アクセプタンス、コミットメント、ソリューションフォーカス

solution

私たちのやり方は、その根底に

次世代の認知行動療法の一種で関係フレーム理論に基づいたやり方や、

ミルトン・エリクソンを源流とするブリーフセラピーをもとにしています。

V.d.s.

特に、

・ 上手くいっているならそれをやり続けよ
  上手くいっていないなら、違ったことをやろう
  違ったことをやって上手くいったなら、それをやってみよう

・ 悩ませ、時には絶望に追い込む思考や感情との関わりを根本的に見直す

・ 避けることができない痛みや不安、苦しみ(死ぬこと、病気になること、老いることなど)をアクセプト(無条件に受け入れる)し、自分が持つ人生の価値を発見し、コミットメントする(価値に向かった宣言と行動)

に特徴があります。

つまりは、生きていると避けられない苦しみや悩みを受け入れるのと合わせて、それとともに、それでも自分のやりたいことを出来るようになるという方法です。

何か上手くいかないことをトラウマや幼児体験、前世体験や無意識に原因を求める「原因追求・問題追求型」ではなく、

今、苦しい状況を未来に向かってどうやって解決してゆくか、という「未来指向・解決指向型」の方法です。

多くの人は、問題がない状態こそが普通であり、不安や痛みがあるのは問題であって、不幸せなことであるから取り除かなければいけないと考える傾向にあります。

そして、こんな苦悩を抱えている自分は何と不幸なことで、どうしようもないと考えがちです。

そう考えて、これらと戦ったり、コントロールしようとしたり、さまざまな理由づけをして逃避しようとします。

ですが、心の問題は避けたり取り除いたりする事で逆に悪影響を及ぼす場合もあります。

思考や感情は勝手に湧き出ては消えてゆくものですし、その内容もコントロール出来ません。

それらは自分が作り出したものです。

ところが、それら感情や思考に自分が振り回され、

不快と評価した思考や感情に、ポジティブな呪文を唱えて、そんな気分にならないと行動出来ないとか、

捨て去るなどということをしないと行動出来ないとか、

そんな対処の繰り返しが、問題を維持していると考えます。

また、さまざまな理由で回避や逃避をすると、人生や生活において非常に硬直し制限されたものになりがちです。

たとえば、人が怖いという人は、引きこもったりしますが、

引きこもると、もっと恐ろしい不安がやってきます。

このまま引きこもっていたら自分はどうなるのだろう・・・と。

実際には、その人にとって「人との関わりがとても大切」だから人が怖くなるのです。

大切でなければ怖くなる必要すらないはずです。

このように、従来ずっとやり続けてきた回避やコントロール、戦うという方法が意味をなさないとすれば、

アクセプト(無条件で受け入れる)が重要となります。

思考や感情との関わりを変えることが重要となります。

本来自分が人生で実現したい「価値」の発見が重要となります。

残念ながら痛みや不安、苦しみは避ける事が出来ません。

私たちは、不安や苦しみと上手に向き合いながら、なりたかった自分になるためのやり方を体験型で提供します。

なぜなら、従来の思考パターンで考えて得るものは少ないからです。
そのために、思考ではなく、たくさんの体験によって学んでゆくのです。

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【人生の自由を取り戻す V.d.s.】

心理学を人生に徹底利用して、人から見たら「魔法使いのように」生きませんか。
https://v-d-s.net/

最近のブログはここです。
http://sinriseminar.com/

http://vds-store.com/ では、とんでもないものも扱っています。

ゲーム感覚で

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私たちは、第3世代の認知行動療法やSFA、MRIなどのブリーフセラピーなどの理論や技法をゲーム感覚で「より良く生きる」ために使用しています。

私たちの基本的な考えは、

壊れた人はいない。
壊れたように見えるのは、出来事に対する対処が役に立っていないだけである。
そのままが持ってるリソースを最大限に引き出し、役立つスキルを身につけることは可能である。

思考、感情はコントロールできないが、行動はコントロール可能である。

人生や思考、感情から良いと思うものだけを残して、嫌と思うものだけを取り去ることはできない。

嫌と思うものを回避したり、そこから逃避すると不安や恐怖は強くなり、結果的にそれらに対するスキルは身につかず、人生や生活の幅を狭める。

思考や感情から距離を取り、不快と思うものを完全受容することによって、活き活きとした人生を歩むことができる。

どんな思考や感情を持っていても、自分の人生を賭けて実現する価値を発見し、それを実現することは可能である。

どんな思考や感情の嵐に巻き込まれても、心は静寂を保つことができる。

今、ここに全てがある。

この世界は出来事やモノに対するその人の解釈から成り立っている。
解釈を変更することによって現実を変えることができる。

自分が作り出した人生のシナリオをあたかも変更できないかのように振る舞い、それを演じてるに過ぎない役割を本当の自分だと信じ込んでいる。
本当の自分はシナリオや役割ではない。

