謝罪 白黒二分

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最近はテレビでの会見や裁判などで「謝罪」というものをよく見ます。
もちろん日常生活でも、謝罪を見たり、出くわしたりもします。

「被害者」が「加害者」に向かって
言葉では反省を言ってるが、心の中では反省していない

誠意が見えない
と繰り返し聞きます。

それが何ヶ月も、何年も、何十年も続くことさえあります。
まだ、誠意が感じられない

まだ、心から謝っていない
と。
では、どのようにしたら誠意があると分かり、心から謝ったと分かるのでしょう?

人の心は分からないと前のブログで思考実験とともに書きました。

心は推測はできますが、分かることはできません。
その推測も、あたり・ハズレという程度のものです。

誰も他人を体験することができないからです。

もし、分かるんだという人がいれば、コミュニケーションは必要なくなるでしょう。
分からないからこそ、コミュニケーションをとって分かろうと努力するのです。
けれども、やはり分からないものなのです。

できないことをやろうとすると、そこに苦しみがあります。

なぜなら、現実を思考で否定したところで何ともならないからです。

暴風雨の中で、目を閉じ、耳をふさぎ「暴風雨よ来るな!」と叫んでいるようなものです。
すでに暴風雨は来ているのに。

心が分からないからこそ、「まだ誠意がない」と際限なく続き、悲しみや傷付きが延々と続くのです。

そうしているうちに、その周辺に心傷つくものも増えてゆくのです。

傷つけたものが「加害者」なら、「被害者」が容易に「加害者」になることもあるでしょう。
いや、先に傷つけたものが「絶対的な加害者だ」ということにとらわれると、被害者はどんなに人を傷つけてもそれが正当化されてしまうことになります。

認知行動療法で出てくる「白黒二分法」の典型ですね。
そして、「被害者」は傷ついたから、傷つけた「加害者」に対して何をしてもいい、できないことを要求してもいいと考えてしまうと、際限なく苦しむことになります。

私もそんな立場になったら自信はないです。
でも、できないこと、分からないことはどうしようもない、と現実を見て、その現実からいちばん妥当な選択ができるようになれば、と思います。
私がこれまで述べてきた、思考や感情、人生の価値、マインドフルネスなどをまとめたテキストを音声誘導付きで作成中です。

そこには具体的にどうすればよいのか、という実践や人生の価値を見つける方法などが書かれています。

みなさんの生き方に役立てば、と思っています。

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人の心は分からない

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人の心は分からない

こんなこと言ったら、とんでもないやつだと言われそうです。

人の心が分からないなんて、おまえはどうかしている。
人の痛みが分かる人にどうしてなれないのだ。

と怒られそうです。

ついには、

おまえは人間として失格だ

と人格否定までされそうです。

ところで、本当に人の心は分かるのでしょうか?

たとえば、生まれつき「赤」が「青」に見える人がいたとして、りんごを見たとき、
その人が「赤」を見ているとどうして分かるのでしょうか?

なぜなら、その人にとっては「赤」が「青」だからです。

そして、人は、他人を体験することができません。
その人の体験はその人でないと分からないものなのですから。

有名な「箱の中のカブトムシの思考実験」があります。

『ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインによって提案されたこの思考実験は、まず数人の人が集まったグループを思い浮かべます。グループの各人はカブトムシが入った箱を渡されますが、誰もカブトムシがどのような形をしているか知りません。また、それぞれの箱には違う形のカブトムシが入っており、他のグループメンバーには、自分の箱に入っているカブトムシについてのみ話せます。ですので、グループ内のメンバーが得たカブトムシの情報はそれぞれ違っており、彼らにとってカブトムシは、単に「箱の中に入っている物」を示します。

この思考実験は、カブトムシは人間の心に似ており、他の人間の心は当人にしか知り得ず、他人は何を考えているか予測できないものである、ということを示しています。他人が経験していることを視認できても、心の中で経験に対してどのように感じているか、などは全くわかりません。』

