エリクソン催眠を教えて欲しい、とよく言われます。
そういう人がどんなイメージを持っているのかを聞くと、日常会話をしながら、意識不明にさせたり、立てなくさせたり、ものを忘れさせたり、好きにさせたりということばかりです。
日常会話をしながら、つまり、相手に悟られずに「催眠現象」を起こすことばかりなのです。
これは、古典催眠や「魔法」の世界なのです。
確かに古典催眠は、コミュニケーション能力に障害がある人でも、被験性(立てない、人を好きになる、ものを忘れるなどの催眠現象を起こす能力)が高い人に対しては、一定の暗示文を言うと、被験者は催眠誘導される場合があります。
しかし、エリクソン催眠は、暗示文という名の「呪文」もなければ、こうすれば必ずこうなるというものでもなく、常に相手を観察しながら、その都度与える言葉や言葉遣い、言葉の調子、目線、など(非言語コミュニケーション)を変えてゆくのです。
その人のその時の状態によって、こちらの言葉や非言語コミュニケーションを変えてゆくのですから、「暗示文」なんてあり得ないのです。
暗示文という「呪文」は存在しませんし、「こうすればこうなる」という公式もないのです。
本当にコミュニケーション能力がなければ絶対にムリな催眠なのです。
しかも、古典催眠のように催眠現象を起こすことには興味がないのです。
エリクソン催眠は、トランスに導いて、その中で相手に影響を与える暗示を与え、こちらの望むとおりの行動や考えを持ってもらう(被暗示性を高めるといいます)ものなのです。
もちろん、被験性が高い人には現象を起こすこともありますが、それは目的ではないのです。
ですから、日常生活でさりげなく、催眠現象を起こすことがエリクソン催眠であると考えている人は、そもそも根本から間違っていることになります。
エリクソン催眠において、特に何がキーワードになるかと言えば、「抵抗」です。
どのようにして相手の抵抗を避け、場合によっては抵抗すら利用して、誘導してゆくのか、その見極めと即時の判断が大切です。
分かりやすく言うと、
「あなたは、今、明るい、のどかな海岸を散歩しています。波の音が聞こえ、遠くでカモメが鳴いています・・・」
などという誘導は、古典催眠なのです。
催眠者が、強制的にイメージを与えたところで、そんなイメージができない人もいます。
なぜなら、人から与えられるものには多かれ少なかれ抵抗が生じるものだからです。
一方、エリクソン催眠は、
「~というイメージを持ちなさい」
とは言いません。
催眠者が、勝手に自分の思い出を語るのです。
それは催眠者が田舎に行って、のんびりと過ごしたときのことかもしれないし、電車に乗ってぼんやりと窓の外を見ながらたまにはウトウトして、あてのない旅行をしたときのことかもしれません。
でも、こんな話を被催眠者が聞くと、自分のイメージに置き換えて聞いてくれているのです。
つまり、イメージを与えるのではなく、催眠者ののんびりとしたときの思い出を聞くことによって、「自分でのんびりしたときの状況を思い出してくれる」のです。
相手に考えさせる、イメージさせる、選択させるように見せながら、実際は催眠者のさまざまなトリックによる誘導によってそう仕向けられるのです。
本人は、それを自分で判断し、選択したものと思っています。
そこには「抵抗」はないのです。
地味ですが、とても強力なのです。
仕事や日常生活で、さまざまに使うことができる、というのはこのような意味があるからです。