できない理由・・・

Conference-room

今日、会議がありました。

あることによって不具合が生じているので、

これを解消するために、私がある提案したのです。

それを導入することによって、どれほどのメリット・デメリットがあるのか、

導入しないことによってどれほどのメリット・デメリットがあるのか、

その上で、導入した方がいいと意見したのです。

ところが・・・

できない理由を次々に考え出す人がいるものです。

前例がない

他との比較の上で不平等だ

もし失敗したらどうするのだ

よくもここまで、できない理由を考え出すものだと感心しました。

この人たちは生産的な話をしているでしょうか。

それとも、このような発言をすることによって、

私の方が偉いと主張しているのでしょうか。

何か目立つこと、足を引っ張ることを発言して、

冷静で、常識人として売り込もうとしているのでしょうか。

万一、そうであっても、その考えはすでに失敗しています。

というのは、「ダメだ」と言うばかりで、

代案がないからなのです。

代案なき発言は、単なるヤジなのです。

ヤジのために貴重な時間を割くことほど空しいものはないでしょう。

結局、彼らの結論は、理由もなく今のままがいい、というものです。

さて、このように何かをしようとしたら、

理由もない現状維持

考えのない反対

が出てくるのは、人としての傾向なのです。

なぜなら、たとえどんなにつまらないものでも、

それでまわっている限り、変化しない方を選ぶのです。

これは、苦悩への対処にも同じことがいえます。

どんなに役に立たないものでも、しっかりと守り続け、

同じ状況になれば、同じことを繰り返すのを見ていると、

「何か違ったことをする」

ということに思い至らないか、思い至ったとしても、

自らはできない理由をもっともらしく並べ立てるでしょう。

「できないものはできない」

「あなただからできる」

「私にはとうていできるとは思えない」

「もしできなかったらどうしてくれるんだ」

身に覚えがあるでしょう?

これらは何十回、何百回も自分に言い聞かせてきた言葉なのです。

これらを私に言ったところで、どうにもならないのです。

私を仮に論破したところで、何も変わらないのです。

結局、変化しない、変化したくないと、人に噛みついてでも宣言しているだけなのです。

果たして、このようなことで改善できるでしょうか?

無理です。

なぜなら、これまでと同じことをし続けるならば、

同じ結果しか得ることができないからです。

そして、同じ結果しか得られないのに、同じことをし続けるのは、

実はその方法が、役に立っていないことなのです。

しかし、なかなか役に立っていないことを認めようとはしません。

なぜなら、認めてしまうと、違う方法をしなければならないからです。

どんなに辛くても、未経験の「違ったことをする」より、

現状維持の方が慣れ親しんでいるため、捨てようとしないのです。

本当は役に立たない方法を捨てて、違う方法を試すのがあたりまえなのですが、

さまざまな理由づけとともに、結局は、これまでと同じことを繰り返すことを選択するのです。

その理由のもっともらしいこと。

必死に言っている本人は気がつかないのでしょうが、客観的に見ていたら、

どれほど自分が現状維持をしたいのか、そのための理屈であることにすぐに気がつくのです。

役に立っていないのに・・・

さて・・・

今後の会議では、誰かが提案したものとと同等、もしくはそれ以上の効果を持つ代案を提示しない限り、一切の発言はするな、と命じました。

なぜなら、非生産的な雑音を聞く時間ではないからです。

理由のない現状維持

考えのない反対

これらの悪習慣をなくすためには、最初はこのように意識して、多少強引でも変化を引き起こさないと、

いつまでも、不満を言いながらも役に立たない現状維持に努めることになるのです。

【人生の自由を取り戻す V.d.s.】

V.d.s.

