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そうだ!! 不安になろう。
『不安な心の癒し方』(ロバート・リーヒ アスペクト)を読んでいたらまたこれがおもしろいのです。
この本は認知行動療法について素人向けに分かりやすく書かれているものです。
認知行動療法は、心理療法では保険適用ができ、エビデンスもかなり豊富な最も効果があるものといわれています。
日本では思考の内容を書き換える第二世代が主流ですが、アメリカなどではマインドフルネスなどを利用した思考をそのままにする第三世代が主流となっています。この本は主として第二世代ですが、第三世代のテクニックもまた簡単に紹介されています。
ここで書かれてある最初の話がおもしろいので紹介しておきます。(アレンジしています)
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不安にならないことを考えるために、まずはどうしたら不安になるか考えよう、というものです。
ジャングルから出てきて不安というものを知らない人に、どうすれば不安になるのか教えるところから始まります。
そもそも、不安はいつ起きるのでしょうか、何がきっかけで不安になるのでしょうか。
何か悪いことが起きたときに不安になるのかと言えば、そうではなく、悪いことが起きていないうちから不安になっています。
では、不安が起きるのは悪いことが起こりそうなときかといえば、それもそうでなく、それ以前のこととして、悪いことが起こると、どうやってわかるのでしょうか?
悪いことが起こるどころか、心配していたことの大半は実際には起こらないものですから。
不安になるということはどういうことか・・・・
それは、本当に起こってほしくないことを心配することかもしれません。
もし、そうなら、そんなことぐらいならいくらでもあるし、不安のネタは尽きることがありませんね。
ネタがあるだけでは不安にはならないから、では、このネタに集中することが必要です。
けれど、ネタに集中しようとすれば、いろいろな雑念で集中できないので、集中するためにストーリーを考えましょう。
それも出来るだけ細かい描写で、「もし~したら」で話をふくらませ、できるだけ恐ろしい結末を用意しましょう。
しかもしょっちゅう思い出し、もっと細かな描写をし、ストーリーをふくらませ、あらゆる可能性を想定しましょう。
そうすると不安になることができるような気がしてきます。
ここから不安になるためのルールが発見されます。
『不安になるための7つのルール』
【ルール1】
「悪いことが起きるかもしれないと常に頭の片隅で覚えておく。自分にはその責任があると考え続けること」
【ルール2】
「不確実な点を許してはいけない」
自分の人生から、不確実な部分を取り除き、完全にはっきりとさせると、ようやく安心することができる。
何度も医者に行って、「大丈夫」と言い続けてもらう。
友人や家族に「大丈夫」と言ってもらい、確認し続ける。
あらゆる努力をし、あらゆる兆しを見つけ、すべてに対して事前にわかっておく必要がある。
【ルール3】
「あらゆるマイナス思考の思いつきを、本当のことのように受け取る」
もし誰から嫌われている気がしたら、きっとそうなのだろう。
想像したことを現実のように感じれば感じるほど、不安は募る。
【ルール4】
「何か悪いことが起きるとしたら、それは自分の人間性の問題であると考える。」
自分のその状況の中心に持ってくる。
試験の結果が悪い → 自分が無能
恋人が怒っている → これから自分が孤独で惨めな一生を送るという意味に違いない。
【ルール5】
「失敗は許されない」
失敗しようものなら周りに知られ、それで自分の評価が決まってしまう、と考える。
「自分が失敗に対処できるわけがない」と考えることによってますます不安でいっぱいになる。
【ルール6】
「あらゆる否定的な感情は、直ちに取り除かなければならない」
不安で胸がどきどき、胃が締め付けられ、頭が痛く、耳鳴りがする → これほど苦しめるくらいだから、本当に重大で大変なことに違いない。
だから、直ちに取り除かなければいけない。
【ルール7】
「何事にも緊急事態のように対処する」
否定的な感情はなかなか取り除けない。
放っておくともっと大変なことになる。
本当に恐ろしいことになるかもしれない。
常にこれらの問題を一つ一つ丹念に繰り返し考え、直ちにどうしようか、と自分に言い聞かせる。
実は、8番目のルールがある
【ルール8】
「不安になること自体に不安になる」
「不安にはなったが、今度は全く不安にならないようにしなければ、気が狂ってしまうか変になる」
これでようやく安心して不安になることが出来るのです。
そして、このようなことをしている間、本来、今、ここで自分が出来ることを全部止めてしまっていますし、出来ないことばかりが増えています。
自分が「イヤ」と評価した人や状況を避けたり、自分を傷つけたり、人間関係を壊したり、他人に挑戦したり、試したりして多くのものを代償として支払い続けています。
代償を支払うことすら、もっともらしい理由づけをします。
でも、このルール、よく見ると不安が自作自演であることに気がつきますよね?
