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できない理由・・・
今日、会議がありました。
あることによって不具合が生じているので、
これを解消するために、私がある提案したのです。
それを導入することによって、どれほどのメリット・デメリットがあるのか、
導入しないことによってどれほどのメリット・デメリットがあるのか、
その上で、導入した方がいいと意見したのです。
ところが・・・
できない理由を次々に考え出す人がいるものです。
前例がない
他との比較の上で不平等だ
もし失敗したらどうするのだ
よくもここまで、できない理由を考え出すものだと感心しました。
この人たちは生産的な話をしているでしょうか。
それとも、このような発言をすることによって、
私の方が偉いと主張しているのでしょうか。
何か目立つこと、足を引っ張ることを発言して、
冷静で、常識人として売り込もうとしているのでしょうか。
万一、そうであっても、その考えはすでに失敗しています。
というのは、「ダメだ」と言うばかりで、
代案がないからなのです。
代案なき発言は、単なるヤジなのです。
ヤジのために貴重な時間を割くことほど空しいものはないでしょう。
結局、彼らの結論は、理由もなく今のままがいい、というものです。
さて、このように何かをしようとしたら、
理由もない現状維持
考えのない反対
が出てくるのは、人としての傾向なのです。
なぜなら、たとえどんなにつまらないものでも、
それでまわっている限り、変化しない方を選ぶのです。
これは、苦悩への対処にも同じことがいえます。
どんなに役に立たないものでも、しっかりと守り続け、
同じ状況になれば、同じことを繰り返すのを見ていると、
「何か違ったことをする」
ということに思い至らないか、思い至ったとしても、
自らはできない理由をもっともらしく並べ立てるでしょう。
「できないものはできない」
「あなただからできる」
「私にはとうていできるとは思えない」
「もしできなかったらどうしてくれるんだ」
身に覚えがあるでしょう?
これらは何十回、何百回も自分に言い聞かせてきた言葉なのです。
これらを私に言ったところで、どうにもならないのです。
私を仮に論破したところで、何も変わらないのです。
結局、変化しない、変化したくないと、人に噛みついてでも宣言しているだけなのです。
果たして、このようなことで改善できるでしょうか?
無理です。
なぜなら、これまでと同じことをし続けるならば、
同じ結果しか得ることができないからです。
そして、同じ結果しか得られないのに、同じことをし続けるのは、
実はその方法が、役に立っていないことなのです。
しかし、なかなか役に立っていないことを認めようとはしません。
なぜなら、認めてしまうと、違う方法をしなければならないからです。
どんなに辛くても、未経験の「違ったことをする」より、
現状維持の方が慣れ親しんでいるため、捨てようとしないのです。
本当は役に立たない方法を捨てて、違う方法を試すのがあたりまえなのですが、
さまざまな理由づけとともに、結局は、これまでと同じことを繰り返すことを選択するのです。
その理由のもっともらしいこと。
必死に言っている本人は気がつかないのでしょうが、客観的に見ていたら、
どれほど自分が現状維持をしたいのか、そのための理屈であることにすぐに気がつくのです。
役に立っていないのに・・・
さて・・・
今後の会議では、誰かが提案したものとと同等、もしくはそれ以上の効果を持つ代案を提示しない限り、一切の発言はするな、と命じました。
なぜなら、非生産的な雑音を聞く時間ではないからです。
理由のない現状維持
考えのない反対
これらの悪習慣をなくすためには、最初はこのように意識して、多少強引でも変化を引き起こさないと、
いつまでも、不満を言いながらも役に立たない現状維持に努めることになるのです。
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城咲梁の催眠、心理学関係のページ
http://sirosaki777.jimdo.com/
マインドコントロールテキスト
http://www5a.biglobe.ne.jp/~macht/mc12/index.html
あなたは私の悪口を言うべきではない
バイロン・ケイティの「ザ・ワーク」
残念なことにスピ系に分類されてしまったりもしている「ザ・ワーク」。
http://www.thework.com/nihongo/
読んでみると、素晴らしい内容であることに気がつきます。
人は、コントロールできないものをコントロールしようとすると苦しむ、
というシンプルな原理を持ったセラピーです。
コントロールできないものをコントロールする、というのは、
その根底には、思考による現実否定が苦しみや悩みをもたらす、
というものがあると主張しています。
そして、その苦しみは、自分の外にはなく、頭の中にだけ存在し、
思考による現実否定が、苦しみをもたらしているにもかかわらず、さらにそれに執着することによって、
よりいっそうの苦しみにおぼれてゆくことが分かりやすく書かれています。
論理療法にも通ずるこのセラピーは、誰でも使うことができます。
ただし、思考が現実ではないこと、苦しみを生みだしている主体が自分自身であることに思い至らないと、使っている本人が意味不明になってしまう可能性もあります。
このようなことを言うと、たまにこんな反論があったりします。
「(悪口を言われて)嫌な思いをして、相手が悪いのに、自分のせいにしろ、というのか」
この人は、こう主張して、一体どうしたいのでしょうか?
