以心伝心の幻想

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「以心伝心」

goo辞書を見ると『文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うこと。▽もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。』と書かれています。

そして、以心伝心は、人間関係のうちで理想とされている上に、以心伝心ができない人はあたかも「心貧しい人」のようにいわれることもありますね。(^_^;)

では、実験しましょう。

Aさん、Bさんの二人組で実験します。

Aさんは、

童謡の

「ちょうちょ」
「いぬのおまわりさん」
「はるのおがわ」
「ちゅーりっぷ」
「おもいでのあるばむ」
「むすんでひらいて」

のうち、一曲を選びます。
そして、はっきりと頭の中でこの曲をイメージし、流します。
それと同時に、右手の人差し指で、そのリズムをトントンととります。

Bさんは、Aさんの指の動きや雰囲気からAさんがどんな曲を頭の中で演奏しているのか、当ててみてください。
Aさんは、Bさんがどれほど正確にこの曲を当てることができると思いますか?

Aさんにとっては、頭の中に曲が流れ、指先で演奏しているため、それは紛れもない事実なのです。
だから、Aさんは、Bさんにその曲が何か聞こえていないし、伝わっていないという事実がわかりにくくなります。
そして、Bさんには、それが伝わっているはずだ、と思い込んでしまいます。

人は、自分が思っていることが、きちんと相手にも伝わっているはずだと、必要以上に思い込み、その思い込みが裏切られると(実際は、そうなって当たり前なのですが)、腹を立てます。

メールのやりとりや、電話でのやりとりでもそれはよくあるでしょう。

自分の意図したものとは違うとらえ方で、相手が受け取ってしまうことが。

人の心は分かりません。
推測するしかできないのです。
その推測も当たっているかどうか、というレベルなのです。

そもそも、自分が考えていることが相手に伝わらないのが事実であるのに、伝わらなかったからといって腹を立てることこそ、相手を尊重していないということになります。

つまり、「伝わっているはずだ」「伝わっているに違いない」「相手はそれを受け取るべきだ」という自分だけの『べき思考』が相手にも拡張されているのですから。

相手がどう考え、どう受け取り、どう判断するか、それは支配できないものなのです。

自他の区別ができず、相手を尊重できない人ほど、以心伝心という魔法を信じ込んでしまっています。

自他が違うこと、相手には相手の思いがあること、それは自らが支配できないこと、それらを事実として捉えることが「思いやり」なのです。

だからこそ、コミュニケーションとしての技術が必要となるのです。

錯覚や思い込みは、日常生活に多くあります。

それらにつまずくと「なぜ、こうなるんだ」と思います。

「なぜこうなるか」という仕組みを知り、人生や生活をより良くしてゆきましょう。

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