不安と苦悩から解放されるヒント

人生には、避けられない苦痛が存在します。たとえば、病気、老い、死、愛する人との別れなどです。これらは生きる上で必ず直面するものであり、完全に取り除くことはできません。しかし、私たちが感じる苦悩は、この苦痛そのものではなく、苦痛に対する「思考」や「感情」から生まれる二次的なものです。たとえば、失敗をしたときの「自分はダメだ」といった思いや感情こそが、苦悩の原因となっています。

私たちは、この苦悩を妄想と実体の区別がつかないことから作り出しています。実体とは現実に存在する物事であり、妄想は思考や感情といった脳内の反応です。しかし多くの場合、私たちは妄想を実体と勘違いし、不要な苦悩を抱えてしまいます。自分に湧き上がる思考や感情が絶対の事実であるかのように信じ込み、その結果として、他者との比較や自己否定が続きます。

実体と妄想を見極める力

こうした苦悩から抜け出すためには、まず「実体と妄想を見極める力」を養うことが必要です。たとえば、不安や恐怖が生じたときに、「これは本当に現実に起きていることか、それとも私の脳が作り出した一時的な反応か?」と自分に問いかけてみるのです。この問いかけを通じて、不安や恐怖が単なる妄想であると理解できれば、それに振り回されることなく行動できるようになります。

反応しない

さらに大切なのは、妄想を妄想と認識したら、それに反応しないことです。思考や感情は雲のように浮かび、やがて消えていくものです。それらをいちいち真剣に受け止めると、余計なストレスを生み出す原因となります。私たちに必要なのは、妄想が消えるまで「ただ存在させておく」こと。これによって、心が解放され、本来の自分らしい行動が取りやすくなります。

ニューヒューマン

こうした考え方を実践する人を「ニューヒューマン」と呼びます。ニューヒューマンは、思考や感情が行動を支配しないことを理解し、妄想に囚われることなく行動を選べる人です。たとえば、ニューヒューマンは、やる気がなくても価値ある行動を選ぶことができます。たとえ「自分はダメだ」といった感情が湧いても、その感情に囚われず、自らのライフ・バリュー(生きる目的)に基づいた行動を選びます。

ニューヒューマンとして生きることには、以下のような利点があります:

不安や恐怖からの解放:感情が妄想であると認識できれば、不安や恐怖に支配されず、自分を保つ力がつきます。
人間関係の改善:自己中心的な視点を捨て、他者とのつながりを大切にすることで、共感力が高まり、人間関係が豊かになります。
目標達成への集中:従来の思考のクセにとらわれず、自分の価値観に沿って行動することで、より確実に目標を達成できます。
人生の目的の発見:ニューヒューマンは、人生における「生きる目的」を発見し、それに基づいた充実感のある生活を送ることができます。


私たちが提案する「ニューヒューマン」への道は、単なる自己啓発ではなく、日常の苦悩から解放され、心の自由を得るための実践的な方法です。思考や感情に縛られず、ライフ・バリューに基づいて生きることが、より充実した人生を送るための鍵となります。

もし、日々の不安やストレスから解放されたいと願うのであれば、一度ニューヒューマンとしての生き方を学び、実践してみてはいかがでしょうか。

四苦八苦とライフ・ヴァリューの探求

先日、私の知人が長い闘病生活の末にこの世を去りました。彼の最期の日々を振り返り、人生に必然として存在する「四苦八苦」について改めて考えさせられました。四苦八苦とは、仏教における避けがたい人生の苦しみの象徴で、すべての人が生きる中で出会う経験です。特に「死」という局面では、すべての苦しみが一挙に現れ、人生の意味や目的について深く考えざるを得ない瞬間が訪れるのです。

四苦の最初は「生」です。生まれてきた瞬間から、私たちは何かしらの苦しみと共にあります。周囲の影響や他者との関わりの中で、育つ過程での不自由さ、無力さ、そして存在そのものが多くの条件に左右されます。生まれたからにはその後に続く苦しみも引き受けなければならない、という重さがここにあります。

次の「老」も、避けられない苦しみです。誰もが年齢を重ねるにつれ、肉体的な衰えや限界を感じ始めます。かつて簡単にできたことが難しくなり、心も体もそれに伴って変化し、自分の思い通りにいかないことが増えていきます。老いはただ体の問題に留まらず、周囲からの理解や支援を必要とする自分に対するもどかしさも引き起こします。

