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アクセプタンス、コミットメント、ソリューションフォーカス
私たちのやり方は、その根底に
次世代の認知行動療法の一種で関係フレーム理論に基づいたやり方や、
ミルトン・エリクソンを源流とするブリーフセラピーをもとにしています。
特に、
・ 上手くいっているならそれをやり続けよ
上手くいっていないなら、違ったことをやろう
違ったことをやって上手くいったなら、それをやってみよう
・ 悩ませ、時には絶望に追い込む思考や感情との関わりを根本的に見直す
・ 避けることができない痛みや不安、苦しみ(死ぬこと、病気になること、老いることなど)をアクセプト(無条件に受け入れる)し、自分が持つ人生の価値を発見し、コミットメントする(価値に向かった宣言と行動)
に特徴があります。
つまりは、生きていると避けられない苦しみや悩みを受け入れるのと合わせて、それとともに、それでも自分のやりたいことを出来るようになるという方法です。
何か上手くいかないことをトラウマや幼児体験、前世体験や無意識に原因を求める「原因追求・問題追求型」ではなく、
今、苦しい状況を未来に向かってどうやって解決してゆくか、という「未来指向・解決指向型」の方法です。
多くの人は、問題がない状態こそが普通であり、不安や痛みがあるのは問題であって、不幸せなことであるから取り除かなければいけないと考える傾向にあります。
そして、こんな苦悩を抱えている自分は何と不幸なことで、どうしようもないと考えがちです。
そう考えて、これらと戦ったり、コントロールしようとしたり、さまざまな理由づけをして逃避しようとします。
ですが、心の問題は避けたり取り除いたりする事で逆に悪影響を及ぼす場合もあります。
思考や感情は勝手に湧き出ては消えてゆくものですし、その内容もコントロール出来ません。
それらは自分が作り出したものです。
ところが、それら感情や思考に自分が振り回され、
不快と評価した思考や感情に、ポジティブな呪文を唱えて、そんな気分にならないと行動出来ないとか、
捨て去るなどということをしないと行動出来ないとか、
そんな対処の繰り返しが、問題を維持していると考えます。
また、さまざまな理由で回避や逃避をすると、人生や生活において非常に硬直し制限されたものになりがちです。
たとえば、人が怖いという人は、引きこもったりしますが、
引きこもると、もっと恐ろしい不安がやってきます。
このまま引きこもっていたら自分はどうなるのだろう・・・と。
実際には、その人にとって「人との関わりがとても大切」だから人が怖くなるのです。
大切でなければ怖くなる必要すらないはずです。
このように、従来ずっとやり続けてきた回避やコントロール、戦うという方法が意味をなさないとすれば、
アクセプト(無条件で受け入れる)が重要となります。
思考や感情との関わりを変えることが重要となります。
本来自分が人生で実現したい「価値」の発見が重要となります。
残念ながら痛みや不安、苦しみは避ける事が出来ません。
私たちは、不安や苦しみと上手に向き合いながら、なりたかった自分になるためのやり方を体験型で提供します。
なぜなら、従来の思考パターンで考えて得るものは少ないからです。
そのために、思考ではなく、たくさんの体験によって学んでゆくのです。
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【人生の自由を取り戻す V.d.s.】
心理学を人生に徹底利用して、人から見たら「魔法使いのように」生きませんか。
https://v-d-s.net/
最近のブログはここです。
http://sinriseminar.com/
http://vds-store.com/ では、とんでもないものも扱っています。
ゲーム感覚で
私たちは、第3世代の認知行動療法やSFA、MRIなどのブリーフセラピーなどの理論や技法をゲーム感覚で「より良く生きる」ために使用しています。
私たちの基本的な考えは、
壊れた人はいない。
壊れたように見えるのは、出来事に対する対処が役に立っていないだけである。
そのままが持ってるリソースを最大限に引き出し、役立つスキルを身につけることは可能である。
思考、感情はコントロールできないが、行動はコントロール可能である。
人生や思考、感情から良いと思うものだけを残して、嫌と思うものだけを取り去ることはできない。
嫌と思うものを回避したり、そこから逃避すると不安や恐怖は強くなり、結果的にそれらに対するスキルは身につかず、人生や生活の幅を狭める。
思考や感情から距離を取り、不快と思うものを完全受容することによって、活き活きとした人生を歩むことができる。
どんな思考や感情を持っていても、自分の人生を賭けて実現する価値を発見し、それを実現することは可能である。
どんな思考や感情の嵐に巻き込まれても、心は静寂を保つことができる。
今、ここに全てがある。
この世界は出来事やモノに対するその人の解釈から成り立っている。