たとえば、相手に
「悪口を言うな」
と、怒りつけたり、頼んだりするのでしょうか。
では、そうすると相手は絶対に悪口を言わないのでしょうか?
悪口を言う、言わないは相手の行動であり、相手が決めるものであるのです。
ところが、この人が相手に成り代わって、
「あなたは私の悪口を言うべきでない」
と相手の行動や意思が支配できると考えているのでしょうか。
つまり、相手が何をするのかコントロールできないときに、そのコントロールをもくろんだところで、どうしようもないのです。
できないことをしようとするからこそ、苦しみが出てくるのです。
もっと、根本的な問題があります。
たぶん、この人が怒るのは、
「(相手は)私の悪口を言うべきでない」
と考えていて、実際にそうされたからこそ、怒りという感情が発生したのです。
よく考えてください。
現実は、すでに悪口は言われてしまっているのです。
にもかかわらず、
「悪口を言うべきでない」
と、現実をいくら思考で否定してもどうしようもないことです。
現実は、悪口が言われているのです。
どうしたらいいのか。
悪口が言われてしまっている状態の中で、
自分がコントロールできることだけを行い、それ以外のことはしないことです。
じゃあ、具体的にはどうしたらいいの?
と考えるでしょう。
まずはこの本を読んでみてください。
あらゆる苦悩がこれによって解決するのは大げさですが、
しかし、目から鱗が落ちるのは間違いないでしょう。
セラピーを志す人にも、ぜひ読んでもらいたい一冊です。
人生をコントロールする
これまで、いろいろなことを述べてきました。
特にその中でも、思考や感情はコントロールできないというものです。
そして、思考や感情はコントロールできないことは、みなさんの体験上も明らかなことでしょう。
たとえば、
「1分間、赤い象を考えるな」
「100メートルの鉄塔の上で、一切の恐怖を感じるな」
という簡単な実験でもお分かりでしょう。
コントロールしようとすればするほど、ますますそれにとらわれてしまうのです。
一時的に成功したかに見えても、すぐに思考や感情の大きな波がやってくるのです。
まさに、日々、辛さや苦しさがあるとき、
このようなことをやり続けていることでしょう。
たまに、このような質問が来るのです。
「では、どうすればいいのか」
と。
私の答えはいたってシンプルなのです。
思考や感情をコントロールすることなく、
ただ、単なる思考や感情にすぎないのであるから、
それらとともに、行動する
というものです。
ここで大切なことがあります。
行動はコントロールできる、
ということです。
実は、驚くかもしれませんが、
行動の理由に感情や思考は直接の関係はないのです。
嫌だと思いながらも、行動できますし、
イライラしながらも人と接することができます。
そして、このような経験はみなさん、毎日のようにあるでしょう。
コントロールできない思考や感情を、
まず、コントロールしないと行動できないと信じるならば、
日々は、そのコントロールのための時間に費やされるでしょう。
なによりも、同じ状況になれば、同じことを繰り返してゆくでしょう。
あなたを人が評価するとしたら、
あなたが何を思い、何を考えているか、ではなく、
どう行動したか、なのです。
こう言うと、
思っていることとやることが一致しないやつは信頼できない
と反論する人がいるかもしれません。
では、もし、思っていることをそのまま実行したとしたら、今、あなたはどこにいるでしょうか?
殴ろうと思ったら殴らなければいけません。
罵声を浴びせようと思ったら、罵声を浴びせなければなりません
つまり、思った通りに行動したら、
病院か、刑務所か、墓の下にいることでしょう。
ここでも、分かることは、どんなことを思ったとしても、行動は別である、ということです。
つまり、繰り返しになりますが、思考や感情は、行動の原因になり得ないということが、
日常、あなたのやっていることでも明らかです。
人生は、行動の集大成でもあります。
行動を変えることにより、人生は変わるのです。
だからといって、今、すぐにできる、というものでもありません。
なぜなら、思考や感情の癖を知り、それらとの関わりについてのスキルを身につける必要があるからです。
自分の人生を変える、そして、それはあなた自身でできること、
そう思うならば、未来は広がるように思いませんか?
