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痛いことと苦しいこと
生きていたら痛いことはいくらでもありますよね?
たとえば人や自分の死、病気、老い・・・挙げればきりがありません。
これらはどんなに用心しても避けることができません。
誰もが通る道です。
そして、これらは心理的に「痛い」ものです。
非常に痛いものです。
避けようと努力しても、痛みの方からヒョイとやってきます。
しかもどこにそれが転がっているのか分かりません。
ところが、「『痛い』ことが嫌だ」と思い悩むことは、「痛み」とは別のことです。
頭痛は確かに痛いものですが、頭痛をすることを思い悩むこととは別なものです。
「痛い」ものを苦痛、「『痛い』ことを思い悩む」ことを苦悩と言うことにすると、
苦悩は単に痛いだけのものをもっと悪化させたものといえるでしょう。
死は嫌ですが、死を恐れ、それに思い悩むことは苦しみを増大させます。
病気は嫌ですが、病気を恐れ、病気について思い悩むことは苦しみを増大させます。
このように苦悩は、実は苦痛をさらにひどくしたものなのです。
苦痛は誰にでもありますが、苦悩の程度は人それぞれです。
苦悩を避けるためにさまざまな努力をします。
しかし、その努力が効果を持つのは一時だけです。
なぜなら、同じ状態になると同じ対処法を行うからです。
よくあるのが、「手放し」
何かつらいことがあると手放しをすると言います。
でも、実際に手放していたら、同じ状態の時に手放すものはなく、そもそも同じ状態になるはずもないのですが、それでも手放すというのは、なにも実際は手放していないことなのです。
だからこそ、同じことを繰り返し、つかの間の心の安定を作り出しているだけなのです。
さらに言えば「手放す」という思考や行動が問題を維持しているとも考えられるでしょう。
そもそも、感情や思考の一部を切り取ってそれを手放すなんてできると本当に思うのでしょうか?
ところで、苦痛を苦悩に変えてしまう原因はいくつかありますが、
理由づけ
関連づけ
もその代表的なものです。
たとえば、
配偶者が病気になった
子供が事故に遭った
ペットが突然亡くなった
これらが同時期に起きたとしましょう。
一つ一つは独立した出来事であるにもかかわらず、何かしらの関連があると思い込み、
運命が悪い
呪われている
悪い波動が・・・
と出来事を関連づけて理由づけてしまうと、実際の痛み以上のものになってしまうのです。
つまり、「運命が悪い」と頭に浮かんだ思考にすぎないものを事実として信じてしまい易くなるのです。
本来は、一つ一つの出来事に対処すればいいことであるのに、
関連づけされ、たとえば「運命」とか「呪い」というような手に負えないものを想定すると、自分ではどうしようもなくなってしまいます。
思考は頭に思い浮かぶものであるし、そのコントロールはできないものです。(過去日記を読んでくださればありがたいです)
実体はなく、事実ですらありません。
しかし、関連づけ・理由づけするとあたかもそれが事実であると信じてしまうのです。
人は事実そのものを見るのではなく、事実に思考を投影して、つまり、事実の解釈を見ているにしか過ぎないのです。
世界は、その人その人の解釈によって成り立っているとも言えるでしょう。
ありのままに事実には、悩みはありません。
今、ここにも悩みはありません。
不安は未来、後悔は過去なのです。
そして、未来も過去も今、ここには存在しないし、存在したことはないのです。
そう、人は常に、今にしか生きることができないのです。
にもかかわらず、存在しない時間のことを思考し、それを事実と信じるとき、不安や後悔となるのです。
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私にはできない
いろんな人からメッセが来ますが、よく言われることが
「ファウスト博士さん、頭では理解できますが、私にはできません」
というものです。
なるほど、もっともな理由です。
思考や感情はコントロールもできず、ましてやこれらは自分自身そのものではない・・・という話は理解できて、いざ、行動に移そうとしても、そもそも思考を信じてしまっている状態では上手くいくはずもありません。
私が何度も日記で書いていることの一つは、
「思考や感情は行動の原因とはならない」
ということです。
片足の人は両足で歩くことはできません。
これは物理的に不可能なことです。
気分が滅入ったから、外に出ることができません。
気分が滅入ることは、物理的に外に出ることができないことを意味するものではありません。
気分が滅入っても、外に出ることはできますし、日常生活でも、嫌だと思いながらも、行動することはできます。
そもそも思いと行動が一致するならば、殴りたいと思ったら殴らないといけないですし、殺したいと思ったらそうしなければいけません。
思いと行動は全く別のものなのです。
ところで、「できません」と言うとき、どういう状態が多いでしょうか。
できない理由は、本当に物理的に不可能なことなのでしょうか?
