今日、いとこの子と会っていました。
小学6年生です。
なかなか生意気なやつで私のことを「おぢさん」といってはばからないので、
「道徳的説得」(つまり、怒った)しました。
国語のテストで満点が取れなかったというので、私が問題を見てあげることに・・
驚きました。
いまだにこんな問題を出すとは・・・
ある小説の抜粋が引用され、それに対して問題は
「この時、主人公は何を思ったのか書いてください」
と・・・・
私の答えは「こんなもの分からない」というものでしたが、
どうやら、『正解』があるようです。
何年か前、大学入試で、同じような問題が出され、有名な作者は
『私はそんなことを意図したのではない』
と反論したそうです。(^_-)
ここでみなさんもよく考えて欲しいのです。
作者が意図して書いたものがそのまま必ずしも読者に伝わらない、ということです。
前後の文脈から読み取り、「たぶんこうだろう」と推測しながら読むのが読書の醍醐味でもあるのですが、
それに対して「主人公は何を思ったのか書け」というのは、
結局は、作者が、ではなく、読者がどう思うか、そう思ったことを書くにしか過ぎないのです。
作者がある意図を持って書いたとして、その文字を解釈するのは読者なのです。
それは、すでに作者のものではないのです。
さまざまに
「こうにちがいない」
「このはずである」
と考え、解釈するでしょう。
ついには、この言葉の意味には絶対に「ある意味が隠されているにちがいない」と確信して、その正しさを疑わなくなってくる場合すらあります。
さて・・・
ここで気がついてもらいたいのですが、
文字を見て、ああでもない、こうでもない、意味が何か隠されているのではないか・・・そう思いながら、その思考に隠れている
「ちがいない」
「はずである」
という言葉です。
これらの言葉は、
『事実は分からないけれど、根拠なく私はこう思い込んでいる』
というしるしのような言葉なのです。
つまり、事実を見て、思う言葉ではなく、
『文字を見て、自分の思考を見て反応している言葉』
なのです。
もっと具体的にいうと、
文字を見て、自分の思考(願望やこれまでの生活史の中で獲得し、自動反応して飛び出す感情など)を投影しているだけなのです。
ここから分かることは、
「自分がなぜそのように考えたのか」
それが分かる大きなヒントが隠されているのです。
しかし、悲しいことに、多くの人は、文字を見て、自分の思考の投影にすぎないものを、作者が考えた「真実」「事実」と錯覚するのです。
思い込みが激しい人ほどそうなります。
そうなると自分も苦しいことが増えるでしょうし、たぶん、人も巻き込むことすらやってのけます。
言葉の意味を解釈して相手が何を考えているか占うより、このように解釈した自分の思考のプロセスを分析する方が、遙かに建設的なのです。
なぜなら、解釈したものが事実であるならば、誰もが同じように同じレベルで解釈するのですから。
現実は、さまざまな解釈があること自体、その解釈が思考が生みだした、マイ・解釈に過ぎないこと、それは事実ではないこと、それに気づくことが何よりも大切なことではないかと思います。
おっと・・・国語の話からこんなところにまで来ましたね。
私がこれまで述べてきた、思考や感情、人生の価値、マインドフルネスなどをまとめたテキストを音声誘導付きで作成中です。
そこには具体的にどうすればよいのか、という実践や人生の価値を見つける方法などが書かれています。
みなさんの生き方に役立てば、と思っています。
きっと、目から鱗が落ちると思います。
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