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謝罪 白黒二分

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最近はテレビでの会見や裁判などで「謝罪」というものをよく見ます。
もちろん日常生活でも、謝罪を見たり、出くわしたりもします。

「被害者」が「加害者」に向かって
言葉では反省を言ってるが、心の中では反省していない

誠意が見えない
と繰り返し聞きます。

それが何ヶ月も、何年も、何十年も続くことさえあります。
まだ、誠意が感じられない

まだ、心から謝っていない
と。
では、どのようにしたら誠意があると分かり、心から謝ったと分かるのでしょう?

人の心は分からないと前のブログで思考実験とともに書きました。

心は推測はできますが、分かることはできません。
その推測も、あたり・ハズレという程度のものです。

誰も他人を体験することができないからです。

もし、分かるんだという人がいれば、コミュニケーションは必要なくなるでしょう。
分からないからこそ、コミュニケーションをとって分かろうと努力するのです。
けれども、やはり分からないものなのです。

できないことをやろうとすると、そこに苦しみがあります。

なぜなら、現実を思考で否定したところで何ともならないからです。

暴風雨の中で、目を閉じ、耳をふさぎ「暴風雨よ来るな!」と叫んでいるようなものです。
すでに暴風雨は来ているのに。

心が分からないからこそ、「まだ誠意がない」と際限なく続き、悲しみや傷付きが延々と続くのです。

そうしているうちに、その周辺に心傷つくものも増えてゆくのです。

傷つけたものが「加害者」なら、「被害者」が容易に「加害者」になることもあるでしょう。
いや、先に傷つけたものが「絶対的な加害者だ」ということにとらわれると、被害者はどんなに人を傷つけてもそれが正当化されてしまうことになります。

認知行動療法で出てくる「白黒二分法」の典型ですね。
そして、「被害者」は傷ついたから、傷つけた「加害者」に対して何をしてもいい、できないことを要求してもいいと考えてしまうと、際限なく苦しむことになります。

私もそんな立場になったら自信はないです。
でも、できないこと、分からないことはどうしようもない、と現実を見て、その現実からいちばん妥当な選択ができるようになれば、と思います。
私がこれまで述べてきた、思考や感情、人生の価値、マインドフルネスなどをまとめたテキストを音声誘導付きで作成中です。

そこには具体的にどうすればよいのか、という実践や人生の価値を見つける方法などが書かれています。

みなさんの生き方に役立てば、と思っています。

きっと、目から鱗が落ちると思います。
【人生の自由を取り戻す V.d.s.】

V.d.s.

さまざまな特典のあるメルマガ会員募集中です。
多くのセミナーや研究会、セラピーも行っています。
科学に裏付けのある効果的なものを目指しています。

心理療法、催眠など厳選した膨大な書籍やDVD、催眠用の小道具などはこちら
きっと役立つものがあるはずです

https://v-d-s.net/?page_id=6584

人の心は分からない

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人の心は分からない

こんなこと言ったら、とんでもないやつだと言われそうです。

人の心が分からないなんて、おまえはどうかしている。
人の痛みが分かる人にどうしてなれないのだ。

と怒られそうです。

ついには、

おまえは人間として失格だ

と人格否定までされそうです。

ところで、本当に人の心は分かるのでしょうか?

たとえば、生まれつき「赤」が「青」に見える人がいたとして、りんごを見たとき、
その人が「赤」を見ているとどうして分かるのでしょうか?

なぜなら、その人にとっては「赤」が「青」だからです。

そして、人は、他人を体験することができません。
その人の体験はその人でないと分からないものなのですから。

有名な「箱の中のカブトムシの思考実験」があります。

『ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって提案されたこの思考実験は、まず数人の人が集まったグループを思い浮かべます。グループの各人はカブトムシが入った箱を渡されますが、誰もカブトムシがどのような形をしているか知りません。また、それぞれの箱には違う形のカブトムシが入っており、他のグループメンバーには、自分の箱に入っているカブトムシについてのみ話せます。ですので、グループ内のメンバーが得たカブトムシの情報はそれぞれ違っており、彼らにとってカブトムシは、単に「箱の中に入っている物」を示します。

この思考実験は、カブトムシは人間の心に似ており、他の人間の心は当人にしか知り得ず、他人は何を考えているか予測できないものである、ということを示しています。他人が経験していることを視認できても、心の中で経験に対してどのように感じているか、などは全くわかりません。』