物理的に不可能、たとえば、手足を縛られているとか、途方もない能力が今すぐ要求されるとかなどがそれに当たるでしょうが、そもそもそんなことであれば、「できる・できない」以前のお話となります。
できない理由が、さまざまな評価や信念、価値観などの思考によるものであるとするならば、それは物理的に不可能なことではないのです。
なぜなら、そのような限界は外の世界のどこにも存在せず、自らの頭の中にしかないものですから。
自分で頭の中に設定した限界を実在のものとして捉えるため、「できない」という思考を持つのです。
みなさんもよくお分かりかと思いますが、これは
「できない」のではなく「しない」
ということと同一なのです。
「できない」と言えば、
自分はやりたいのに「何かが邪魔をして《できない》」
という理由づけになります。
しかし、その何かが「頭の中にしかない理由」ならば、それはできない理由ではないのです。
つまりは、
「しない」という宣言
をしているだけなのです。
「しない」という宣言をしたところで、その人は何も変わりません。
「どうすればできるか」と自らに問いかけることもせず、「できない理由」ばかりを並べても何の実りもないことです。
どうしてもやりたいことがあるとき、
できない理由が湧いて出てくると、
それが物理的なものか、自らの頭の中のものか、それをはっきりと峻別して、
自らの頭の中のものであるならば、そんなできない理由を持ったまま、それでも行動してみましょう。
V.d.s.は、これらの苦悩をすり抜ける方法を実際にエクササイズを使って教えてゆきます。
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あいつのせいで・・・
私たちは、困難に陥ったり、理不尽と思われるような状況になると、
「○○のせいで、▲▲ができない」
と考えます。
でも、こういうとき、本当に○○のせいなのかどうか、問いかけてみてください。
それは事実なのか、あなたの解釈なのかをしっかりと検討してください。
事実というのは
、
「片足を骨折したから、両足で走れない」というように、外側から見て観察可能なものです。
解釈というものは、
「あいつが私を馬鹿にした言い方をしたから、やる気が出ない」
というようなもので、解釈は外からは観察できないものです。
つまり、馬鹿にした言い方というものは、相手が発した言葉という事実に、その人なりの解釈をあたえたものであり、
その解釈は人によって違うものです。
これは事実とは違うものです。
人は、やりたくないとき、自分のせいにしたくないとき、同情を集めたいとき、仲間を募りたいとき、
「○○のせい」
ということを理由としやすいです。
そうすると、自分が傷つかないからです。
さらに、「▲▲ができない」というとき、
本当に▲▲をするための選択肢は他にはないのかを検討したのか、
どうしてそれしかないと思うのか、
というものをあらためて考えてみるといろんなことが分かるでしょう。
つまり、「あいつのせいで○○ができない」というとき、「あいつが○○しなかったら、本当にできるの?」ということです。
あなたは「被害者」となって自己を守ってはいないでしょうか?
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私はバナナ
妙なタイトルです。
そう、今日はこの妙なタイトルを考えてみたいと思います。
あなたがある日突然
「私はバナナである」
ということを思いついたとしましょう。
なんて変な思いつきだ、と考えることでしょう。
なぜなら、「私はバナナ」と思い込むことと「私はバナナである」こととは別だからです。
いくら思い込んだとしても、
「私はバナナ」
ではないのです。
ところが・・・
「私はどうしょうもないやつ」
ということを思いついたとしましょう。
さて、どうですか?
何だかもっともらしく感じませんか?
もっともらしく感じると気分が滅入りませんか?
「私はバナナである」
「私はどうしようもないやつである」
言葉上はバナナとどうしようもないやつが入れ替わっただけなのです。
バナナと同じように、「どうしようもないやつ」と思い込むことと、
「どうしようもないやつである」ことは別なのです。
にもかかわらず、どうして「どうしようもないやつ」に対しては感情が左右されるのでしょうか。
私の過去の日記を読んでもらえればお分かりかと思いますが、
思うことは事実そのものではありません。
本来は意味のない事実に対して、評価や比較、理由づけを思考が行います。
つまり、事実そのものを見ているのではなく、自分の思考を見ているのです。
思考を事実と考えてしまうと、このように感情が左右されてしまうのです。
たとえば、「私」に「どうしようもない」という評価を与えると、その評価を強化するために、さまざまな理由づけ(過去の失敗や恥をかいたことなど)、他人との比較などが行われるからです。
よく考えると、失敗ばかりではないし、成功したこともあるでしょう。
他人と比較しても、いいときも悪いときもあるでしょう。
しかし、よい状態のことは度外視し、「どうしようもない」に対する理由づけだけを集めてゆくのです。
ついには、「私はどうしようもない」というものが事実となり、そして落ち込むのです。
本当のことを言えば、
「私はどうしようもない」ではなく、
「私はどうしようもない、という思考を持っている」のです。
それは、「私はバナナ」という思考を持っていることと全く同じであり、
どんなに頑張っても、バナナにはなれないのです。
このように、事実と思考が分離すると、
「ああ、おもしろい考えを持っているな」
で終わるのです。
その考えに巻き込まれ、理由づけやさらに評価を加えて、ますます苦悩することはなくなるのです。
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怖い・・・
友人の中にひどい車酔いの人がいます。
子供の頃は酔ったりはしなかったのですが、成人になってから友人たちとバス旅行をしたときに一度車酔いをして嘔吐しました。
たまたま、その時に体調が悪かっただけだと思い、気にもせず夜行バスに乗って遠方にひとりで行きました。
その時、また気分が悪くなったのです。
それからというもの、バスには乗れなくなりました。
病院で診察を受けても、原因は分からずじまい。
心因性、と言われてしまったようです。
今は、バスだけではなく、車や電車すらも乗ることが怖く、行動範囲や交友関係は著しく制限されてしまっています。
あれほど明るく旅行が好きな人であったのですが、最近は家の中で時間をつぶすことが多いようです。
しかも、最近はショッピングセンターなど人が多いところにも「人酔い」をすると言って出なくなりました。
この友人に何が起こったのでしょうか?
