催眠の誤解

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関係ない話ですが、催眠となると、毎回、何だかうさんくさい画像をいつも添付してしまいますね。
まあ、これはご愛敬ということで・・・(^^)

「催眠療法のに・せ・も・の」でブログを書いたところ、いくつかの問い合わせがありましたので、『本音』で書きたいと思います。

催眠や催眠術と書けば、結構な人がブログを見てくれたり、問い合わせがあったりします。
みなさん、多かれ少なかれ興味がある人がたくさんいることをあらためて知りました。

催眠はショーを除いて、療法やコーチングなどに使う場合は、単なる手段なのです。
催眠を使えば、何でもできる、あるいは、催眠を使って何かしようと強調しながら、その実、きちんとした心理療法やコーチングができないなら、催眠というまやかしにかかってしまっているのです。

催眠で嫌いなものが好きになる、というものはまやかしです。
催眠下で一時的に好きになったとしても、催眠は「メッキ」にしかすぎないので、覚醒後はメッキがはがれます。
はがれないように、それが本当に身につくようにするため心理療法が必要となるのです。

心理療法をやっているところで、ことさら催眠を強調しているところは、心理療法についてほとんど勉強していないところか、その人が催眠を「魔法」と信じ込んでしまっている人か、でしょう。

催眠を学んだだけで、心理療法もできる、と勘違いしている人が多いですから。

さて、今回のメッセやメールで、催眠について誤解も多いことが分かりましたので、本音で質問に答えたいと思います。

Q
催眠にかかりたくないと思えば絶対にかからないのですか?

A
そんなことはありません。

その前に、「催眠をかける」という表現は間違っています。
催眠者があたかも何かしらの力を持っていて、そしてそれを「かける」という誤解を与えます。
「かける」という言葉をどんな時に使うかというと、「呪い」「魔法」などに「かける」というものを使います。
つまり、何か特殊な力を前提とした誤解を生みやすい怪しい言葉です。

ここでは、「かける」という代わりに「誘導する」という言葉を使います。

誘導されたくないと思っていても誘導されることは、経験豊富な催眠者なら知っていることです。
逆に、誘導されたいと願っていても誘導されないこともあります。

なぜ、このようなことがあるのか、いまだにたくさんの考えがあって分からないのです。

私は、催眠現象(ショー催眠で見るような、立てない、好きになる、記憶をなくす、幻覚を見るなど)と「トランス」(何かに集中することによって、被暗示性が高まること、たとえば時間の歪曲が起こったり、無批判に信じてしまったり、感情を刺激したり・・)は別だと考えています。

催眠現象は個人の能力であって、誘導されやすい人が催眠現象を引き起こしやすいのです。
それは騙されやすいとか人が良いとかという性質とはまた別のものです。
ですから、催眠現象を引き起こしにくい人に対しては、非常に困難なのです。

一方、トランスは日常誰でも経験していることです。
映画や音楽を見ているときなどは、「もうこんなに時間が経っていたのか」と気がつくこともあるでしょうし、嫌な仕事や会議の時には時間が長く感じられるでしょう。
単調なお経を聞いていたり、ぼーっと空を見ていたり、ひどく興奮していたりするときには、注意が何かに集中している状態でしょう。
そんな時には暗示に左右されやすくなるのです。

Q
催眠術を使って療法をしたり、コーチングをしたりしているところがたくさんありますが、あれは効果があるのですか?

A
分かりません。

まず催眠についてですが、前回のブログにも書きましたが、催眠だけでは何ともならないのです。
心理療法が必要なのです。
ですから、催眠下でどのような心理療法を行うのか、それが大切なことです。

催眠下でどのような心理療法をするのか、しっかりと確認する必要があります。
たとえば、「自信がない」という人に対して、「さあ、あなたはだんだん自信が出てきます」などと催眠する人は避けた方がいいです。
これは心理療法でもなくでもないですから。

