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ドライブ中、何を考えてる?
私は車、というよりドライブが好きです。
ハンドルを握れば、好きな音楽を聴きながら自分の意志でいろんなところに行くことができますから。
日本海の寂れた漁村や江戸時代の面影を残す宿場町、秘湯や食べ歩き・・・
1日に700キロでも運転しまくりです。
さて、みなさんも経験があると思いますが、高速道路など歩行者などの障害がない単調な道を走っているとき、いろんなことが頭に思い浮かびます。
昔のこと、たった今過ぎ去った無謀に運転をする車のこと、明日の予定、家族や友だちのことなど、実にさまざまなことが思い浮かびます。
アイデアなんかも湧き出てきたりもしますね。
こんな時は、軽いトランス状態なのかもしれません。
体はしっかりと運転していても、思いに耽っているとき心はここにあらずで、過去や未来にさまよいます。
先ほどすれ違った無謀な運転をする車のことに腹を立てたりしているとき、
私は、今、どこにいるのでしょう?
何に対して腹を立てているのでしょう?
すれ違った車は今はもうここにはありません。
そう、過ぎ去って終わってしまった記憶に対して腹を立てているのです。
自らが思い出したことを反芻しながら、それに腹を立てているのです。
今頃その車はもう何キロも先にいることでしょう。
もしも、腹を立てている私の状態を他人が見たとしたら、
運転しながら、周りに無謀なことをする車がないにもかかわらず、ひとり思い出しては腹を立てている自作自演の私がいるだけです。
しかし、思い出しているときは、今ここにあるかのように感じ、信じているのです。
だから、感情が出てくるのです。
一方、今、こにあるものが脅威となる場合、たとえば、
燃えさかる炎が目の前にあるときは、逃げるか消火するかでしょう。
悩んだり後悔したりはしません。
悩んだり後悔したりするのは、本当は、今、ここにあるものではなく、
「もし~だったらどうしよう」
「あの時~すればよかった」
と未来や過去の出来事を頭の中の映像で見て、苦しんでいるときかもしれませんね。
ドライブ中に、記憶に対して反応している自分に気がついたら、私は
ハンドルを握っている手の感触
ペダルを踏んでいる足裏の感触
呼吸をして、鼻から入ってくる空気の温度
聞こえてくる音
今、前に見えている景色
これらに集中することにしています。
つまり、今あるありのままの感覚をそのまま受け入れるのです。
これらは、今、ここの感覚そのものですから。
いま、ここ、には不安も後悔もありませんから。
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おみくじ
初詣に行って、おみくじをするのが楽しみです。
今年はどんなくじを引くのか、と。
大吉だと何だかうれしいし、大凶だと正月早々こんなものを入れなくても、と思いますね。(^^)
何年か前に、誕生日に初詣をしたところ、大凶でした・・
しかも、絶対に当たると言われる比叡山横川の元三大師堂の年みくじで、小坊主が凶を引いたこともあります。(ここは坊主がまじないをしてくじを引くという方法です。健康は「十中六七は命危うし」と書かれてあったなあ)
閻魔大王をまつっている千本ゑんま堂で凶を引いたこともあります。(「閻魔の導きにより行動をただし・・・」と書かれてあったような気が。)
友人などは、京都八坂神社で3回引いて3回とも凶でした。
おみくじを一種の風物詩として楽しむのはいいのですが、
大吉を引いたから、モチベーションが上がってやる気が出てきた・・・
大凶を引いたから、今年の運勢はよくない、モチベーションも下がった・・・
の場合はどうでしょうか。
もっと日常的に話になると、朝起きて
今日は、気分がいいからばりばり頑張るぞ、と決意して実際にばりばりと頑張ります。
今日は、気分が落ち込んでいるから、何もしないでおこうと思って、引きこもったりだらだらしたりします。
あるいは、落ち込んだ気分を元気にさせるため、体を動かしたり、ポジティブな言葉を言い聞かせたりするかもしれません。
こうなると、あたかも行動が感情に支配されているようですね。
行動が感情によって支配されると、まず感情を改善しないと行動ができない、と考えるようになります。
そのために涙ぐましい努力をします。
確かに、一時的な効果はありますが、同じ状態になったとき、また同じことを繰り返します。
そうすればするほど、行動が感情に支配されてゆくのです。
これは、感情はコントロールできるという前提があるからです。
でも、感情はコントロールできるのでしょうか?