というものです。

もし、人の心が分かるのならば、争いや誤解というものもないでしょう。

事実は、同じ経験をしても、楽しい人、つらい人、何とも思わない人など、さまざまな思考や感情を人は持ちます。

このように人の心の中身が分からないからこそ、態度や言葉遣い、表情などでその人の心を推測するのです。

しかし、心を推測したところで、感情というものは瞬間瞬間のものですし、当人にもはっきり分からないとらえどころがないものです。

つまりは、分からないものを分かろうとすると、さまざまな苦しみになるのです。

「あの人はどう考えているのだろう」

「ここにあるメールの意味は何なのだろう」

「どうしてこんなことを言うのだろう」

いくら考えても分かりません。

推測が当たることもありますし、外れることもあります。
推測は、相手の気持ちや考えを観察したものではなく、自分の思考(物事に対する解釈。相手の言葉の解釈。メールの意味の解釈。行動の解釈)に対して反応しているだけなのです。

苦悩というものは、現実にはコントロールできないもの、自分ではどうしようもないものをそれでも何とかコントロールしようとする、現実否定の上に成り立っています。

「人の心は分からない」

これを前提として、行動に対する対応を選択するほうが、遙かに役立つ生き方かもしれないですね。

そうそう、人の心は分からなくても、推測はできる場合がありますから、もちろん配慮する必要はありますね。

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男から見ると 女から見ると ○○から見ると

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男から見ると 女から見ると ○○から見ると

相手と話していて、よくこのような言葉を使ってしまいますね。

「あなたは男(女)だから、女(男)の気持ちは分からないのです。」

というふうに。

とてもありふれた言葉で、「なるほど」と妙に納得してしまうのですが、よく考えるとおかしなことがあります。

まず、どんな時にこの言葉を使うのかというと、

明らかに違いがあるもので、本人の努力でどうしようもないものを提出して(男女などの性別や人種、年齢など)、

『私たちとは違うあなたはそれを理解できない。理解できるのは、違いのない私たちだけ』

ような時でしょう。

つまりは、

物理的に違うから、私もあなたも理解できない関係である

と主張しているのです。

これは、対話や議論というより、相手との対話を拒絶し、反論を封じ、自らの意見を押し通すものです。

もっと具体的にいうと、

男とか女という抽象的な言葉を使っていますが、発言しているのはその人です。
その人が男や女を代表しているわけではありませんし、すべての男女がそんなに簡単に白黒分けできるものでもありません。

「私は女で、あなたは男だから、あなたには私の思いや感情は分かりません」

と、性別という物理的な違いを利用して、自分の思いのみを主張し、相手からの意見を拒絶しているだけではないでしょうか。

結局は、単なる「叱り言葉」にしか過ぎないのです。

「国民はこういうことを言っている」というような場合、国民という抽象的概念は何も言いません。
その発言しているのはその人だけです。

「私はこういうことを言う」というのを国民という言葉を利用して反論を封じ、自らの意見を押し通しているだけのような気がしませんか?

建前で話をするときも、たぶん同じことでしょう。

本当に相手を尊重し、話をするのであれば、「私」と「あなた」の関係で話するのが誠実ではないかと思います。

なにも、国民とか男女とか建前を持ち出して、相手の意見を拒絶し、自分の意見を押し通すこともないような気がしますね。

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トラブル、アクブロ、セラピスト

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ある友人のことです。(ここで書くことに了解を得ています)

2日前に相談がありました。

ある人とmixiとLineでトラブった、とのこと。

あることが原因で、「絶交」をお互いに宣言し、マイミクを切ったり、アクブロをし合ったりしているといいます。
トラブルの概要は聞きましたし、Lineやメッセのやりとりも見せてもらいました。