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科学に裏付けのある効果的なものを目指しています。

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【Word of Black Art】

城咲梁の催眠、心理学関係のページ

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マインドコントロールテキスト

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あなたは私の悪口を言うべきではない

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バイロン・ケイティの「ザ・ワーク」

残念なことにスピ系に分類されてしまったりもしている「ザ・ワーク」。

http://www.thework.com/nihongo/

読んでみると、素晴らしい内容であることに気がつきます。

人は、コントロールできないものをコントロールしようとすると苦しむ、

というシンプルな原理を持ったセラピーです。

コントロールできないものをコントロールする、というのは、

その根底には、思考による現実否定が苦しみや悩みをもたらす、

というものがあると主張しています。

そして、その苦しみは、自分の外にはなく、頭の中にだけ存在し、

思考による現実否定が、苦しみをもたらしているにもかかわらず、さらにそれに執着することによって、

よりいっそうの苦しみにおぼれてゆくことが分かりやすく書かれています。

論理療法にも通ずるこのセラピーは、誰でも使うことができます。

ただし、思考が現実ではないこと、苦しみを生みだしている主体が自分自身であることに思い至らないと、使っている本人が意味不明になってしまう可能性もあります。

このようなことを言うと、たまにこんな反論があったりします。

「(悪口を言われて)嫌な思いをして、相手が悪いのに、自分のせいにしろ、というのか」

この人は、こう主張して、一体どうしたいのでしょうか?

たとえば、相手に

「悪口を言うな」

と、怒りつけたり、頼んだりするのでしょうか。

では、そうすると相手は絶対に悪口を言わないのでしょうか?

悪口を言う、言わないは相手の行動であり、相手が決めるものであるのです。

ところが、この人が相手に成り代わって、

「あなたは私の悪口を言うべきでない」

と相手の行動や意思が支配できると考えているのでしょうか。

つまり、相手が何をするのかコントロールできないときに、そのコントロールをもくろんだところで、どうしようもないのです。

できないことをしようとするからこそ、苦しみが出てくるのです。

もっと、根本的な問題があります。

たぶん、この人が怒るのは、

「(相手は)私の悪口を言うべきでない」

と考えていて、実際にそうされたからこそ、怒りという感情が発生したのです。

よく考えてください。

現実は、すでに悪口は言われてしまっているのです。

にもかかわらず、

「悪口を言うべきでない」

と、現実をいくら思考で否定してもどうしようもないことです。

現実は、悪口が言われているのです。

どうしたらいいのか。

悪口が言われてしまっている状態の中で、

自分がコントロールできることだけを行い、それ以外のことはしないことです。

じゃあ、具体的にはどうしたらいいの?

と考えるでしょう。

まずはこの本を読んでみてください。

あらゆる苦悩がこれによって解決するのは大げさですが、

しかし、目から鱗が落ちるのは間違いないでしょう。

セラピーを志す人にも、ぜひ読んでもらいたい一冊です。

人生をコントロールする

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これまで、いろいろなことを述べてきました。

特にその中でも、思考や感情はコントロールできないというものです。

そして、思考や感情はコントロールできないことは、みなさんの体験上も明らかなことでしょう。

たとえば、

「1分間、赤い象を考えるな」

「100メートルの鉄塔の上で、一切の恐怖を感じるな」

という簡単な実験でもお分かりでしょう。

コントロールしようとすればするほど、ますますそれにとらわれてしまうのです。

一時的に成功したかに見えても、すぐに思考や感情の大きな波がやってくるのです。

まさに、日々、辛さや苦しさがあるとき、

このようなことをやり続けていることでしょう。

たまに、このような質問が来るのです。

「では、どうすればいいのか」

と。

私の答えはいたってシンプルなのです。

思考や感情をコントロールすることなく、

ただ、単なる思考や感情にすぎないのであるから、

それらとともに、行動する

というものです。

ここで大切なことがあります。

行動はコントロールできる、

ということです。

実は、驚くかもしれませんが、

行動の理由に感情や思考は直接の関係はないのです。

嫌だと思いながらも、行動できますし、

イライラしながらも人と接することができます。

そして、このような経験はみなさん、毎日のようにあるでしょう。

コントロールできない思考や感情を、

まず、コントロールしないと行動できないと信じるならば、

日々は、そのコントロールのための時間に費やされるでしょう。

なによりも、同じ状況になれば、同じことを繰り返してゆくでしょう。

あなたを人が評価するとしたら、

あなたが何を思い、何を考えているか、ではなく、

どう行動したか、なのです。

こう言うと、

思っていることとやることが一致しないやつは信頼できない

と反論する人がいるかもしれません。

では、もし、思っていることをそのまま実行したとしたら、今、あなたはどこにいるでしょうか?

