
あるセラピストとお話しして気がついたことを書きます。
セラピーというのは、ある意味「原因追求」ではなく「解決志向」です。
というのは、持ち込まれるさまざまな問題に対して、どのように解決をサポートするのかを行わなければ全く役に立たないからなのです。
ここで注意することがあります。
それは、セラピスト自ら判断(あるいは「裁く」)してぶっ壊してしまったり、「解決してあげる」と解決方法を押しつけるならば、それはセラピーではなく、傲慢というものです。
なぜなら、そもそも問題を解決するのは本人であり、セラピストは解決をサポートすることが目的です。
セラピスト自身の「こうあるべき」「こうしてはいけない」というマイルールを押しつけることはセラピーでも何でもないからです。
持ち込まれる悩みの性質は往々にしてセラピストのマイルールと違うものがあります。
あるいは、セラピストのマイ道徳とは違うものがあります。
セラピストは、マイルールの下、判断し、裁くのでもなく、マイルールを適用して「正しさ」を教えるのでもありません。
たとえ、それが自分の価値観、道徳に反していても、その人の役に立つものであるならば、マイルールとは関係なく、それを採用するのです。
マイルールが法律のように成文化され、社会のルールとなっているような場合は、それに違反したとき処罰されることから、誰の目にも違反か違反でないかは分かります。
つまり、「いい」か「悪い」というものははっきりしているのです。
しかし、マイルールによって人を判断するとき、こんな問題があるのです。
認知行動療法の「思考のゆがみ」から見てみましょう。
■このセラピストは、「何に基づいて」判断するのか。
もちろん、この場合はマイルールです。
マイルールは不思議なもので、その人の頭の中にしかないのにもかかわらず、「常識」や「社会のルール」と過度に一般化される傾向があります。
CBTでもそうですが、過度に一般化される思考のゆがみは、
「あたかもそれ自身が絶対的なルールであり、誰もがそれを受け入れるべき」(過度の一般化、心のフィルター(選択的抽出))
にまで拡張されることが多いものです。
本来、善や悪、正しいや間違い、快や不快などの評価は相対的なものであり、個々人、文化、歴史、宗教、政治などによっても違うものです。
にもかかわらず、マイルールを他人にまで拡張することは、自他の区別ができていないことでもあります。
しかも、自説を押し通して相手を論破しようとするときにもマイルールを使います。
「これは誰もが分かっている常識だ」と。
■このセラピストは「何を見ている」のか。
「いい人」「悪い人」という判断をするとき、あたかもその人の性質に「いい」とか「悪い」があると思いがちです。
事実は、セラピストが「いい」(もしくは「悪い」)と判断した人がいるだけであって、単なる人に対して、意味づけしているにしか過ぎないのです。(レッテル貼り)
セラピストが、どんなに強く念じて相手を「いい」「悪い」と思ったとしても、相手がそれによっていい人になったり、悪い人になったりするわけではないのです。
セラピストの意味づけが単に変わっただけなのです。
現実というものは、その人の事実に対する解釈によって成り立っています。
事実に投影した思考を現実と錯覚しているのです。
つまり、そのセラピストが見ているのは「人そのもの」ではなく、自分自身の思考を見て、それに反応しているだけなのです。
■このセラピストは「なぜ正しい」と思うのか。
単に自分の思考に反応していることを忘れ、あたかも原因がその人そのものにあると信じ込んでいるからです。
人は一般に見たいものを見て、聞きたいものを聴くという傾向があります。
特に思い込みが強すぎ、マイルールに執着する人は、いったん「いい」(逆に「悪い」)と決め込んだら、「悪い」(逆に「いい」)というものには目もくれず、自分の思い込みに合う「証拠」(それ自身も解釈によるものですが)ばかり集め、信念を補強するのです。(心のフィルター(選択的抽出)、トンネル視)
分かりもしない人の心を推測し、その推測をもとにさらに信念を強固にします。(読心術)
これは一見すると、物事を分析しているように思うのですが、バイアスのかかった思考によって、偏った証拠なるものを集め続けていることからも明らかです。(肯定的側面の否定や割引)
また、「自分が(他人が)こう感じたのだから、それは事実だ」という感情をもとに現実認識が正しいとする理由づけも強く持つ傾向があります。(感情的理由づけ)
■このセラピストはどんな傾向を持ちますか。
マイルールを正しいと信じ込み、それによって価値判断(べきでない・べきである・ちがいない・してはいけない)しますから、人を判断(あるいは「裁く」)する傾向にあります。(べき思考)
この時、注目してもらいたいことは、自らがルールブックとなっていることです。(過度の一般化、白黒思考)
つまり、自らにはルールを適用していないのです。
だからこそ、判断(あるいは「裁く」)ことを行うのです。
■結局はこのセラピストは
自分しか見ていないのです。
マイルールで判断し、人に投影した自らの思考に反応していることを忘れ、自らルールブックとなってマイルールの適用者として振る舞うのですから。
問題があると判断(あるいは「裁く」)してぶっ壊すことではなく、どのようにすれば解決するのか、その視点が必要ですね。
「正しい」「間違い」にこだわるよりも、「役に立つか立たないか」の視点を持つとき、それが苦しまない方法の一つなのかもしれません。
それは、セラピーのみならず、人生において生きてゆくときにおいても必要ではないでしょうか。
自称セラピストを例に挙げましたが、これらは私を含め、みなさんにも当てはまるのではないでしょう。
きっと。
『人がもっとも無知なときは、正しさを振り回すときです』(アルボムッレ・スマナサーラ)
私がこれまで述べてきた、思考や感情、人生の価値、マインドフルネスなどをまとめたテキストを音声誘導付きで作成中です。
そこには具体的にどうすればよいのか、という実践や人生の価値を見つける方法などが書かれています。
みなさんの生き方に役立てば、と思っています。
きっと、目から鱗が落ちると思います。
【人生の自由を取り戻す V.d.s.】
V.d.s.
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