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モンキーマインド
多くの人は思考と一体化してしまっています。
ふと気がつくと、思考していることすら忘れてしまっているのですから。
思考は事実そのものではなく、事実を解釈したあなただけのものなのです。
事実を解釈した思考があなたを苦しめるとするならば、それに対する対処が必要となります。
思考や感情はモンキーのようなものです。
放っておくと暴れたり、いたずらをしたり、注意を向かせようとします。
あなたがモンキーを追っかけると、ますます得意になって暴れ回り、つかまえることがなかなかできません。
つかまえたとしても、また別のモンキーが出現します。
言うことは聞かないわ、挑発するわ、相手にするとますます元気になるわ、大変なことになります。
いいですか、思考はモンキーのようなものです。
それを捕らえよう、静かにさせようと懸命になればなるほど暴れてしまいます。
ついにはどうしようもなくなります。
あなたのすべきことはただ一つです。
モンキーを永遠に追い出すことはできません。
このモンキーと戯れることなくただ眺めるだけなのです。
これまでのあなたはモンキーを追い出すことに時間を費やしてきました。
確かに、モンキーを怒ったりするなど強烈な刺激を与えると、一時的にはおとなしくなるでしょう。
しかし、すぐにモンキーが現れ、また同じことを繰り返しています。
いろいろな挑発やいたずらに業を煮やすかも知れませんが、それを眺めるだけなのです。
マインドフルネスとは、「今、ここ」の体験に基づき、価値判断せず、ありのままに受け入れる態度および方法です。
思考や感情を単に、イメージや音、言葉などに過ぎないとその正体を見極め、思考や感情に支配されることなく、それをあ
りのまま全て受け入れることによって、思考からものを見るのではなく、思考そのものを観察するのです。
マインドフルネスは、第3世代認知行動療法のコア・テクニックでもあります。
もともとは仏教のヴィパッサナ瞑想だったのですが、宗教色を取り除き、より多くの人に利用できるよう発展してきました
。
ストアでも扱っていますので、興味があれば聴いてみてください。
代償という料金を支払って、自作自演の大芝居
同じ経験をしても、
悩みやすい人
悩みにくい人
がいるのはなぜでしょうか?
という問いを私はよくします。
「それは、性格が違うから」
と多くのみなさんは答えますが、
では、悩みやすい人と悩みにくい人では、どんなふうに性格が違うのですか?
「性格」という言葉を使うと、それで分かったつもりになってしまうことでしょう。
あるいは、自分は
「もともとこんな『性格』だから悩みやすいんだ」
と自分に対する評価をしっかりと固定することでしょう。
自分は「悩みやすいから仕方ないんだ」と決めつけて、
何の解決にもならない答えです。
よく考えてみると、
体験した出来事や物事に対する「解釈が違う」からこそ、感情に差が出てくる
ことに気がつくと思います。
解釈が違う、つまり、あなたが考えることは事実そのものではない、ということです。
もし、あなたが考えることが事実そのものであれば、みんなあなたと同じように考えるはずですが、実際はそうではありません。
事実ではなく、事実の解釈なのです。
解釈は人の頭数ほどあります。
しかし、人は自分の解釈にすぎないものを世界の常識や絶対的な真実のように勘違いします。
勘違いするどころか、それをそのまま信じてしまうため、
感情が表れるのです。
そう考えると、
さまざまな感情は、事実そのものに反応しているのではなく、それぞれみなさんの事実を解釈した思考に反応しているにしか過ぎないのです。
自作自演をしているのです。
たとえば、
嫌いな人がいる場合、
その人の嫌な要素をその人にかぶせてしまうと、その人そのものが嫌のように思います。
実際は、嫌な要素をかぶせる、つまりは、自分の思考をその人に見て、それに反応しているにしか過ぎないのです。
もし、自分が好む人としか付き合わないというならば、
あなたの人生はとてつもなく制限されたものになるでしょう。
なぜなら、自分が「嫌」と評価するのは気まぐれであり、
「嫌」と思うものは望まなくてもやってくるのですから。
「嫌」なものがあると、人は戦ったり、回避したり、コントロールしようとします。
そうすることで人生に代償を支払ってきたはずです。
「私はこれでいいんだ」という人もたまにはいます。
あなたがそれを選択しているなら、それはあなたの選択ですから、選択に対する責任はあなたが負うことですね、
と答えることにしています。
でも苦しんでいる人は、自分の選択にすら責任を負っていないではないですか。
同じことでどうして後悔し、苦しむのでしょうか。
「これでいいんだ」と啖呵を切って同じことを繰り返すのは、無責任な選択ではないでしょうか。
もう一度書いておきます。
「嫌」だと思うことについては、
事実は・・・
自分の思考を投影したものに反応しているだけなのです。
人は「嫌」と思っていても、その人と付き合うこともできますし、お話もできます。
どんなことを考えても、どんな感情を持っても、行動は独立してできます。
だって、みなさん、嫌なことを嫌だと思いながらもやってきているではないですか。
もし、どんな思考や感情があっても、それらの言うとおりに行動するのではなく、
それらが何を言おうが、自分にとって役立つ行為ができるのなら、
とても素晴らしいことだと思いませんか?