友人「どう?相手が悪いでしょ?」

私「分からない」

友人「これ見たら、喧嘩ふっかけてきたのは相手だし」

私「分からない」

こんなやりとりが続きました。

私「ところで、実際に会ってこんな話したの?」

友人「いや、メッセとLineのやりとりだけ」

思うに、どちらが「悪い」かなんて、第三者には分からないものです。
なぜなら、言葉などはどうとでも解釈できますし、私に同意を求めてもそれが全く解決につながるとは思いません。

私や他の友人の同意を得て相手を非難し続けることが目的であるならば、それは解決には決して結びつかないし、第三者が感情移入してもどうしようもありません。

もし、私が間に立って話を聞いたところで、お互いが「正しさ」にこだわるならどうしようもないです。

かりにそれができたとしても、「私だけの常識」でどちらが悪いかを決めるそんな大それたことはできません。

ところで・・・

おもしろいことに、相手の方は、セラピストだったのです。

日記を見ても、愛や思いやりについて書かれ、ヒーリングや認知行動療法などセラピーまで勉強しているとのこと。

誰でもこんなトラブルの経験はありますよね?

「正しさ」にこだわるとつらいなら、どうすれば解決できるかにこだわる必要があります。
正しさというものは、普遍的なものではありませんし、人の思う正しさは人それぞれです。

あたかも宇宙を支配する絶対的なルールのように感じ、それで人を判断したり、裁いたりする人がいますが、傲慢です。
なぜなら、単なる頭の中のマイルールですから。

解決のために、人のサポートが必要なら、つまり解決志向なら分かりますが、当事者が周りを巻き込んで正当性を主張し、巻き込まれた人が単純に「それを信じて」双方が攻撃し合う、あるいはおせっかいな人がしゃしゃり出て「裁く」というのは滑稽きわまりないことです。

当事者同士でも何があったのか分からないのに、他人がそれを判断することは不可能でしょう。

相手の言葉や態度に反応しているのではなく、それを解釈している自分に反応しているだけなのです。

つまり、自分の思考相手に自分が反応していることをあたかも、相手からのせいであるように反応しているのです。

さらに特筆することがあります。

お互いにマイミクを切ったり、アクブロすることが、現実の人間関係と錯覚していることです。

どうして勝手に足跡をつけるのか

ということと同じで、あたかも現実に家に勝手に入り込まれたように現実と錯覚して腹立たしいと思ったりしていることと同じなのです。

すべては現実ではない画面上の出来事とあなたの中の判断なのです。

画面上のことを実際の人間関係や実際の訪問と同じように考え、大切なことであるはずのものをより真意の伝達が困難なメールで代用し、相手からの返事や書き込みをさまざまに解釈・評価して、「きっと相手はこうにちがいない」と思い込みを強くして心と体を壊すのは
どんなものなんだろ?

相手の方の日記を見てみると、このことに少し触れ、「私が傷ついたのは事実。傷つかせた相手が謝るべき」ということを他人に訴えかけていました。

人が傷ついたから、それは「悪いこと」であり、「悪いことをした相手が謝るべき」と関係ない人たちに画面で訴えかけてどうするつもりなのでしょう。

そして、全く私の友人のことを知らない人は「そうだ。セラピストが正しい」とはやし立て、ある人は友人に「人を傷つけてはいけない。もっと人の気持ちを分かるべき。頑張れ」と説教までしたといいます。

私「その人、知ってる人?」

友人「全く知らない人」

そもそも「傷つく」などという感情を持ってそれを現実として判断することは、認知行動療法では「思考のゆがみ(感情的理由づけ)」の一つでもあります。

感情をもって正しいとするならば、この世のすべての出来事は、自分の感情に合うように作り替えなければなりません。

感情は正しいこともあるし、間違ったこともあります。
また、人によって感情は違いますから、特定の感情をもったものに周りが合わせるとなると、この世の中はどうなるのでしょう。

相手の方は、本当に認知行動療法を学んでいて、それをセラピーに応用しているならば、まず

画面の言葉を現実だと錯覚せず、大切であればこそ、対面で話すという現実を重視し、
自らの思考のゆがみを抽出してそれを補正し
感情的理由づけをやめて、正しさにこだわることも捨て、
ブロックしたりするなどの「回避行動」をやめた方がいい

