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催眠の誤解

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関係ない話ですが、催眠となると、毎回、何だかうさんくさい画像をいつも添付してしまいますね。
まあ、これはご愛敬ということで・・・(^^)

「催眠療法のに・せ・も・の」でブログを書いたところ、いくつかの問い合わせがありましたので、『本音』で書きたいと思います。

催眠や催眠術と書けば、結構な人がブログを見てくれたり、問い合わせがあったりします。
みなさん、多かれ少なかれ興味がある人がたくさんいることをあらためて知りました。

催眠はショーを除いて、療法やコーチングなどに使う場合は、単なる手段なのです。
催眠を使えば、何でもできる、あるいは、催眠を使って何かしようと強調しながら、その実、きちんとした心理療法やコーチングができないなら、催眠というまやかしにかかってしまっているのです。

催眠で嫌いなものが好きになる、というものはまやかしです。
催眠下で一時的に好きになったとしても、催眠は「メッキ」にしかすぎないので、覚醒後はメッキがはがれます。
はがれないように、それが本当に身につくようにするため心理療法が必要となるのです。

心理療法をやっているところで、ことさら催眠を強調しているところは、心理療法についてほとんど勉強していないところか、その人が催眠を「魔法」と信じ込んでしまっている人か、でしょう。

催眠を学んだだけで、心理療法もできる、と勘違いしている人が多いですから。

さて、今回のメッセやメールで、催眠について誤解も多いことが分かりましたので、本音で質問に答えたいと思います。


催眠にかかりたくないと思えば絶対にかからないのですか?


そんなことはありません。

その前に、「催眠をかける」という表現は間違っています。
催眠者があたかも何かしらの力を持っていて、そしてそれを「かける」という誤解を与えます。
「かける」という言葉をどんな時に使うかというと、「呪い」「魔法」などに「かける」というものを使います。
つまり、何か特殊な力を前提とした誤解を生みやすい怪しい言葉です。

ここでは、「かける」という代わりに「誘導する」という言葉を使います。

誘導されたくないと思っていても誘導されることは、経験豊富な催眠者なら知っていることです。
逆に、誘導されたいと願っていても誘導されないこともあります。

なぜ、このようなことがあるのか、いまだにたくさんの考えがあって分からないのです。

私は、催眠現象(ショー催眠で見るような、立てない、好きになる、記憶をなくす、幻覚を見るなど)と「トランス」(何かに集中することによって、被暗示性が高まること、たとえば時間の歪曲が起こったり、無批判に信じてしまったり、感情を刺激したり・・)は別だと考えています。

催眠現象は個人の能力であって、誘導されやすい人が催眠現象を引き起こしやすいのです。
それは騙されやすいとか人が良いとかという性質とはまた別のものです。
ですから、催眠現象を引き起こしにくい人に対しては、非常に困難なのです。

一方、トランスは日常誰でも経験していることです。
映画や音楽を見ているときなどは、「もうこんなに時間が経っていたのか」と気がつくこともあるでしょうし、嫌な仕事や会議の時には時間が長く感じられるでしょう。
単調なお経を聞いていたり、ぼーっと空を見ていたり、ひどく興奮していたりするときには、注意が何かに集中している状態でしょう。
そんな時には暗示に左右されやすくなるのです。


催眠術を使って療法をしたり、コーチングをしたりしているところがたくさんありますが、あれは効果があるのですか?


分かりません。

まず催眠についてですが、前回のブログにも書きましたが、催眠だけでは何ともならないのです。
心理療法が必要なのです。
ですから、催眠下でどのような心理療法を行うのか、それが大切なことです。

催眠下でどのような心理療法をするのか、しっかりと確認する必要があります。
たとえば、「自信がない」という人に対して、「さあ、あなたはだんだん自信が出てきます」などと催眠する人は避けた方がいいです。
これは心理療法でもなくでもないですから。

コーチングにしても同じことが言えます。

こんな話があります。

エリクソンは催眠下でさまざまな心理療法をやってきました。
しかし、ブリーフセラピーのうち、SFA(解決志向のブリーフセラピー)などは、催眠を使わなくても、催眠下で行うのと同じ効果を持つ「ミラクル・クエスチョン」などを開発しています。

実は、催眠でなくても、療法やコーチングはできるのです。
特にコーチングの場合はそうです。

私たちが催眠を使った療法をしているのは、催眠を使えば、効果が強く現れやすい心理療法を用いているからです。

もちろん、催眠にはこだわっていませんから、その人にとって効果があるものを選択します。

みなさんも、催眠という言葉に惑わされず、その人がどのような心理療法を学び、研究し、実践してきたのか、それが本物と偽物を見分けるコツだと思います。


催眠術を使えば、嫌いな食べ物が好きになったりしますか?