さらに「病」も大きな苦しみです。人間は必ず健康なままでいることができず、いつか病にかかり苦しむ時が来ます。病気は体だけでなく心にも深い影響を与え、思い通りにいかない状況に苛立ち、弱さを実感せざるを得ません。闘病はその人を取り巻く環境や家族にも負担をかけ、健康の有難さと、病が心身に及ぼす重圧の大きさを突きつけます。

そして最後が「死」です。死は私たちの人生の最終地点であり、必ず到来する苦しみです。自らの死を前にした時、人は自分の人生の価値や意味を問い直し、そこに達観のようなものを見出すこともあれば、恐怖や不安が支配することもあるでしょう。知人の最期を見ていても、彼の目の前には、生まれ、生き、老い、病を経て、やがて死を迎えるまでの苦しみが凝縮されているかのようでした。

八苦の内訳には、さらに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」が含まれます。まず「愛別離苦」とは、愛する人との別れの苦しみです。知人の死を見届けた私にとっても、彼がいなくなった寂しさは痛みとして残ります。そして「怨憎会苦」は、嫌な人や望まない人と関わらなければならない苦しみです。人生には思うように人を選べない場面も多く、それが内面的な葛藤を引き起こします。

さらに「求不得苦」、求めても得られない苦しみも重要なテーマです。知人も健康を取り戻したいと願ったはずですが、その望みは叶いませんでした。人生にはどんなに努力しても手に入らないものがあるという現実が存在します。そして「五蘊盛苦」、すなわち五感を通じて生じる欲望や思いに囚われる苦しみもあります。知人もまた、人生の最後にかけて、自分の体への執着を手放すまで苦しんだかもしれません。これら四苦八苦はすべて、人生の様々な場面で私たちが直面するものですが、特に死を前にすると一挙に浮かび上がり、その総体として私たちの限りある生を映し出します。

こうした四苦八苦は、私たちの人生に不可避なものであり、避けられない事実として受け入れることが肝心です。これを「一の矢」といいます。しかし、苦しみをそのまま苦しみとして受け入れられず、心がそれに縛られ、もがき続けると「二の矢」となって人生の時間を奪ってしまいます。この「二の矢」とは、単に苦痛に対する反応ではなく、苦痛を苦悩へと変える心理的な囚われのことです。苦痛ではなく苦痛を苦痛に感じる状態のことです。

では、私たちが目指す「ライフ・ヴァリュー」とは何でしょうか。ライフ・ヴァリューとは、単なる物質的な成功や一時的な喜びではなく、自分にとっての人生の意義や生きる方向性を意味します。これがあることで、四苦八苦を通じて、私たちの人生が深い価値を持ち、意識的に生きることが可能になります​。苦しみを単なる「一の矢」として捉え、余分な苦悩を抱え込まずに進んでいくことで、より豊かで充実した人生を歩むことができるのです​​。

私たちの集まりでは、ニューヒューマンとしてこうした四苦八苦の存在を受け入れながらも、それに囚われず、むしろライフ・ヴァリューに従って進むことを目指しています。自分が本当に生きたい方向性を大切にし、苦しみを経験しながらも、豊かに生きていく方法を探求しているのです。ニューヒューマンについてはほかのブログ記事を参考にしてください。人生の終わりに四苦八苦がすべて集約されるとき、その瞬間にこそ自分の生きてきた証が浮かび上がるのかもしれません。

私たちは、このスキルを日々の実践を通じて鍛え、人生をより自由に歩むための手助けを行っています。苦しみを苦しみとして受け入れ、ライフ・ヴァリューに基づいて行動することができれば、私たちの生はそれ自体として価値あるものになるのです。

地球と動物との共生の重要性

私たち人間を含め、地球上のすべての生物や物質は、基本的に同じ素粒子から成り立っています。そして、生物は電気信号と化学反応によって存在しているのです。つまり、私たちが「自分」と感じている存在は、宇宙全体の中で他のすべてのものと本質的に違いはありません。しかし、「私」という意識は脳によって作られ、自分と他者、あるいは自分と自然が別々の存在であるかのように感じてしまいます。この「私」という幻想こそが、環境や動物と自分を分断し、人間が地球資源や他の生命を「搾取の対象」と見なしてしまう原因となっているのです。

万物の一体性を理解することの重要性

「万物の一体性」を理解することで、人間は「自分」と「他者」という分け隔てを超え、すべてがつながり合う存在であることを実感できます。例えば、この一体性を感じることで、人々は他者の痛みや喜びをより深く理解し、困っている人々や動物を助けたいという共感の気持ちが強まります。また、地域社会での協力活動や環境保護の取り組みへの参加も増え、結果的に個人だけでなく社会全体の幸福度が向上します。