コーチングにしても同じことが言えます。

こんな話があります。

エリクソンは催眠下でさまざまな心理療法をやってきました。
しかし、ブリーフセラピーのうち、SFA(解決志向のブリーフセラピー)などは、催眠を使わなくても、催眠下で行うのと同じ効果を持つ「ミラクル・クエスチョン」などを開発しています。

実は、催眠でなくても、療法やコーチングはできるのです。
特にコーチングの場合はそうです。

私たちが催眠を使った療法をしているのは、催眠を使えば、効果が強く現れやすい心理療法を用いているからです。

もちろん、催眠にはこだわっていませんから、その人にとって効果があるものを選択します。

みなさんも、催眠という言葉に惑わされず、その人がどのような心理療法を学び、研究し、実践してきたのか、それが本物と偽物を見分けるコツだと思います。

Q
催眠術を使えば、嫌いな食べ物が好きになったりしますか?

A
できる場合もあります。
しかし、催眠下でのことは「メッキ」にすぎないので、覚醒後も嫌いな食べ物について食べる工夫をすることが必要です。

催眠は魔法ではありません。
ですから、一度催眠で何とかしてもらうと、それが永続するなんてことは考えない方がよいのです。

催眠でいろんなことを解決できる、上手くできると謳っているところは要注意かもしれません。

催眠術師でもあり催眠心理療法家でもある南先生の「ミラー催眠」という自己催眠は、シンプルながら効果はあります。
ネットで検索してみてくださいね。

Q
女の子を裸にすることはできますか?

A
たぶん、これはみんながいちばん聞きたいことかもしれません。

答えから書くと「できる場合もあります」ということになります。

嫌なことは被験者はしない、というのですが、そんなことはない、というのは催眠者なら知っていることです。
ただし、「あなたは今から裸になります」という直接暗示ではほとんどムリでしょう。

これについては、ここまでにしておきます。(^^)

Q
心理療法や催眠をきちんと勉強したいのですが、どうすればいいのですか。

A
大学や大学院できちんと学んでください。

ただし、民間でも心理療法と催眠をしっかりと基本から教えてくれるところがあります。
ここは、催眠について過大な期待をさせず、何よりも、心理療法の考え方や最新のブリーフセラピーについてしっかりと教えてくれます。

催眠術・催眠療法のマインド・クリエイト 京都・大阪・滋賀・兵庫・奈良

V.d.s.では、一定の技術や知識のある人たちがさらに研究する場なので、基礎からという人は原則として受け付けていません。

迷信は作られる

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みなさんは「パブロフの犬の実験」は知っていますよね?

犬に餌を与えるときに、ベルを鳴らすと、その犬は餌がなくてもベルの音だけで唾液を流す、というものです。

これを「古典的条件付けの実験」といいます。

餌は、反応を引き起こす無条件刺激、唾液はそれに対応する無条件反応、そしてベルの音は条件刺激になります。

本来であれば、餌に対して唾液が出るのですが、餌という無条件刺激に時間的に近接しているベルの音(条件刺激)との間にも唾液を流す(無条件反応)との間にも結びつきが起き、ここに「学習」が成立するのです。

そして、この関係から、学習の強化、消去、般化という法則が明らかとなったのです。

一方、学習者の自発的行動が、報酬を伴うために強化される学習を「オペラント条件付け」と呼ばれます。

たとえば、バーを押すと餌が出る仕組みを持っている箱にネズミを入れます。
ネズミは最初はでたらめな行動をとりますが、たまたまバーを押すと餌が出てくると、そこで学習が成立し、バーを押すと餌が手に入るということを覚えるのです。