私たちは、それを目指しているのです。
あなたを阻むものは・・・
「“苦悩/問題”を乗り越えよう、解決しようとして私達が行なってきた努力は、果たして私達の状況を改善してきたでしょうか?」
ポジティブ思考を持とうとして、あたかも儀式のように必死に思い込もうとします。
それが上手くできないと、もっとポジティブに思おう、それができないのは、自分がネガティブだからだ、と自分を責めます。
この時、代償を支払っているのです。
まず、思考や感情をよくしないと行動できない自分
次に、自罰的になる
という代償です。
思考や感情はコントロールできない上に、これらのものは自分が作り出したものであるにもかかわらず、
作り出した思考や感情に人生が振り回されている状態です。
そして、必死にコントロールできない思考や感情をコントロールしようとするのです。
ついには・・・自分の努力が足りないと。
あなたの人生は、思考や感情をコトンロールできないと歩めないかのように振る舞っています。
本当の目的は、思考や感情のコントロールではなく、本来やってみたいことをする、歩みたい人生を歩む、ということが目的のはずです。
嫌なものは、向こうからやってきます。
やってくるのをコントロールできないのです。
あなたの人生は、思考や感情のものですか?
それとも、あなた自身のものですか?
それでも思考は、
いや、これまで上手くやってきた
ほかに方法がある
アクセプタンスだって?そんなことできない
あなただけができる
簡単な方法を探す
別に今はそれで困らない
難しすぎて分からない
と囁き、理由や証拠まで見せてくれます。
これらの思考は常に自分とともにあります。
これらの思考をそのまま信じると、何が残るでしょうか。
そう、苦悩が出てくるともがく自分
「しないこと」を狡猾にも「できない」と言い換えて、本来できることから逃げ出す自分
そのくせ、夢だけは大きく持っているだけの自分
あなたは何をしたいのだろうか。
思考の言うことをそのまま信じ続けるのだろうか。
できない無力な自分を演じる俳優として人生を過ごすのだろうか。
コントロールできないものをコントロールしようとし、
さまざまに理由づけと評価を用いて、これまでの自分を維持してきたこと、
そして、同じところでぐるぐる回っている
その事実に目を向け、
思考が何を囁こうが、
違った方法で生きることこそ、勇気ある一歩のような気がしませんか?
あなたを阻むものは、物理的には存在しません。
常に、あなたの頭の中にあるのです。
あなた方の思考は今、こんなところではないですか
レベル1に進んで、さまざまなことを学んでいくときに、いつも邪魔するのが
思考の囁きです。
あなたは、その思考の囁きをあたかも事実のように聞いてきました。
もう何十年も。
頭では分かるが、どうもそんなことできない
というようなものです。
思考は、あなたを守ってきたのです。
たとえ苦しくても、どんなに人生に制限があっても、自分や人を傷つけても、それでもこれまで何とかやりくりできてきたのだから、何が起きるか分からない方法をするよりも、今までの方がよい、と。
本当に、それでいいのですか?
今、あなたの思考に
こんなことできない
私には向いていない
特殊な訓練や努力が必要だ
時間がない
など、研究会を続けることを妨げるものはないですか?
妨げるものがあるなら、どうしてそんな思考を持つのでしょうか?
本当にどうでもいいと思っているなら、続けてもいいはずですよね?
時間が無駄だ、と思うかもしれません。
では、1日のうち、無駄にしていない時間はないのですか?