できる場合もあります。
しかし、催眠下でのことは「メッキ」にすぎないので、覚醒後も嫌いな食べ物について食べる工夫をすることが必要です。

催眠は魔法ではありません。
ですから、一度催眠で何とかしてもらうと、それが永続するなんてことは考えない方がよいのです。

催眠でいろんなことを解決できる、上手くできると謳っているところは要注意かもしれません。

催眠術師でもあり催眠心理療法家でもある南先生の「ミラー催眠」という自己催眠は、シンプルながら効果はあります。
ネットで検索してみてくださいね。


女の子を裸にすることはできますか?


たぶん、これはみんながいちばん聞きたいことかもしれません。

答えから書くと「できる場合もあります」ということになります。

嫌なことは被験者はしない、というのですが、そんなことはない、というのは催眠者なら知っていることです。
ただし、「あなたは今から裸になります」という直接暗示ではほとんどムリでしょう。

これについては、ここまでにしておきます。(^^)


心理療法や催眠をきちんと勉強したいのですが、どうすればいいのですか。


大学や大学院できちんと学んでください。

ただし、民間でも心理療法と催眠をしっかりと基本から教えてくれるところがあります。
ここは、催眠について過大な期待をさせず、何よりも、心理療法の考え方や最新のブリーフセラピーについてしっかりと教えてくれます。

催眠術・催眠療法のマインド・クリエイト 京都・大阪・滋賀・兵庫・奈良

V.d.s.では、一定の技術や知識のある人たちがさらに研究する場なので、基礎からという人は原則として受け付けていません。

迷信は作られる

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みなさんは「パブロフの犬の実験」は知っていますよね?

犬に餌を与えるときに、ベルを鳴らすと、その犬は餌がなくてもベルの音だけで唾液を流す、というものです。

これを「古典的条件付けの実験」といいます。

餌は、反応を引き起こす無条件刺激、唾液はそれに対応する無条件反応、そしてベルの音は条件刺激になります。

本来であれば、餌に対して唾液が出るのですが、餌という無条件刺激に時間的に近接しているベルの音(条件刺激)との間にも唾液を流す(無条件反応)との間にも結びつきが起き、ここに「学習」が成立するのです。

そして、この関係から、学習の強化、消去、般化という法則が明らかとなったのです。

一方、学習者の自発的行動が、報酬を伴うために強化される学習を「オペラント条件付け」と呼ばれます。

たとえば、バーを押すと餌が出る仕組みを持っている箱にネズミを入れます。
ネズミは最初はでたらめな行動をとりますが、たまたまバーを押すと餌が出てくると、そこで学習が成立し、バーを押すと餌が手に入るということを覚えるのです。

さらに、鳩がいる箱の中に、15秒ごとに餌を放り込むという実験があります。

餌が放り込まれたとき、たまたま鳩が片足を上げていたら、鳩は次も片足を上げて餌をもらおうとしますし、首を振っていたら、次も首を振って餌をもらおうとします。

この「オペラント条件付け学習」の発見者であるスキナーはこれを「迷信行動」と呼びました。

これは、自発的行動をしたところ、餌がもらえた、だから、次もその行動をとれば餌がもらえるだろう、という行動です。

この時、餌と行動の結びつきはたまたま起きただけのことであり、実際には何の関係もありません。

このようにオペラント条件付け行動的に強化されるとたまたま起こった行動にあたかも因果関係があるかのように学習するのです。

迷信とはこのようにして発生します。

博打で、たまたまある行動をとった直後(たとえば深呼吸してお祈りを心の中で唱えたりする)に、勝った場合、次の博打でもそれをするでしょう。

気に入らない人に対して、「死んでしまえ」と強く思ったら、数日後、その人が病気になってしまった場合でも、因果関係があるかのように誤解し、ひどい場合には、「私には特殊な力がある」との妄想に陥るでしょう。

さらにこの時、人間の傾向として「セレクティブ・メモリ」も働いているのです。

つまり、何かをして都合がよいことだけは記憶に残りますが、そうでないことは思い出さない、という傾向です。

「あの占い師はよく当たる」という場合、当たっていないときのことは忘れているのです。
「私が時計を見るといつも、11時11分だ」という時には、時計を見てそうでないときのことは忘れてしまっているのです。

こう考えてみると、迷信なんてどうでもいいものだと思いませんか?