さらに、鳩がいる箱の中に、15秒ごとに餌を放り込むという実験があります。

餌が放り込まれたとき、たまたま鳩が片足を上げていたら、鳩は次も片足を上げて餌をもらおうとしますし、首を振っていたら、次も首を振って餌をもらおうとします。

この「オペラント条件付け学習」の発見者であるスキナーはこれを「迷信行動」と呼びました。

これは、自発的行動をしたところ、餌がもらえた、だから、次もその行動をとれば餌がもらえるだろう、という行動です。

この時、餌と行動の結びつきはたまたま起きただけのことであり、実際には何の関係もありません。

このようにオペラント条件付け行動的に強化されるとたまたま起こった行動にあたかも因果関係があるかのように学習するのです。

迷信とはこのようにして発生します。

博打で、たまたまある行動をとった直後(たとえば深呼吸してお祈りを心の中で唱えたりする)に、勝った場合、次の博打でもそれをするでしょう。

気に入らない人に対して、「死んでしまえ」と強く思ったら、数日後、その人が病気になってしまった場合でも、因果関係があるかのように誤解し、ひどい場合には、「私には特殊な力がある」との妄想に陥るでしょう。

さらにこの時、人間の傾向として「セレクティブ・メモリ」も働いているのです。

つまり、何かをして都合がよいことだけは記憶に残りますが、そうでないことは思い出さない、という傾向です。

「あの占い師はよく当たる」という場合、当たっていないときのことは忘れているのです。
「私が時計を見るといつも、11時11分だ」という時には、時計を見てそうでないときのことは忘れてしまっているのです。

こう考えてみると、迷信なんてどうでもいいものだと思いませんか?

お遊びとしての迷信はほほえましいものですが、その迷信が、対人関係や対社会関係に影響を及ぼしたり、自らの人生や生活に制限を加えるとなると、それは「苦悩」そのものなのです。

催眠療法のに・せ・も・の

hypnotist

催眠でよくある誤解についてお話ししましょう。

Q
催眠でものを忘れさせたり、嫌な記憶を取り除くことはできますか?

A
被験性の高い人には、催眠中はできても覚醒後は元に戻ります。

おもしろいことに、催眠中は、思い出すことができない人と、頭の中でははっきり思い出してもそれを口にすることができない人など、いろいろな「思い出せない」バージョンが存在するようです。
これはその人の特性によるともと考えられます。

ただし、永遠に思い出せないようにするとか、記憶を取り去るということは不可能です。
そんなことができるなら、すでに病院でもやっているでしょう。
誰だって忘れてしまいたいことを簡単に「呪文」を唱えてなくしたいと思っているではないですか。

でも、そんなことが広まっていない事実が、答えを物語っています。

Q
前世を見ることはできるのですか。

A
キリスト教やイスラム教、ユダヤ教など世界の多くの宗教には、輪廻転生の考えはありません。
ヒンズー教や現代の仏教などで見られる考え方です。

つまりは、信仰と密接に関係しているのです。
それを信じるものには事実でしょうし、信じないものにとっては事実でない、ということです。

信仰でのお話ですから、前世がある、ないと論争するのは無益です。
いろいろな症状を軽減するために、催眠中に、前世があると信じている人のその信念を利用して、リフレーミングなどの手法によって改善を図ることは可能でしょう。

Q
催眠によって、人を好きにさせたりすることはできますか。

A
催眠中は、被験性の高い人に対してはできます。
覚めると、元に戻ります。

ただし、私の実験によると、特に被験性の高い人に対して、何度も何度もこの催眠を誘導しては覚醒を繰り返せば、「好きである」という気持ちが生成されやすくなるようです。

Q
催眠によって、その人の道徳に反すること、たとえば殺人はできますか。

A
原則はできません。
たとえば、直接暗示として「目の前の人を殺しなさい」といってもそうしません。

けれど、自分の命が脅かされるため、命を守るために・・・など間接暗示を駆使すると可能となるかもしれません。

そして、それには催眠は必ずしも必要はありません。
覚醒時においても、その人のビリーフ(信念、道徳観、価値観など)を変容させることによって可能となるからです。

たとえばカルトでの殺人や詐欺、自爆テロなどをみても、それは可能であることが容易に分かるでしょう。

このように見ても、催眠は万能でないことは分かるでしょう?