などを一緒に学んでゆきます。

遊び心を持って、あの秘密結社の儀式を入会式やレベルアップ時に行っています。

これが実に楽しいです。

女性はフリーメイスンリーに入れませんから、私たちのところで擬似体験しても楽しいですよ。

私たちのストアではフリーメイスンリーの儀式書も販売してます。

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避けられない苦痛

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最近、近しい人が亡くなりました。

病気で肉体的にも精神的にも苦しみ、緩和ケアを勧める医師に対して、

「頑張る」

と言って、最後まで病気と闘い続けました。

普段は距離が近すぎで、いつもそこにいて当たり前の人でも、

命に関わる病気になると、その人の重要性がとてつもなく分かるものです。

この人のために何ができるのか、

できることをあらゆる手段を使って何とかしよう、と思いました。

ついに亡くなってしまうと、人生の空間の一部がなくなってしまうような喪失感に襲われます。

葬儀の時、坊主は

「人は必ず死ぬものである。

誰もが等しく死を体験するものである。

病と闘い、今はその苦しみから、安らかな・・・」

と言っていたのが印象的でした。

当たり前のことですが、私たちは誰でも死ぬべき存在なのです。

生きている私たちは、自分の死をとても怖く思うため、

ずっと先に死ぬものと勝手に決めてかかっています。

考えてみれば、人生には多くの苦痛があります。

苦痛は、精神的にも肉体的にもとても痛いものです。

いつ飛んできて刺さるかも知れない矢のようなものです。

そして、その矢である苦痛は避けられないものであります。

確実に当たってしまいます。

人の死、自分の死はいつやってくるとも分からず、

病も年老いることも、人と別れることも、とても痛いものなのです。

避けることができない苦痛を避けようと努力すると、必ず苦悩が出てきます。

苦悩とは、苦痛であることを苦痛に思うことなのです。

たとえば、

死や病を恐れて、それを苦痛に思うこと、

まだ来てもいない未来の出来事を考えて苦痛に思うこと、

すでに終わってしまった過去の出来事を思い苦痛に思うこと、

人が出会えば必ず別れるのに、しかし、まだ別れてもいないときから、別れないように不安になって苦痛に思うこと、

いくらでも私たちは苦悩を探すことができます。

しかし、苦痛は避けられないにしても、苦悩は減じることはできます。

どんな感情の嵐のまっただ中にいても、心は静寂を保つこともできます。

死は最大の苦痛であり、その死から来し方をあらためて眺めてみると、さまざまな気づき、

人生を変えるくらいの気づきすらあるでしょう。

私たちの「死と再生セミナー」に参加してみませんか?

日時 12/14  12時~15時

詳細は、https://v-d-s.net/?page_id=9841

私たちは、第3世代の認知行動療法やSFA、MRIなどのブリーフセラピーなどの理論や技法を「より良く生きる」ために使用しています。

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私は充実している!

何かに熱中しているとき、何かを達成したとき、充実を感じることがあります。

しかし、充実を感じるために何かする、となるとまた話は別なものになります。

私たちは「活き活きと生きる、あるいはより良く生きる」ということを一つのテーマとしています。

もちろん、活き活きと生きているとき、わくわくする感じや達成感もあるでしょう。

でも、活き活きと生きることは必ずしもこれらの感情を伴うとも限りません。

つまり、充実していないとやっていられないと信じているならば、それは「活き活きと生きること」からとても遠いところにいるのです。

本当は何かやりたいことがあるのに、その方向に進もうとすると、おびえたり、不安が強くなったりして、アルコールやドラッグに逃避すると、これらを使用しているときはとても気持ちがいいでしょう。

だからといって、アルコールやドラッグに依存、逃避することが活き活きと生きることではないはずです。

アルコールやドラッグを捨てて、それでも歩むときには、不安、恐怖、怯え、弱さなどを感じるでしょう。

自分が本当に歩みたい道を進むとき、「よい気分を感じる」ことが必要条件ではないということなのです。

そうではなく、「うまく行動する」ことがとても大切になります。

感情や思考に行動が支配されるのではなく、いい感情や思考・不快な感情や思考を持ちながら、行動は独立して行うことが「うまく行動する」ということでもあります。

湧いて出てくることもコントロールできず、その内容もコントロールできない思考や感情に従って生きると、とても苦悩の多い人生になるでしょう。

従来の心理モデル、セラピーでは

“問題/苦悩/ネガティブな感情・思考”をどのように管理/対処するか?どのように克服するか(打ち勝つか)?

