによって、人は新たな痛みを感じるようになります。
あなたが誰かに好意を抱き、あるいは愛を感じ、その人への愛に自分を賭けたとしましょう。
それは、その相手に振られたり、裏切られたり、関係を失ったりするかもしれないという危険に自分をさらすことにもなるのです。
また、病気や貧困、苦悩に悩んでいる人をなくしたいと本当に願っているのなら、それらに苦しむ人たちを目にするときに感じる特別な痛みに自分自身を開かなければなりません。
「何も大切だと思わなければ傷つくこともない」という考え方は、価値を制限しようとするマインドの働きです。
残念ながら、そのような考えに影響されて行動することは、何かを大切にするのではなく、かえってあなたを傷つけてしまうことになるのです。
本来の自分とは違う生き方をすることで生じる痛みは、何かを大切にしようとしているときにも時々生じる、痛烈で、リアルな痛みとまったく違っています。
それは、鈍くて重いもので、しかもずっと感じ続けなければならないものなのです。
しかし、それを感じながらも、あなたは自分の人生を活き活きと生きることができるのです。
苦悩、つまり不快と評価した感情や思考、悩みに左右されない人生を。
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ちょっとした旅
私たちのセミナー(M.C.S.)はあなたをちょっとした旅にお連れします。
あなたが最終的にどこにたどりつくか確かなことは言えませんが、この旅は、あなたがこれまでに試みてきたどんなものともまったく違うものになるはずです。
私たちはあなたをいつもと同じ道に引っぱりこむつもりはありません。
恐怖や不安の炎をあおり、長い目で見て効果のない方法を提唱しようとは思いません。
私たちのセミナーのどこを見ても、あなたに「もっと強力な、より良い、前と違った」不安のマネジメントやコントロールの方法を教えている内容は見つからないはずです。
私たちのセミナーのスケールはもっと大きいのです。
あなたの人生についてのセミナーなのです!
これからお連れする道のりでは、さまざまな課題があなたを待ち受けています。
これからあなたと、不安を誘発する思考や記憶、イメージとの関係、また感情そのものとの関係をどのように変えていくかをお教えします。
心配や不安、恐怖、苦痛な記憶、思考に対してアクセプタンス(完全受容)や思いやりをもたらす方法を示します。
その結果、こうした体験がもたらす痛みが和らぐでしょう。
そして、このような体験があなたを自分の望む人生から脱線させる力を弱めていきます。
あなたの内なる感情体験のとくに苦痛を伴う部分に対してアクセプタンスと思いやりを培えば、あなたがこの人生で何を望んでいるのか、どこに行きたいのかを発見する、あるいは再発見することができます。
自分にとって最も大切な人や体験にエネルギーを集中することで、不安があなたや他の人たちにもたらした不必要な苦悩を軽減できるようになるでしょう。
私たちのセミナーの最も重要な目的は、あなたがより良い人生を送るのを助けることなのです。
今も、そしてこれからもずっと、不安や不安のマネジメントに関わりたいと思う人など誰もいないでしょう。
それでも、不安がネガティブなエネルギーと結びつくかぎり、そうなる恐れがあります。
ネガティブなエネルギーは、積極的な抵抗や否認、格闘、抑圧、回避、逃亡という形をとって表れます。
あなたが私たちのセミナーに参加してエクササイズに取り組めば、その理由がわかってくるでしょう。
そしてアクセプタンスと思いやりをもって不安と向き合う方法を学ぶにつれて、あなたが何に時間を費やすかが変わることに気づくでしょう。
新たな可能性が生まれるのです。
あなたは自分の夢を実現させる方法を学んでいきます。
不安というモンスターとの闘いに勝たなくても、それは実現できるのです。
こうした考えは、根拠のない「でまかせ」ではありません。
不安のマネジメントやコントロールはかえって不安や恐怖をあおり、人生を縛り、あなたが身を持って知っている苦悩を促すことがわかっています。
だからこそ、私たちのセミナーのすべては、あなたが送りたいと望む人生、不安とつねに格闘する苦痛から解放された充実した人生を築く活力や能力を高めるためのものなのです。
また、今の時点では奇妙に聞こえるかもしれませんが、あなたのマインドや身体がその折々にもたらすものが何であれ、すべてを抱えながら、自分の人生にもっと豊かに深く関わっていく方法も学んでいきます。
こうしたことを学べば学ぶほど、あなたはより良く考え、感じることができるようになります。
心配や不安、恐怖をコントロールするために行動するのは、決して人生を生きているとは言えません。
もっと知りたいと思いますか?
それとも疑っていますか?
どちらでもかまいません。
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第1日目 4月5日 金曜日 19時から21時 第2日目 4月6日 土曜日 10時から22時 第3日目 4月7日 日曜日 9時から18時(予定)
今回は通常90000円のところ、75000円で行います。
興味のある方は、是非お問い合わせください。
4月度 M.C.S. 4月5日19時から4月7日18時
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