私たちと一緒に、不安のすり抜け方を学びませんか?
最強の議論・・・ケッサクです
人間関係にテクニックなど心理学を用いるなんて、とんでもない、という人も多いかと思います。
けれど、人と人がいるとき、必ずコミュニケーションが生まれますし、そこには意識的にしろ、無意識にしろ、善意にしろ、悪意にしろ「駆け引き」が出てきます。
その、最たるものが恋愛でしょう?
石井裕之さんがこんなことを言っています。
テクニックを用いることのどこが悪いのか・・・
たとえば、あなたが病気で入院し、手術が必要なとき、
① あなたを助けたい気持ちは世界一あるが、手術の技術はない
② あなたを助けたい気持ちは全くないが、手術のテクニックは世界一
どちらを選びますか?
間違いなく②を選ぶでしょう。
思うことより、行動が大切なのです。
確かに気持ちは大切でありますが、現実は、自分の気持ちは正確には相手には伝わらないものなのですし、相手の気持ちも正確には分からないものなのです。
相手に伝わった、相手の気持ちはこうに違いない、という思い込みがあるだけなのです。
思い込みの強い人は、「どうして私の気持ちや他人の気持ちが分からないんだ」と言います。
けれど、推測はできますが、本人の気持ちは本人でない限り分からないのです。
それを「分かる」「分かった」というのは、どだい無理な話なのです。
むしろ、「分からない」ということを前提に、相手をいたわり、思いやり、許す気持ちの方が大切なのではないでしょうか。
そうであるならば、心の中でどのように思おうが、行動は自由なはずです。
相手が分からないから、相手と違いがあるからこそ、相手を理解し、私を理解してもらおうとするのがテクニックなのです。
思うこと、思ってしまうことまで「悪意がある」と指摘し、さまざまなネガティブな評価をすることは、マイルールを人に拡張しているだけなのです。
人の内心を評価したところで、どうにもならないのですから。
人の評価は、その人がどう思っているのかではなく、どう行動するか、なのです。
なぜなら、何を思っているか、そんなもの本人にも分からないでしょうし、他人から分かるはずもありません。
まして、思うだけなら自由なのです。
何よりも、思うことと行動は違うものなのですから。
思うことと行動を一致させるとするなら、私たちは、今頃は刑務所か病院、あの世にいることでしょう。
ところで、2ch を見ていたらこんなものがありました。
ケッサクです。
全てのテクニックがすっ飛びそうですね。
女『車のエンジンがかからないの…』
男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『…ライトは点く?点かない?』
女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
女『え?ごめんよく聞こえなかった』
男『あ、えーと、、ライトは点くかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『何の?』
男『え?』
女『ん?』
男『車のバッテリーがあがってるかどうか知りたいから、ライト点けてみてくれないかな?』
女『別にいいけど。でもバッテリーあがってたらライト点かないよね?』
男『いや、だから。それを知りたいからライト点けてみて欲しいんだけど。』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
男『だから怒ってないです』
女『何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?』
男『大丈夫だから。怒ってないから。大丈夫、大丈夫だから』
女『何が大丈夫なの?』
男『バッテリーの話だったよね?』
女『車でしょ?』
男『ああそう車の話だった』
映画「催眠」 懐かしいです・・・催眠で人は殺せるか?
今、この映画を見ても興味深いところが多いです。
「催眠で殺人ができるか」
つまりは、「催眠で人をどこまで操ることができるか」という、催眠に興味がある人なら必ず妄想するテーマです。
ショー催眠では、最初に
「催眠でその人の道徳や価値観に反することはできません。犯罪をさせることはできません」
と説明がありますし、さまざまな催眠関係の本にも書いています。
そう言わないと、みんな怖がるからです。
これについては、いくつもの実験が行われています。
結論は、『よく分からない』というものです。
というのは、どのような暗示を与えるかによって、それは可能となるからです。
「服を脱ぎなさい」
「人を刺しなさい」
という直接的な暗示なら、ほとんどの人はそれに従うことはないでしょう。
少しだけ考えてみてください。
あなたが人を刺さざるを得ない、あるいは刺したいという状況は全くないですか?
