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隠してました・・・まだ半分しか・・・
これまで私は思考と事実の分離について、多くを述べてきました。
実は、お伝えしたいことの半分しか紹介していないのです。
私のセミナーでも、苦悩の仕組みやそれをどのようにしてすり抜けるのか、という時にもほとんど触れなかったことです。
経済でも、ミクロとマクロがあるように、思考や評価、事実、感情についてのお話しは、ミクロにしかすぎません。
よく似たことを教えているセミナーやホームページでも、思考などについては紹介していますが、マクロの部分については触れていません。
本当は、このマクロの部分が活き活きと生きてゆく上で大切なことなのです。
そして、この部分がないと、いくら思考や感情や事実との関係が理解でき、それを体得したとしても、ただそれだけなのです。
ミクロの対処のみでは、「活き活きと生きる」ということは非常に難しいのです。
多くの人に人生はどうなりたいのかを聞きますと、いい大学に入りたい、幸せな家庭を持ちたい、お金を儲けたい、ビジネスで成功したい、資格を取りたい・・・などと答えます。
これらに共通することは何かといえば、手に入れると消滅するものばかりです。
つまり、人生でのゴールを述べているのです。
ゴールは達成したら終わりなのです。
ですから、大学に入ったのはいいけれど、生きがいがない、目的が見つからない・・・と思うのです。
あなたが亡くなった時、墓碑銘(欧米で墓石に刻まれる故人の功績)に何を書かれたいでしょうか?
「○○はお金儲けをして、ビジネスで成功した」
そういうことでしょうか?
たとえば、たぶん、
「○○は、人のために尽くし、人の希望となった」
という、漠然としたものですが、あなたという人をすべて表すものを刻んで欲しいと思うでしょう。
生きてゆく上で、その人の人生の根底に流れていて、それに従って生きる時、人生というものはきっと活き活きとするものなのです。
「それ」というのが『価値』と呼ばれるものです。
何が価値なのか、その人によって違うのです。
けれど、価値はこんな性質を持っています。
●価値はゴールではありません。
つまり、手に入れることができないものなのです。
ゴールは達成することで手に入りますが、「人のために尽くし・・・」というものは永遠に手に入らないものです。
しかし、ゴールはその価値に沿ってあります。
人のために尽くすために、慈善活動をする、寄付するなどさまざまなゴールを持ちます。
●価値に沿って生きるということは、必ずしもいい感情を約束しません。
価値とは、短時間で気分が良くなるためにする行為でもありません。
薬物やアルコール依存の人は、薬やアルコールを使っているときは良い気持ちになります。
しかし、気分がハイになった状態がその人の価値である、ということにはなりません。
「人のために尽くし・・・」という価値に沿って生きる時、人に裏切られることもあるでしょうし、不安や怯えも感じることもあるでしょう。
けれど、それらも含めて、価値に沿って歩くのです。
たとえていうと、価値は北極星のようなものです。
あなたの人生はその価値のもと、さまざまな経験、いいことも嫌なことも経験しながら、それでもあなたの価値に向かって歩きます。
ぬかるみもありますし、きれいな花が咲いている時もあります。
雨が降っている時もありますし、晴れて気持ちがいい時もあります。
その方向が正しいかどうか、それはゴールという目印を通過することによって分かります。
しかし、あなたは北極星の方に向かって歩くのであって、北極星は手に入りません。
あなたの人生の価値、つまり北極星は一体なんでしょうか。
どんなに苦悩に陥ったとしても、どんな不安があなたを襲ったとしても、これら全部をひっくるめて人生なのですから。
それでも北極星に向かって歩いて行くのです。
私たちは、苦悩に対する対処とともに、人生の価値を見つけるお手伝いをし、そのための人生マップを作りあげます。
私たちのセラピーが対処療法ではなく、人生そのもののセラピーであるということがこれで分かるでしょう。
症状がある人も、ないけれど限界を感じている人も、価値を発見し、それに従って歩む時、人生はより良くなることを請け合います。
人が苦しむのは、その苦しみのためではなく、苦しみのために、歩みたい人生を歩むことができないことにあるのですから。
信じること・・・
ネットでこんな画像を発見しました。
大笑い。(^O^)
この驚きようは、真に迫っています。
手の開き方、口の開け方、喉の筋、体の角度・・・
なによりも足の指が開いて、筆立てが倒れているのがまたいいです。
悲鳴まで聞こえてきそうですね。
さて、幽霊を信じるか、信じないかは別として・・・
信じる、ということはどういうことなのでしょうね。
そもそも何を信じているのかと言えば、「幽霊の存在」とか「霊界がある」とか「A型の人間は几帳面だ」とか、あるいは「人はポジティブに生きるべきだ」とか「道徳的に正しくあらねばならない」・・・などの価値観や信念、道徳観などでしょう。
これらをビリーフといいます。
人は、ビリーフをもとに判断し、意思決定、行動するのです。
しかし、ビリーフは、生まれた時から持っていたわけではなく、どこかの時点で取り入れられ、ビリーフとなったのです。
