古典催眠とエリクソン催眠、どんなふうに違うのですか?
という質問がちらほらとありました。
少なくとも「古典催眠」ではないということです。
答えになっていませんね。(^o^)
一貫してあるのは、「抵抗」をどう扱うか、ということです。
「~をイメージしてください」と古典催眠では、直接暗示を与えます。
けれど、こんな言葉をかけられると、人は多かれ少なかれ、イメージすることに抵抗を持つものです。
では、こんなものはどうですか?
「もし、~ならどんな感じがしますか?」
こう聞かれると、それをイメージして、感じようと「自分で」そうしますよね。
まさに、被験者に思わせ、判断させ、感じさせるテクニックなのです。
自分で、思い、感じ、判断したのですから、否定はできません。
このように「抵抗」を避け、あるいは利用するのです。
あるいは、
「○○さん、私はあなたに~してくださいとは言いません」
と言われたらどうでしょう。
~してくださいと言っていないのですから、言っていない言葉に反論や否定はできません。
しかし、実はこれが「命令していること」になるのです。
抵抗の利用は、たとえば「緊張してしまいます」という人に対して
「落ち着け」
「リラックスしろ」
と言っても無駄なのです。
それができないと言っているのですから。
じゃあ・・・もっと抵抗させようか、と。(^o^)
「見たところ、まだ緊張が足りないように見えます。もっと緊張してみましょう。緊張したら足の筋肉はどんな堅さになりますか?首や肩には力が入りますか?緊張すると、呼吸はどうなりますか?」
と緊張を奨励し、緊張を意識的にさせるのです。
そうするとも人はいつまでも緊張できませんから、いずれリラックスするのです。
「抵抗」の扱いをいつも頭の中において、相手は抵抗を持っているのかどうか、どうしたら回避できるのか、利用できるのか、それを考えていくのです。
催眠でも、
「あなたは椅子から立てません」
と直接暗示を与えるよりも、
「頑張って椅子から、試しに立ってみてください」
と言われると、それは、椅子から立てないという暗示になっているのです。
なぜなら、椅子から立つのに、頑張る必要はないからです。
こんなこと、おもしろいでしょう?
日常生活でも役立ちそうでしょう?
ただ、この言葉を呪文のように使う、というのは古典催眠や「魔法」の発想です。
あくまで、文脈の中で使うのです。