つまりは、その人が持っている信念や価値観、道徳観などのビリーフを変容させてしまうことができれば、簡単にそれは行われてしまいます。
先の実験でも、そのような状況下を暗示で作り出し、かつ、被験者がそれを受け入れる時、実験は成功したのです。
催眠だけで、このようなことが可能とはなりませんが、催眠的な手法を使って、ビリーフをいかに変容させるかというところに焦点を置くと、それは可能となります。
「Conquest of Mind 催眠研究会」では、こんな研究を行っています。
年齢退行催眠
年齢退行催眠という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。
催眠下で、年齢退行をすると記憶が呼び起こされる、というあれ、です。
催眠という言葉で思いつくものの代表格のようなものですね。
そして、何人かは「忘れていた記憶を思い出した」というのです。
事実、催眠中に、このように忘れていたものが思い出されるということはよくあることです。
実は、ここに大きな落とし穴があるのです。
年齢退行催眠についてのいくつかの問題点を挙げておきます。
一つ目は、催眠によって「思いだしたもの」がほとんどの場合、事実かどうか確かめるすべがないということでもあるのです。目撃者のこれまた「記憶」に頼るらざるを得ないことが多いのではないでしょうか。
けれど、あなたは56日前の昼食が何であったか思い起こすことができますか?
記憶なんてその程度のものなのです。
二つ目は、催眠状態になると自分が経験したことと見聞きしたことの混同がよく起きたりします。
つまり、それが自分が経験したものでないのに、あたかも自分が経験したもののように記憶を改ざんしてしまう働きがあるのです。
夢は目覚めたときによく覚えていたりしますが、時間が経つとともに、細部が分からなくなり、場合によっては、さまざまに作り替えられてゆきます。
こんな経験、よくありますよね?
三つ目は、催眠から覚醒した人には「事実と違うことを言っている・思い出してしている」という自覚がないために、その内容を信じてしまい、そして、それにあった証拠だけを集め、ますます信念を強固にしてしまう傾向があるのです。
四つ目は、催眠者が意図しようがしまいが、その暗示によって、記憶が形成されることすらあります。
いずれの場合も、このように、『催眠』というキーワードが出てくると、不思議なことに無批判にそれが事実だと簡単に信じてしまう人が多いのです。
アメリカでは、催眠下で「親にレイプされた記憶を思い出した」として親を訴えるという痛ましい裁判があったりします。
いわゆる有名な「ニセ記憶に裁判事件」です。
年齢退行催眠は、催眠を楽しむという意味ではおもしろいものですが、それを無批判に事実として信じてしまうことは、被験者の心の状態や在り方に大きく関わっているものでもあります。
催眠で思い出したことがあったら、まず、それが事実であると信じずに、本当のところはどうか、という姿勢で臨むことが大切ではないでしょうか。
思い出したものと事実は違うということ、これはしっかりと分かっていただきたいと思います。
逆に言うと、年齢退行を主とした治療手段としている安直な催眠家は、要注意ということになりますね。
うっかりしていると・・・・
これまでいくつかの心理ゲームで、人がどれほど思い込みやすいのか、そして、いったん思い込んでしまうとなかなか自説を変えようとしないという傾向も紹介しました。
では、もっとかんたんなものを・・・・
10円玉を5回投げたとします。
○—表
●—裏
とすると、
① ○○○○○
② ●○○●●
どちらが出る確率が高いでしょう?
たぶん、多くの人は②を選んだはずです。
なぜなら、①のようにきれいに表が揃う経験より、裏表が入り交じった組み合わせの経験の方が多いからです。
しかし、確率は同じなのです。
このように経験に頼りすぎると、判断を誤る傾向が強くなります。
この傾向は、たとえば、賭け事などにとりわけ強く現れます。
さまざまなジンクスと関連づけて、確率をジンクスや念力で左右しようとしますし、実際できたという主張をする人もいます。
その時には、ジンクスが当たらなかったときのことは忘れて、当たったときの証拠だけを集めてゆくという間違いを犯します。
本来、当たったときの証拠を集めるよりも、当たらなかったときのことを検討するのが合理的なのですが、どういうわけだか、思い込みを強固にする証拠だけを蓄積してゆくのです。
しかも、変えられない事実に対して、思考が影響を与えると信じてしまう錯誤すら犯してしまうこともあるでしょう。
この時は、自己の力を過大評価し、現実を過小評価しているのです。
私たち人間は、このような錯誤に陥りやすいのです。
いったん錯誤に陥ってもなお、自説にこだわってしまうと、苦悩に陥ることすらよくあるでしょう。
もし、このような錯誤に陥らず、そして、しっかりと判断できるなら、今よりももっと素晴らしい生き方ができると思いませんか?
私たちが陥りやすいカラクリを知るのと知らないのとでは、大きな違いがあるでしょう。きっと。
私たちは、生活や人生に心理学を徹底的に活用することによって、まるで「魔法使いのように」生きることを目的としています。