殴ろうと思ったら殴らなければいけません。

罵声を浴びせようと思ったら、罵声を浴びせなければなりません

つまり、思った通りに行動したら、

病院か、刑務所か、墓の下にいることでしょう。

ここでも、分かることは、どんなことを思ったとしても、行動は別である、ということです。

つまり、繰り返しになりますが、思考や感情は、行動の原因になり得ないということが、

日常、あなたのやっていることでも明らかです。

人生は、行動の集大成でもあります。

行動を変えることにより、人生は変わるのです。

だからといって、今、すぐにできる、というものでもありません。

なぜなら、思考や感情の癖を知り、それらとの関わりについてのスキルを身につける必要があるからです。

自分の人生を変える、そして、それはあなた自身でできること、

そう思うならば、未来は広がるように思いませんか?

思考・・・単なる思考

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一人でいるとき、電車に乗っているとき、自動車を運転しているとき、

そんな時、不意に不快な思いをすることが誰でもあります。

そして、そのことを考えれば考えるほど、腹立ち、イライラし、あるいは不安になって、どうしようもなくなることもあります。

さて・・・

この時、何に対してこのような不快な気持ちになっているのでしょう。

目の前に不快と思う対象物があるわけでもなく、人から見れば、

たったひとりでじっとしている、

にしか映らないでしょう。

でも、その人は、

実際に「見て」「体験」している

のです。

だからこそ、実際に感情が出てしまうのです。

そう・・・

その人は、

自分の頭の中にしかない映像を見て、体験して

いるのです。

目の前には何もないのです。

他人にはその人の頭の中を見ることはできません。

つまり、

その人は、現実にはないものを見て、体験して、

感情を沸き立たせているのです。

しかも、その現実にはないものは、

過去や未来のもの

なのです。

いや、実際に目の前にいる他人の言動で不快になることもある、

だから、目の前に現実にあるものに対してもそのような感情がある、

という人もいるでしょう。

確かにそうです。

けれども、よく考えてください。

それは、その言動そのものが不快という性質を持っているのではないのです。

言動は、単なる動作、音にしかすぎないのです。

その言動をその人が「不快と評価」して、不快と感じているだけなのです。

もし、その言動そのものに不快という性質があれば、誰でも等しく「不快」を感じるはずです。

しかし、それを不快と感じない人もいます。

つまり、不快はどこにあるかというと、

それもまた、あなたの頭の中にしかないものなのです。

このように人は、現実にはないものに対して、

それを現実だと錯覚して反応し、

単なる自分の評価を現実のものとして、

「不快」とラベル貼りをしたものを避けたり、遠ざけたりしているのです。

思考はただ思考だけなのです。

思考を信じなければそれは害はないのです。

思考はコントロールできません。

思考は、たまには真実を見せ、たまには嘘を見せます。

思考は、たまには楽しませ、たまには悲しませます。

気まぐれなのです。

バカげた思考はあなたも信じないでしょう?

このように思考を信じないことも、実は日常でもやっていることなのです。

思考は思考であり、事実を必ずしも反映していないのです。

そう考えると、人生は何と楽なことか、そう思いませんか?

藪の中とブリーフセラピー

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藪の中・・・「真相は藪の中」といわれるように、真相は分からない、という意味で使われる言葉です。

