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助けて欲しい・・・しかし・・・

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ある掲示板を見ていたらこんなことがありました。

男性からの相談なのですが、

「自分の持ち家で同棲している彼女がメンヘラで、暴力を働き、家をたたき出された。
これまで何度もこういうことがあった。何とかしたいが知恵を貸して欲しい」

というものでした。

それに対して、

別れたら?

→ 別れたいが、別れるとなると暴れるので怖いからダメ。

警察に行ったら?

→ これまで何度も警察に行ったが、そのたびに暴れるからダメ。

好きなの?

→ 嫌いだ。何とか別れたい。

彼女の両親に話したら?

→ 一度そういうことをしたが、両親は「娘の意思に任せる」と言ったきりで話にならない。

合い鍵で家に入ったら?

→ 合い鍵は捨てられ、携帯も壊されているから、連絡のとりようがない。

ドアを壊して入ったら?

→ 暴れて家の中のものを壊されるからダメ。

俺だったら、殴ってでも別れるな。

→ あなたと私は違う。あなたにできても私にはできないし、暴れて家の中をめちゃくちゃにされるのが嫌だ。

こんなことが延々と続いていました。

何とかしたいと相談を持ちかけておきながら、できない理由を並べているだけなのです。

このような人はよくいます。

たとえば、今の自分が嫌だから変わりたい、変えてみたい、と言いながら、

自分が納得したら

自分ができることであれば

などと、条件付きで、今の自分が認めることだけをする、というのは全く変わる意思がないものでしょう。

また、

あなたにはできるが私にはできない

私には難しすぎる

分からない

とあからさまに拒否する人もいます。

人の性質として、どんなに苦しくても今まで何とかやりくりしてきたおなじみの方法と、

これまで学んだことがない方法とを比較すると、

経験がないことをするのはリスクがあり、恐れや不安があるため、おなじみの方法を選びがちです。

あなたにはできるが私にはできない

自分が納得したら

などという思考を信じて行動すると、

結局は変わらない自分がいるだけであり、

その時、相手を拒否したり、論破したところで、何も変わらない自分を維持しているだけなのです。

思考は、変化を好まないのです。

変化は経験がなく、リスクがあるように見えるからです。

そして、他にもっといい方法があるかもしれない・・・そう考えてさまようのです。

実は、こうした行動が、今のその人を作りあげているのです。

もし行き詰まったり、同じことを繰り返したりしているとき、

全く違うことをやってみる、それがリスクを伴うように見えたとしても、

それでも歩んでみる価値があるのではないでしょうか。

セラピーの原則

上手くいっているならそれを続けよ

上手くいかなければ別なことをしろ

いったん上手くいくと、それをやり続けろ

大切なことだと思います。

———————–

【人生の自由を取り戻す V.d.s.】

V.d.s.

症状別にトリートメントを行うヒーリングもはじめました。

催眠や心理療法との融合も考えています。

https://v-d-s.net/?page_id=8134

より良くなるためなら手段を選びません。

それが私たちのモットーでもあるのです。

心理療法、催眠など厳選した膨大な書籍やDVD、催眠用の小道具などはこちら
きっと役立つものがあるはずです

https://v-d-s.net/?page_id=6584

あいつが悪い・・・

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あいつが悪いから、喧嘩しよう・避けよう・無視しよう・・・

よくありますよね、こんなこと。

このテーマも過去の日記で何度か取り上げました。

何通か問い合わせのメッセでもありましたから、もう一度書いておきますね。

こんなたとえ話はどうでしょうか?

あなたがトマトが嫌いだとして、トマトを見るとどんな思考や感情が出てくるでしょうか。

気持ち悪い、見たくない、不味そう、においが嫌などとさまざまなことを考え、「嫌」という気持ちになります。

でも、もっとトマトをよく見てください。

トマトに「気持ち悪い」「不味い」などという属性はどこにもありません。

トマトは単なるトマトです。

トマトのどこを分解しても「不味い」「不快」「嫌」という属性はありません。

あるのは、そう、あなたの頭の中にだけしか存在しない「評価」なのです。

その証拠に、トマトが大好きな人もいます。

トマトそのものになにか放射能のように物理的に嫌になるものが出ていたら、思いとは関係なく、人は嫌になるでしょう。

でも、「不快」「嫌」と評価しているのはあなたの頭の中にだけしかないもので、それは人それぞれ違うものです。

つまりは、頭の中にしかないもので、人それぞれ違うものであるとするならば、その頭の中にある思考は事実ではない、ということです。

事実は、誰が見ても事実です。

たとえ人類が滅んだとしても、事実は変わりありません。
事実は、目で見て分かるものです。

評価は、文化や歴史などによって違うものですし、「感じるもの」ですから目に見えないものでもあります。
そして評価する主体である人類が滅んでしまうと評価はなくなります。

