不安にもがいているあなたを助ける唯一の方法

日々の生活で、私たちは思考や感情に振り回されがちです。特に、苦しい時や困ったことに直面した時、私たちがそれらをコントロールしようとするのは自然な反応であり、心理的なストレスや不安を軽減しようとする試みでもあります。
そして、不安や絶望、イライラなどネガティブな思考や感情が強い時、私たちはこれらをコントロールしようとしてもがくでしょう。

しかし、実際には思考や感情をコントロールすることは難しく、それに逆らおうとすると、かえってその影響が強まることが多いのです。私たちの心は、往々にして過去の出来事や未来の不安にとらわれ、現在の瞬間を生きることが難しくなります。ここでは、思考や感情がコントロールできないことを示すエクササイズを5つ紹介し、その代わりに「受け入れること」の重要性を説明します。心の中の嵐を受け入れることができれば、私たちはより良い自己理解を得ることができ、結果として心の安定を取り戻す手助けとなるでしょう。

  1. 「赤い象」を考えないエクササイズ
    「赤い象を考えないでください」と言われたとき、あなたの頭の中に何が浮かぶでしょうか?多くの人は、かえって赤い象のイメージが頭に残るはずです。これは、思考をコントロールしようとすることで、その思考が強く意識に浮かび上がるためです。私たちの脳は、意識的に何かを「考えないようにする」ことができないのです。
  2. 「ポジティブな感情に置き換える」エクササイズ
    例えば「私は宇宙一幸せだ」と考えてみましょう。そうしようとすればするほど、実際には逆に自分の悩みや苦しみが思い浮かんでくることがあるはずです。ポジティブな感情に無理に置き換えようとすると、その反動でネガティブな感情が浮かんでくるのは、多くの人が経験していることでしょう。
  3. 「忘れる」エクササイズ
    何か辛いことや過去の後悔を「忘れよう」とすればするほど、かえってその出来事が思い出されてしまいます。たとえば、辛かった出来事を無理に忘れようとすると、その場面がより鮮明に浮かんでくることがよくあります。これは、無意識にその思考を強化してしまうからです。
  4. 「不安を感じないようにする」エクササイズ
    何か大事な予定の前に「不安を感じないようにしよう」と決心しても、その決意をすることで逆に不安が増してしまうことがよくあります。不安を消そうとすること自体が、不安を強める原因になってしまうのです。
  5. 「未来の心配をなくそうとする」エクササイズ
    将来についての心配を「何も心配しないようにしよう」と試みると、逆にその心配が頭を占めてしまいます。たとえば、次の日の大事なプレゼンや試験について心配しないようにしようとしても、心配がますます強まることがあります。

コントロールの無力さと受け入れの重要性
これらのエクササイズを通してわかることは、思考や感情をコントロールしようとするほど、それらに囚われてしまうということです。一時的にコントロールできたかのように感じることもありますが、長期的には同じ思考や感情が何度も戻ってくるでしょう。もし本当にコントロールできるなら、過去に一度で済むはずなのに、なぜ今も続けているのでしょうか?これが、思考や感情をコントロールする試みが長期的には効果がないことを示しています。

受け入れることの意味
結局、私たちは思考や感情をコントロールするのではなく、受け入れるしかありません。どんなに現実のように思えても、それは頭の中のものに過ぎず、現実そのものではありません。思考や感情が湧き上がることを自然な現象として受け入れることで、逆にそれらに対する反応を変えることができます。

もがくのをやめて、浮かび上がる
溺れているときにもがけばもがくほど、より深く沈んでしまうのと同じです。しかし、もがくのをやめて何もしないでいると、浮かび上がって助かることができます。これは、直感に反するように感じるかもしれませんが、私たちの心でも同じことが言えます。思考や感情に抵抗せずに、それを受け入れることで、私たちは次第に浮かび上がり、活き活きとした人生を歩むことができるようになるのです。
受け入れる、つまり「アクセプタンス」は人生においてとても重要なことなのです。


受け入れることは、これまで私たちが習得してこなかったスキルであり、最初は難しく感じるかもしれません。しかし、この訓練を続けていくことで、思考や感情に振り回されず、自分自身の行動に集中できるようになります。