というものです。

もし、人の心が分かるのならば、争いや誤解というものもないでしょう。

事実は、同じ経験をしても、楽しい人、つらい人、何とも思わない人など、さまざまな思考や感情を人は持ちます。

このように人の心の中身が分からないからこそ、態度や言葉遣い、表情などでその人の心を推測するのです。

しかし、心を推測したところで、感情というものは瞬間瞬間のものですし、当人にもはっきり分からないとらえどころがないものです。

つまりは、分からないものを分かろうとすると、さまざまな苦しみになるのです。

「あの人はどう考えているのだろう」

「ここにあるメールの意味は何なのだろう」

「どうしてこんなことを言うのだろう」

いくら考えても分かりません。

推測が当たることもありますし、外れることもあります。
推測は、相手の気持ちや考えを観察したものではなく、自分の思考(物事に対する解釈。相手の言葉の解釈。メールの意味の解釈。行動の解釈)に対して反応しているだけなのです。

苦悩というものは、現実にはコントロールできないもの、自分ではどうしようもないものをそれでも何とかコントロールしようとする、現実否定の上に成り立っています。

「人の心は分からない」

これを前提として、行動に対する対応を選択するほうが、遙かに役立つ生き方かもしれないですね。

そうそう、人の心は分からなくても、推測はできる場合がありますから、もちろん配慮する必要はありますね。

私がこれまで述べてきた、思考や感情、人生の価値、マインドフルネスなどをまとめたテキストを音声誘導付きで作成中です。

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男から見ると 女から見ると ○○から見ると

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男から見ると 女から見ると ○○から見ると

相手と話していて、よくこのような言葉を使ってしまいますね。

「あなたは男(女)だから、女(男)の気持ちは分からないのです。」

というふうに。

とてもありふれた言葉で、「なるほど」と妙に納得してしまうのですが、よく考えるとおかしなことがあります。

まず、どんな時にこの言葉を使うのかというと、

明らかに違いがあるもので、本人の努力でどうしようもないものを提出して(男女などの性別や人種、年齢など)、

『私たちとは違うあなたはそれを理解できない。理解できるのは、違いのない私たちだけ』

ような時でしょう。

つまりは、

物理的に違うから、私もあなたも理解できない関係である

と主張しているのです。

これは、対話や議論というより、相手との対話を拒絶し、反論を封じ、自らの意見を押し通すものです。

もっと具体的にいうと、

男とか女という抽象的な言葉を使っていますが、発言しているのはその人です。
その人が男や女を代表しているわけではありませんし、すべての男女がそんなに簡単に白黒分けできるものでもありません。

「私は女で、あなたは男だから、あなたには私の思いや感情は分かりません」

と、性別という物理的な違いを利用して、自分の思いのみを主張し、相手からの意見を拒絶しているだけではないでしょうか。

結局は、単なる「叱り言葉」にしか過ぎないのです。

「国民はこういうことを言っている」というような場合、国民という抽象的概念は何も言いません。
その発言しているのはその人だけです。

「私はこういうことを言う」というのを国民という言葉を利用して反論を封じ、自らの意見を押し通しているだけのような気がしませんか?

建前で話をするときも、たぶん同じことでしょう。

本当に相手を尊重し、話をするのであれば、「私」と「あなた」の関係で話するのが誠実ではないかと思います。

なにも、国民とか男女とか建前を持ち出して、相手の意見を拒絶し、自分の意見を押し通すこともないような気がしますね。

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トラブル、アクブロ、セラピスト

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ある友人のことです。(ここで書くことに了解を得ています)

2日前に相談がありました。

ある人とmixiとLineでトラブった、とのこと。

あることが原因で、「絶交」をお互いに宣言し、マイミクを切ったり、アクブロをし合ったりしているといいます。
トラブルの概要は聞きましたし、Lineやメッセのやりとりも見せてもらいました。

友人「どう?相手が悪いでしょ?」

私「分からない」

友人「これ見たら、喧嘩ふっかけてきたのは相手だし」

私「分からない」

こんなやりとりが続きました。

私「ところで、実際に会ってこんな話したの?」

友人「いや、メッセとLineのやりとりだけ」

思うに、どちらが「悪い」かなんて、第三者には分からないものです。
なぜなら、言葉などはどうとでも解釈できますし、私に同意を求めてもそれが全く解決につながるとは思いません。

私や他の友人の同意を得て相手を非難し続けることが目的であるならば、それは解決には決して結びつかないし、第三者が感情移入してもどうしようもありません。

もし、私が間に立って話を聞いたところで、お互いが「正しさ」にこだわるならどうしようもないです。

かりにそれができたとしても、「私だけの常識」でどちらが悪いかを決めるそんな大それたことはできません。

ところで・・・

おもしろいことに、相手の方は、セラピストだったのです。

日記を見ても、愛や思いやりについて書かれ、ヒーリングや認知行動療法などセラピーまで勉強しているとのこと。

誰でもこんなトラブルの経験はありますよね?