この一体性の意識に基づけば、私たちの行動や選択は地球や動物たちにとって良い影響を与え、ひいては自分自身の幸福にもつながることがわかります。例えば、環境保護や持続可能な発展に取り組むことは、他者のためであると同時に、自分たちが住む環境を守ることにもつながります。

ニューヒューマンの行動と価値観

このような考え方を実践する「ニューヒューマン」は、科学的な視点を持ちながら、他の生物や地球環境とのつながりを深く理解し、調和を目指して行動する人々です。ニューヒューマンは、地球や動物との共生を行動の指針とし、他者や自然との一体感を大切にすることで、持続可能な未来に貢献しようとしています。

自己中心的な視点からの脱却

私たち「愚かなサル」は、自己中心的な視点で環境や動物を搾取の対象として扱う人間の姿勢を指します。それに対して、私たちが目指すニューヒューマンは、自己中心的な意識を超え、すべての生命や自然を自分の一部として尊重する新しい価値観を持っています。これは個人の心の安定や成長にとどまらず、社会全体や地球環境への貢献を目指します。自分と他者を区別しない一体性の意識は、他者への共感を高め、地球や動物、自然環境を大切に扱う姿勢につながります。

共生の視点で現代の問題に取り組む

すべての生き物や自然が一体であると感じることは、現代社会が抱える多くの問題に対する解決策となり得ます。この視点を持つことで、私たちはより広い視野で物事を考え、環境と共に生きることができるようになります。例えば、気候変動の問題に対しても、地球全体の一体性を理解することで、より積極的に行動を起こす動機付けとなります。

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人生を変える「常識」に反する視点

私たちの考え方:「常識」に反するように見えることばかり

私たちの考え方は、多くの人々が抱く常識とは大きく異なるものです。例えば、次のような点が挙げられます:

思考や感情はコントロールできない。

思考や感情は行動を完全に支配しない。

死後は全くの『無』であり、未来のことより今を大切に生きるべきだ。

人生には苦しみが伴う(四苦八苦)ため、苦しみを完全に取り除くことはできないが、その苦しみを苦しみとして感じる必要はない。

避けられない苦しみを避けようとすることで、それがより大きな苦悩になる。

現実を逃げずに受け入れる(アクセプタンス)。

思考や感情、『私』という意識も脳の活動から生じる幻想であり、実体はなく、それに執着することが苦しみの原因となる。

未来や過去への不安や後悔も脳が作り出したものであり、現実には存在しない妄想である。それに執着する必要はない。

社会における「常識」や「価値観」も幻想であり、それに執着することは無益である。

人生における苦しみは避けられないが、それにどう反応するかは自分で選ぶことができる。

すべての生物は電気信号と化学反応で動く機械であり、人間も例外ではない。

これらの考えは、私たちの日常における「当たり前」を根本から覆すものです。以下に、いくつかの具体的な例を挙げて説明します。

思考と感情はコントロールできない

多くの人は、自分の思考や感情を意志の力でコントロールできると考えていますが、実際にはこれらは脳の自然な反応であり、完全にコントロールすることは非常に難しいのです。また、感情が行動を支配していると考えがちですが、実際には「やる気がないから動けない」のではなく、感情に関係なく行動を選ぶことが可能です。

例えば、朝起きて「外に出たくない」と感じることはよくありますが、もし火事が起きたら、やる気に関係なく外へ飛び出すでしょう。これは、思考や感情が行動を決めているわけではなく、私たちが感情に左右されずに行動を選ぶことができることを示しています。

感情に支配されない行動

多くの人は、感情が自分の行動を決めると思い込んでいますが、実際には感情に関係なく自分の行動を選ぶことができます。例えば、誰かと口論した後に落ち込むことはありますが、その感情に支配されて行動しないわけではありません。冷静に自分の行動を見直すことで、その後の対処をポジティブな方向に持っていくことができます。このように、感情に支配されることなく、価値に基づいて行動を選ぶことが可能なのです。

苦しみの受け入れと心の自由

辛い出来事が起きたとき、それを無理に避けようとせずに受け入れることで、心が自由になることがあります。この「受容」(アクセプタンス)が、苦しみから心を解放する鍵なのです。人はどうしても苦しみから逃げたいと思いますが、実際には苦しみを受け入れることで、その苦しみから解放されることが多いのです。