活き活きと生きるための選択

人生に避けられない苦しみとの関わり方

これまで何度もお伝えしてきたように、私たちが一般的に思い描くような、「苦しみのない完全な幸せ」は、現実には存在しません。なぜなら、人生には生老病死といった四苦八苦が最初からセットされているからです。これらの苦しみは、生きることへの代償と言えるかもしれません。

しかし、問題はそれ自体に直面することではありません。四苦八苦は誰もが避けられないものだからです。重要なのは、そうした苦しみに直面したときに、どのように向き合うかです。これこそが、人生をより良くするか、逆に台無しにするかの大きな分かれ目となります。

多くの人は、苦しみと出会ったとき、身動きが取れず、苦痛を苦痛以上に感じてしまいます。さらに悪いことに、それに伴う思考や感情を何とかしてコントロールしようと躍起になることがあります。

コントロールは本当の解決策ではない

思考や感情をコントロールしようとする試みは、たとえ一時的に効果があるように感じられたとしても、実際には根本的な解決にはなりません。コントロールする努力は、その場しのぎでしかなく、毎回同じ苦しみに出会うたびに、また同じことを繰り返してしまいます。これは「コントロール」とは言えず、長期的には効果がないばかりか、人生の貴重な時間を浪費してしまいます。

私たちが伝えたいのは、苦しみは人生にそもそも存在するものであり、それを否定して逃げようとするほど、苦しみはさらに増大するということです。現実を否定することは、かえってその苦しみを深める結果になります。

苦しみを受け入れ、価値ある生き方を選ぶ

ここで重要なのは、苦しみそのものを排除するのではなく、それとどのように関わるかです。苦痛を苦悩に変えることなく、それに伴う思考や感情が単なる脳の活動、つまり「妄想」に過ぎないと認識することが必要です。そして、そうした妄想に振り回されることなく、自分にとって価値ある方向に進んでいくことが、真の意味で生き生きと生きることなのです。

私たちが目指しているのは、苦しみや不快な感情を完全に取り除くことではありません。むしろ、それらを**完全に受け入れる(アクセプタンス)**ことで、苦しみや感情に影響されることなく、自分にとって大切な方向に向かって行動することが重要です。

活き活きとした人生を歩むために

私たちの人生には、苦しみや不快な感情が避けられません。しかし、それらに対してどう向き合うかによって、私たちの生き方は大きく変わります。思考や感情をコントロールしようとするのではなく、それを単なる現象として受け入れ、自分の価値に基づいた行動を選択する。これこそが、活き活きと生きるための鍵なのです。

私たちは、このような生き方を目指し、自己変革を進めています。苦しみを排除するのではなく、それを受け入れ、自己の価値に従って進むことで、人生をより豊かに、充実したものにしていくことができるのです。

ネガティブ感情との向き合い方

幸せの現実

私たちは誰しも「幸せになりたい」と願っています。しかし、その「幸せ」とは一体何でしょうか。多くの人々は、苦しみや辛さを避け、常に楽しく、ポジティブな状態を維持することが幸せであると信じています。たとえば、SNSで他の人の成功や楽しそうな投稿を見ると、それが幸せの象徴のように感じ、自分自身を他人と比較してしまいます。SNSによるこのような比較は、他人の成功と自分の現実を比べて焦りや劣等感を感じる原因となり、さらに自己嫌悪に陥ることがあります。しかし、このような比較は、自己嫌悪やネガティブな感情を引き起こし、私たちの苦しみを増やすことがあるのです。

しかし、幸せとは常にポジティブな状態を維持することではありません。私たちの人生には、避けられない苦しみや不快な感情が伴います。生まれた瞬間から、誰もが経験する「生老病死」と呼ばれる人生の必然的な要素があり、これらを完全に排除することは不可能です。むしろ、これらの苦しみとどう向き合うかが、私たちの幸福感に大きな影響を与えます。

思考や感情のコントロールの誤解

多くの人は、思考や感情をコントロールできると信じています。自己啓発書や多くのメディアでは、ネガティブな感情をポジティブに変える方法が紹介されていますが、実際のところ、思考や感情は脳の自動的な反応であり、完全にコントロールすることはできません。