とアドバイスしたくなりましたが、まさにこれこそがセラピーの中身なのです。

私は、友人に言いました

相手が大切な人で、本当に相手と自分が傷つくほど大切な問題で解決したいなら、実際に会って話したら?
それでダメなら仕方ない。
でも、相手を攻撃するために賛同者を増やすなら、やめたら?
単純な人は、その尻馬に乗ってはやし立てるけれど、ただそれだけ。
それにいちばんつらいのは自分では?

問題の根源は相手?それともあなたの思い?

あなたがどんなに思ったとしても、現実は現実ですから。
自分だけの思いだけで苦しんで不健全な行動をとるよりも、現実そのものに目を向け、思いは単なる思いであることを知るほうが、遙かに建設的な行動につながりますね。

でも・・・相手のセラピスト、まるでクライアントのようだ、とふと思いました。

『人がもっとも無知なときは、正しさを振り回すときです』(アルボムッレ・スマナサーラ)

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ぶっ壊す?解決する? 認知行動療法から思考のゆがみを見る

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あるセラピストとお話しして気がついたことを書きます。

セラピーというのは、ある意味「原因追求」ではなく「解決志向」です。

というのは、持ち込まれるさまざまな問題に対して、どのように解決をサポートするのかを行わなければ全く役に立たないからなのです。

ここで注意することがあります。

それは、セラピスト自ら判断(あるいは「裁く」)してぶっ壊してしまったり、「解決してあげる」と解決方法を押しつけるならば、それはセラピーではなく、傲慢というものです。

なぜなら、そもそも問題を解決するのは本人であり、セラピストは解決をサポートすることが目的です。

セラピスト自身の「こうあるべき」「こうしてはいけない」というマイルールを押しつけることはセラピーでも何でもないからです。

持ち込まれる悩みの性質は往々にしてセラピストのマイルールと違うものがあります。
あるいは、セラピストのマイ道徳とは違うものがあります。

セラピストは、マイルールの下、判断し、裁くのでもなく、マイルールを適用して「正しさ」を教えるのでもありません。
たとえ、それが自分の価値観、道徳に反していても、その人の役に立つものであるならば、マイルールとは関係なく、それを採用するのです。

マイルールが法律のように成文化され、社会のルールとなっているような場合は、それに違反したとき処罰されることから、誰の目にも違反か違反でないかは分かります。
つまり、「いい」か「悪い」というものははっきりしているのです。

しかし、マイルールによって人を判断するとき、こんな問題があるのです。
認知行動療法の「思考のゆがみ」から見てみましょう。

■このセラピストは、「何に基づいて」判断するのか。

もちろん、この場合はマイルールです。

マイルールは不思議なもので、その人の頭の中にしかないのにもかかわらず、「常識」や「社会のルール」と過度に一般化される傾向があります。

CBTでもそうですが、過度に一般化される思考のゆがみは、

「あたかもそれ自身が絶対的なルールであり、誰もがそれを受け入れるべき」(過度の一般化、心のフィルター(選択的抽出))

にまで拡張されることが多いものです。

本来、善や悪、正しいや間違い、快や不快などの評価は相対的なものであり、個々人、文化、歴史、宗教、政治などによっても違うものです。

にもかかわらず、マイルールを他人にまで拡張することは、自他の区別ができていないことでもあります。
しかも、自説を押し通して相手を論破しようとするときにもマイルールを使います。

「これは誰もが分かっている常識だ」と。

■このセラピストは「何を見ている」のか。

「いい人」「悪い人」という判断をするとき、あたかもその人の性質に「いい」とか「悪い」があると思いがちです。

事実は、セラピストが「いい」(もしくは「悪い」)と判断した人がいるだけであって、単なる人に対して、意味づけしているにしか過ぎないのです。(レッテル貼り)