評価は単なる思考であるにもかかわらず、それを事実と錯覚することによって障害も出てきます。

トマトそのものに「不快だ」「嫌だ」という属性があるように信じてしまうからこそ、トマトを遠ざけ、回避するのです。

もちろん、トマトを嫌いになったからといって、生活や人生に障害が出ることはまずありません。

しかし、トマトではなく、対人関係や対社会関係などで評価を事実と信じることによって、回避をしたり、戦ったりすることによって苦しいものとなるならば、その思考は役立っていないのです。
明らかに、相手によってではなく、自分の思考に苦しめられているのです。

思考は単なる自分だけの思考、評価であり、事実でないならば、どんなに嫌な人に対しても、嫌な出来事に対しても、そう思いながら、感じながらでもその人と接触できるでしょう。

なぜなら、思いと行動は別のものですから。

もし、思いと行動が一致するんだ、という人がいるならば、その人は、殴りたいと思ったらすぐにその人を殴らなければいけません。
会社を休みたい、学校を休みたい、つまらないと思ったら、それを行動に表さなければなりません。

でもちがうでしょう?

もし、思った通りに行動していたとしたら、たぶん、刑務所か病院か墓の下でしょう。

どんなにひどいことを思ったとしても、行動はできるのです。

それは日常にやっていることです。

どんな評価をしても、行動はできるのです。

思いは思い、事実は事実、です。

もちろん、武器を持って攻撃してくる相手などのように物理的な攻撃をしてくる人に対しては、防御する必要があるのは当たり前のことです。

それは評価ではなく、事実ですから。

ところで、評価はおもしろいことに、それを正当化する「理由づけ」をやってのけます。

「常識」「社会通念」「道徳」などという目に見えないもので補強しようとします。

自分の思考にこだわる人は、マイルールを正当化して人に拡張しようとします。

私もたまに振り返って我が身を見つめないと・・・ (^^ゞ

悪口を言うべきでない

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よく「人から悪口を言われた」「人から○○○された」と言います。
そして、それが辛い、苦しい、と。
あるいは恋人からふられた、嫌われと、それが悲しいと。

この時、頭に浮かんでいる感情や思考をよく観察してください。
たぶん、「人は私の悪口を言うべきでない」「恋人は私を裏切るべきでない」などと

 「人は○○○すべきでない」

という思考があり、その思考からそれにふさわしい感情が発生していることに気がつくでしょう。

しかし、この時、人は悪口をすでに言っていますし、すでに恋人はあなたをふっています。

これが現実であり、現実にすでに発生しているものなのです。
これに対して思考で現実を否定しているだけなのです。

 「人は○○○すべきでない」と。

思考で現実を否定しても、苦しみしか残らないのです。

そして、次の行動をとろうとします。
つまり、苦しみから逃れるためにさまざまな回避策(人との関わりを断つ、異性を信じない、酒で紛らわせるなど)をとります。

さらには、次に同じようなことを体験したくないため、人の顔色や評価をうかがいながら、つまりは、人の行動や感情にすら振り回されて、言いたいこと、やりたいことが出来なくなってしまうのです。
自分の内では自分の思考と感情に振り回され、さらには相手の行動や感情にもふりまわされ、何重にも苦しみます。

では、「人は私の悪口を言うべきでない」と主張したところで、悪口は言わなくなるでしょうか?

悪口を言う、何かを思う、何かを行動するのは相手の自由です。
あなたがそれになりかわって、他人の行動をすべてコントロールできるでしょうか?
それとも、他人に対して「悪口を言わないでくれ」と懇願しまわるでしょうか。
仮にそうしても、言う、言わない、思う、思わないはその人の自由なのです。

つまりは人はコントロールできないのです。

コントロールできないことをコントロールしようとすると、ここに苦悩が現れてきます。

確かに、悪く言われることはあります。これは生きている限り誰もが体験することで、苦痛ともいえるでしょう。
しかし、これをコントロールしようとすると苦痛が苦悩に素早く変わります。

人からどう見られるか、人からどう評価されるか、確かに気になる時はありますが、あなたは人の行動によって、人の顔色を見て、自分の人生を歩むわけではありません。

気にはなっても、それでも自分の方向に行くことは出来るのです。

悪口を言われるといい気はしませんが、それだけです。
思い悩むこともないですし、そもそも思い悩むこと自体が、「相手は悪口を言うべきでない」と現実を否定した苦悩に陥っている証拠なのですから。

コントロールできないものは、悩みようがないのです。
しかし、それを何とかしようとするから苦しみが出てくるのです。

悩みやすい人の特徴を見てみると、会話に受動態が多いことに気がつきます。

「言われた」「された」などの「れる・られる」が多い傾向があります。

つまりは、自分の行動より、コントロールできない人の動向で自分の行動が規定されているような人たちなのです。
そして、人はコントロールできませんから、悩んでしまうのです。

思考にしても、他人にしても、コントロールできないことについては、一切のコントロールをやめることです。

もし、あなたが今何かに悩んでいるとき、

頭の中で「~べき」「~べきでない」という思考に支配されていないか。
このルールをもって、それでコントロールできることか、できないことか。

それを見極めることです。

コントロールできないと見極めたとき、一切のコントロールをやめればいいのです。

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【人生の自由を取り戻す V.d.s.】

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何かした気になること それは回避ではありませんか?