どうして取り入れられたのかというと、その人にとって「正しい」、「事実」だと信じたから、取り入れられたのです。
では、なにをもって「正しい」と信じたのでしょう。
人が何かを信ずる根拠は2つあります。
個人的な経験や推論、伝聞によって何となく感じているリアリティ感覚によって支えられているもの
権威のある専門家の発言とか、多くの人が認めている考えであるとかいった感覚に支えられているもの
です。
あるいは、「そうであってほしい」「そうでなければ困る」といった個人の価値のみによって支えられ、他者からは妄想と呼ばれながらも信じている場合もあります。
こう考えてみると、信じている根拠は不完全であやしものだと思いませんか。
だからこそ、ビリーフが事実とは違っていたり、一つの事実に対して多くのビリーフがあったりするのです。
さてさて、ここで悪いやつがいて、自分に都合の良いビリーフをある人に取り入れさせたらどうなるでしょうか。
そして、そのビリーフが、その人の人生や人格に大きな影響を及ぼすものであったとしたら、どうなるでしょうか。
マインドコントロールというのは、簡単に言うと、ビリーフをいかに受け取らせるか、そのテクニックともいえるでしょう。
人が行動したり、判断したりする時、どうすべきかと、その意思を決定しますが、マインドコントロールとは、その意思を決定する過程に操作者が影響を与えることです。
つまりは、操作者は被操作者が気づかないうちに影響を与えて、意思決定をさせ、それにしたがって行動や判断をさせればよい、ということになります。
催眠ではこのようなことは不可能です。
気や念力やなにか得体の知れない力によってこのようなことが可能、というのは事実ではありません。
純粋に社会心理学のお話しです。
かつて、「悪い企て」セミナーでマインドコントロールの理論と方法を詳細に紹介しました。
その時、大阪は遠くて、セミナーに行けないという人も多くいました。
そこで、今回は、テキストを大幅に改訂して販売することにしました。
心理学的なさまざまな技法をある特定の目的のために組み立てたら、どんなことになるのか、興味ありませんか?
人間はいとも簡単にコントロールされることがわかるでしょう。
何よりも、人間とは何か、というものを考えさせられる内容となっています。
自分のために、人のために使うと素晴らしいカウンセラーになったりして、大きな力になるでしょう。
そうでないと、教祖か詐欺師になるでしょうね。
自尊心を守るために
不幸だと嘆き、悲しんでいる人に対して、こんなこと言ったことはないでしょうか。
『世の中にはもっとあなたより不幸な人がいるんだから、そんなに悲しむ必要なんてないよ』
でも、よく考えるとかなりひどい言葉のように思いませんか?
自尊心という言葉があります。
自分の能力や評価を肯定的に捉えている状態です。
ところが思いがけなく、自尊心を傷つけられることもあります。
そうすると人はさまざまな方法で自尊心を守ろうとします。
この時、人は「下方比較」というものをしてしまいます。
それが、自分より状況が悪い人を引き合いに出して「自分より悪い境遇の人がいるのだから、我慢しないと」というものです。
実際にそのような人がいるかどうかは関係ありません。
自分より悪い境遇の人がいる、と信じればそれでいいのです。
このようにして、他人を利用して自尊心を守ろうとするのです。
よく考えるとひどいことですよね。
根拠のない差別の原因となりますし、人を踏み台にして自尊心を守ることは、健全とはいえないでしょう。
反対に、「上方比較」というものもあります。
自分より境遇が上の人と比較することですが、「あのようになろう」と希望を抱くこともあれば、逆に劣等感を抱くこともあります。
一方、自尊心を守るために他人を利用せず、自分を利用することもあります。
自分をわざと不利な状況において、自尊心を保つ行為です。
たとえば、試験前にあらかじめ「全然勉強していないよ」と言い訳したり、実際に遊びに行ってしまったりすることです。
このように不利な状況だと公言したり、不利な状況を作り出したりすることを、セルフ・ハンディギャッピングといいます。
こうして試験に失敗しても、自分自身の能力のせいにすることから免れ、自尊心を保つことはできます。
上手くいい成績を出せば、自分に対する高評価を持つことができるのです。
自尊心を守るためにこんなさまざまな方法を駆使するよりも、もっとありのまま、生きてみませんか?
記憶の改ざん
夢。
とても幸せな夢を見たり、非常に怖い夢を見たりして、目が覚めた直後はよく覚えていたりしますよね。
不思議なことに、時間が経つにつれて、夢の内容も薄れてゆきます。
そして、思い出そうとすればするほど、たぶん、もともとの夢とは違ったものになっていると思います。
記憶。
ふだん、自分が覚えているものは間違いないと思い込んでいます。
よく考えると、今の自分が自分たるゆえんは、記憶しかないのです。
もちろん、それを裏付けるアルバムや音声が残っていたりもしますが、それは、記憶を補助するものであるにしかすぎません。
それらから「思い出すもの」によって記憶がさらに補強されるからです。
今のあなたのアイデンティティーは、記憶によって支えられているとも言えるかもしれないですね。
では、あなたのアイデンティティーにまつわる大切な記憶は、どれほど正確なのでしょう。
1週間前の昼食の内容は覚えていますか?