セラピストが、どんなに強く念じて相手を「いい」「悪い」と思ったとしても、相手がそれによっていい人になったり、悪い人になったりするわけではないのです。

セラピストの意味づけが単に変わっただけなのです。

現実というものは、その人の事実に対する解釈によって成り立っています。
事実に投影した思考を現実と錯覚しているのです。

つまり、そのセラピストが見ているのは「人そのもの」ではなく、自分自身の思考を見て、それに反応しているだけなのです。

■このセラピストは「なぜ正しい」と思うのか。

単に自分の思考に反応していることを忘れ、あたかも原因がその人そのものにあると信じ込んでいるからです。

人は一般に見たいものを見て、聞きたいものを聴くという傾向があります。

特に思い込みが強すぎ、マイルールに執着する人は、いったん「いい」(逆に「悪い」)と決め込んだら、「悪い」(逆に「いい」)というものには目もくれず、自分の思い込みに合う「証拠」(それ自身も解釈によるものですが)ばかり集め、信念を補強するのです。(心のフィルター(選択的抽出)、トンネル視)

分かりもしない人の心を推測し、その推測をもとにさらに信念を強固にします。(読心術)
これは一見すると、物事を分析しているように思うのですが、バイアスのかかった思考によって、偏った証拠なるものを集め続けていることからも明らかです。(肯定的側面の否定や割引)

また、「自分が(他人が)こう感じたのだから、それは事実だ」という感情をもとに現実認識が正しいとする理由づけも強く持つ傾向があります。(感情的理由づけ)

■このセラピストはどんな傾向を持ちますか。

マイルールを正しいと信じ込み、それによって価値判断(べきでない・べきである・ちがいない・してはいけない)しますから、人を判断(あるいは「裁く」)する傾向にあります。(べき思考)

この時、注目してもらいたいことは、自らがルールブックとなっていることです。(過度の一般化、白黒思考)

つまり、自らにはルールを適用していないのです。

だからこそ、判断(あるいは「裁く」)ことを行うのです。

■結局はこのセラピストは

自分しか見ていないのです。

マイルールで判断し、人に投影した自らの思考に反応していることを忘れ、自らルールブックとなってマイルールの適用者として振る舞うのですから。

問題があると判断(あるいは「裁く」)してぶっ壊すことではなく、どのようにすれば解決するのか、その視点が必要ですね。

「正しい」「間違い」にこだわるよりも、「役に立つか立たないか」の視点を持つとき、それが苦しまない方法の一つなのかもしれません。

それは、セラピーのみならず、人生において生きてゆくときにおいても必要ではないでしょうか。

自称セラピストを例に挙げましたが、これらは私を含め、みなさんにも当てはまるのではないでしょう。

きっと。

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ドライブ中、何を考えてる?

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私は車、というよりドライブが好きです。

ハンドルを握れば、好きな音楽を聴きながら自分の意志でいろんなところに行くことができますから。

日本海の寂れた漁村や江戸時代の面影を残す宿場町、秘湯や食べ歩き・・・

1日に700キロでも運転しまくりです。

さて、みなさんも経験があると思いますが、高速道路など歩行者などの障害がない単調な道を走っているとき、いろんなことが頭に思い浮かびます。

昔のこと、たった今過ぎ去った無謀に運転をする車のこと、明日の予定、家族や友だちのことなど、実にさまざまなことが思い浮かびます。
アイデアなんかも湧き出てきたりもしますね。

こんな時は、軽いトランス状態なのかもしれません。
体はしっかりと運転していても、思いに耽っているとき心はここにあらずで、過去や未来にさまよいます。

先ほどすれ違った無謀な運転をする車のことに腹を立てたりしているとき、

私は、今、どこにいるのでしょう?

何に対して腹を立てているのでしょう?