たとえば、不安や悲しみといった感情は、外部の出来事や脳の反応として自然に生じます。これらを無理にコントロールしようとすると、新たなストレスが生まれ、かえって状況を悪化させることがあります。これは、私たちが持つ「脳の自動的な反応」を理解することが、重要である理由の一つです。思考や感情は脳が生み出す一時的な現象であり、私たちが意図して生み出しているものではありません。これらの感情は、脳内で神経伝達物質が働くことで生じています。例えば、ドーパミンやセロトニンといった化学物質が、私たちの感情に影響を与えます。これらの物質のバランスが変わることで、喜びや不安といった感情が生まれます。これらの感情は、脳内で神経伝達物質が働くことで生成されます。たとえば、ドーパミンやセロトニンといった化学物質が、私たちの感情に大きな影響を与えています。これらの物質のバランスが変わることで、喜びや不安といった感情が生まれるのです。

感情に対する適応的な反応は、脳が進化する過程で人間に備わったものです。悲しみや恐怖といった感情は、危険から身を守るために脳が警戒心を強めるための反応であり、それ自体が悪いものではありません。むしろ、これらの感情を受け入れ、無理に追い払おうとしないことが、心の平安につながるのです。

苦しみを受け入れる力

私たちが幸せになるために避けて通れないのは、「苦しみ」をどう捉えるかという問題です。多くの人は、苦しみを排除することが幸せだと考えていますが、実際には苦しみは人生の一部であり、完全に避けることはできません。それでは、どうすればいいのでしょうか。

答えは、「受容」にあります。思考や感情を無理に変えようとするのではなく、ありのままに受け入れることで、私たちは苦しみから解放されるのです。たとえば、病気や困難に直面したとき、その状況を「どうにもならない」と悲観的に捉えるのではなく、「この状況で自分に何ができるか」と考えることが大切です。この考え方は、苦しみをさらなる苦悩に変えないための鍵となります。

感情や思考は、私たちの一時的な脳の反応に過ぎません。これらをコントロールしようとするのではなく、観察し、受け入れた上で、私たちが本当に大切にしている価値に基づいた行動を取ることが重要です。たとえば、ネガティブな感情が沸き上がってきたとき、それを無視するのではなく、それにとらわれないで進むことで、感情に支配されずに自分の道を歩むことができます。

真の自由な生き方

すべての感情や思考を受け入れ、それに振り回されずに行動することが、私たちにとって真の自由な生き方です。これが、私たちが目指す「ニューヒューマン」の生き方です。ニューヒューマンとは、現実を受け入れ、思考や感情にとらわれず、自分の価値ある方向に基づいて生きる人のことです。

私たちが追い求めるのは、困難や苦しみを排除することではなく、これらとどう向き合い、どのように行動するかを選ぶことです。これが、本当の意味での幸せに繋がります。思考や感情に左右されない生き方を実践することで、私たちは自由な人生を手に入れることができるのです。

最後に、苦しみや困難は避けられませんが、それをどう受け止め、どのように行動するかが重要です。私たちは、すべての感情や状況を受け入れた上で、自分の価値に基づいた行動を選択し、人生を自由に生きています。この生き方こそが、私たちにとっての「真の幸せ」をもたらすものです。

神や仏は今の私たちに必要か?

私たちは、科学的な事実に基づいて生きることを重視しています。伝統的な宗教概念や信仰に頼らず、現実的で合理的なアプローチを取っています。ここでは、魂、あの世、神仏といった概念について、私たちの考え方を説明します。

魂は本当に存在するのか?

魂の存在を信じる必要はありません。人間の意識や思考は、すべて脳内の神経活動の結果です。脳が機能を停止すれば、意識も消失します。「不滅の魂」と呼ばれるものが残ることはないのです。魂が死後も存続するという考えは、科学的根拠がなく、単なる幻想です。

あの世は実在するのか?

あの世の存在も同様に否定します。死後に別の世界があるという考えは、人間が死や無を恐れる中で作り上げた想像の産物です。死とは、意識が消え、体が物質に戻る自然なプロセスにすぎません。あの世を信じるのではなく、今この瞬間を大切にし、現実に根ざした人生を送ることが重要です。

神や仏は必要か?

神や仏の存在も信じる必要はありません。これらは、人類が自然現象や未知の出来事を説明するために創造した概念です。科学が未発達だった時代、不思議な力や出来事を理解しようとして、超自然的な存在が生み出されました。しかし、現代では多くの現象が科学的に解明され、神や仏の概念が必要とされる領域は狭まっています。

死をどう捉えるべきか?