この考え方は、「苦しみそのものは避けられないが、それを避けようとすればするほど、かえって苦悩が深まる」という点に通じています。この現実を認識し、受け入れることで、私たちは苦しみを減らし、より実りある人生を生きることができるのです。

死を受け入れることで今を生きる

「死」を「無」として受け入れる視点も重要です。死後に魂が存在するという考えに頼るのではなく、今この瞬間を大切に生きることこそが、真に価値のある生き方です。死を恐れるのではなく、その現実を受け入れることで、私たちは生を最大限に活かすことができます。

この「死の受容」という考え方は、哲学者ハイデガーの「死の先駆的覚悟」にも似ています。ハイデガーは、死の存在を自覚することが、私たちにとって最も深い生きる意味を見つける方法であり、それにより自己の限界を超えた行動が可能になると述べています。

自分の価値に基づいた行動

こうした考え方は、自分が何に価値を置くかを基に行動を選ぶことにつながります。感情に流されるのではなく、自分の価値観に基づいて行動することで、他の人々や周りの環境との一体感を感じ、視野を広げることができます。このようにして、自分の人生の価値を追求し、意義のある生き方を実現することができます。

私たちは、このような考えをもとに、感情に囚われず自由に生きる方法を提供しています。もし興味があれば、ぜひセミナーで一緒に新しい生き方を学んでみませんか?

セミナーのご案内

私たちのセミナーでは、感情や思考に左右されない生き方を学ぶ実践的なプログラムを提供しています。このプログラムを通じて、死や苦しみの受け入れについて深く理解し、本当に大切なものを再認識し、より意義のある人生を生きるためのサポートを行います。

この機会に、ぜひ私たちのセミナーに参加して、「思考や感情に支配されない生き方」を手に入れてみてください。死と生、苦しみと喜びを受け入れることで得られる新たな自由と深い満足感を、私たちと一緒に体験しましょう。

臨死体験が教える生の価値

死を意識することの重要性

私たちは皆、必ず死を迎えますが、普段どれくらいそのことを意識しているでしょうか。多くの人は死を遠い未来のことと考えていますが、実際には命がいつ終わるかは誰にも分かりません。明日も生きているかは誰にも分からず、人生は一度きりでやり直しは効きません。

死の恐怖から逃れるために、死後の世界や魂、神という観念を作り出してきましたが、これらの幻想は現実の生を曇らせることがあります。本当は、死の先には「無」が待っているという現実があるだけです。この避けられない事実を直視し、受け入れることが、充実した人生を生きる第一歩です。

ハイデガーの「死の先駆的覚悟

哲学者ハイデガーが唱えた「死の先駆的覚悟」は、死の存在を自覚することで初めて人は自分自身の人生を真に生きることができるとしています。死と向き合うことで、自分の限りある命の時間をより意識するようになり、これまでの人生を振り返り、本当に大切なものに集中することができます。その結果、私たちは自分の本質に立ち返り、心から納得できる生き方を選ぶことができるのです。この「死の先駆的覚悟」を持つことで、人生の一瞬一瞬がどれだけ貴重であるかを再認識し、充実感を持ちながら生きることができます。

さらに、死の存在を受け入れることにより、自分自身の限界を知り、それが自分の行動をより目的に向かわせる力となります。この覚悟は、人生におけるさまざまな選択や判断において、本当に価値があることに集中する手助けとなります。日常の些細な不安や恐れを乗り越え、本当に意味のある経験や関係性を築くことに専念できるようになります。また、この姿勢は、私たちが他者と接する際にも現れ、深い共感や思いやりを持った行動が可能になります。死の現実を見据えることで、人生の意味を再発見し、深い満足感とつながりを感じながら日々を送ることができるのです。

臨死体験と生きる意味

死を真剣に考えることは、生きる意味を見つめ直す重要な機会です。臨死体験を通じて死を仮想的に体験することで、生の一瞬がどれほど貴重かを再認識できます。こうした体験を通じて、日々見失いがちな大切なことに気づき、今をより大切に生きることができます。臨死体験は私たちに、自分がどれだけ多くの時間を無駄にしてきたか、そして本当に大切なものは何であるのかを鮮明に理解させてくれます。この理解を通して、私たちはこれまで無意識に過ごしていた日常の一瞬一瞬を新たな目で見つめることができるようになります。そして、それは単なる気づきにとどまらず、実際の行動にも反映されるようになります。たとえば、家族や友人との時間をこれまで以上に大切にし、自分が情熱を持って取り組めることにもっとエネルギーを注ぐようになります。また、過去の失敗や未練を引きずることなく、今の瞬間を充実させることができるのです。こうした姿勢が、私たち自身の幸福感を高めるだけでなく、周囲の人々との関係性をも向上させ、共により良い人生を築く力となります。