できるという人は、たとえば
真っ暗な墓場を一瞬たりとも恐怖を感じないで5分間過ごしてください
隣の人を1分以内に本当に愛してください
できないでしょう?
しかし、恐怖を感じないフリはできますし、愛するフリもできます。
そうです。
感情はともかく、行動はコントロール可能なものなのです。
嫌な会議でも参加することはあるでしょう?
不快だと思うことでも、対峙することはできるでしょう?
感情は人が作り出すものであり、その作り出した感情に自分が支配されるのは滑稽ですよね。
実は、行動の動機や理由に感情は関係ないのです。
私は片足だから両足で走れない
というのは事実ですが、
私は気分が滅入っているから行動できない
というのは事実ではありません。
なぜなら、片足の人はどう頑張っても両足で走ることができないのは当たり前ですが、気分が滅入って行動ができないと寝込んでいるとき、火事になれば飛び出すでしょう?
感情を理由として行動を制限するのは、一見もっともらしいですが、実はあり得ないのです。
感情がどうであれ、行動はコントロールできる、それを知るだけでも、感情のためにさまざまな制限を自分に課していたことから解放され、人生は幅広くなると思いませんか?
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気がつかない「オ・モ・イ・コ・ミ」
今日、いとこの子と会っていました。
小学6年生です。
なかなか生意気なやつで私のことを「おぢさん」といってはばからないので、
「道徳的説得」(つまり、怒った)しました。
国語のテストで満点が取れなかったというので、私が問題を見てあげることに・・
驚きました。
いまだにこんな問題を出すとは・・・
ある小説の抜粋が引用され、それに対して問題は
「この時、主人公は何を思ったのか書いてください」
と・・・・
私の答えは「こんなもの分からない」というものでしたが、
どうやら、『正解』があるようです。
何年か前、大学入試で、同じような問題が出され、有名な作者は
『私はそんなことを意図したのではない』
と反論したそうです。(^_-)
ここでみなさんもよく考えて欲しいのです。
作者が意図して書いたものがそのまま必ずしも読者に伝わらない、ということです。
前後の文脈から読み取り、「たぶんこうだろう」と推測しながら読むのが読書の醍醐味でもあるのですが、
それに対して「主人公は何を思ったのか書け」というのは、
結局は、作者が、ではなく、読者がどう思うか、そう思ったことを書くにしか過ぎないのです。
作者がある意図を持って書いたとして、その文字を解釈するのは読者なのです。
それは、すでに作者のものではないのです。
さまざまに
「こうにちがいない」
「このはずである」
と考え、解釈するでしょう。
ついには、この言葉の意味には絶対に「ある意味が隠されているにちがいない」と確信して、その正しさを疑わなくなってくる場合すらあります。
さて・・・
ここで気がついてもらいたいのですが、
文字を見て、ああでもない、こうでもない、意味が何か隠されているのではないか・・・そう思いながら、その思考に隠れている
「ちがいない」
「はずである」
という言葉です。
これらの言葉は、
『事実は分からないけれど、根拠なく私はこう思い込んでいる』
というしるしのような言葉なのです。
つまり、事実を見て、思う言葉ではなく、
『文字を見て、自分の思考を見て反応している言葉』
なのです。
もっと具体的にいうと、
文字を見て、自分の思考(願望やこれまでの生活史の中で獲得し、自動反応して飛び出す感情など)を投影しているだけなのです。
ここから分かることは、
「自分がなぜそのように考えたのか」
それが分かる大きなヒントが隠されているのです。
しかし、悲しいことに、多くの人は、文字を見て、自分の思考の投影にすぎないものを、作者が考えた「真実」「事実」と錯覚するのです。
思い込みが激しい人ほどそうなります。
そうなると自分も苦しいことが増えるでしょうし、たぶん、人も巻き込むことすらやってのけます。
言葉の意味を解釈して相手が何を考えているか占うより、このように解釈した自分の思考のプロセスを分析する方が、遙かに建設的なのです。
なぜなら、解釈したものが事実であるならば、誰もが同じように同じレベルで解釈するのですから。
現実は、さまざまな解釈があること自体、その解釈が思考が生みだした、マイ・解釈に過ぎないこと、それは事実ではないこと、それに気づくことが何よりも大切なことではないかと思います。
おっと・・・国語の話からこんなところにまで来ましたね。
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嫌い
みなさんの嫌いな野菜、果物を思い浮かべてください。
たとえば、トマトが嫌いな人は、トマトを思い浮かべてください。
イメージの中で、そのトマトを見てください。ありありと。
何が嫌いでしょうか?