死は避けられない自然現象です。恐れるのではなく、受け入れるべきです。死後の報いや永遠の存在を信じるのではなく、今ここにある人生を精一杯生きることが大切です。

魂、あの世、神仏といった概念は、人間が理解できない現象を説明しようとして作り出した幻想です。私たちは、これらを信じる代わりに、現実に根ざし、科学的な事実に基づいて生きることを選びます。死を自然の一部として受け入れ、今この瞬間をありのままに生きることが、真に充実した人生につながるのです。​​​​​​​​​​​​​​​​

ワンネスの理解と私たちの進化

現代の私たちが直面している多くの問題は、古代から受け継いできた本能や反応によって引き起こされています。食料が乏しかった時代に生存のために身につけた高カロリー食品への嗜好や、他者に認められたいという欲求は、現在でも根強く残っています。しかし、それらは必ずしも現代の私たちに適応的なものではありません。

これらの行動の背景には、進化の過程で形成された脳の働きがあります。私たちは、脳が生み出す思考や感情に振り回されがちです。これにより、動物や他者との争いや自然破壊を招くことになります。しかし、こうした行動は、すべて幻想に過ぎないのです。私たちの脳が作り出す幻想の中に、物質的な所有欲や支配欲が含まれています。これらの幻想に基づく行動を超えることが、私たちの次なる進化に繋がります。

物質的なものにとらわれず、私たちは「素粒子」のレベルで世界とつながっている存在です。科学が明らかにしたように、私たちの体も地球も、さらには宇宙全体も、同じ素粒子で構成されています。これらは一見別々の存在に見えますが、実際には深いレベルでつながっているのです。この「ワンネス(oneness)」の理解こそ、私たちが目指すべき生き方です。すべての生命、そして宇宙そのものと一体となり、物理的な限界を超えて行動することで、私たちはより自由で豊かな人生を送ることができるのです。

人間と動物、そして地球全体は、素粒子レベルで一つに結びついています。私たちはこのつながりを理解し、動物や自然を尊重する必要があります。動物を劣った存在と見なすことは、単なる幻想にすぎません。動物や自然との共生は、私たちが自らの限界を超えて進化するための鍵です。地球上のすべての生命は相互に依存しており、共に生きることが私たちの未来を切り開く道となります。

技術の進展や科学の力は、私たちに大きな可能性をもたらしましたが、それだけでは十分ではありません。私たちの内面的な進化が伴わなければ、どれほど科学が進歩しても根本的な問題は解決されません。私たちは「ワンネス」の理解をもとに、他者や自然とのつながりを深め、宇宙全体との一体感を持って生きることが求められています。

価値ある人生を歩むためのライフ・ヴァリューとは

価値ある人生とは

「価値ある人生」とは、自分のライフ・ヴァリューに向かって歩み続ける人生のことです。この「ライフ・ヴァリュー」とは、人生における価値や生きる目的を指し、具体的な達成可能な目標とは異なります。その特徴は「絶対に手に入らないものであり、常に行動によって表現されるもの」です。

例えば、「愛する」「社会に貢献する」「他者に尽くす」といった行為そのものがライフ・ヴァリューとなります。これらの行為は単なる達成目標ではなく、完結することのないものであり、私たちの人生に方向性を与えるものです。ライフ・ヴァリューに基づいた行動は、ただ一度行えば終わりというものではなく、継続して行うことが求められます。それによって私たちは、自己の内面的な成長を続け、深い充実感を感じることができます。

ライフ・ヴァリューは、北極星のような存在とも言えます。私たちは決してその場所に到達することはないかもしれませんが、常にその方向を目指して歩み続けることが大切です。このような生き方をすることで、私たちの人生はより活き活きとし、日々の行動に充実感を感じられるようになります。また、ライフ・ヴァリューに向かって生きることは、人生において困難や苦難に直面した際にも大きな支えとなります。たとえ目標が達成できなくとも、その過程での努力や行動こそが意味を持ち、私たちを成長させてくれます。

ゴールとライフ・ヴァリューの違い

具体的なゴールを達成することももちろん重要ですが、それだけでは人生の深い満足感を得ることは難しいかもしれません。ライフ・ヴァリューに沿った生き方を意識することで、どんな状況においても自分の生きる意味を感じながら前進することができます。例えば、困難な状況に直面したときでも、「他者に尽くす」「思いやりを持つ」などのライフ・ヴァリューを思い出し、それに基づいて行動することで、困難な状況に対しても前向きに取り組むことができます。