にメイン・フォーカスが当たっていました。

しかし、

“苦悩/問題”を乗り越えよう、解決しようとして私達が行なってきた努力は、果たして私達の状況を改善してきたでしょうか?

同じ状況になると苦悩にもがきながら同じ対処を涙ぐましくやり続けていなかっただろうか?

気がつくとさまざまな理由づけや評価をして、問題を回避していないだろうか?

私達は今一度、この言葉の意味を考える必要があると言えるでしょう。

私たちは、

“問題/苦悩/ネガティブな感情・思考”は生きている以上あって当たり前であるし、苦しみだけを避けて都合よく、いい気分や思考だけを受け入れるということは絶対にできない。

しかし、実は、

苦悩/問題を抱えたままでも“自分が人生で本当に実現したいこと”を発見・強化し、行動していく「コミットメント」の姿勢を持つことで私達は誰でも活き活きと生きることができる。

という哲学に基づき、「価値の発見」、「行動」のための介入を行います。

こう書くと、自己啓発のように見えますが、そういった「いい気分を求める」ものではないのです。

私たちは、第3世代の認知行動療法やSFA、MRIなどのブリーフセラピーなどの理論や技法を「より良く生きる」ために使用しています。

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あなたは「ラベル」ですか?

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あなたは誰ですか?
何者ですか?

と質問すると、必ず

私は○○(名前)です。
○○で生まれ、現在結婚して、○○というところで働いています

というように、答えます。

けれども、よくよく考えるとこれはその人の属性を表しているだけで、
決してその人そのものを説明しているわけではないのです。

名前が○○であり、○○で生まれ、現在結婚して、○○というところで働いているのがあなたですか?

と再び質問すると、

???

となります。

これは、容器の中に何かがあり、その容器の中身を示すラベルを説明しているにしか過ぎないのです。

つまり、ラベルは中身と関係ないのです。
ラベルは、中身そのものではないのです。

しかし、ラベルを貼り付けると、それが中身と全く同じものであるかのように人は錯覚します。

このラベルは、人から貼られる場合もありますし、自分で貼ってしまうものもあります。

 

もし、名前があなた自身なら、名前が変わるとあなたでなくなることになります。

もし、「短気」があなたなら、短気でないときはあなたではなくなります。

 

ラベルというものは、勝手なイメージであり、ラベルは、本当の自分を決して表したりはしていないのです。

本当の自分は、ラベルというイメージに縛られ、不自由な奴隷の身となっているようなものです。
イメージとはそれ自体、単なる自分だけのイメージにすぎないものです。
実体のないものなのです。
しかし、それを現実だといとも簡単に信じ込んでしまうものなのです。

これを思考との一体化(フュージョン。思考を事実だと信じてしまうこと)と言います。
思考を事実だと信じると、考えていること自体が事実となります。
考えは自分が生み出すものであり、刻一刻とさまざまな思いが湧いてくるのですから、それらに振り回されている自分がそこにいるだけなのです。

 

感情にしても同じことが言えます。

人は、自分で作りあげたラベル、他人から貼られたラベルを信じ、翻弄され、自由を奪われ、苦しんでしまうのです。

「自分は無能だ」というラベルを貼ると、わざわざ成功を拒否するような生き方を、自らに強いるようになるかもしれないし、成功しても、より深く劣等感に悩むかも知れません。

あたかも自分が勝手に作り上げた妄想の中で、それはまるで、不幸な役柄を演じている俳優のようでもあります。

その俳優が手にしているものは、シナリオです。

そのシナリオは、生きてきた記憶の断片と出来事をつなぎ合わせ、「評価」「理由づけ」により、苦しみに満ちたストーリーに仕立て上げられ、それこそが「真実」だと疑いもしないものなのです。

素晴らしい苦しみのシナリオを手にし、あまりにも演技に夢中になり、すっかり役柄になりきってしまい、自分が俳優だということを忘れてしまっているかのようです。

 

ラベルを剥がし、シナリオを捨てて、本来の自分を発見しませんか?