お遊びとしての迷信はほほえましいものですが、その迷信が、対人関係や対社会関係に影響を及ぼしたり、自らの人生や生活に制限を加えるとなると、それは「苦悩」そのものなのです。

催眠療法のに・せ・も・の

hypnotist

催眠でよくある誤解についてお話ししましょう。


催眠でものを忘れさせたり、嫌な記憶を取り除くことはできますか?


被験性の高い人には、催眠中はできても覚醒後は元に戻ります。

おもしろいことに、催眠中は、思い出すことができない人と、頭の中でははっきり思い出してもそれを口にすることができない人など、いろいろな「思い出せない」バージョンが存在するようです。
これはその人の特性によるともと考えられます。

ただし、永遠に思い出せないようにするとか、記憶を取り去るということは不可能です。
そんなことができるなら、すでに病院でもやっているでしょう。
誰だって忘れてしまいたいことを簡単に「呪文」を唱えてなくしたいと思っているではないですか。

でも、そんなことが広まっていない事実が、答えを物語っています。


前世を見ることはできるのですか。


キリスト教やイスラム教、ユダヤ教など世界の多くの宗教には、輪廻転生の考えはありません。
ヒンズー教や現代の仏教などで見られる考え方です。

つまりは、信仰と密接に関係しているのです。
それを信じるものには事実でしょうし、信じないものにとっては事実でない、ということです。

信仰でのお話ですから、前世がある、ないと論争するのは無益です。
いろいろな症状を軽減するために、催眠中に、前世があると信じている人のその信念を利用して、リフレーミングなどの手法によって改善を図ることは可能でしょう。


催眠によって、人を好きにさせたりすることはできますか。


催眠中は、被験性の高い人に対してはできます。
覚めると、元に戻ります。

ただし、私の実験によると、特に被験性の高い人に対して、何度も何度もこの催眠を誘導しては覚醒を繰り返せば、「好きである」という気持ちが生成されやすくなるようです。


催眠によって、その人の道徳に反すること、たとえば殺人はできますか。


原則はできません。
たとえば、直接暗示として「目の前の人を殺しなさい」といってもそうしません。

けれど、自分の命が脅かされるため、命を守るために・・・など間接暗示を駆使すると可能となるかもしれません。

そして、それには催眠は必ずしも必要はありません。
覚醒時においても、その人のビリーフ(信念、道徳観、価値観など)を変容させることによって可能となるからです。

たとえばカルトでの殺人や詐欺、自爆テロなどをみても、それは可能であることが容易に分かるでしょう。

このように見ても、催眠は万能でないことは分かるでしょう?

催眠療法を謳っているところでも、催眠そのもので人は改善しないのです。

催眠中では、心理療法がかなりやりやすくなるため、心理療法をする道具として催眠が使われるのです。

催眠で有名な精神科医エリクソンも、催眠で治療したのではなく、トランスに誘導し、そこで心理療法を行ったのです。

催眠は麻酔であって、麻酔そのものでは治療はできません。
麻酔をして、オペをして、初めて治療ができるのです。

その意味で、催眠療法といっても、療法家が、どんな心理療法をするのかが大切であって、催眠が大切であるのではないのです。

最近は、催眠ができるというだけで、さまざまな症状を改善するという人が多いですが、その療法家がどんな心理療法をするのか、それを見極めることが「本物」と「に・せ・も・の」を見分ける目だと思います。

に・せ・も・の

mind-and-thoughts

思考は事実でない、過去のブログを見ても、私はこう言い続けてきました。

そのベースには、第3世代認知行動療法などがあります。

ところで、最近、よく似たことを言っている人たちがいます。

私なんか以上にしっかりと理解し、そのためのエクササイズを自ら開発し、実践している人もいる一方、どうも何かが違う・・・そんな人が多いのにも出くわします。

たとえば、思考は事実でないと言いながら、「良い思考や感情」は取り入れて、「悪い思考や感情」捨て去ろうとか、ポジティブ思考を持とうとか、思えば叶う、というようなことを同時に主張している人です。

本当のことを言えば、これらは「思考は事実ではない」と相容れないのです。

あたかも、アクセルとブレーキを同時に踏んで「車が進まないぞ」というようなものです。

思考を事実として信じてしまう状態を、思考との一体化(フュージョン)といいます。

なぜ思考を事実として信じてしまうのかというと、

① 思考していることに気がつかない

② 思考そのものが「評価」や「比較」、「理由づけ」によって事実のようにふるまう

が考えられます。

思考と一体化すると、単なる思考にしかすぎないものを、それ以上のものにしてしまう可能性があり、しばしば自分自身に破滅的な影響を与えることがあります。

このような場合、思考からの分離(デ・フュージョン)をさまざまなエクササイズなどで行うのです。

自動的に発生する思考を、「良い」「悪い」、「ポジティブ」「ネガティブ」などとさまざまに評価付け、それを取り込んだり切り捨てたりすることは不可能なことです。
そして、これらの対処そのものが思考と一体化するための行為なのです。