芥川龍之介の「藪の中」は有名ですね。

ひとりの男が殺されたのですが、その真相を廻って、いろんな人がいろんなことを言います。

しかも、それらが関係者であるにもかかわらず、です。

確かに彼らは真相を見たのでしょう。

しかし、見た事実を評価し、解釈することによって、記憶は歪められてゆきます。

「私が見たから、聞いたから、体験したから、正しい」

というのは、他人に対しては何の意味も持ちません。

なぜなら、「その人だけの記憶」を頼りにしているからです。

すべての記憶を動画のようにありのまま記憶することは不可能です。

重要でないところはカットされ、記憶していないことは他の記憶で補われ、あたかも「事実を記憶しているかのように」信じてしまうのです。

自分の記憶がどれほど頼りにならないことか、

たとえば生まれてから10歳頃までの覚えている記憶をつなぎ合わせても、

30分にもならないでしょう。

10年間の記憶がわずか30分にも満たないのです。

さて、ブリーフセラピーというものがあります。

短期療法のことで、代表的なものはエリクソンを源流とするSFAやMRIなどがあります。

特に、SFAは解決指向型セラピーとして、最近は非常に注目されています。

心理療法というと、何か症状がある場合、

「きっと、原因があるに違いない」

「原因が分からないと、解決のしようがない」

という信仰のもと、原因探しに躍起となります。

確かに、ウィルスが原因で、骨折が原因で、という医学モデルに対しては原因の特定は治療のために必要でしょう。

ですが、同じことを皮膚の下の出来事(つまり、心因性の問題)に当てはめてもどうしようもないことが分かります。

勉強をしていないセラピストは、すぐにトラウマであるとか、幼児体験、親の育て方という過去の何かを問題にし、それを原因と特定します。

この方が簡単で、分かりやすいからです。

しかし、もし、過去の出来事が問題とするならば、過去はすでにないのですから、対処のしようがありません。

「あの時、ああすればよかった」

これが解決でしょうか。

親が悪い、環境が悪い、家庭が悪いという被害者を増やすだけなのです。

さらに、もし何らかの出来事が原因があったとしても、その出来事が本当かどうか、本人の記憶や周囲の人の記憶に頼るしかないでしょう。

そして、記憶がどれほどあやふやなものか、「藪の中」でも分かるとおりのことです。

つまり、本当にそれが記憶の通りにあったのですか、ということです。

いや、なによりも、それが本当の原因だとどうして分かるのでしょうか。

このように、心因性の問題については原因の特定は非常に困難であるのに、それがたまたま分かったとしても、対処のしようがないのです。

しかし、SFAなど解決志向型のセラピーは、原因の特定をする代わりに、

「今の状況をどうすれば解決できるか」

「解決した状態とはどんな状態なのか」

に注意を向けることになります。

ところが、

「そんなものは対処療法だよ」

という人がいますが、お分かりのように、そのような人は、

「原因があるに違いない」

という先ほど述べた過去の問題指向の信者なのです。

人の行動というのは、特定の状況になると、特定の行動をとりやすいものです。

確かに、これは人生のどこかで学習したものです。

しかし、その原因をいくら調べたところで、意味がないのは、もうお分かりのことだと思います。

だめ押しにいうと、車のタイヤがパンクした時に、

パンクの原因やどこでパンクをしたのかを考えても車は走らないのです。

今まさにパンクしにくいタイヤと交換しなければいけないのです。

そうすることによって車は走るのです。

いつまでも過去の問題指向型セラピーに頼るより、もっと未来に目を向けた解決志向型のセラピーに注目してもらいたいものです。

催眠大実験 ~ 催眠に誘導されないようにすることは可能か?

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たまにある質問で、

解けない催眠はありますか?