催眠療法を謳っているところでも、催眠そのもので人は改善しないのです。

催眠中では、心理療法がかなりやりやすくなるため、心理療法をする道具として催眠が使われるのです。

催眠で有名な精神科医エリクソンも、催眠で治療したのではなく、トランスに誘導し、そこで心理療法を行ったのです。

催眠は麻酔であって、麻酔そのものでは治療はできません。
麻酔をして、オペをして、初めて治療ができるのです。

その意味で、催眠療法といっても、療法家が、どんな心理療法をするのかが大切であって、催眠が大切であるのではないのです。

最近は、催眠ができるというだけで、さまざまな症状を改善するという人が多いですが、その療法家がどんな心理療法をするのか、それを見極めることが「本物」と「に・せ・も・の」を見分ける目だと思います。

に・せ・も・の

mind-and-thoughts

思考は事実でない、過去のブログを見ても、私はこう言い続けてきました。

そのベースには、第3世代認知行動療法などがあります。

ところで、最近、よく似たことを言っている人たちがいます。

私なんか以上にしっかりと理解し、そのためのエクササイズを自ら開発し、実践している人もいる一方、どうも何かが違う・・・そんな人が多いのにも出くわします。

たとえば、思考は事実でないと言いながら、「良い思考や感情」は取り入れて、「悪い思考や感情」捨て去ろうとか、ポジティブ思考を持とうとか、思えば叶う、というようなことを同時に主張している人です。

本当のことを言えば、これらは「思考は事実ではない」と相容れないのです。

あたかも、アクセルとブレーキを同時に踏んで「車が進まないぞ」というようなものです。

思考を事実として信じてしまう状態を、思考との一体化(フュージョン)といいます。

なぜ思考を事実として信じてしまうのかというと、

① 思考していることに気がつかない

② 思考そのものが「評価」や「比較」、「理由づけ」によって事実のようにふるまう

が考えられます。

思考と一体化すると、単なる思考にしかすぎないものを、それ以上のものにしてしまう可能性があり、しばしば自分自身に破滅的な影響を与えることがあります。

このような場合、思考からの分離(デ・フュージョン)をさまざまなエクササイズなどで行うのです。

自動的に発生する思考を、「良い」「悪い」、「ポジティブ」「ネガティブ」などとさまざまに評価付け、それを取り込んだり切り捨てたりすることは不可能なことです。
そして、これらの対処そのものが思考と一体化するための行為なのです。

「赤い象について考えるな」

という思考コントロール実験でも、思考がコントロールできないことが容易に分かるでしょう。

コントロールしようとすればするほど、思考との一体化が起こります。

こうなると、フュージョンそのものの状態になります。

思考は事実ではないといいながら、「良い思考や感情」は取り入れて、「悪い思考や感情」捨て去ろうとか、ポジティブ思考を持とうとか、思えば叶う、と相反することをなぜ主張するのでしょうか。

それは、主張する人が理解していない、ということが考えられます。

流行の言葉として「思考は事実ではない」と使ったとしても、そもそもの意味を理解していないため、相反することを主張しても気がつかないのです。

みなさんも私も、学ぶなら、薄っぺらで表面的なものではない、しっかりとしたものを学びたいですね。

なんとかの法則

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「引き寄せの法則」とは一体何だろうか・・・
前から疑問に持っていました。

最近は「成功の法則」などのように「~の法則」という言葉が氾濫していますね。

そもそも、法則とは

「命題の中で限られた回数ではあるが観察・実験で検証されたものをとりあえず反証例が見つかるまでの間だけ、仮説的に法則として認める、と考え、法則というのはあくまで仮説にすぎない」(Wikipediaより)