もうそんな生き方は疲れてしまったでしょう?

 

この世には実体としての苦しみや不幸なんてものは存在しません。
単に、苦しんでいる人、不幸を演ずる人がいるだけなのです。

モンキーマインド

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多くの人は思考と一体化してしまっています。
ふと気がつくと、思考していることすら忘れてしまっているのですから。

思考は事実そのものではなく、事実を解釈したあなただけのものなのです。

事実を解釈した思考があなたを苦しめるとするならば、それに対する対処が必要となります。

思考や感情はモンキーのようなものです。
放っておくと暴れたり、いたずらをしたり、注意を向かせようとします。

あなたがモンキーを追っかけると、ますます得意になって暴れ回り、つかまえることがなかなかできません。
つかまえたとしても、また別のモンキーが出現します。

言うことは聞かないわ、挑発するわ、相手にするとますます元気になるわ、大変なことになります。

いいですか、思考はモンキーのようなものです。

それを捕らえよう、静かにさせようと懸命になればなるほど暴れてしまいます。
ついにはどうしようもなくなります。

あなたのすべきことはただ一つです。

モンキーを永遠に追い出すことはできません。
このモンキーと戯れることなくただ眺めるだけなのです。

これまでのあなたはモンキーを追い出すことに時間を費やしてきました。
確かに、モンキーを怒ったりするなど強烈な刺激を与えると、一時的にはおとなしくなるでしょう。

しかし、すぐにモンキーが現れ、また同じことを繰り返しています。

いろいろな挑発やいたずらに業を煮やすかも知れませんが、それを眺めるだけなのです。

マインドフルネスとは、「今、ここ」の体験に基づき、価値判断せず、ありのままに受け入れる態度および方法です。

思考や感情を単に、イメージや音、言葉などに過ぎないとその正体を見極め、思考や感情に支配されることなく、それをあ

りのまま全て受け入れることによって、思考からものを見るのではなく、思考そのものを観察するのです。

マインドフルネスは、第3世代認知行動療法のコア・テクニックでもあります。

もともとは仏教のヴィパッサナ瞑想だったのですが、宗教色を取り除き、より多くの人に利用できるよう発展してきました

ストアでも扱っていますので、興味があれば聴いてみてください。

代償という料金を支払って、自作自演の大芝居

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同じ経験をしても、

悩みやすい人
悩みにくい人

がいるのはなぜでしょうか?

という問いを私はよくします。

「それは、性格が違うから」

と多くのみなさんは答えますが、

では、悩みやすい人と悩みにくい人では、どんなふうに性格が違うのですか?

「性格」という言葉を使うと、それで分かったつもりになってしまうことでしょう。

あるいは、自分は

「もともとこんな『性格』だから悩みやすいんだ」

と自分に対する評価をしっかりと固定することでしょう。

自分は「悩みやすいから仕方ないんだ」と決めつけて、

何の解決にもならない答えです。

 

よく考えてみると、

体験した出来事や物事に対する「解釈が違う」からこそ、感情に差が出てくる

ことに気がつくと思います。

解釈が違う、つまり、あなたが考えることは事実そのものではない、ということです。

もし、あなたが考えることが事実そのものであれば、みんなあなたと同じように考えるはずですが、実際はそうではありません。

事実ではなく、事実の解釈なのです。

解釈は人の頭数ほどあります。

しかし、人は自分の解釈にすぎないものを世界の常識や絶対的な真実のように勘違いします。

勘違いするどころか、それをそのまま信じてしまうため、

感情が表れるのです。

そう考えると、

さまざまな感情は、事実そのものに反応しているのではなく、それぞれみなさんの事実を解釈した思考に反応しているにしか過ぎないのです。

自作自演をしているのです。

 

たとえば、

嫌いな人がいる場合、

その人の嫌な要素をその人にかぶせてしまうと、その人そのものが嫌のように思います。

実際は、嫌な要素をかぶせる、つまりは、自分の思考をその人に見て、それに反応しているにしか過ぎないのです。

 

もし、自分が好む人としか付き合わないというならば、

あなたの人生はとてつもなく制限されたものになるでしょう。

なぜなら、自分が「嫌」と評価するのは気まぐれであり、

「嫌」と思うものは望まなくてもやってくるのですから。

 