というものがあります。

これに対して私がいつも言うのですが、

本人が覚醒したいと思うとき、覚醒します

と答えています。

1964年のエリクソンの医療関係者の前での催眠ライブの記録を見てみると、

誘導と覚醒の境目が非常に曖昧なのです。

しかも、被催眠者に対して

一つか二つか三つ、大きく深呼吸して目を覚まします

と、被催眠者に覚醒をゆだねているのが特徴でもあるのです。

催眠者が、催眠を「かけ」て「解く」という古典的な主従の関係ではありません。

催眠者が魔法か呪いを「かける」「解く」ような特別な力はありません。

実は、被催眠者自身が、自分ですべてのことを行うことができるのです。

ショー催眠において、その方が観客に対して分かりやすいから特に強調した覚醒を行うのです。

ところが、催眠の持つさまざまな側面、たとえば、依存心や人の注意を惹きたい、快感、安心感を得たいなどが強いと、

簡単に誘導されやすくなります。

ところで、昨日はある人と会いました。

T嬢です。

マインドクリエイトの創設期から数年前まで、被催眠者として大活躍していました。

現在は、転勤で関西を離れて遠方で働いています。

彼女の被暗示性、被催眠性の高さは、群を抜いていたため、誰が何をしても、どんな催眠にも誘導できる人でした。

簡単に記憶はなくすわ、正負の幻覚は見るわ、とんでもない状態でした。

たぶん、そんな自分が嫌になったのでしょう。

そして、嫌になっても、それでも催眠に誘導される自分がもっと嫌になったのでしょう。

彼女からの申し出があり、

決して催眠に誘導されない状態

を作り出す実験をしました。

約1ヶ月間、いろいろな操作を施し、ついに催眠に誘導されない状態を作り出しました。

何をしても、どんな催眠にでも誘導される彼女は、今、全く催眠に誘導されなくなってしまいました。

そんなことできるのか、という催眠者がどんな挑戦をしても、彼女は催眠に誘導されません。

まさに、魔法のようなのです。

そう、この魔法そのものが、私のマインドコントロール技術の基礎となったのです。

催眠に誘導されやすい人に対して、

さあ、あなたはどんな催眠にもかからなくなります

というのは愚の骨頂です。

彼女が催眠に対して持つ、依存や安心感などのさまざまなビリーフを置き換えることによってのみ、

どんな催眠にも誘導されない状態が作り出されるのです。

いったん、そのような状態になれば、後は自動的に催眠に誘導されなくなります。

よくよく考えてみたら恐ろしいことなのです。

お分かりのように、

何をしても誘導されてしまう彼女が、何をしても誘導されない彼女になる

ということは、逆の操作もできる、ということです。

しかも、被催眠性を高めて催眠現象を起こすのではなく、被暗示性を高めると、

わざわざ催眠現象を起こすことなく、自動的に暗示に反応することも可能だからです。

この時、その人は、自分の意思とは関わりなく思考し、行動するのではなく、

あたかも、自分が思考し、行動してると信じていますし、自分というものをしっかりと持っていると、信じています。

催眠を学ぶ人は、きれい事や建前、理由づけを取り去ると、

正直のところ、人を操りたいと考えている

のです。

けれど、催眠そのものでは、日常生活では使うことができません。

AVの影響を受けて、それを目指すのは、

テレビを見た自分が本当にウルトラマンに変身できると信じるほどの滑稽さなのです。

催眠という約束事がある特定の狭い空間、限られた人間関係と、時間の中で有効であるにしかすぎないのです。

むしろ、催眠的な技術、心理療法の技術を応用し、ビリーフを置き換えてしまうことこそ、本当のコントロールかもしれませんね。

人が知らず知らずのうちにどのようにしてコントロールされてゆくのか、

http://www5a.biglobe.ne.jp/~macht/mc12/index.html

ここにその答えがあるはずです。

昨日、T嬢とカフェに行き、いろんな話をしました。

さて・・・

今度は、彼女に対してとことんまで催眠に誘導できるようにしてみようか・・・(^_-)

と密かに考えています。(嘘ですよ)