死後の世界と「今」を生きること

死後の世界や魂の存在に対する考え方は、私たちの生き方に大きな影響を与えます。
私たちは科学的に考えたうえで死後は全くの「無」であるととらえています。
死後の世界も救済も神も仏も何もない全くの「無」です。
死を「無」として受け入れることで、私たちは無駄な幻想にとらわれることなく、より純粋に「今」を生きることができます。死後の世界の幻想は、死の恐怖から生まれたものであり、それによって私たちは現実の「生」を見失ってしまうことがあります。こうした幻想は、不安や恐れを和らげる一方で、私たちが現在の生を十分に生きることを妨げることがあります。死という避けられない事実を「無」として受け入れることで、私たちは幻想や妄想から解放され、今という瞬間に集中することができるのです。この姿勢は、人生の各瞬間をより豊かに、意味深いものとする手助けとなります。

「無」に帰るという現実を受け入れることは、私たちにとって非常に重要な転機となります。この考え方は、過去や未来にとらわれずに、目の前の出来事や経験に全力で向き合う姿勢を育てます。それにより、私たちは人生の中で本当に大切なものに気付き、価値を見出すことができるのです。こうして、日々の些細な出来事や、人とのつながりをより大切に感じ、人生全体の質を向上させることが可能になります。死を受け入れることは、ただ消極的に受け止めるのではなく、私たちの生を積極的に活かすための鍵となるのです。

自覚を持って生きる

「死の自覚」を持つことで、私たちは今この瞬間を無駄にせず、本当に意味のある行動を選び取ることができます。死から逃げずに向き合うことで、私たちは執着や妄想から解放され、より自由で豊かな人生を生きられます。死という不可避な事実に向き合うことは、私たちに勇気を与え、これまでの価値観を見直し、日常の何気ない瞬間に深い感謝と意義を見出す手助けとなります。この過程を通して、自分の存在意義や、何が本当に大切であるかを再確認することができ、結果として他人との関係性もより深いものになります。死の現実を受け入れたとき、私たちは他者に対してもより優しく、思いやりを持って接することができるようになり、そのことがまた、私たち自身の生をより豊かなものにするのです。

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やる気がない時の行動選択

思考と感情に左右されない行動

多くの人は「やる気がないから動けない」「気分が乗らないから今日はやめておこう」といった理由を使い、行動しないための言い訳にしています。しかし、これは単なる言い訳、理由付けにしか過ぎません。実際のところ、思考や感情は行動を支配しません。行動が本当に不可能なのは、物理的にできない場合に限られます。

例えば、「足を骨折したから歩けない」というのは物理的な制約です。一方、「やる気がないから外に出られない」というのは思考や感情が理由の制約であり、実際には行動することが可能です。このように、物理的な制約と感情の制約は全く異なります。例えば、気分が乗らなくても、友人との約束があれば外出することができる場合もあるように、感情が行動の絶対的な制約ではないことが分かります。これは「できない」と「しない」の混同です。

布団に横たわっている状況でも、急に火事が起これば、どんなに気分が乗らなくても飛び起きて外に出るでしょう。つまり、行動は思考や感情に関わらず選択できるのです。もちろんやる気があって行動できるのは望ましいですが、やる気が出るかどうかはその時々の感情次第です。やる気が出るのを待ってからしか行動できないのならば、感情をコントロールすることが必要ですが、感情を完全にコントロールするのは難しいものです。そもそも思考や感情をコントロールすることが苦悩を深めることを、これまでブログで書き続けてきました。まさにそのことを言ってるのです。

自分への問いかけと行動の選択

思考や感情に対する誤解を解くために、「やる気がないからできない」と感じたときには自分に問いかけてみてください。「例えば、過去にやる気がなくても行動した結果、うまくいった経験はないか?」といった具体的な成功事例を思い出し、それを参考に行動することで、より実践的に行動できるようになります。また、「これは本当にできないのか、それともやらない選択をしているだけなのか?」と問いかけることも有効です。ほとんどの場合、物理的な制約がない限り、やらないのではなく、やろうとしないだけです。このように行動に対する認識を変えると、思考や感情に左右されず、自分の意志で行動できる可能性が広がります。