「正しさ」にこだわるとつらいなら、どうすれば解決できるかにこだわる必要があります。
正しさというものは、普遍的なものではありませんし、人の思う正しさは人それぞれです。

あたかも宇宙を支配する絶対的なルールのように感じ、それで人を判断したり、裁いたりする人がいますが、傲慢です。
なぜなら、単なる頭の中のマイルールですから。

解決のために、人のサポートが必要なら、つまり解決志向なら分かりますが、当事者が周りを巻き込んで正当性を主張し、巻き込まれた人が単純に「それを信じて」双方が攻撃し合う、あるいはおせっかいな人がしゃしゃり出て「裁く」というのは滑稽きわまりないことです。

当事者同士でも何があったのか分からないのに、他人がそれを判断することは不可能でしょう。

相手の言葉や態度に反応しているのではなく、それを解釈している自分に反応しているだけなのです。

つまり、自分の思考相手に自分が反応していることをあたかも、相手からのせいであるように反応しているのです。

さらに特筆することがあります。

お互いにマイミクを切ったり、アクブロすることが、現実の人間関係と錯覚していることです。

どうして勝手に足跡をつけるのか

ということと同じで、あたかも現実に家に勝手に入り込まれたように現実と錯覚して腹立たしいと思ったりしていることと同じなのです。

すべては現実ではない画面上の出来事とあなたの中の判断なのです。

画面上のことを実際の人間関係や実際の訪問と同じように考え、大切なことであるはずのものをより真意の伝達が困難なメールで代用し、相手からの返事や書き込みをさまざまに解釈・評価して、「きっと相手はこうにちがいない」と思い込みを強くして心と体を壊すのは
どんなものなんだろ?

相手の方の日記を見てみると、このことに少し触れ、「私が傷ついたのは事実。傷つかせた相手が謝るべき」ということを他人に訴えかけていました。

人が傷ついたから、それは「悪いこと」であり、「悪いことをした相手が謝るべき」と関係ない人たちに画面で訴えかけてどうするつもりなのでしょう。

そして、全く私の友人のことを知らない人は「そうだ。セラピストが正しい」とはやし立て、ある人は友人に「人を傷つけてはいけない。もっと人の気持ちを分かるべき。頑張れ」と説教までしたといいます。

私「その人、知ってる人?」

友人「全く知らない人」

そもそも「傷つく」などという感情を持ってそれを現実として判断することは、認知行動療法では「思考のゆがみ(感情的理由づけ)」の一つでもあります。

感情をもって正しいとするならば、この世のすべての出来事は、自分の感情に合うように作り替えなければなりません。

感情は正しいこともあるし、間違ったこともあります。
また、人によって感情は違いますから、特定の感情をもったものに周りが合わせるとなると、この世の中はどうなるのでしょう。

相手の方は、本当に認知行動療法を学んでいて、それをセラピーに応用しているならば、まず

画面の言葉を現実だと錯覚せず、大切であればこそ、対面で話すという現実を重視し、
自らの思考のゆがみを抽出してそれを補正し
感情的理由づけをやめて、正しさにこだわることも捨て、
ブロックしたりするなどの「回避行動」をやめた方がいい

とアドバイスしたくなりましたが、まさにこれこそがセラピーの中身なのです。

私は、友人に言いました

相手が大切な人で、本当に相手と自分が傷つくほど大切な問題で解決したいなら、実際に会って話したら?
それでダメなら仕方ない。
でも、相手を攻撃するために賛同者を増やすなら、やめたら?
単純な人は、その尻馬に乗ってはやし立てるけれど、ただそれだけ。
それにいちばんつらいのは自分では?

問題の根源は相手?それともあなたの思い?

あなたがどんなに思ったとしても、現実は現実ですから。
自分だけの思いだけで苦しんで不健全な行動をとるよりも、現実そのものに目を向け、思いは単なる思いであることを知るほうが、遙かに建設的な行動につながりますね。

でも・・・相手のセラピスト、まるでクライアントのようだ、とふと思いました。

『人がもっとも無知なときは、正しさを振り回すときです』(アルボムッレ・スマナサーラ)

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ぶっ壊す?解決する? 認知行動療法から思考のゆがみを見る

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あるセラピストとお話しして気がついたことを書きます。

セラピーというのは、ある意味「原因追求」ではなく「解決志向」です。

というのは、持ち込まれるさまざまな問題に対して、どのように解決をサポートするのかを行わなければ全く役に立たないからなのです。

ここで注意することがあります。

それは、セラピスト自ら判断(あるいは「裁く」)してぶっ壊してしまったり、「解決してあげる」と解決方法を押しつけるならば、それはセラピーではなく、傲慢というものです。