常にポジティブ思考・・・

positive-thinking

本業では、さまざまな人と出会うのです。
もちろん、弁護士たちややっかいな人々たちとの交渉や相談事など、出会いの種類と内容は多岐にわたります。

そういった機会が、私にとってさまざまな心理的技法の実験場となるのです。

ところで、最近、こんな人と知り合いました。

関西ではある中堅どころの会社の社長なのですが、ひどくポジティブ思考なのです。

どんなふうにポジティブかというと、

さまざまな法違反を犯していることが分かり、行政当局から指導があったにもかかわらず、

「何とかなるさ。ひどいことは絶対に起きない」

と社員に朝礼などで言い、行政に対する対応を無視し続けていたのです。

すると、もっと強い行政側の指導があり、会社が大変なことになるかもしれない状態になると、

「○○(自社の社員)のせいにして、そいつが悪かったことにして、行政に報告しろ」

「行政担当者は○○の対応に腹を立てているのだから、私がいって謝ればなんとかなる」

と言い、実際に謝りに行ったそうです。

謝ったところでどうにもならないのに、翌日の朝礼では、

「担当者に謝ったから大丈夫。みなさんはこれまで通りの働き方で働いてもらいたい」

とまた、一切の行政に対する対応をせずに事業を行い続けました。

そして、会社存続の危機になるくらいの処分を受ける段階になっても、

「私がまじめに対応している、その真心はきっと担当者に伝わっているはず」

と社員たちに説明し、現在は、会社自体が本当に存続の危機に陥っています。

この後に及んでも、次の事業展開のために、新規に資金を投資して全く別事業に乗り出す、ということすら考えています。

確かに、ポジティブですね。

いえ、ポジティブすぎます。

けれど、よく見てください。

辛いこと、自分にとって不利なものから目を背けるためにこの人はポジティブという逃避を行っているのです。

ポジティブがすべていいわけではありません。

人は、ポジティブに考えると、必ずネガティブも考えるように作られています。

たとえば、

最高にポジティブな言葉

「私は、すべての人を愛し、すべての人のために尽くす最高の人だ」

と自分に対してこんなポジティブな言葉を投げかけてみてください。

必ず、

「そんなことないさ・・・実際はすべてを好きでもないし、すべてに尽くしているわけでもない。最高どころか、最低の部分も持っている」

とネガティブな発言も強くなるでしょう。

ポジティブもネガティブも自分の感情の評価にしかすぎません。

都合良く、ポジティブだけを切り取って、ネガティブを切り捨てるというのは、喜びだけを感じて、悲しみを悪いものとして切り捨てるようなものです。

そして、そんなことはできないことくらいみなさんは分かっているはずなのです。

にもかかわらず、ポジティブが素晴らしいと思い込み、自分の一部であるネガティブを取り去ろうと必死になるときがあります。

ポジティブを追求するとき、実はこの社長のように、本当に辛いこと、認めたくないことから目をそらす逃避であることも多いのです。

ポジティブだとか、ネガティブだとかと感情にレッテルを貼って、できもしないネガティブの取り去りに汲々としているのは、あたかも、感情や思考に振り回されて生きているようなものです。