「嫌」なものがあると、人は戦ったり、回避したり、コントロールしようとします。

そうすることで人生に代償を支払ってきたはずです。

「私はこれでいいんだ」という人もたまにはいます。

あなたがそれを選択しているなら、それはあなたの選択ですから、選択に対する責任はあなたが負うことですね、

と答えることにしています。

でも苦しんでいる人は、自分の選択にすら責任を負っていないではないですか。

同じことでどうして後悔し、苦しむのでしょうか。

「これでいいんだ」と啖呵を切って同じことを繰り返すのは、無責任な選択ではないでしょうか。

 

もう一度書いておきます。

「嫌」だと思うことについては、

事実は・・・

自分の思考を投影したものに反応しているだけなのです。

 

人は「嫌」と思っていても、その人と付き合うこともできますし、お話もできます。

どんなことを考えても、どんな感情を持っても、行動は独立してできます。

だって、みなさん、嫌なことを嫌だと思いながらもやってきているではないですか。

 

もし、どんな思考や感情があっても、それらの言うとおりに行動するのではなく、

それらが何を言おうが、自分にとって役立つ行為ができるのなら、

とても素晴らしいことだと思いませんか?

私たちは、それを目指しているのです。

あなたを阻むものは・・・

「“苦悩/問題”を乗り越えよう、解決しようとして私達が行なってきた努力は、果たして私達の状況を改善してきたでしょうか?」

ポジティブ思考を持とうとして、あたかも儀式のように必死に思い込もうとします。
それが上手くできないと、もっとポジティブに思おう、それができないのは、自分がネガティブだからだ、と自分を責めます。

この時、代償を支払っているのです。

まず、思考や感情をよくしないと行動できない自分
次に、自罰的になる

という代償です。

思考や感情はコントロールできない上に、これらのものは自分が作り出したものであるにもかかわらず、
作り出した思考や感情に人生が振り回されている状態です。

そして、必死にコントロールできない思考や感情をコントロールしようとするのです。

ついには・・・自分の努力が足りないと。

あなたの人生は、思考や感情をコトンロールできないと歩めないかのように振る舞っています。

本当の目的は、思考や感情のコントロールではなく、本来やってみたいことをする、歩みたい人生を歩む、ということが目的のはずです。

嫌なものは、向こうからやってきます。

やってくるのをコントロールできないのです。

あなたの人生は、思考や感情のものですか?

それとも、あなた自身のものですか?

それでも思考は、

いや、これまで上手くやってきた
ほかに方法がある
アクセプタンスだって?そんなことできない
あなただけができる
簡単な方法を探す
別に今はそれで困らない
難しすぎて分からない

と囁き、理由や証拠まで見せてくれます。

これらの思考は常に自分とともにあります。

これらの思考をそのまま信じると、何が残るでしょうか。

そう、苦悩が出てくるともがく自分
「しないこと」を狡猾にも「できない」と言い換えて、本来できることから逃げ出す自分
そのくせ、夢だけは大きく持っているだけの自分

あなたは何をしたいのだろうか。

思考の言うことをそのまま信じ続けるのだろうか。

できない無力な自分を演じる俳優として人生を過ごすのだろうか。

コントロールできないものをコントロールしようとし、
さまざまに理由づけと評価を用いて、これまでの自分を維持してきたこと、
そして、同じところでぐるぐる回っている

その事実に目を向け、

思考が何を囁こうが、

違った方法で生きることこそ、勇気ある一歩のような気がしませんか?

あなたを阻むものは、物理的には存在しません。

常に、あなたの頭の中にあるのです。

あなた方の思考は今、こんなところではないですか

レベル1に進んで、さまざまなことを学んでいくときに、いつも邪魔するのが

思考の囁きです。

あなたは、その思考の囁きをあたかも事実のように聞いてきました。
もう何十年も。

頭では分かるが、どうもそんなことできない

というようなものです。

思考は、あなたを守ってきたのです。
たとえ苦しくても、どんなに人生に制限があっても、自分や人を傷つけても、それでもこれまで何とかやりくりできてきたのだから、何が起きるか分からない方法をするよりも、今までの方がよい、と。

本当に、それでいいのですか?

今、あなたの思考に

こんなことできない
私には向いていない
特殊な訓練や努力が必要だ
時間がない

など、研究会を続けることを妨げるものはないですか?

妨げるものがあるなら、どうしてそんな思考を持つのでしょうか?

本当にどうでもいいと思っているなら、続けてもいいはずですよね?