最初、たまたま何かの拍子にバスに乗っていて気分が悪くなり、嘔吐してしまいました。
そして、ひどくばつが悪く、恥ずかしい思いをした上、友人に迷惑をかけたという思いがありました。
次にバスに乗ったときは、乗る前から、
今回は大丈夫だろう。
ああ・・・大丈夫だ、どこも気分が悪くないし・・・
でも、待てよ。
もし気分が悪くなったら、今回は私ひとりだけだし、周りは知らない人ばかり。
しかも、夜行バスだから、カーテンまでされて、静かな空間。
酔ったらどうしよう・・・。いや、大丈夫だ・・・。でも・・・
こんなことが頭の中でぐるぐる回ってしまっていたのです。
その上、ふだんなら気にしないのに、身体の異常や気分の悪さはどこかにないかと必死で探し始めたのです。
そして、少しでも悪いところを見つけると、
ほら、見つかった!
酔ってしまったらどうしよう・・
まだ起きてもいないことを頭の中で何度も何度も考え、自分が酔って周りに迷惑をかけ、恥ずかしい思いをしている姿をありありと思い浮かべているのです。
まだ、その友人の前にあるバス停にはバスが来ていないというのに。
そこで、そんなことは考えないようにしよう、と思考をコントロールし始めたのです。
もちろん、「考えないようにしよう」という思考のコントロールはできませんから、
バスに乗ったとたん、逆にそのことばかり考えるようになりました。
気そらしをするために本を読もうとしても、酔ってしまうかもしれない・・・
音楽を聴こうとしても、目を閉じると、酔ってしまうかもしれない・・・
周りは知らない人ばかり・・・
ますます孤独感と無力感が強くなり、ついに酔ってしまったのです。
不安や恐怖は拡大します。
バスによく似たもの、車や電車、そして、人が多いようなところ(人前で恥をかいたらどうしよう)にも拡大します。
このように、今ここにない状態をありありとイメージし、異常を非常に敏感な感度で探し始め、何かあるとそれを酔いの兆候と結びつけ、思考をコントロールしようともがき、ついには、酔ってしまう、ということを繰り返してしまうのです。
酔いの原因はどこにあるのでしょう?
そう、友人の思考との関わりなのです。
苦悩に陥ると人は、思考や感情をコントロールしようとします。
一時的にはホッとしますが、それが長期的には意味がないどころか、コントロールそのものが症状を維持する中心部分になることさえあります。
これは私の過去の日記にも書いています。
耐えきれなくなると、人はついには、逃避するのです。
この場合、逃避とはバス、車、電車に乗らない、人混みが多いところにいかない・・・というものです。
そうすると、その友人の行動、交友範囲は非常に狭くなります。
もっと恐ろしいことがあるのです。
それは、バスに乗らなくても、それをありありと思うだけでも気分が悪くなるのです。
思考や感情をコントロールしたところで、そんなものはできっこないし、耐えられなくなって逃避したところで、事態は悪化するばかりです。
どうしたらいいのか・・・
それは、「完全受容」(アクセプタンス)することなのです。
一切の防御なく、条件をつけることなく、言い訳や評価をただ、思考の囁きと受け流しながら、苦悩を味わい尽くす、それしか方法はないのです。
この世に魔法は存在しません。
しかし、魔法に代わる方法がアクセプタンスです。
ただし、いきなりこんなことをしても意味がありません。
順を追ってステップアップしてゆく方法があります。
もし、パニックや不安、恐怖、劣等感などさまざまな思考や感情に苦しめられ、人生や生活が硬直化しているならば、是非ともアクセプタンスという方法があることを意識してください。
V.d.s.は、これらの苦悩をすり抜ける方法を実際にエクササイズを使って教えてゆきます。
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