思考や感情を受け入れて行動する

実際、思考や感情が行動を制約することはありません。それらを意識しながらも行動することは可能です。例えば、気分が乗らないときでも短時間だけ作業を始めてみる、あるいはタスクを小さく分けて一つずつ取り組むなど、具体的な行動方法があります。「やる気がない」と感じるときや「気分が落ち込んでいる」と思うとき、その感情を受け入れつつ(これまでのブログに書いていたように、これをアクセプタンスといいます。完全に受け入れることです。)も価値ある行動を選び続けることができます。このような行動は、思考や感情を避けたり変えたりするのではなく、それらを抱えたまま、つまりアクセプタンスしたまま前に進むという選択です。

これを繰り返すことで、私たちは思考や感情と適切な距離を取ることができ、感情に振り回されずに価値に基づく生き方が可能になります。

「ニューヒューマン」とは何か

多くの人は、思考や感情に振り回されて行動が制限されていると感じていますが、実際にはこれらは単なる脳の反応に過ぎず、私たちを支配するものではありません。感情はそのままにして行動することで、どのような絶望的な感情があっても、やるべきことを選び取ることができます。

私たちの目指す「ニューヒューマン」とは、このように思考や感情の影響を受けつつも、それに支配されることなく、自分の価値に基づいた行動を選び取る人です。例えば、仕事でプレッシャーを感じても自分の目標に向かって一歩ずつ行動を続けたり、ストレスを感じながらも家族との時間を大切にするなど、感情を抱えながらも価値に沿った行動を選び続ける姿勢が「ニューヒューマン」の特徴です。

この生き方を通じて、私たちは思考や感情をただの現象として受け入れ、真に充実した人生を歩むことができるのです。

思考と感情の受け入れ方:新しいアプローチ

多くの人は、感情や思考をコントロールしようと試みます。それは一時的に安心を得られるからです。しかし、私たちがもがけばもがくほど苦しみは深まります。これは、溺れた人が必死にもがいてさらに沈んでしまう状況と同じです。実際には、もがかずに水に身を任せることで体が浮かび上がり、救われるのです。アクセプタンスも同様で、完全に受け入れることによって初めて私たちは自由になれます。

アクセプタンスとは、試しに少しだけ受け入れることでも、一部を受け入れることでもありません。完全に受け入れることが必要です。私たちの思考や感情は、コントロールできるものではありません。それを無理にコントロールしようとすること自体が、さらなる苦しみを生む原因です。私たちはこれまで、感情に対してもがくことで何とか乗り越えようとしましたが、実際にはそのもがきが状況を悪化させてきました。つまり、同じことを繰り返し、根本的な解決には至らないのです。

思考や感情は脳の活動の結果生ずる「単なる思考や感情」であって、自分の外に実体として存在するものではないのです。
実体として存在しないことは、これら思考や感情は幻想や妄想の類と同じなのです。
どんなに事実で実体があるように見えても、あなたの頭の中の出来事にすぎません。

アクセプタンスの本質は、感情や思考に対して無理に抵抗せず、その存在をただ受け入れることです。例えば、怒りや悲しみ、不安といった感情が湧き上がったとき、それを抑え込んだり変えようとするのではなく、ただそのままに受け入れることが大切です。感情が浮かんでくるのは自然なことです。しかし、それに対して抵抗することで、苦しみは強まり、さらに深い葛藤を生むのです。

私たちは思考や感情をコントロールするのではなく、観察し、受け入れることで、その苦しみに振り回されずに価値に基づいた行動を選べるようになります。感情を完全に受け入れ、コントロールしようとしないことが、心の自由を得るための鍵なのです。これは、感情や思考と戦わないこと、むしろそれらと共に歩むことを意味します。

例えば、仕事や人間関係でのストレスが溜まったとき、無理にポジティブになろうとせず、「今、こう感じている」という事実をただ受け入れることが重要です。そうすることで、感情に引きずられることなく、自分が大切にしている価値に基づいて行動できるのです。

私たちが提唱する「ニューヒューマン」は、このアクセプタンスを通じて、思考や感情に囚われず、ライフ・ヴァリューに従って生きることを選択できる人々です。彼らは、どんなに絶望的な状況であっても、それを乗り越えようともがくのではなく、感情を完全に受け入れることで、自然と価値に基づく行動を選べるようになるのです。

アクセプタンスは、感情と戦わずに受け入れ、そこから自分のライフ・ヴァリューに従って行動できる方法です。これにより、私たちは感情の波に飲み込まれず、自由で充実した人生を送ることができるのです。興味を持たれた方は、ぜひ私たちのセミナーでこのアプローチを学び、感情との新しい向き合い方を体験してみてください。