思考・・・単なる思考
一人でいるとき、電車に乗っているとき、自動車を運転しているとき、
そんな時、不意に不快な思いをすることが誰でもあります。
そして、そのことを考えれば考えるほど、腹立ち、イライラし、あるいは不安になって、どうしようもなくなることもあります。
さて・・・
この時、何に対してこのような不快な気持ちになっているのでしょう。
目の前に不快と思う対象物があるわけでもなく、人から見れば、
たったひとりでじっとしている、
にしか映らないでしょう。
でも、その人は、
実際に「見て」「体験」している
のです。
だからこそ、実際に感情が出てしまうのです。
そう・・・
その人は、
自分の頭の中にしかない映像を見て、体験して
いるのです。
目の前には何もないのです。
他人にはその人の頭の中を見ることはできません。
つまり、
その人は、現実にはないものを見て、体験して、
感情を沸き立たせているのです。
しかも、その現実にはないものは、
過去や未来のもの
なのです。
いや、実際に目の前にいる他人の言動で不快になることもある、
だから、目の前に現実にあるものに対してもそのような感情がある、
という人もいるでしょう。
確かにそうです。
けれども、よく考えてください。
それは、その言動そのものが不快という性質を持っているのではないのです。
言動は、単なる動作、音にしかすぎないのです。
その言動をその人が「不快と評価」して、不快と感じているだけなのです。
もし、その言動そのものに不快という性質があれば、誰でも等しく「不快」を感じるはずです。
しかし、それを不快と感じない人もいます。
つまり、不快はどこにあるかというと、
それもまた、あなたの頭の中にしかないものなのです。
このように人は、現実にはないものに対して、
それを現実だと錯覚して反応し、
単なる自分の評価を現実のものとして、
「不快」とラベル貼りをしたものを避けたり、遠ざけたりしているのです。
思考はただ思考だけなのです。
思考を信じなければそれは害はないのです。
思考はコントロールできません。
思考は、たまには真実を見せ、たまには嘘を見せます。
思考は、たまには楽しませ、たまには悲しませます。
気まぐれなのです。
バカげた思考はあなたも信じないでしょう?
このように思考を信じないことも、実は日常でもやっていることなのです。
思考は思考であり、事実を必ずしも反映していないのです。
そう考えると、人生は何と楽なことか、そう思いませんか?
藪の中とブリーフセラピー
藪の中・・・「真相は藪の中」といわれるように、真相は分からない、という意味で使われる言葉です。
芥川龍之介の「藪の中」は有名ですね。
ひとりの男が殺されたのですが、その真相を廻って、いろんな人がいろんなことを言います。
しかも、それらが関係者であるにもかかわらず、です。
確かに彼らは真相を見たのでしょう。
しかし、見た事実を評価し、解釈することによって、記憶は歪められてゆきます。
「私が見たから、聞いたから、体験したから、正しい」
というのは、他人に対しては何の意味も持ちません。
なぜなら、「その人だけの記憶」を頼りにしているからです。
すべての記憶を動画のようにありのまま記憶することは不可能です。
重要でないところはカットされ、記憶していないことは他の記憶で補われ、あたかも「事実を記憶しているかのように」信じてしまうのです。
自分の記憶がどれほど頼りにならないことか、
たとえば生まれてから10歳頃までの覚えている記憶をつなぎ合わせても、
30分にもならないでしょう。
10年間の記憶がわずか30分にも満たないのです。
さて、ブリーフセラピーというものがあります。
短期療法のことで、代表的なものはエリクソンを源流とするSFAやMRIなどがあります。
特に、SFAは解決指向型セラピーとして、最近は非常に注目されています。
心理療法というと、何か症状がある場合、
「きっと、原因があるに違いない」
「原因が分からないと、解決のしようがない」
という信仰のもと、原因探しに躍起となります。
確かに、ウィルスが原因で、骨折が原因で、という医学モデルに対しては原因の特定は治療のために必要でしょう。
ですが、同じことを皮膚の下の出来事(つまり、心因性の問題)に当てはめてもどうしようもないことが分かります。
勉強をしていないセラピストは、すぐにトラウマであるとか、幼児体験、親の育て方という過去の何かを問題にし、それを原因と特定します。
この方が簡単で、分かりやすいからです。
しかし、もし、過去の出来事が問題とするならば、過去はすでにないのですから、対処のしようがありません。
「あの時、ああすればよかった」
これが解決でしょうか。
親が悪い、環境が悪い、家庭が悪いという被害者を増やすだけなのです。
さらに、もし何らかの出来事が原因があったとしても、その出来事が本当かどうか、本人の記憶や周囲の人の記憶に頼るしかないでしょう。
そして、記憶がどれほどあやふやなものか、「藪の中」でも分かるとおりのことです。
つまり、本当にそれが記憶の通りにあったのですか、ということです。
いや、なによりも、それが本当の原因だとどうして分かるのでしょうか。
このように、心因性の問題については原因の特定は非常に困難であるのに、それがたまたま分かったとしても、対処のしようがないのです。
しかし、SFAなど解決志向型のセラピーは、原因の特定をする代わりに、
「今の状況をどうすれば解決できるか」
「解決した状態とはどんな状態なのか」
に注意を向けることになります。
ところが、
「そんなものは対処療法だよ」
という人がいますが、お分かりのように、そのような人は、
「原因があるに違いない」
という先ほど述べた過去の問題指向の信者なのです。
人の行動というのは、特定の状況になると、特定の行動をとりやすいものです。
確かに、これは人生のどこかで学習したものです。
しかし、その原因をいくら調べたところで、意味がないのは、もうお分かりのことだと思います。
だめ押しにいうと、車のタイヤがパンクした時に、
パンクの原因やどこでパンクをしたのかを考えても車は走らないのです。
今まさにパンクしにくいタイヤと交換しなければいけないのです。
そうすることによって車は走るのです。
いつまでも過去の問題指向型セラピーに頼るより、もっと未来に目を向けた解決志向型のセラピーに注目してもらいたいものです。