「赤い象について考えるな」

という思考コントロール実験でも、思考がコントロールできないことが容易に分かるでしょう。

コントロールしようとすればするほど、思考との一体化が起こります。

こうなると、フュージョンそのものの状態になります。

思考は事実ではないといいながら、「良い思考や感情」は取り入れて、「悪い思考や感情」捨て去ろうとか、ポジティブ思考を持とうとか、思えば叶う、と相反することをなぜ主張するのでしょうか。

それは、主張する人が理解していない、ということが考えられます。

流行の言葉として「思考は事実ではない」と使ったとしても、そもそもの意味を理解していないため、相反することを主張しても気がつかないのです。

みなさんも私も、学ぶなら、薄っぺらで表面的なものではない、しっかりとしたものを学びたいですね。

なんとかの法則

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「引き寄せの法則」とは一体何だろうか・・・
前から疑問に持っていました。

最近は「成功の法則」などのように「~の法則」という言葉が氾濫していますね。

そもそも、法則とは

「命題の中で限られた回数ではあるが観察・実験で検証されたものをとりあえず反証例が見つかるまでの間だけ、仮説的に法則として認める、と考え、法則というのはあくまで仮説にすぎない」(Wikipediaより)

といわれています。

よく考えてみると、世間で言われている「法則」は、特殊な事例やある個人に起こった経験をあたかも、それをまねれば自分もそうなることができるというものばかりです。

「ジンクス」や「思い込み」、「根性論」などの精神論・人生訓のようなものですね。

このような類いの本は昔からありました。

引き寄せの法則にしても、神の力とかオカルト的な何かの力によって・・・というものは「法則」から除外する必要があります。

なぜなら

「信じなければ効果がない」

というのは、法則でも何でもなく「信仰」や「宗教」の世界ですから。

そうではなく、

「問題解決に対して望ましい行動をすれば、目標の実現に効果がある」

といったものであれば「なるほど」と納得します。

ただ、いろいろとSNSなどで観察しているとカルトと同じような類似点が見いだされるものもあります。

① 同じ理想を持つものだけで集まり、異を唱えるものをネガティブとして遠ざける。

少し前にブログで書いたバイアス(「偏り」「偏見」)実験のように、都合のよいものばかり集めても意味がない、ということです。
本来大切なことは反証例など「都合の悪いもの」のはずです。
そうすることによって、思考過程は偏りを軽減でき、より合理的な行動をとりやすいはずです。

セルフイメージを健全にする、ということはこういうことなのです。

なぜ「同じ志のもので群れる」のかというと、実は、自分自身や自分のやっていることに自信がなく、反論に遭う、反証を見ると簡単に挫折するからなのです。

つまり「傷つくこと」「自らの弱さ」から逃避しているだけなのです。

そして、①と関連して、

② 自分たちは本当は素晴らしいと思い込み、否定するものは「嫉妬を持つもの」とか悪い感情を持っているという解釈をする。

自分にとって都合の悪いものから目を背け、逃避するのみでなく、そうする理由づけを発明します。
「私たちの方が素晴らしい。それをとやかく言うものは悪い感情を持っているんだ」と。

こうすることによって、傷つくことから身を守り、「外敵」を作ることによって、自己のゆがんだ劣等感を逆に強固にしだします。

③ 夢という言葉で、本来は望ましくない行動や思考を正当化する

否定すると「夢が大切なんだ」「夢にないやつはダメなんだ」と力説しますが、たぶん自分に言い聞かせているのでしょう。

夢と妄想は違うものなのです。

誰でも劣等感は持っていますが、それを昇華するのではなく、合理化、逃避など望ましくない行動をとっていることに気がつかないのです。

つまり、健全なセルフモニターができていないのです。

④ 「法則」といわれているものは大したことない

オカルトは別として、個人の体験談や道徳や精神論、あるいはどこかの「イージーな心理学」から拝借したもので、何ら目新しいものは何もありません。

夢(目標や理想)の実現は大切なことです。
しかし、現状が辛いからといって、傷をなめあい、強い劣等感の裏返しとしてゆがんだ誇りを持って、無為に人生を過ごすのは、もったいない感じがします。

健全にセルフモニターをし、健全なセルフイメージを持ち、なによりもどんなことがあったとしても、活き活きと生きる、そんな人生を目指したいですよね。