すれ違った車は今はもうここにはありません。

そう、過ぎ去って終わってしまった記憶に対して腹を立てているのです。
自らが思い出したことを反芻しながら、それに腹を立てているのです。

今頃その車はもう何キロも先にいることでしょう。

もしも、腹を立てている私の状態を他人が見たとしたら、

運転しながら、周りに無謀なことをする車がないにもかかわらず、ひとり思い出しては腹を立てている自作自演の私がいるだけです。

しかし、思い出しているときは、今ここにあるかのように感じ、信じているのです。
だから、感情が出てくるのです。

一方、今、こにあるものが脅威となる場合、たとえば、

燃えさかる炎が目の前にあるときは、逃げるか消火するかでしょう。

悩んだり後悔したりはしません。
悩んだり後悔したりするのは、本当は、今、ここにあるものではなく、

「もし~だったらどうしよう」
「あの時~すればよかった」

と未来や過去の出来事を頭の中の映像で見て、苦しんでいるときかもしれませんね。

ドライブ中に、記憶に対して反応している自分に気がついたら、私は

ハンドルを握っている手の感触
ペダルを踏んでいる足裏の感触
呼吸をして、鼻から入ってくる空気の温度
聞こえてくる音
今、前に見えている景色

これらに集中することにしています。
つまり、今あるありのままの感覚をそのまま受け入れるのです。

これらは、今、ここの感覚そのものですから。
いま、ここ、には不安も後悔もありませんから。

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おみくじ

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初詣に行って、おみくじをするのが楽しみです。

今年はどんなくじを引くのか、と。

大吉だと何だかうれしいし、大凶だと正月早々こんなものを入れなくても、と思いますね。(^^)

何年か前に、誕生日に初詣をしたところ、大凶でした・・

しかも、絶対に当たると言われる比叡山横川の元三大師堂の年みくじで、小坊主が凶を引いたこともあります。(ここは坊主がまじないをしてくじを引くという方法です。健康は「十中六七は命危うし」と書かれてあったなあ)

閻魔大王をまつっている千本ゑんま堂で凶を引いたこともあります。(「閻魔の導きにより行動をただし・・・」と書かれてあったような気が。)

友人などは、京都八坂神社で3回引いて3回とも凶でした。

おみくじを一種の風物詩として楽しむのはいいのですが、

大吉を引いたから、モチベーションが上がってやる気が出てきた・・・
大凶を引いたから、今年の運勢はよくない、モチベーションも下がった・・・

の場合はどうでしょうか。

もっと日常的に話になると、朝起きて

今日は、気分がいいからばりばり頑張るぞ、と決意して実際にばりばりと頑張ります。

今日は、気分が落ち込んでいるから、何もしないでおこうと思って、引きこもったりだらだらしたりします。
あるいは、落ち込んだ気分を元気にさせるため、体を動かしたり、ポジティブな言葉を言い聞かせたりするかもしれません。

こうなると、あたかも行動が感情に支配されているようですね。

行動が感情によって支配されると、まず感情を改善しないと行動ができない、と考えるようになります。

そのために涙ぐましい努力をします。

確かに、一時的な効果はありますが、同じ状態になったとき、また同じことを繰り返します。

そうすればするほど、行動が感情に支配されてゆくのです。

これは、感情はコントロールできるという前提があるからです。

でも、感情はコントロールできるのでしょうか?

できるという人は、たとえば

真っ暗な墓場を一瞬たりとも恐怖を感じないで5分間過ごしてください

隣の人を1分以内に本当に愛してください

できないでしょう?

しかし、恐怖を感じないフリはできますし、愛するフリもできます。

そうです。

感情はともかく、行動はコントロール可能なものなのです。

嫌な会議でも参加することはあるでしょう?

不快だと思うことでも、対峙することはできるでしょう?

感情は人が作り出すものであり、その作り出した感情に自分が支配されるのは滑稽ですよね。

実は、行動の動機や理由に感情は関係ないのです。

私は片足だから両足で走れない

というのは事実ですが、

私は気分が滅入っているから行動できない

というのは事実ではありません。

なぜなら、片足の人はどう頑張っても両足で走ることができないのは当たり前ですが、気分が滅入って行動ができないと寝込んでいるとき、火事になれば飛び出すでしょう?