ライフ・ヴァリューと社会とのつながり

ライフ・ヴァリューはまた、私たちが他者との関係を深め、社会とのつながりを感じるためにも重要な指針となります。ライフ・ヴァリューを基にした行動は、周囲の人々にポジティブな影響を与え、他者との共感や理解を育むことにもつながります。これにより、個人としての充実感だけでなく、社会の一員としての意識も高めることができます。人は誰しも社会的な存在であり、他者とのつながりを持ちながら生きることで、より豊かな人生を送ることができるのです。

終わりのない旅としてのライフ・ヴァリュー

このように、価値ある人生とは、常に自分のライフ・ヴァリューに沿った行動を取り続けることであり、それが生きることに深い意味と充実感をもたらします。ライフ・ヴァリューは終わりのない旅路であり、その道のりを進むことこそが、人生にとっての本当の価値なのです。その過程においては、苦しみや困難も避けられないかもしれませんが、それらさえもライフ・ヴァリューに基づいた生き方の一部として受け入れることができるのです。そして、その道を歩み続けることで、私たちは本当に価値ある人生を築いていくことができるのです。

苦痛を苦悩に変えない生き方

苦しみは自分が作り出している

多くの人が感じている「苦しみ」とは何でしょうか。それは、もしかすると私たち自身が作り出しているものかもしれません。私たちは、日々の出来事に対して解釈を加え、その解釈が感情を生み出し、時にはそれが苦痛をもたらします。しかし、その苦痛をさらに「苦悩」にまで拡大させているのも、実は私たちの思考や感情に対する執着です。

本来、この世界にはただ「モノ」が存在し、その「もの」が動いているだけです。しかし、私たちはその「モノ」に対して意味を与え、解釈を行い、その結果、さまざまな感情を生み出します。ある出来事に対して、苦しいと感じるのは、その出来事そのものが苦しみをもたらしているわけではなく、私たちの解釈によってそう感じているのです。

苦痛は避けられないが、苦悩に変える必要はない

仏教の教えには「四苦八苦」という言葉があります。生老病死や愛別離苦など、私たちが避けて通れない苦痛が人生には存在します。しかし、重要なのはその苦痛をどのように受け止めるかです。苦痛を苦痛として感じることは自然なことですが、その苦痛を「苦悩」にまで引き上げてしまう必要はありません。

「苦痛」とは、例えば身体的な痛みや感情的な辛さのことです。しかし、「苦悩」とは、それに対して私たちが自ら作り出す二次的な反応です。苦痛が存在すること自体は避けられない現実であり、それを問題視するのではなく、苦痛を苦悩に変えてしまい、身動きが取れなくなることこそが本当の問題なのです。

思考や感情をただの「思考や感情」として捉える

実際、私たちが感じている思考や感情は単なる反応に過ぎません。それは、出来事そのもの、つまり「事実」とは異なるものであり、私たちが後から付け加えた意味合いに過ぎないのです。このことを訓練によって理解し、思考や感情に振り回されないことが、自由で活き活きとした人生への第一歩です。

思考や感情をただの「思考や感情」として認識することで、どのような破滅的な考えが頭に浮かんでも、それが現実を決定づけるわけではないと気づくことができます。たとえ不安や恐れ、絶望のような感情が湧いてきたとしても、それとは関係なく、自分の価値に基づいた行動を選択することが可能です。このようにして、自分の人生をより価値ある方向に導くことができます。

活き活きと生きるために

活き活きと生きるとは、自分の思考や感情にとらわれず、価値に基づいた行動を取ることです。私たちは、自分自身の内面にある無意味な解釈や執着から解放され、より自由に行動することを目指すべきです。そして、そのためには訓練が必要です。

私たちは、その訓練と方法を提供することを目指しています。思考や感情に対する距離を持ち、それを現実と混同しないようにすること。そして、自分にとって価値ある方向に向かって進む力を育むこと。それが、苦しみから解放され、活き活きとした人生を送るための道です。