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画像は、

「やり遂げる」か「避ける」かその選択をしようとしているものです。
さて、自分にとって大切なことをしようとするとき、それをする前に、
突然、掃除をすることを思いついて掃除をしたり、

突然、買い物をすることを思いついて買い物をしたり、

はたまた、大切なことをする前に準備が必要だといって準備に時間を費やしたり、
こんな経験はみなさんありますよね?

しかも、掃除や買い物準備に時間を使っている間は、
大切なことや何かをしている気持ち
になっているのです。

気がつくと、大切なことそのものができていないことがあります。

掃除や買い物、準備をしているときは、大切なことの一部のようにさまざまな理由づけがなされ、

まずそれから始めないと大切なことができないように信じています。
結果はどうでしょう?

大切なことをする前にあきらめてしまったり、

掃除や買い物、準備に時間を費やして「時間がない」と新たな理由づけをしたり、

私は頑張ったんだと信じ込んだり・・・
結果はどうでしょう?
そう、大切なこと、そのものをしていないのです。
これは巧妙な回避であり、先延ばしでもあるのです。
何が巧妙化といえば、

しないことの理由づけが本人の中ではきちんとあるからです。

試しにそのような人にこう聞いてみたらどうでしょう。
「大切なこと、まだしていないですよね?」
すると、こう答えるでしょう。
「いや、まずこれ(掃除、洗濯、準備など)ができないと次には進めない。そのために必死で頑張っている」
でも、どんな理由づけがなされても、大切なことをしていない事実には変わりないのです。

つまり、大切なことをしない理由を述べているにしか過ぎないのです。
しない理由を発明するのは私たちは得意です。

いろんなこと、つい先ほどまで考えもしなかったことを持ち出して、それを理由にし、信じ込んでしまうからです。

大切だと思いながら、しない理由を持ち出して、それを信じて、なぜしないのでしょうか。
たぶん、結果が怖いのです。
結果とは、
失敗を怖れる
ことが大きな理由かもしれません。

失敗しないいちばんいい方法は、それをしないことですから。

それさえしなければ、失敗もないのですが、やり遂げることもないのです。

ついには、そもそも大切なもの、そのものを
「実はあれは大切なものではなかったのだ」
と最悪の回避をしてしまうこともあるでしょう。

イソップに出てくる「酸っぱいブドウ」のようです。
どんなにもっともらしい理由づけをしても、

どんなにそれに努力をしても、

事実は、何もやっていないのです。
努力したから何かやっているわけでもなく、しない理由のために努力しているだけなのです。

私もみなさんも、何か一生懸命にやっていて結果が出ないとき、こんな罠に陥っていないか、振り返ってみる必要がありますね。

そして、絶対に失敗しない選択をするための理由づけが、どれほどもっともらしくても無駄な時間を費やすより、大切なそのものをまずはやってみましょう。

 

私がこれまで述べてきた、思考や感情、人生の価値、マインドフルネスなどをまとめたテキストを音声誘導付きで作成中です。

そろそろ完成します。

そこには具体的にどうすればよいのか、という実践や人生の価値を見つける方法などが書かれています。

みなさんの生き方に役立てば、と思っています。

きっと、目から鱗が落ちると思います。
また、症状別にトリートメントを行うヒーリングもはじめました。

催眠や心理療法との融合も考えています。

https://v-d-s.net/?page_id=8134

より良くなるためなら手段を選びません。

それが私たちのモットーでもあるのです。
【人生の自由を取り戻す V.d.s.】

V.d.s.

さまざまな特典のあるメルマガ会員募集中です。
多くのセミナーや研究会、セラピーも行っています。
科学に裏付けのある効果的なものを目指しています。

心理療法、催眠など厳選した膨大な書籍やDVD、催眠用の小道具などはこちら
きっと役立つものがあるはずです

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ハイパー・ユニバーサル・レイキ

Reikihealing

これまで、催眠やセラピーを行ってきましたが、あらたにヒーリングもすることになりました。

『誰かのために、何かできることをしませんか?』

私たちは、このレイキを基本として、
さらに役立つヒーリング手法(クォンタムタッチ・クォンタムエントレインメント・マトリクス法など)を付け加え、

レイキの力をより強め、
そのエッセンスのみを、
シンプルに、
いろんな状態にも対応しやすく、
学びやすい形で、
伝統や形式に縛られず、
自由に使うことができ、
各症例に対するトリートメントに重点を置く

をテーマに、ハイパー・ユニバーサル・レイキ(Hyper・Universal・Reiki(HUR))として提供することにしました。

困難を抱えてやってくるクライアントは解決や回復、癒しを求めているのであって、決してレイキを始めたとされる臼井氏の伝説や系統・正統性を求めているわけではありません。

『伝説や系統を見るのではなく、困っている人を視る』

という精神のもと、伝説や不必要なものをそぎ落とした、エッセンスのみのシンプルで効果ある実利的なレイキです。

これまでのレイキに飽き足らない人は、きっとその効果に満足するでしょう。

https://v-d-s.net/?page_id=7293