なぜなら、そもそも問題を解決するのは本人であり、セラピストは解決をサポートすることが目的です。

セラピスト自身の「こうあるべき」「こうしてはいけない」というマイルールを押しつけることはセラピーでも何でもないからです。

持ち込まれる悩みの性質は往々にしてセラピストのマイルールと違うものがあります。
あるいは、セラピストのマイ道徳とは違うものがあります。

セラピストは、マイルールの下、判断し、裁くのでもなく、マイルールを適用して「正しさ」を教えるのでもありません。
たとえ、それが自分の価値観、道徳に反していても、その人の役に立つものであるならば、マイルールとは関係なく、それを採用するのです。

マイルールが法律のように成文化され、社会のルールとなっているような場合は、それに違反したとき処罰されることから、誰の目にも違反か違反でないかは分かります。
つまり、「いい」か「悪い」というものははっきりしているのです。

しかし、マイルールによって人を判断するとき、こんな問題があるのです。
認知行動療法の「思考のゆがみ」から見てみましょう。

■このセラピストは、「何に基づいて」判断するのか。

もちろん、この場合はマイルールです。

マイルールは不思議なもので、その人の頭の中にしかないのにもかかわらず、「常識」や「社会のルール」と過度に一般化される傾向があります。

CBTでもそうですが、過度に一般化される思考のゆがみは、

「あたかもそれ自身が絶対的なルールであり、誰もがそれを受け入れるべき」(過度の一般化、心のフィルター(選択的抽出))

にまで拡張されることが多いものです。

本来、善や悪、正しいや間違い、快や不快などの評価は相対的なものであり、個々人、文化、歴史、宗教、政治などによっても違うものです。

にもかかわらず、マイルールを他人にまで拡張することは、自他の区別ができていないことでもあります。
しかも、自説を押し通して相手を論破しようとするときにもマイルールを使います。

「これは誰もが分かっている常識だ」と。

■このセラピストは「何を見ている」のか。

「いい人」「悪い人」という判断をするとき、あたかもその人の性質に「いい」とか「悪い」があると思いがちです。

事実は、セラピストが「いい」(もしくは「悪い」)と判断した人がいるだけであって、単なる人に対して、意味づけしているにしか過ぎないのです。(レッテル貼り)

セラピストが、どんなに強く念じて相手を「いい」「悪い」と思ったとしても、相手がそれによっていい人になったり、悪い人になったりするわけではないのです。

セラピストの意味づけが単に変わっただけなのです。

現実というものは、その人の事実に対する解釈によって成り立っています。
事実に投影した思考を現実と錯覚しているのです。

つまり、そのセラピストが見ているのは「人そのもの」ではなく、自分自身の思考を見て、それに反応しているだけなのです。

■このセラピストは「なぜ正しい」と思うのか。

単に自分の思考に反応していることを忘れ、あたかも原因がその人そのものにあると信じ込んでいるからです。

人は一般に見たいものを見て、聞きたいものを聴くという傾向があります。

特に思い込みが強すぎ、マイルールに執着する人は、いったん「いい」(逆に「悪い」)と決め込んだら、「悪い」(逆に「いい」)というものには目もくれず、自分の思い込みに合う「証拠」(それ自身も解釈によるものですが)ばかり集め、信念を補強するのです。(心のフィルター(選択的抽出)、トンネル視)

分かりもしない人の心を推測し、その推測をもとにさらに信念を強固にします。(読心術)
これは一見すると、物事を分析しているように思うのですが、バイアスのかかった思考によって、偏った証拠なるものを集め続けていることからも明らかです。(肯定的側面の否定や割引)

また、「自分が(他人が)こう感じたのだから、それは事実だ」という感情をもとに現実認識が正しいとする理由づけも強く持つ傾向があります。(感情的理由づけ)

■このセラピストはどんな傾向を持ちますか。

マイルールを正しいと信じ込み、それによって価値判断(べきでない・べきである・ちがいない・してはいけない)しますから、人を判断(あるいは「裁く」)する傾向にあります。(べき思考)

この時、注目してもらいたいことは、自らがルールブックとなっていることです。(過度の一般化、白黒思考)

つまり、自らにはルールを適用していないのです。

だからこそ、判断(あるいは「裁く」)ことを行うのです。

■結局はこのセラピストは

自分しか見ていないのです。

マイルールで判断し、人に投影した自らの思考に反応していることを忘れ、自らルールブックとなってマイルールの適用者として振る舞うのですから。

問題があると判断(あるいは「裁く」)してぶっ壊すことではなく、どのようにすれば解決するのか、その視点が必要ですね。

「正しい」「間違い」にこだわるよりも、「役に立つか立たないか」の視点を持つとき、それが苦しまない方法の一つなのかもしれません。

それは、セラピーのみならず、人生において生きてゆくときにおいても必要ではないでしょうか。

自称セラピストを例に挙げましたが、これらは私を含め、みなさんにも当てはまるのではないでしょう。

きっと。

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