心があるのかないのか、おもしろいテーマです。
私たちのセミナーのベースとなっている心理学のひとつに第3世代認知行動療法があります。
その中核には「マインドフルネス」というものがあり、その原型は「ヴィパッサナ」という瞑想です。
無になるのではなく、心を観察する、つまり、思考や感情を観察するというものです。
思考や感情を観察するのですから、「私」は思考や感情とは別物ということになります。
このように、「マインドフルネス」とは、思考や感情と一体化してしまい、思考や感情を私自身と信じてしまった状態から、脱するエクササイズのうちの一つなのです。
ところで、「天台小止観」のうちで、こんなくだりがあります。
『もし一切の世間のことを念ずれば、そこでまさに反って起るところの心そのものを観ずるがよい。
このような心は、これは有るものであろうか。無いものであろうか。
もし無いものであるなら、つまり心は無いのであるから、どうしてその心があり得ようか。
もし心は有るものであるとするなら、これは過去・未来・現在のどこにあるとしたらよいのか。
もし過去にあったものであるとするなら、過去とはすでに滅したものである。
どうして心だけがあり得ようか。
もし未来に在るものだとするなら、未来は未だ来ないものである。
どうして心だけがあり得ようか。
もしこれ現在に在るものだとすれば、現在は一刻として止まってはいない。
つかまえどころがない。
つかまえどころがないなら、心が在るということもない。
また、もし心は現在に在ると思うなら、現在の心にどのような相貌があるのかを観察すべきである。
諦かに観察してもその姿も形も見ることができないとすれば、すなわち心はつかまえどころがないのである。
つかまえどころがないとすれぱつまり心は有るとはいえない。
またもし生じたり滅したりするのが心の相で・・・』
おもしろいでしょう?
7月6日の「癒やしのためのお茶会」では、こんなこともテーマにいろんなお話をしましょう。