味、匂い、食感などなどがわき上がってくるでしょう。
そして、見ているトマトが嫌いと判断しています。
さて、よく考えると、
味は味です。
匂いは匂いです。
食感は食感です。
誰がそれを「嫌い」と評価しているのでしょうか?
他ならぬあなたであることに気がつくでしょう。
「嫌い」と評価、つまり、あなたの思考でそう判断しているならば、「嫌い」という評価は絶対的なものでしょうか。
その「嫌い」という評価は、あなたの中で「事実」であったとしても、他人のものとはまた違います。
つまり、「嫌い」と評価しているものはその人であって、それが「事実」のように見えても、他人からはそうではないことが多々あります。
真実は、『トマトはトマト』なのです。
いったん、「嫌い」と評価したら、その「嫌い」を支えるために、さまざまな理由をくっつけてきます。
そして、思考はますます「事実」は「事実」であると振る舞おうとしています。
もちろん、嫌いなトマトを好きになる必要はないし、それが人生に影響を及ぼすことはほとんどないでしょう。
けれど、人生においてこの評価がその人に制限を加え、周りに影響を及ぼすとき、
事実と信じているものが、本当のところはどうなのか
それを知ることは非常に有用なことでもあるでしょう。
「いや、嫌なものは嫌なんだ」
とさらに、評価を理由づけで強化することもできるでしょうし、嫌だと思っている正体を冷静に見ることもできるでしょう。
評価することは、ある特定のものに対してだけということはあり得ません。
類似のものにまでそれは拡大するのです。
自分の目をカメラのレンズと思って、ただ、トマトを見るとき、つまり、評価を取っ払ってみるとき、
トマトはトマト
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戒壇巡り
戒壇巡りは全国にたくさんありますが、やはり善光寺のそれは有名ですね。
私もこれで3回目ですが、昨日、体験してきました。
本当に何も見えない暗闇の中、頼るは右手で触れた壁の感覚と、左手で持った友人の背中だけです。
また背後には、さらに友人が同じことをしていました。
いったん、暗闇に入り、極楽への錠前を探り当て、再び地上に出るというこの戒壇巡りは、ふと、迷妄と戦う儀式なのか、と思いました。
真っ暗な中、ほとんど誰も話をせず、黙々と進んでいました。
いや、進んでいるかどうか、どちらの方向に向いているかどうかさえ分からないのです。
目を閉じているのか、開いているのか、それすらも分からなくなってきます。
私はそうではなかったのですが、一緒に行った友人は、いろいろなものが見えてきそうになったり、過去のさまざまな思い出が湧いてきたり、聞こえないものが聞こえそうになったりしたということです。
全く刺激のない暗闇に人が放り出されると、心の内面がさまざまに見えたり、聞こえたり、感じたりするそうです。
ここで、分かることは、さまざまな恐怖や不安などはすべて自分の内から出てきたことなのです。
人は、暗闇の中に放り出されると、疑念や不安、恐怖が湧き出てきたとき、それを外に投影し、それに自分がおびえるのです。
ひどい人は、自分が生み出したものと知らずに、それと戦い、罵詈雑言をまき散らし、暴れたりします。
しかし、第三者にはその人が見ているものは決して見ることができないのです。
こんな時は、右手の感覚を信じ、左手の触れる友人を信じることです。
たとえ、幻影の中で、背を向けている友人が恐ろしい化け物に見えようと、感覚という事実は決して裏切らないのです。
人は、今にないもの、ここにないもの、そして自分のここの中を外に見ます。
そうなったとしても、触れている、という感覚は事実なのです。
暗闇という無知に放り出されたとき、自ら生み出した疑念や恐れというものをしっかりと「今、ここ」に引き戻し、ありのまま眺めるようにしましょう。
そこには「極楽への錠前」があり、そして、ほどなくして光という現実に触れることができるのですから。
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