自業自得・・・マインドコントロールの素顔

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「最近はなりを潜めているなあ。ネタ切れですか」

と言われますが、ネタは腐るほどあります。(^^)

マインドコントロールについての文章をまとめているのです。

以前「悪い企み」セミナーで実施した内容に、さらにいろんなものが加わって膨大な量となりました。

今、校正中なのです。

ところで・・・

マインドコントロールについて、こうやってブログで何度か予告したのですが、そうするとおもしろいことが・・・

ある○○○博士の信者が、メールをくれたのです。

「洗脳で十分なんだよ。抽象度を上げて、情報空間が・・・○×△□・・・」

と訳の分からないことを言ったあげく、

「○○○博士は、アメリカのすごい大学を出て、たくさんの本を書いて、カルトの脱洗脳までしている偉い人なんだぞ」

と・・・。

そもそも見ず知らずの私にいきなり、○○○博士のすばらしさや理論の正確さ、学歴がどれほどすごいかを狂信的とも思える文体でメールを送ってくるのです。

まさに、私が示している被操作者(操作を受ける対象者)のサンプルで、私の研究対象者ではないですか。(^_^)v

本人はいたってまじめなのでしょうが、私から言わせれば、

「これがマインドコントロールのなれの果ての被操作者です」

と紹介したいくらいです。

「キジも鳴かずば撃たれまい」

この言葉を捧げますよ。(^^)/

さらに付け加えましょう。

訳の分からないことは訳が分からないからこそ、「有り難い」と思う心理があります。

スピ系に多い、お経や真言などを意味が分からないまま呪文として使う場合もそうですね。

訳が分からないからこそ、有り難いものであり、有り難いものであるからこそ、霊験あらたかなのだ、と。

どうなのでしょうね・・・?(^_^;)

マインドコントロールについていろんな定義がありますが、いちばんオーソドックスなものは、

「人の抵抗をかいくぐって意志決定を操作し、いかにもその人が自分で選択したかのように見せかけて、ビリーフ(価値観や信念など)を変容させ、それによって行動をコントロールする技術」

と言えるでしょう。

簡単に言うと、

通常は信じられないものを「何らかのトリックを使って」信じさせる

ことです。

そして、その信じたことが、その人の人格や行動に関わる重要なものであるならば、その人は、信じたことをもとに人生や生活での行動をしてゆくでしょう。
しかも、その人にとっては、強制されたものではなく、自ら選択したと信じていること、なのです。

この「何らかのトリック」こそが重要なのです。

さらには、「何らかのトリック」を与えるタイミングも大切なのです。

つまり、信じていないものを信じさせる、そのタイミングと仕掛けこそが、マインドコントロールできる大きな鍵となるのです。

まあ、タイミングがないなら、作り出せばいいのですが・・・(^o^)

みなさんもそうでしょう?

自分の道徳や信念、価値観は最初から頭の中にあったものではないでしょう?

どこかで取り入れたのです。

取り入れるときの判断は、それが現実かどうかをもとに正しさの判断をします。

では、その正しさの判断の根拠は、と問われたらどうでしょうか?

結局、自分にとっての体験や推論、解釈から、偉いことやマスコミが言うから、という程度にしかすぎないことが分かります。

その正しさの判断が絶対的に正しいものであるとするならば、全人類が同程度に同じ基準の道徳や価値観などを持たなければいけないのです。

現実がそうでないのは、正しさの判断をするときに個々人が「正しいと思うから、信じている」にすぎないからなのです。

たとえば、困って途方に暮れている人に、全く新しい考えをもとにした解決方法を与え、それが役に立つならば、その人にとっては「正しいもの」なのですから、簡単に信じてしまうでしょう。

マインドコントロールするのに、大げさに催眠術を使ってみたり、特殊な呼吸や念力の訓練をしてみたり、あるいは、さまざまな装置を使ってみたり・・・。

何とバカげたことか、と思います。

お金に困って、自分の無能さに悩んでいる人に、

「こうすれば儲かります。秘密の方法です。あなただけに教えます。人には夢が必要です。夢のない人はダメですよね。夢は待っていてもダメです。行動しないと。あなたはこのままだとますます惨めになりますよ。あなたが行動して叶えないと。あなたのことをバカにする人は実は、あなたの能力をねたんでいるのです。さあ夢を叶えましょう!!私の成功事例をもとにすれば、幸せになれます。まずは、私のセミナーに来てください。」

とでも囁くと、劣等感が強く、自己否定の強いくせに、プライドだけは高い人は簡単になびき、他人の言うことは「ねたみ」だと信じて、都合のよい意見や同類しか集めなくなるでしょう。

本人は、いたって自分の選択でそうしたと信じているのです。

このような人は、先日の心理ゲームのように、都合のいいものだけを取捨選択したバイアス(偏見)からものを見ないでしょう。

その人の思考が健全かどうかは、都合の悪いものを「否定的」として遠ざけ、都合のいいものだけを積み上げて、さまざまな証拠にしているかどうかです。

本当は、「否定的」と評価したものこそが大切であり、自分自身の思考方法を自分で検証できる大切なことなのです。

こんな例はどうでしょうか、

自分の不埒な行為の結果、別れを告げられ、あきらめきれずに「復縁」を望んでいる場合、
自己の力ではムリだ、自分はダメだ、でもどうしても彼氏が欲しい、取り戻したい、彼氏とともに幸せになりたい、と思っているとき、

「あなたの夢を叶えてあげますよ」

と囁かれると、心がぐらつくでしょう。

普段はそうでもないのに、このように囁かれた時だけは、「どんな犠牲があっても叶えたい。そうすれば自分は幸せになれる」と信じるでしょう。

人は誰でも不安や悲しみ、絶望を抱えるものです。
一方で、希望や夢、幸せも抱えたり、望んだりします。

これらをひっくるめて人間であり、人生であるのです。
現実は、感情や思考から、自分が嫌と評価したものを取り去ることなんてできないのです。

しかし、愚か者は、都合のいいものだけを取り入れようと躍起になり、自力では解決不能となったとき、

「魔法」

に飛びつきます。

ある意味、自業自得なのです。

たとえば詐欺師がいて、騙されたとします。
もちろん騙した詐欺師は罪に問われます。

では、「被害者」は悪くはないのでしょうか?

風邪をひいたとき、細菌が悪いのは誰も分かっています。
だからといって、不摂生をし、風邪をひきやすい生活をしていいのでしょうか。

そんなことして、風邪をひいたら「自業自得」でしょう。

風邪の菌は、不摂生をし、風邪をひきやすい生活をしている人を見つけ出すのが上手であるし、そこに狙いを定めるのです。

マインドコントロールの仕掛けを知りましょう。

そうすると、どれほど人が操られやすいものか、それが分かります。

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