感情を理由として行動を制限するのは、一見もっともらしいですが、実はあり得ないのです。

感情がどうであれ、行動はコントロールできる、それを知るだけでも、感情のためにさまざまな制限を自分に課していたことから解放され、人生は幅広くなると思いませんか?

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気がつかない「オ・モ・イ・コ・ミ」

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今日、いとこの子と会っていました。
小学6年生です。

なかなか生意気なやつで私のことを「おぢさん」といってはばからないので、
「道徳的説得」(つまり、怒った)しました。

国語のテストで満点が取れなかったというので、私が問題を見てあげることに・・

驚きました。

いまだにこんな問題を出すとは・・・

ある小説の抜粋が引用され、それに対して問題は

「この時、主人公は何を思ったのか書いてください」

と・・・・

私の答えは「こんなもの分からない」というものでしたが、

どうやら、『正解』があるようです。

何年か前、大学入試で、同じような問題が出され、有名な作者は

『私はそんなことを意図したのではない』

と反論したそうです。(^_-)

ここでみなさんもよく考えて欲しいのです。

作者が意図して書いたものがそのまま必ずしも読者に伝わらない、ということです。

前後の文脈から読み取り、「たぶんこうだろう」と推測しながら読むのが読書の醍醐味でもあるのですが、

それに対して「主人公は何を思ったのか書け」というのは、

結局は、作者が、ではなく、読者がどう思うか、そう思ったことを書くにしか過ぎないのです。

作者がある意図を持って書いたとして、その文字を解釈するのは読者なのです。

それは、すでに作者のものではないのです。

さまざまに

「こうにちがいない」
「このはずである」

と考え、解釈するでしょう。

ついには、この言葉の意味には絶対に「ある意味が隠されているにちがいない」と確信して、その正しさを疑わなくなってくる場合すらあります。

さて・・・

ここで気がついてもらいたいのですが、

文字を見て、ああでもない、こうでもない、意味が何か隠されているのではないか・・・そう思いながら、その思考に隠れている

「ちがいない」
「はずである」

という言葉です。

これらの言葉は、

『事実は分からないけれど、根拠なく私はこう思い込んでいる』

というしるしのような言葉なのです。

つまり、事実を見て、思う言葉ではなく、

『文字を見て、自分の思考を見て反応している言葉』

なのです。

もっと具体的にいうと、

文字を見て、自分の思考(願望やこれまでの生活史の中で獲得し、自動反応して飛び出す感情など)を投影しているだけなのです。

ここから分かることは、

「自分がなぜそのように考えたのか」

それが分かる大きなヒントが隠されているのです。

しかし、悲しいことに、多くの人は、文字を見て、自分の思考の投影にすぎないものを、作者が考えた「真実」「事実」と錯覚するのです。

思い込みが激しい人ほどそうなります。

そうなると自分も苦しいことが増えるでしょうし、たぶん、人も巻き込むことすらやってのけます。

言葉の意味を解釈して相手が何を考えているか占うより、このように解釈した自分の思考のプロセスを分析する方が、遙かに建設的なのです。

なぜなら、解釈したものが事実であるならば、誰もが同じように同じレベルで解釈するのですから。

現実は、さまざまな解釈があること自体、その解釈が思考が生みだした、マイ・解釈に過ぎないこと、それは事実ではないこと、それに気づくことが何よりも大切なことではないかと思います。

おっと・・・国語の話からこんなところにまで来ましたね。

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みなさんの生き方に役立てば、と思っています。

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嫌い

トマト

みなさんの嫌いな野菜、果物を思い浮かべてください。

たとえば、トマトが嫌いな人は、トマトを思い浮かべてください。

イメージの中で、そのトマトを見てください。ありありと。

何が嫌いでしょうか?