がん細胞のような人類と未来への希望

「人類を愚かなサルども」と呼ぶことに抵抗を感じる人は多いかもしれませんが、私たちがこれまでに行ってきた行動を振り返ると、この表現は決して過激ではありません。戦争、差別、環境破壊、そして地球資源の浪費。私たちは地球という舞台に、まるでがん細胞のように振る舞ってきました。人類は、がんのように自己中心的に増殖し、周りの環境を破壊し続けています。しかし、この破壊的な行動を続けた結果として、未来には絶望的な結末が待っていることを忘れてはいけません。

がん細胞は通常の細胞とは異なり、自己増殖を優先し、周りの組織を破壊します。この行動は、私たちが地球で行ってきた振る舞いと酷似しています。しかし、科学的知見によれば、ごくまれにがん細胞が正常な細胞に戻ることがあります。これは「分化誘導」と呼ばれるプロセスで、細胞が誤った増殖を修正し、元の健康な状態に戻ることを意味します。このプロセスは、私たちが未来に目指すべきニューヒューマンの姿を象徴しています。

ニューヒューマンとは、単なる個人の幸福や利益を超えて、地球全体の調和や持続可能性を考え、行動できる存在です。彼らは、自分たちだけの利益を追求する愚かなサルとは異なり、地球や他の生命との共生を重視します。ニューヒューマンは、地球環境や他の生物への配慮を第一に考え、持続可能な未来を築くために行動する、新しい人類の形です。

私たちががん細胞のような自己中心的な行動を続けていては、未来は絶望的です。しかし、ニューヒューマンのように正常な細胞に戻り、他者や自然との調和を目指すことで、未来には新たな希望が生まれます。ニューヒューマンは、思考や感情に支配されることなく、価値ある行動を選び取ります。彼らは、どんな困難や苦悩に直面しても、それを単なる思考や感情と認識し、自分の価値に基づいて行動する力を持っています。

そして、ニューヒューマンはただ自分のためだけではなく、地球全体の未来を見据えています。私たちが今、この道を選び取らなければ、人類の未来は不確かなものになります。ニューヒューマンこそ、私たちがこれから育て、広めるべき存在であり、彼らこそが地球と人類にとっての最後の希望なのです。

未来を築くためには、綺麗事ではなく、現実を直視し、行動を変えていくことが不可欠です。綺麗事を声高に主張する人こそ現実を放置して問題を先延ばしてきた張本人たちなのです。ニューヒューマンのように、地球や他の生命との共生を大切にする新たな生き方を選び取ることこそ、今後の人類の進化の道なのです。

目標達成だけではない人生の価値

私たちはよく「目標を達成すること」が人生の成功や幸福につながると考えがちです。もちろん、ゴール(目標)を達成することで達成感を得たり、人生の方向性を定めたりすることができます。しかし、ライフ・ヴァリュー(価値観)はゴールとは異なる概念です。この違いを理解することで、私たちの行動の本質がよりはっきりしてきます。

ゴールとは何か

ゴールとは、具体的な結果や達成点のことです。たとえば、「昇進する」「家を買う」「資格を取る」など、明確な終わりがあり、それを達成したときに成功や満足感を感じるものです。ゴールは短期的なものであり、一つ達成すれば次のゴールを設定するというサイクルが続きます。つまり、ゴールは一時的な達成を目的としたものです。

しかし、ゴールを達成しても、その満足感は一時的なものであり、その後に次のゴールを追い求めることになります。このため、常に何かを達成し続けなければならないというプレッシャーを感じやすくなります。

ライフ・ヴァリューとは何か

一方、ライフ・ヴァリューとは、私たちの生き方や行動を導く持続的な価値観のことです。これは、特定の結果や終着点ではなく、一貫して追い続ける信念のようなものです。たとえば、「他の人に優しくする」「正直である」「自分を成長させ続ける」といったライフ・ヴァリューは、いつでも私たちの行動を方向付けるガイドとなります。

ライフ・ヴァリューは時間が経っても達成されるものではなく、常に私たちの行動の根底にあるものです。ゴールが一時的なものであるのに対して、ライフ・ヴァリューは人生全体を通じて私たちの行動や選択に影響を与え続けます。達成が目的ではなく、日々の行動や選択がその価値に基づいているかどうかが大切です。

ゴールとライフ・ヴァリューの違い

具体的な違いを以下にまとめます。

  • ゴール: 達成するための具体的な目標(短期的)。達成したら終わり。結果が重要。
  • ライフ・ヴァリュー: 方向性や信念(長期的・継続的)。達成が目的ではなく、日々の行動に影響を与える価値観。行動がその価値に沿っているかが重要。

