あなたは誰ですか?
何者ですか?
と質問すると、必ず
私は○○(名前)です。
○○で生まれ、現在結婚して、○○というところで働いています
というように、答えます。
けれども、よくよく考えるとこれはその人の属性を表しているだけで、
決してその人そのものを説明しているわけではないのです。
名前が○○であり、○○で生まれ、現在結婚して、○○というところで働いているのがあなたですか?
と再び質問すると、
???
となります。
これは、容器の中に何かがあり、その容器の中身を示すラベルを説明しているにしか過ぎないのです。
つまり、ラベルは中身と関係ないのです。
ラベルは、中身そのものではないのです。
しかし、ラベルを貼り付けると、それが中身と全く同じものであるかのように人は錯覚します。
このラベルは、人から貼られる場合もありますし、自分で貼ってしまうものもあります。
もし、名前があなた自身なら、名前が変わるとあなたでなくなることになります。
もし、「短気」があなたなら、短気でないときはあなたではなくなります。
ラベルというものは、勝手なイメージであり、ラベルは、本当の自分を決して表したりはしていないのです。
本当の自分は、ラベルというイメージに縛られ、不自由な奴隷の身となっているようなものです。
イメージとはそれ自体、単なる自分だけのイメージにすぎないものです。
実体のないものなのです。
しかし、それを現実だといとも簡単に信じ込んでしまうものなのです。
これを思考との一体化(フュージョン。思考を事実だと信じてしまうこと)と言います。
思考を事実だと信じると、考えていること自体が事実となります。
考えは自分が生み出すものであり、刻一刻とさまざまな思いが湧いてくるのですから、それらに振り回されている自分がそこにいるだけなのです。
感情にしても同じことが言えます。
人は、自分で作りあげたラベル、他人から貼られたラベルを信じ、翻弄され、自由を奪われ、苦しんでしまうのです。
「自分は無能だ」というラベルを貼ると、わざわざ成功を拒否するような生き方を、自らに強いるようになるかもしれないし、成功しても、より深く劣等感に悩むかも知れません。
あたかも自分が勝手に作り上げた妄想の中で、それはまるで、不幸な役柄を演じている俳優のようでもあります。
その俳優が手にしているものは、シナリオです。
そのシナリオは、生きてきた記憶の断片と出来事をつなぎ合わせ、「評価」「理由づけ」により、苦しみに満ちたストーリーに仕立て上げられ、それこそが「真実」だと疑いもしないものなのです。
素晴らしい苦しみのシナリオを手にし、あまりにも演技に夢中になり、すっかり役柄になりきってしまい、自分が俳優だということを忘れてしまっているかのようです。
ラベルを剥がし、シナリオを捨てて、本来の自分を発見しませんか?
もうそんな生き方は疲れてしまったでしょう?
この世には実体としての苦しみや不幸なんてものは存在しません。
単に、苦しんでいる人、不幸を演ずる人がいるだけなのです。