解釈を変更することによって現実を変えることができる。
自分が作り出した人生のシナリオをあたかも変更できないかのように振る舞い、それを演じてるに過ぎない役割を本当の自分だと信じ込んでいる。
本当の自分はシナリオや役割ではない。
などを一緒に学んでゆきます。
遊び心を持って、あの秘密結社の儀式を入会式やレベルアップ時に行っています。
これが実に楽しいです。
女性はフリーメイスンリーに入れませんから、私たちのところで擬似体験しても楽しいですよ。
私たちのストアではフリーメイスンリーの儀式書も販売してます。
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避けられない苦痛
最近、近しい人が亡くなりました。
病気で肉体的にも精神的にも苦しみ、緩和ケアを勧める医師に対して、
「頑張る」
と言って、最後まで病気と闘い続けました。
普段は距離が近すぎで、いつもそこにいて当たり前の人でも、
命に関わる病気になると、その人の重要性がとてつもなく分かるものです。
この人のために何ができるのか、
できることをあらゆる手段を使って何とかしよう、と思いました。
ついに亡くなってしまうと、人生の空間の一部がなくなってしまうような喪失感に襲われます。
葬儀の時、坊主は
「人は必ず死ぬものである。
誰もが等しく死を体験するものである。
病と闘い、今はその苦しみから、安らかな・・・」
と言っていたのが印象的でした。
当たり前のことですが、私たちは誰でも死ぬべき存在なのです。
生きている私たちは、自分の死をとても怖く思うため、
ずっと先に死ぬものと勝手に決めてかかっています。
考えてみれば、人生には多くの苦痛があります。
苦痛は、精神的にも肉体的にもとても痛いものです。
いつ飛んできて刺さるかも知れない矢のようなものです。
そして、その矢である苦痛は避けられないものであります。
確実に当たってしまいます。
人の死、自分の死はいつやってくるとも分からず、
病も年老いることも、人と別れることも、とても痛いものなのです。
避けることができない苦痛を避けようと努力すると、必ず苦悩が出てきます。
苦悩とは、苦痛であることを苦痛に思うことなのです。
たとえば、
死や病を恐れて、それを苦痛に思うこと、
まだ来てもいない未来の出来事を考えて苦痛に思うこと、
すでに終わってしまった過去の出来事を思い苦痛に思うこと、
人が出会えば必ず別れるのに、しかし、まだ別れてもいないときから、別れないように不安になって苦痛に思うこと、
いくらでも私たちは苦悩を探すことができます。
しかし、苦痛は避けられないにしても、苦悩は減じることはできます。
どんな感情の嵐のまっただ中にいても、心は静寂を保つこともできます。
死は最大の苦痛であり、その死から来し方をあらためて眺めてみると、さまざまな気づき、
人生を変えるくらいの気づきすらあるでしょう。
私たちの「死と再生セミナー」に参加してみませんか?
日時 12/14 12時~15時
詳細は、https://v-d-s.net/?page_id=9841
私たちは、第3世代の認知行動療法やSFA、MRIなどのブリーフセラピーなどの理論や技法を「より良く生きる」ために使用しています。
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私は充実している!
何かに熱中しているとき、何かを達成したとき、充実を感じることがあります。
しかし、充実を感じるために何かする、となるとまた話は別なものになります。
私たちは「活き活きと生きる、あるいはより良く生きる」ということを一つのテーマとしています。
もちろん、活き活きと生きているとき、わくわくする感じや達成感もあるでしょう。
でも、活き活きと生きることは必ずしもこれらの感情を伴うとも限りません。
つまり、充実していないとやっていられないと信じているならば、それは「活き活きと生きること」からとても遠いところにいるのです。
本当は何かやりたいことがあるのに、その方向に進もうとすると、おびえたり、不安が強くなったりして、アルコールやドラッグに逃避すると、これらを使用しているときはとても気持ちがいいでしょう。
だからといって、アルコールやドラッグに依存、逃避することが活き活きと生きることではないはずです。
アルコールやドラッグを捨てて、それでも歩むときには、不安、恐怖、怯え、弱さなどを感じるでしょう。
自分が本当に歩みたい道を進むとき、「よい気分を感じる」ことが必要条件ではないということなのです。
そうではなく、「うまく行動する」ことがとても大切になります。
感情や思考に行動が支配されるのではなく、いい感情や思考・不快な感情や思考を持ちながら、行動は独立して行うことが「うまく行動する」ということでもあります。
湧いて出てくることもコントロールできず、その内容もコントロールできない思考や感情に従って生きると、とても苦悩の多い人生になるでしょう。
従来の心理モデル、セラピーでは
“問題/苦悩/ネガティブな感情・思考”をどのように管理/対処するか?どのように克服するか(打ち勝つか)?