といわれています。

よく考えてみると、世間で言われている「法則」は、特殊な事例やある個人に起こった経験をあたかも、それをまねれば自分もそうなることができるというものばかりです。

「ジンクス」や「思い込み」、「根性論」などの精神論・人生訓のようなものですね。

このような類いの本は昔からありました。

引き寄せの法則にしても、神の力とかオカルト的な何かの力によって・・・というものは「法則」から除外する必要があります。

なぜなら

「信じなければ効果がない」

というのは、法則でも何でもなく「信仰」や「宗教」の世界ですから。

そうではなく、

「問題解決に対して望ましい行動をすれば、目標の実現に効果がある」

といったものであれば「なるほど」と納得します。

ただ、いろいろとSNSなどで観察しているとカルトと同じような類似点が見いだされるものもあります。

① 同じ理想を持つものだけで集まり、異を唱えるものをネガティブとして遠ざける。

少し前にブログで書いたバイアス(「偏り」「偏見」)実験のように、都合のよいものばかり集めても意味がない、ということです。
本来大切なことは反証例など「都合の悪いもの」のはずです。
そうすることによって、思考過程は偏りを軽減でき、より合理的な行動をとりやすいはずです。

セルフイメージを健全にする、ということはこういうことなのです。

なぜ「同じ志のもので群れる」のかというと、実は、自分自身や自分のやっていることに自信がなく、反論に遭う、反証を見ると簡単に挫折するからなのです。

つまり「傷つくこと」「自らの弱さ」から逃避しているだけなのです。

そして、①と関連して、

② 自分たちは本当は素晴らしいと思い込み、否定するものは「嫉妬を持つもの」とか悪い感情を持っているという解釈をする。

自分にとって都合の悪いものから目を背け、逃避するのみでなく、そうする理由づけを発明します。
「私たちの方が素晴らしい。それをとやかく言うものは悪い感情を持っているんだ」と。

こうすることによって、傷つくことから身を守り、「外敵」を作ることによって、自己のゆがんだ劣等感を逆に強固にしだします。

③ 夢という言葉で、本来は望ましくない行動や思考を正当化する

否定すると「夢が大切なんだ」「夢にないやつはダメなんだ」と力説しますが、たぶん自分に言い聞かせているのでしょう。

夢と妄想は違うものなのです。

誰でも劣等感は持っていますが、それを昇華するのではなく、合理化、逃避など望ましくない行動をとっていることに気がつかないのです。

つまり、健全なセルフモニターができていないのです。

④ 「法則」といわれているものは大したことない

オカルトは別として、個人の体験談や道徳や精神論、あるいはどこかの「イージーな心理学」から拝借したもので、何ら目新しいものは何もありません。

夢(目標や理想)の実現は大切なことです。
しかし、現状が辛いからといって、傷をなめあい、強い劣等感の裏返しとしてゆがんだ誇りを持って、無為に人生を過ごすのは、もったいない感じがします。

健全にセルフモニターをし、健全なセルフイメージを持ち、なによりもどんなことがあったとしても、活き活きと生きる、そんな人生を目指したいですよね。

心があるのかないのか

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心があるのかないのか、おもしろいテーマです。

私たちのセミナーのベースとなっている心理学のひとつに第3世代認知行動療法があります。

その中核には「マインドフルネス」というものがあり、その原型は「ヴィパッサナ」という瞑想です。

無になるのではなく、心を観察する、つまり、思考や感情を観察するというものです。

思考や感情を観察するのですから、「私」は思考や感情とは別物ということになります。

このように、「マインドフルネス」とは、思考や感情と一体化してしまい、思考や感情を私自身と信じてしまった状態から、脱するエクササイズのうちの一つなのです。

ところで、「天台小止観」のうちで、こんなくだりがあります。

『もし一切の世間のことを念ずれば、そこでまさに反って起るところの心そのものを観ずるがよい。
このような心は、これは有るものであろうか。無いものであろうか。

もし無いものであるなら、つまり心は無いのであるから、どうしてその心があり得ようか。
もし心は有るものであるとするなら、これは過去・未来・現在のどこにあるとしたらよいのか。
もし過去にあったものであるとするなら、過去とはすでに滅したものである。
どうして心だけがあり得ようか。

もし未来に在るものだとするなら、未来は未だ来ないものである。
どうして心だけがあり得ようか。

もしこれ現在に在るものだとすれば、現在は一刻として止まってはいない。
つかまえどころがない。
つかまえどころがないなら、心が在るということもない。

また、もし心は現在に在ると思うなら、現在の心にどのような相貌があるのかを観察すべきである。
諦かに観察してもその姿も形も見ることができないとすれば、すなわち心はつかまえどころがないのである。
つかまえどころがないとすれぱつまり心は有るとはいえない。

またもし生じたり滅したりするのが心の相で・・・』

おもしろいでしょう?