あなたの人生は、あなたが作り出した思考や感情のものではなく、あなた自身のものなのです。

感情や思考に振り回されない人生、少し想像してみてはどうでしょうか。

きっと、感情や思考が邪魔してできなかったことができるようになると思います。

身勝手さの免罪符「夢の実現」

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私には夢がある、

そして、その実現に向けて頑張っている、

というのは、聞こえはいいですし、もちろん大切なことでもあります。

しかし、現実を無視し、自分の能力やスキルを過大評価し、

浪費を投資と言い換え、借金することを自分の強さと信じ込み、

生活を壊してまで行うことは、夢の実現でしょうか。

心配すると、

「私に対する嫉妬である」

「夢を持つことはいいのではないか」

「好きなようにしているだけ」

という理由づけが返ってきます。

つまり、聞く耳を持たず、『夢の実現』という言葉と行為に酔った状態なのです。

これは、ポジティブ思考を持つ、というものではなく、

辛い現実からの逃避

に他ならないことに気がついてもらいたいものです。

もちろん、人の人生に対して他人がとやかく言うものではないですが、

そうであるならば、自らの行動の選択について、

人に迷惑をかけず、巻き込まずにしてもらいたいものです。

解決志向

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最近、よく思うのです。

会議をするときに、誰かが案を出すと、決まってできない理由を考え出す人がやたら多いことを。

できない理由を挙げてみると・・・

・これまでやったことがない、前例がない。

・これで上手くいくのかどうか分からない、保証がない。

・仕事が増える。

・理想は素晴らしいが、どうしていいのか分からない。

・これまでで十分ではないか。

など、枚挙にいとまがありません。

会議は、ある案が出たときに、

・代案を出し、代案と比較する

・代案がないときは、現状と比較する

その上で、メリット、デメリットを検討し、採用するか否かを決定するものでしょう。

ところが、代案なき反対は、単なる雑音や悪口にしかすぎないのです。
そして、それは誰にでもできることであり、それをわざわざ反対する意見を表明するのは、

・私の方がその案を出した人より素晴らしいと主張する

・自分の仕事量が増えることを勝手に想像し、それを避ける

・面倒なことはしたくない

・もし失敗したときのことを考えて、責任を回避したい

などという思いがあるのでしょう。

けれど、悪口や雑音を会議の席上で発言することこそ、無意味であることに気がついていないのです。

ですから、その案と同等かそれ以上の効果を持つ代案が思いつかないときは、発言するな、と私の会議のルールで決めています。

理由は以上の通りですから。

ところで、新しい案を提示した場合、

その完成形がどんなものであるのか

その完成形が生み出す効果は何か

逆に、デメリットは何か

それを完成させるために、今持っているリソースは何か、ないリソースは何か

ないリソースはどのようにして手に入るか

ないリソースを手に入れることは簡単か、困難か

さらに、完成に至るまでに考え得る障害はあるのか、ないのか

あった場合、どのように対処するのか

完成形が上手くいくかどうかどうすれば分かるのか

上手くいかなかった場合、どのようにすれば上手くいくのか

もし、途中で完成形ができない場合でも、それに変わるものを生み出すことができるか

などを私は検討することにしています。

ブリーフセラピーでもこれに近い考え方を持っていますし、セラピーにおいても

何が原因か

と過去指向で無益な無意味な原因追及をするより、

どうすればできるのか

という解決志向の方が遙かに生産的なものでもあるのです。

このように、セラピーでの手法は現実の生活やビジネスにも応用可能なものなのです。

逆向きのマインドコントロール

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マインドコントロール手法をセラピーに使う、といえば、

えっ!

と驚くことでしょう。

過去何回か書きましたが、マインドコントロールの技術は、心理療法そのものでもあるのです。

マインドコントロールは、私は「逆向きのセラピー」という表現をしています。

マインドコントロールに必須なものは、ビリーフ(信念、価値観、道徳観など)を操作する側にとって都合のよいものに置き換える、というものです。

悩んでいるもの、行き詰まっているものに対して、原因を作り出し(あるいはねつ造し)、それに対する対処法は本人では絶対に無理だと信じさせ、操作する側が「解決法」を与えるのです。

不安と救いを同時に提供するのです。

依存状態が強まるとき、人はいとも簡単に他人から与えられるビリーフを受け取り、そのビリーフをもとに思考し、行動することさえあります。

この過程では、社会心理学的手法はもちろんのこと、外在化やブリーフセラピーの手法、エリクソン催眠的な技術、第3世代認知行動療法からの技法などあらゆるものが使われます。

マインドコントロールにおいては、操作する側への依存を常に向けておくのですが、セラピーにおいては一時的に強い依存を作り出したとしても、後に相手を自立させ、依存を解くどころか、自我を強化さえします。

つまり、マインドコントロールとセラピーの大きな違いの一つは、依存のコントロールなのです。

いずれにしても、マインドコントロールとセラピーは、容器と構造は全くうり二つであるのですが、中身が違うのです。

さて、「マインドコントロールテキスト」を購入し、その技法をセラピーに応用した方からメールがありましたので、紹介します。

マインドコントロールテキストについては、

http://www5a.biglobe.ne.jp/~macht/mc12/index.html

をご覧ください。

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マインドコントロールの核心となる考え方は、「相手のビリーフ(価値観、行動規範等)をこちらの意図するものに置き換える」ことだと思います。

自分では解決できない(と思っている)悩み、突破できない壁、その原因を操作者が意図的に作り出し、操作者に依存させることで、被操作者に解決にむけた、新たなビリーフを自然に受け入れさせ置き換えるのがマインドコントロールです。

これに対し、悩みなどの根源をクライアントとともに見つけ出し、その克服の方法を様々に提示し、クライアント自身の力で解決をはかることがセラピーだとすれば、クライアントは自身の決断によって、それまでのビリーフ(信念や価値観)を新しいものに置き換えていきます。
 
すると、ビリーフの置き換えという点では、操作者が行うのかクライアントが行うのかの違いだけであり、本質的には同じものであることが、わかります。

私は最近、マインドクリエイトの催眠心理療法士の講座を修了しましたが、その後に、マインドコントロールのテキストを学ぶことで、マインドコントロールとセラピーは同じものであることに気がつきました。

そこで、思春期の娘さんへの向き合い方と、深く恋愛関係にある男性にお金を貸したことからトラブルになり、その関係を断ちたいと願う30代の麻衣子さん(仮名)の相談にのるなかで、さっそく、マインドコントロールの手法を使って、セラピーをすることを試みました。

———————–

実際に、どのようなセラピーを行ったのかはメルマガで発表することとします。

実にうまく「逆向きのマインドコントロール」を行っています。

マインドコントロールという言葉は、人格や人の意思を否定するどころかないがしろにするようなイメージがあるのですが、強力なセラピーになるということも事実として知って欲しいのです。

この方は、8月10日に開催される「癒しのお茶会」で、その成果を発表される予定です。

詳しいことはここを参照にしてください。

V.d.s.

http://6238.teacup.com/isis/bbs