にメイン・フォーカスが当たっていました。
しかし、
“苦悩/問題”を乗り越えよう、解決しようとして私達が行なってきた努力は、果たして私達の状況を改善してきたでしょうか?
同じ状況になると苦悩にもがきながら同じ対処を涙ぐましくやり続けていなかっただろうか?
気がつくとさまざまな理由づけや評価をして、問題を回避していないだろうか?
私達は今一度、この言葉の意味を考える必要があると言えるでしょう。
私たちは、
“問題/苦悩/ネガティブな感情・思考”は生きている以上あって当たり前であるし、苦しみだけを避けて都合よく、いい気分や思考だけを受け入れるということは絶対にできない。
しかし、実は、
苦悩/問題を抱えたままでも“自分が人生で本当に実現したいこと”を発見・強化し、行動していく「コミットメント」の姿勢を持つことで私達は誰でも活き活きと生きることができる。
という哲学に基づき、「価値の発見」、「行動」のための介入を行います。
こう書くと、自己啓発のように見えますが、そういった「いい気分を求める」ものではないのです。
私たちは、第3世代の認知行動療法やSFA、MRIなどのブリーフセラピーなどの理論や技法を「より良く生きる」ために使用しています。
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あなたは「ラベル」ですか?
あなたは誰ですか?
何者ですか?
と質問すると、必ず
私は○○(名前)です。
○○で生まれ、現在結婚して、○○というところで働いています
というように、答えます。
けれども、よくよく考えるとこれはその人の属性を表しているだけで、
決してその人そのものを説明しているわけではないのです。
名前が○○であり、○○で生まれ、現在結婚して、○○というところで働いているのがあなたですか?
と再び質問すると、
???
となります。
これは、容器の中に何かがあり、その容器の中身を示すラベルを説明しているにしか過ぎないのです。
つまり、ラベルは中身と関係ないのです。
ラベルは、中身そのものではないのです。
しかし、ラベルを貼り付けると、それが中身と全く同じものであるかのように人は錯覚します。
このラベルは、人から貼られる場合もありますし、自分で貼ってしまうものもあります。
もし、名前があなた自身なら、名前が変わるとあなたでなくなることになります。
もし、「短気」があなたなら、短気でないときはあなたではなくなります。
ラベルというものは、勝手なイメージであり、ラベルは、本当の自分を決して表したりはしていないのです。
本当の自分は、ラベルというイメージに縛られ、不自由な奴隷の身となっているようなものです。
イメージとはそれ自体、単なる自分だけのイメージにすぎないものです。
実体のないものなのです。
しかし、それを現実だといとも簡単に信じ込んでしまうものなのです。
これを思考との一体化(フュージョン。思考を事実だと信じてしまうこと)と言います。
思考を事実だと信じると、考えていること自体が事実となります。
考えは自分が生み出すものであり、刻一刻とさまざまな思いが湧いてくるのですから、それらに振り回されている自分がそこにいるだけなのです。
感情にしても同じことが言えます。
人は、自分で作りあげたラベル、他人から貼られたラベルを信じ、翻弄され、自由を奪われ、苦しんでしまうのです。
「自分は無能だ」というラベルを貼ると、わざわざ成功を拒否するような生き方を、自らに強いるようになるかもしれないし、成功しても、より深く劣等感に悩むかも知れません。
あたかも自分が勝手に作り上げた妄想の中で、それはまるで、不幸な役柄を演じている俳優のようでもあります。
その俳優が手にしているものは、シナリオです。
そのシナリオは、生きてきた記憶の断片と出来事をつなぎ合わせ、「評価」「理由づけ」により、苦しみに満ちたストーリーに仕立て上げられ、それこそが「真実」だと疑いもしないものなのです。
素晴らしい苦しみのシナリオを手にし、あまりにも演技に夢中になり、すっかり役柄になりきってしまい、自分が俳優だということを忘れてしまっているかのようです。
ラベルを剥がし、シナリオを捨てて、本来の自分を発見しませんか?
もうそんな生き方は疲れてしまったでしょう?
この世には実体としての苦しみや不幸なんてものは存在しません。
単に、苦しんでいる人、不幸を演ずる人がいるだけなのです。