7月6日の「癒やしのためのお茶会」では、こんなこともテーマにいろんなお話をしましょう。

「抵抗」の扱い ~ エリクソン催眠

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古典催眠とエリクソン催眠、どんなふうに違うのですか?

という質問がちらほらとありました。

少なくとも「古典催眠」ではないということです。

答えになっていませんね。(^o^)

一貫してあるのは、「抵抗」をどう扱うか、ということです。

「~をイメージしてください」と古典催眠では、直接暗示を与えます。

けれど、こんな言葉をかけられると、人は多かれ少なかれ、イメージすることに抵抗を持つものです。

では、こんなものはどうですか?

「もし、~ならどんな感じがしますか?」

こう聞かれると、それをイメージして、感じようと「自分で」そうしますよね。

まさに、被験者に思わせ、判断させ、感じさせるテクニックなのです。

自分で、思い、感じ、判断したのですから、否定はできません。

このように「抵抗」を避け、あるいは利用するのです。

あるいは、

「○○さん、私はあなたに~してくださいとは言いません」

と言われたらどうでしょう。

~してくださいと言っていないのですから、言っていない言葉に反論や否定はできません。

しかし、実はこれが「命令していること」になるのです。

抵抗の利用は、たとえば「緊張してしまいます」という人に対して

「落ち着け」

「リラックスしろ」

と言っても無駄なのです。

それができないと言っているのですから。

じゃあ・・・もっと抵抗させようか、と。(^o^)

「見たところ、まだ緊張が足りないように見えます。もっと緊張してみましょう。緊張したら足の筋肉はどんな堅さになりますか?首や肩には力が入りますか?緊張すると、呼吸はどうなりますか?」

と緊張を奨励し、緊張を意識的にさせるのです。

そうするとも人はいつまでも緊張できませんから、いずれリラックスするのです。

「抵抗」の扱いをいつも頭の中において、相手は抵抗を持っているのかどうか、どうしたら回避できるのか、利用できるのか、それを考えていくのです。

催眠でも、

「あなたは椅子から立てません」

と直接暗示を与えるよりも、

「頑張って椅子から、試しに立ってみてください」

と言われると、それは、椅子から立てないという暗示になっているのです。

なぜなら、椅子から立つのに、頑張る必要はないからです。

こんなこと、おもしろいでしょう?

日常生活でも役立ちそうでしょう?

ただ、この言葉を呪文のように使う、というのは古典催眠や「魔法」の発想です。

あくまで、文脈の中で使うのです。

エリクソン催眠の誤解

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エリクソン催眠を教えて欲しい、とよく言われます。

そういう人がどんなイメージを持っているのかを聞くと、日常会話をしながら、意識不明にさせたり、立てなくさせたり、ものを忘れさせたり、好きにさせたりということばかりです。

日常会話をしながら、つまり、相手に悟られずに「催眠現象」を起こすことばかりなのです。

これは、古典催眠や「魔法」の世界なのです。

確かに古典催眠は、コミュニケーション能力に障害がある人でも、被験性(立てない、人を好きになる、ものを忘れるなどの催眠現象を起こす能力)が高い人に対しては、一定の暗示文を言うと、被験者は催眠誘導される場合があります。

しかし、エリクソン催眠は、暗示文という名の「呪文」もなければ、こうすれば必ずこうなるというものでもなく、常に相手を観察しながら、その都度与える言葉や言葉遣い、言葉の調子、目線、など(非言語コミュニケーション)を変えてゆくのです。
その人のその時の状態によって、こちらの言葉や非言語コミュニケーションを変えてゆくのですから、「暗示文」なんてあり得ないのです。