64日前、あなたは何をしていましたか?
4歳の頃、犬にかまれた経験があったとして、それは何月何日で、誰がいて、場所はどこで・・・
もうあやふやですよね。
いや、私ははっきりと覚えている、と強調する人がいますが、それが事実だとどうして分かるのでしょう。
結局、それは他人の記憶や断片的な映像の解釈などが大半でしょう。
しかも、驚いたことに、人は、曖昧な記憶であれば、そこになかったことまで付け足して、記憶としてしまうものなのです。
なかったものを「思い出す」。
それを偽記憶といい、周りの状況から連想したものを記憶としてしまうのです。
そして、それを補強する、ということまでやってのけます。
「確か、小学生の時・・・・・があったよね?」
「あの時、こんなことがあったよね?」
こんな時に偽記憶が出てきやすいのです。
さて、私のように心を忘れた心理学研究者はこう悪巧みするのです。(^^)
人為的に偽記憶を相手に作ればどうなるだろうか、と。
つまり、記憶がその人そのもののアイデンティティーであるとするなら、偽記憶を持たせることで事実やその人自身に対する認識を変えることができるのではないか、と。
そして、この方法はみなさんが意識的にも、無意識的にも使っている方法なのです。
これをテクニックとして、人為的に作り、使ってみたらどうなるのか・・・
まあ、これらは冗談として、それでもこれらは可能かといわれれば、可能です、と断言できます。
人生や生活に徹底的に心理学を応用したら、もっともっとあなたの人生はより良くなるはずです。
記憶の改ざんということを例にとってみても、仕掛けを知らない人から見れば、
まるで、魔法使いのように見えるはずです。
仕掛けを知っている人から見れば、もっと楽に人生を生きていけるでしょうね、きっと。
以心伝心の幻想
「以心伝心」
goo辞書を見ると『文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うこと。▽もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。』と書かれています。
そして、以心伝心は、人間関係のうちで理想とされている上に、以心伝心ができない人はあたかも「心貧しい人」のようにいわれることもありますね。(^_^;)
では、実験しましょう。
Aさん、Bさんの二人組で実験します。
Aさんは、
童謡の
「ちょうちょ」
「いぬのおまわりさん」
「はるのおがわ」
「ちゅーりっぷ」
「おもいでのあるばむ」
「むすんでひらいて」
のうち、一曲を選びます。
そして、はっきりと頭の中でこの曲をイメージし、流します。
それと同時に、右手の人差し指で、そのリズムをトントンととります。
Bさんは、Aさんの指の動きや雰囲気からAさんがどんな曲を頭の中で演奏しているのか、当ててみてください。
Aさんは、Bさんがどれほど正確にこの曲を当てることができると思いますか?
Aさんにとっては、頭の中に曲が流れ、指先で演奏しているため、それは紛れもない事実なのです。
だから、Aさんは、Bさんにその曲が何か聞こえていないし、伝わっていないという事実がわかりにくくなります。
そして、Bさんには、それが伝わっているはずだ、と思い込んでしまいます。
人は、自分が思っていることが、きちんと相手にも伝わっているはずだと、必要以上に思い込み、その思い込みが裏切られると(実際は、そうなって当たり前なのですが)、腹を立てます。
メールのやりとりや、電話でのやりとりでもそれはよくあるでしょう。
自分の意図したものとは違うとらえ方で、相手が受け取ってしまうことが。
人の心は分かりません。
推測するしかできないのです。
その推測も当たっているかどうか、というレベルなのです。
そもそも、自分が考えていることが相手に伝わらないのが事実であるのに、伝わらなかったからといって腹を立てることこそ、相手を尊重していないということになります。
つまり、「伝わっているはずだ」「伝わっているに違いない」「相手はそれを受け取るべきだ」という自分だけの『べき思考』が相手にも拡張されているのですから。
相手がどう考え、どう受け取り、どう判断するか、それは支配できないものなのです。
自他の区別ができず、相手を尊重できない人ほど、以心伝心という魔法を信じ込んでしまっています。
自他が違うこと、相手には相手の思いがあること、それは自らが支配できないこと、それらを事実として捉えることが「思いやり」なのです。
だからこそ、コミュニケーションとしての技術が必要となるのです。
錯覚や思い込みは、日常生活に多くあります。
それらにつまずくと「なぜ、こうなるんだ」と思います。
「なぜこうなるか」という仕組みを知り、人生や生活をより良くしてゆきましょう。