味、匂い、食感などなどがわき上がってくるでしょう。

そして、見ているトマトが嫌いと判断しています。

さて、よく考えると、

味は味です。
匂いは匂いです。
食感は食感です。

誰がそれを「嫌い」と評価しているのでしょうか?

他ならぬあなたであることに気がつくでしょう。

「嫌い」と評価、つまり、あなたの思考でそう判断しているならば、「嫌い」という評価は絶対的なものでしょうか。

その「嫌い」という評価は、あなたの中で「事実」であったとしても、他人のものとはまた違います。

つまり、「嫌い」と評価しているものはその人であって、それが「事実」のように見えても、他人からはそうではないことが多々あります。

真実は、『トマトはトマト』なのです。

いったん、「嫌い」と評価したら、その「嫌い」を支えるために、さまざまな理由をくっつけてきます。

そして、思考はますます「事実」は「事実」であると振る舞おうとしています。

もちろん、嫌いなトマトを好きになる必要はないし、それが人生に影響を及ぼすことはほとんどないでしょう。

けれど、人生においてこの評価がその人に制限を加え、周りに影響を及ぼすとき、

事実と信じているものが、本当のところはどうなのか

それを知ることは非常に有用なことでもあるでしょう。

「いや、嫌なものは嫌なんだ」

とさらに、評価を理由づけで強化することもできるでしょうし、嫌だと思っている正体を冷静に見ることもできるでしょう。

評価することは、ある特定のものに対してだけということはあり得ません。

類似のものにまでそれは拡大するのです。

自分の目をカメラのレンズと思って、ただ、トマトを見るとき、つまり、評価を取っ払ってみるとき、

トマトはトマト

が見えるはずです。

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戒壇巡り

2013-10-26 14.25.35

戒壇巡りは全国にたくさんありますが、やはり善光寺のそれは有名ですね。
私もこれで3回目ですが、昨日、体験してきました。

本当に何も見えない暗闇の中、頼るは右手で触れた壁の感覚と、左手で持った友人の背中だけです。
また背後には、さらに友人が同じことをしていました。

いったん、暗闇に入り、極楽への錠前を探り当て、再び地上に出るというこの戒壇巡りは、ふと、迷妄と戦う儀式なのか、と思いました。

真っ暗な中、ほとんど誰も話をせず、黙々と進んでいました。
いや、進んでいるかどうか、どちらの方向に向いているかどうかさえ分からないのです。
目を閉じているのか、開いているのか、それすらも分からなくなってきます。

私はそうではなかったのですが、一緒に行った友人は、いろいろなものが見えてきそうになったり、過去のさまざまな思い出が湧いてきたり、聞こえないものが聞こえそうになったりしたということです。

全く刺激のない暗闇に人が放り出されると、心の内面がさまざまに見えたり、聞こえたり、感じたりするそうです。

ここで、分かることは、さまざまな恐怖や不安などはすべて自分の内から出てきたことなのです。

人は、暗闇の中に放り出されると、疑念や不安、恐怖が湧き出てきたとき、それを外に投影し、それに自分がおびえるのです。

ひどい人は、自分が生み出したものと知らずに、それと戦い、罵詈雑言をまき散らし、暴れたりします。

しかし、第三者にはその人が見ているものは決して見ることができないのです。

こんな時は、右手の感覚を信じ、左手の触れる友人を信じることです。

たとえ、幻影の中で、背を向けている友人が恐ろしい化け物に見えようと、感覚という事実は決して裏切らないのです。

人は、今にないもの、ここにないもの、そして自分のここの中を外に見ます。

そうなったとしても、触れている、という感覚は事実なのです。

暗闇という無知に放り出されたとき、自ら生み出した疑念や恐れというものをしっかりと「今、ここ」に引き戻し、ありのまま眺めるようにしましょう。

そこには「極楽への錠前」があり、そして、ほどなくして光という現実に触れることができるのですから。

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