時間が無駄だ、と思うかもしれません。

では、1日のうち、無駄にしていない時間はないのですか?

 

あなたは自ら思考していることすら忘れてしまいます。
そして、思考の声を無条件で信じ込み、それが自分だと錯覚し、その通りの行動、つまり、思考に支配された行動をします。

つまり、思考の働き・・・・

たとえ苦悩におぼれても、これまで通りの自分を維持し、人生を制限するさまざまな仕掛け

をささやくのです。

それはもっともらしいことで、常識で、理にかなっているように見えます。

ここで、思考に「取り憑かれている」自分に気づいてもらいたいのです。

思考がささやいていることすら自覚できず、否定的・懐疑的な状態になった時には、あなた自身もいつも、このことばを意識してください。

 

「今、あなたの思考は何と言っていますか?」

「思考の作り出す理由づけを信じて逃げ出すと、確かにホッとしますが、そのあとあなたはどうしますか?同じことがこれまでになかったですか?」

「思考が作り出す理由づけはその正しさを証明できますか?」

「その思考は役に立っていますか?あなたに素晴らしい解決方法を示していますか?それとも同じことの繰り返しですか?」

「それはこれまで何度も聞いてきた台詞ではないですか?」

「思考が『こんなの何の意味もない』、『こんなことできない』と言っているから、という理由だけで続けるのをやめたら、あなたの人生はどうなりますか?よくなりますか?今の状態のままですか?」

「思考はあなたをより良い人生にしますか?」

 

こんな時は、あえて、思考の言わせるままにしておき、思考の言うこと(何度もあなたが聞いてきたおなじみの台詞)を言うがままにさせましょう。

むしろ、思考が頑張れば頑張るほど、それにかまわず(かまうと思考の言うことがもっと強くなりますから)、むしろ、聞き流しながら、逆のことをやってみましょう。

思考は、ささやくことしかできないのですから。

そして、何よりも思考の囁きを信じたら、

これまでのあなたしか残らないのです。

ほかに方法があるさ・・・

もっと楽な方法があるさ・・・

これまでの自分でいいのさ・・・

同じことを繰り返す、あなたがいるだけなのです。

苦悩や問題を取り除かない限り、幸せにはなれない???

私達の多くはトラップ(罠)にかかっています。

あまりにも当たり前すぎて、それのどこが問題かすら分からないものです。

それは

苦悩や問題を取り除かない限り、幸せになれない

という考え方です。

苦悩や限界などがあれば、それを取り除こうとするのが、マインドの問題解決作用です。
これは、『皮膚の外の世界』(つまり現実の世界)では、有効な問題解決作用です。

モノが壊れれば修理や交換、新しいものに入れ替えたりします。

しかし、マインドの持つ問題解決作用を『皮膚の内の世界』(心の中のこと。たとえば思考や感情など)に適用すると、問題が解決するどころか、それが維持され、多くの場合悪化するのは、あなた方の体験で明らかでしょう。
確かにつかの間はホッとしたり安心しますが、それの代償として、同じことの繰り返しや生活や人生に対する制限を受け取るのです。
これは、心の中の出来事は、コントロールできないという事実に基づきます。
そして、苦痛は望まなくても独りでにやってくるものであり、人生や生活の至る所にそれらはあります。
避けることができないものなのです。

みなさんは、苦痛は嫌だ、というかも知れません。

では、私はみなさんに問いましょう。

死ぬと分かっているのにどうして生きているのですか?
分かれると分かっているのにどうして人と知り合ったり、結婚したり、仲良くなるのですか?
病気になると分かっているのに、どうして健康を維持しようとするのですか?

つまり、生きていることそのものの中に必ず苦痛は含まれているのです。

私たちは、

変えられないものを受け入れる心の平静を、
変えられるものを変える勇気を、
そして、変えられるものと変えられないものの違いを知るための知恵を

培うのです。

苦悩や問題を取り除く必要はありません。

むしろ、

苦悩のある無しに関わらず、“ライフ・ヴァリュー(=自分が人生で大切にしたいこと)”に基づく生き方が出来れば、活き活きとした人生を送ることができる

ことを目標としています。

幸せというものは、気持ちよくなることでもなく、苦悩がなくなるというものでもないのです。

そもそもそんなものははじめからないし、これまであったこともないし、これからもないものです。

どんな苦痛があったとしても、それでも歩みたい人生を歩む

最高の人生ではないですか