あなたは自ら思考していることすら忘れてしまいます。
そして、思考の声を無条件で信じ込み、それが自分だと錯覚し、その通りの行動、つまり、思考に支配された行動をします。
つまり、思考の働き・・・・
たとえ苦悩におぼれても、これまで通りの自分を維持し、人生を制限するさまざまな仕掛け
をささやくのです。
それはもっともらしいことで、常識で、理にかなっているように見えます。
ここで、思考に「取り憑かれている」自分に気づいてもらいたいのです。
思考がささやいていることすら自覚できず、否定的・懐疑的な状態になった時には、あなた自身もいつも、このことばを意識してください。
「今、あなたの思考は何と言っていますか?」
「思考の作り出す理由づけを信じて逃げ出すと、確かにホッとしますが、そのあとあなたはどうしますか?同じことがこれまでになかったですか?」
「思考が作り出す理由づけはその正しさを証明できますか?」
「その思考は役に立っていますか?あなたに素晴らしい解決方法を示していますか?それとも同じことの繰り返しですか?」
「それはこれまで何度も聞いてきた台詞ではないですか?」
「思考が『こんなの何の意味もない』、『こんなことできない』と言っているから、という理由だけで続けるのをやめたら、あなたの人生はどうなりますか?よくなりますか?今の状態のままですか?」
「思考はあなたをより良い人生にしますか?」
こんな時は、あえて、思考の言わせるままにしておき、思考の言うこと(何度もあなたが聞いてきたおなじみの台詞)を言うがままにさせましょう。
むしろ、思考が頑張れば頑張るほど、それにかまわず(かまうと思考の言うことがもっと強くなりますから)、むしろ、聞き流しながら、逆のことをやってみましょう。
思考は、ささやくことしかできないのですから。
そして、何よりも思考の囁きを信じたら、
これまでのあなたしか残らないのです。
ほかに方法があるさ・・・
もっと楽な方法があるさ・・・
これまでの自分でいいのさ・・・
同じことを繰り返す、あなたがいるだけなのです。
苦悩や問題を取り除かない限り、幸せにはなれない???
私達の多くはトラップ(罠)にかかっています。
あまりにも当たり前すぎて、それのどこが問題かすら分からないものです。
それは
苦悩や問題を取り除かない限り、幸せになれない
という考え方です。
苦悩や限界などがあれば、それを取り除こうとするのが、マインドの問題解決作用です。
これは、『皮膚の外の世界』(つまり現実の世界)では、有効な問題解決作用です。
モノが壊れれば修理や交換、新しいものに入れ替えたりします。
しかし、マインドの持つ問題解決作用を『皮膚の内の世界』(心の中のこと。たとえば思考や感情など)に適用すると、問題が解決するどころか、それが維持され、多くの場合悪化するのは、あなた方の体験で明らかでしょう。
確かにつかの間はホッとしたり安心しますが、それの代償として、同じことの繰り返しや生活や人生に対する制限を受け取るのです。
これは、心の中の出来事は、コントロールできないという事実に基づきます。
そして、苦痛は望まなくても独りでにやってくるものであり、人生や生活の至る所にそれらはあります。
避けることができないものなのです。
みなさんは、苦痛は嫌だ、というかも知れません。
では、私はみなさんに問いましょう。
死ぬと分かっているのにどうして生きているのですか?
分かれると分かっているのにどうして人と知り合ったり、結婚したり、仲良くなるのですか?
病気になると分かっているのに、どうして健康を維持しようとするのですか?
つまり、生きていることそのものの中に必ず苦痛は含まれているのです。
私たちは、
変えられないものを受け入れる心の平静を、
変えられるものを変える勇気を、
そして、変えられるものと変えられないものの違いを知るための知恵を
培うのです。
苦悩や問題を取り除く必要はありません。
むしろ、
苦悩のある無しに関わらず、“ライフ・ヴァリュー(=自分が人生で大切にしたいこと)”に基づく生き方が出来れば、活き活きとした人生を送ることができる
ことを目標としています。
幸せというものは、気持ちよくなることでもなく、苦悩がなくなるというものでもないのです。
そもそもそんなものははじめからないし、これまであったこともないし、これからもないものです。
どんな苦痛があったとしても、それでも歩みたい人生を歩む
最高の人生ではないですか