たとえば、「健康的な生活を送る」というライフ・ヴァリューに基づいて、「毎日30分運動する」というゴールを設定することができます。ゴールは達成されるかもしれませんが、ライフ・ヴァリューはその後も私たちの行動の基盤となり続けます。もしゴールが達成できなくても、ライフ・ヴァリューに基づく生き方は変わりません。

ライフ・ヴァリューを持つことで思考や感情に振り回されない

私たちは日常の中で様々な思考や感情に直面します。不安や恐怖、絶望を感じることもあるでしょう。しかし、そうした思考や感情は単なる脳の働きに過ぎず、私たちの行動を完全に支配するものではありません。ライフ・ヴァリューに基づいて行動することで、思考や感情に振り回されることなく、自分にとって大切な生き方を続けることができます。

やる気があるときは行動しやすいですが、やる気がないときでもライフ・ヴァリューに従うことで行動を続けることが可能です。たとえば、疲れていても「家族との時間を大切にする」というライフ・ヴァリューがあれば、疲れていても家族と話したり一緒に過ごしたりすることを選びます。

ライフ・ヴァリューは、私たちが人生を通して追い求める価値観や信念であり、ゴールとは異なります。ゴールは短期的な達成を目指すものですが、ライフ・ヴァリューは人生全体の方向性を定め、どんな状況でも私たちを導いてくれるものです。どんなに困難な状況にあっても、ライフ・ヴァリューは北極星のように私たちに方向を示し続けます。思考や感情に振り回されず、ライフ・ヴァリューに基づいて行動することで、私たちはより充実した人生を歩むことができるのです。

私たちの団体では、このようなライフ・ヴァリューに基づく生き方を大切にし、日常の思考や感情にとらわれず、価値ある行動を選び取る力を育てることを目指しています。

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感情に振り回されない行動術

やる気がなくても行動できる

私たちは、日常生活の中で「やる気がある時にだけ行動する」と思い込んでいます。確かにやる気がある時には、自然と行動に移せることが多いでしょう。しかし、この考えは贅沢品に依存しているのと同じです。やる気を待っているだけでは、限られたチャンスを逃してしまうこともあります。現実には、やる気がない時でも人は行動できるものですし、むしろやる気がないからこそ重要な行動が必要な時もあります。例えば、やる気が出ない朝でも決めた運動を続けることや、気が進まなくても大事な仕事を始めることなど、やる気がなくても行動することで得られる成果が大きいことが多いです。

感情と行動の関係

例えば、誰かを「殴りたい」「攻撃したい」と感じても、実際に行動に移すことはほとんどありません。これは、思考や感情が行動を完全に支配しているわけではないことの証です。もし本当に思考や感情に支配されていたなら、私たちはすでに多くのトラブルを引き起こしているはずです。これは他の例にも当てはまります。例えば、面倒くさいと感じる仕事を後回しにしたいと思っても、締め切りがあるからこそ行動することができるように、感情に逆らって行動することが私たちの生活の中で頻繁に行われています。

思考や感情に振り回されないために

思考や感情は、行動に影響を与えることはありますが、決して支配するわけではありません。思考や感情は日々変化し続け、必ずしも安定したものではありません。湧いて出てきていつかは消える雲のようなものです。それに振り回されていると、本来の行動が阻害されてしまいます。私たちは、こうした思考や感情を単なる「脳の活動」であり、事実とは異なるとして受け流し、自分の価値ある方向に向かって進むことが重要です。例えば、勉強したくないという感情があっても、それが一時的なもの、単なる思考や感情にすぎないことであることを理解し、その感情に流されずに行動することで、長期的な目標に向かって進むことができます。このように、思考や感情を適切に受け流すことで、自分にとって意味のある行動を選択し続けることができるのです。

行動がやる気を引き出す

やる気の有無にかかわらず、私たちは行動できるのです。重要なのは、思考や感情にとらわれず、自分にとって本当に意味のある行動を選択することです。このような行動の積み重ねが、自分の目標達成に繋がり、人生においての満足感を得るための鍵となります。この生き方を身に付けることで、人生をより活き活きと歩んでいくことが可能になります。さらに、やる気が出ない時でも行動する習慣を持つことで、次第にやる気そのものも向上することがあります。これは、行動がやる気を引き出す一つのサイクルとなり、私たちの生活全体を前向きに変える効果を持っています。