どんなに苦痛が伴う状況でも、それを苦悩に変えず、価値ある人生を歩むための道を一緒に模索していきましょう。

私たちのテキスト「愚かなサルどもへ」に書かれていること

「愚かなサルどもへ」は、私たちのテキストであり、思想的な中心的存在です。

この文書は、妄想や幻想に囚われた人間たち(愚かなサル)に向けて、自我を超えて生きる方法を説いています。具体的には、脳が生み出す思考や感情はすべて幻想であり、それに囚われないことを重要視しています​​。

この文書の目的は、妄想や幻想に左右されない「ニューヒューマン」となるための道を示すことです。
私たちの目標は、物理的に不可能なこと以外はすべて可能であり、自らの限界を打ち破り、自由に行動し、社会に貢献することです。
さらに、宇宙との一体感やワンネスの実践を通じて、自己と他者の区別を超えた理解を促します​。

「愚かなサルどもへ」では、思考や感情の妄想性を指摘し、脳内に浮かぶものに反応せず、行動を重視することが説かれています。
これにより、従来の価値観や信念から自由になり、科学的根拠に基づく新たな生き方を追求することが求められています​​。

愚かなサルどもからニューヒューマンへ

現在の人類、つまり「愚かなサルども」は、まるでがん細胞のように地球を蝕んでいます。彼らは互いに争い、他の生物を絶滅に追いやり、資源を浪費し、環境を汚染しています。自分たちが地球を支配しているかのように振る舞い、どこに存在しても破壊と汚染をもたらしているのです。

この行動は、宿主である地球をも滅ぼすがん細胞と同じです。もしこの見方に疑問を持つならば、歴史を振り返ってみてください。平和な時代よりも、戦争と破壊の時代の方が長く続いています。人類がいなくても地球は問題なく存続していけるのに、愚かなサルどもがいることで、地球全体が危機に瀕しているのです。

私たちは、この状況を変えるために「ニューヒューマン」という新しい存在を提唱しています。ニューヒューマンは、愚かなサルどものようにエゴや欲望に振り回されることなく、地球との調和を大切にする人々です。彼らは、自分が宇宙の一部であり、地球、動物、他の生命と深く繋がっていることを理解しています。このワンネスの感覚を持つことで、ニューヒューマンは地球と共に生き、動物とも共生する存在を目指します​​。

私たちの団体は、このニューヒューマンを育てることを目的としています。そのために、さまざまな練習や実践を通じて、会員がニューヒューマンとしての資質を身につけられるようサポートしています。特にマインドフルネスを通じて、会員は自分の思考や感情を冷静に観察し、無駄なエゴや妄想に振り回されずに行動する力を養います。このプロセスを通じて、私たちは地球や動物、そして他の生命との一体感を育み、共に生きる方法を学んでいきます​​。

愚かなサルどもは、物質的な欲望や短期的な利益を優先し、その結果、環境や生態系を破壊し続けます。しかし、ニューヒューマンは異なります。彼らは、地球や動物、他の生命との繋がりを大切にし、日々「役に立つ行動」を選び取ることを重視します。ニューヒューマンにとって、個人のエゴや欲望を超えた行動こそが、より大きな調和と未来に貢献する鍵なのです。

ニューヒューマンとは

ニューヒューマンとは、科学的知性と精神性を兼ね備えた新しい人類像のことです。 ニューヒューマンは、科学に対する絶対的な信頼を持ち、それを活用します。 また、「どうでもいい」という概念を理解し、実践します。

  • 科学に対する絶対的な信頼: ニューヒューマンは、オカルトやスピリチュアル、迷信など非科学的なものではなく、科学に基づいて思考します。 科学は、自然界の現象を観察し、その法則性を明らかにすることで、全人類に役立つ知見を提供します。 科学は、個人の信念や価値判断が介入する余地がなく、普遍的なものです。
  • 「どうでもいい」という概念: ニューヒューマンは、「どうでもいい」という概念を理解し、実践することで、こだわりに囚われず、客観的な視点を持つことができます。 この概念を身につけることで、科学の発展や社会貢献など、より大きな目標に向けて力を注ぐことができるようになります。

ニューヒューマンは、「私」という意識に支配され、地球を壊している「愚かなサルども」とは異なる存在です。 私たちの存在は地球にとって必ずしも必要なものではなく、むしろ不必要なものとも言えるでしょう。 だからこそ、脳の中のOSを入れ替えたニューヒューマンが必要なのです。