暗示文という「呪文」は存在しませんし、「こうすればこうなる」という公式もないのです。

本当にコミュニケーション能力がなければ絶対にムリな催眠なのです。

しかも、古典催眠のように催眠現象を起こすことには興味がないのです。

エリクソン催眠は、トランスに導いて、その中で相手に影響を与える暗示を与え、こちらの望むとおりの行動や考えを持ってもらう(被暗示性を高めるといいます)ものなのです。

もちろん、被験性が高い人には現象を起こすこともありますが、それは目的ではないのです。

ですから、日常生活でさりげなく、催眠現象を起こすことがエリクソン催眠であると考えている人は、そもそも根本から間違っていることになります。

エリクソン催眠において、特に何がキーワードになるかと言えば、「抵抗」です。

どのようにして相手の抵抗を避け、場合によっては抵抗すら利用して、誘導してゆくのか、その見極めと即時の判断が大切です。

分かりやすく言うと、

「あなたは、今、明るい、のどかな海岸を散歩しています。波の音が聞こえ、遠くでカモメが鳴いています・・・」

などという誘導は、古典催眠なのです。

催眠者が、強制的にイメージを与えたところで、そんなイメージができない人もいます。
なぜなら、人から与えられるものには多かれ少なかれ抵抗が生じるものだからです。

一方、エリクソン催眠は、

「~というイメージを持ちなさい」

とは言いません。

催眠者が、勝手に自分の思い出を語るのです。

それは催眠者が田舎に行って、のんびりと過ごしたときのことかもしれないし、電車に乗ってぼんやりと窓の外を見ながらたまにはウトウトして、あてのない旅行をしたときのことかもしれません。

でも、こんな話を被催眠者が聞くと、自分のイメージに置き換えて聞いてくれているのです。

つまり、イメージを与えるのではなく、催眠者ののんびりとしたときの思い出を聞くことによって、「自分でのんびりしたときの状況を思い出してくれる」のです。

相手に考えさせる、イメージさせる、選択させるように見せながら、実際は催眠者のさまざまなトリックによる誘導によってそう仕向けられるのです。

本人は、それを自分で判断し、選択したものと思っています。

そこには「抵抗」はないのです。

地味ですが、とても強力なのです。

仕事や日常生活で、さまざまに使うことができる、というのはこのような意味があるからです。

催眠いたずら日記

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これまで催眠誘導していておもしろかったお話しをいくつか・・・

おもしろいお話しの中にも、何かヒントがあるかも。

私は京都にある催眠スクール「マインドクリエイト」で催眠をみっちり学びました。
インチキくさいところが多い中で、ここは本当に良心的です。

私の自慢があるのです。

実は、ここの第1号生なのです。
驚いたかっ (^^)/

【その1 デビュー】

もう何年も前になりますが、マインドクリエイトはカラオケボックスで「催眠オフ会」をやっていました。
このオフ会では、試練があるのです。

生徒は「催眠ショーをみんなの前でする」というものです。

その頃から無茶ぶりで有名だった、我らが師匠中井先生に、無茶ぶりされてしまいました。

当時、被験性が高いM君がお客さんでいました。

さっそく、M君をターゲットに・・・

『M君、こっちを見て。

私が、M君にゆっくりと近づいてゆきます。

私が一歩近づくたびに、たくさんの記憶をなくしてゆきます。

人はたくさんのことを考え、思い悩みます。

けれど、私が近づいてゆくたび、いろんなことを忘れると、頭が軽くなって、スッキリして、気持ちがよくなります・・・』

などと、古典催眠をやっていました。

M君、私が隣にまで近づくと、名前も、ここがどこかも、みんなが誰かも、何のためにここにいるのかも、これからどうしていいのかも忘れてしまいました。

惚けたようにして座っていました。

大成功 (^^)/

【その2 女のバトル】

これもまたオフ会での話し。

美人で天然の女性占い師のSさん。

この人に私は「好き好き催眠」をかけていました。

「好き好き催眠」とは催眠者を好きにさせる催眠で、男性にとっては楽しいものです。

私のことを好きになったSさんは離れようとする私にしがみついてきたりしていました。

欲張りな私は、当時有名だった女性被験者Tさんにも好き好き催眠をかけ、両手に花を満喫していました。

けれど、このままでは全然おもしろくない私は、Tさんの前で、Sさんの方が好きだと言い、Tさんの嫉妬と独占欲を強める暗示を与えました・・・

そうすると、2人とも、もっと私のことを好きになるはずでした。

ところが・・・

Tさんは、ツカツカとSさんに近づき、いきなり突き倒しました。

お嬢さん育ちのはずのSさんは、

「何するねん。おまえは!!」

「うるさいなあ、あんたこそ、邪魔やねん!!!」

いや~私は、命からがら脱出しましたよ。

でも、催眠を解いてあげないとケンカは続くので、解こうとしたところ、とんでもない、桁外れの妨害がっ!!

Yさんという、メタポで、お茶目で、癒やし系の男性に、誰かが私に対する好き好き催眠をかけたのです。

女性二人の催眠を解こうと焦る私、私にしがみついて離さないメタボの癒やし男。

修羅場でした・・・(・∀・)

【その3 解けない催眠】

オフ会では人が収まりきれなくなったので、会場を変えて「催眠イベント」が開催されました。

いたずら好きな私は、催眠誘導した後、こんな暗示を与えました。

「催眠を解こうとすると、ますます深く催眠に入ってゆきます。特に私以外の人が、必死になって催眠を解こうとするでしょう。そうすると、もっともっと深く深く気持ちのいい、本当に気持ちのいい世界に入ってゆきます。逆に催眠を深めようとすれば、通常の2倍の速度で深く催眠に入ってゆきます。」

こんな暗示を与えておきながら、ころっと忘れて、被験者を覚醒してしまった私。

被験者「・・・」

私「あっ!そうか。深く入ってしまったんだ。これは困ったな。困ったついでに、さあ!!みんなで催眠を解いてやってくれ」

何人か前に出てきて、催眠を解こうとしたのですが、ついに、床に倒れて、ぴくりとも動かないほど深い催眠状態になってしまったとさ。

———————–

催眠は、本当に楽しいです。

マインドクリエイトの3つの言葉

かかって楽しい
かけて楽しい

・・・・・

あと一つ忘れてしまいました。

みなさん、催眠のイベントがあればお会いしましょう。

自業自得・・・マインドコントロールの素顔

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「最近はなりを潜めているなあ。ネタ切れですか」

と言われますが、ネタは腐るほどあります。(^^)

マインドコントロールについての文章をまとめているのです。

以前「悪い企み」セミナーで実施した内容に、さらにいろんなものが加わって膨大な量となりました。

今、校正中なのです。

ところで・・・

マインドコントロールについて、こうやってブログで何度か予告したのですが、そうするとおもしろいことが・・・

ある○○○博士の信者が、メールをくれたのです。

「洗脳で十分なんだよ。抽象度を上げて、情報空間が・・・○×△□・・・」

と訳の分からないことを言ったあげく、

「○○○博士は、アメリカのすごい大学を出て、たくさんの本を書いて、カルトの脱洗脳までしている偉い人なんだぞ」

と・・・。

そもそも見ず知らずの私にいきなり、○○○博士のすばらしさや理論の正確さ、学歴がどれほどすごいかを狂信的とも思える文体でメールを送ってくるのです。

まさに、私が示している被操作者(操作を受ける対象者)のサンプルで、私の研究対象者ではないですか。(^_^)v

本人はいたってまじめなのでしょうが、私から言わせれば、

「これがマインドコントロールのなれの果ての被操作者です」

と紹介したいくらいです。

「キジも鳴かずば撃たれまい」

この言葉を捧げますよ。(^^)/

さらに付け加えましょう。

訳の分からないことは訳が分からないからこそ、「有り難い」と思う心理があります。

スピ系に多い、お経や真言などを意味が分からないまま呪文として使う場合もそうですね。

訳が分からないからこそ、有り難いものであり、有り難いものであるからこそ、霊験あらたかなのだ、と。

どうなのでしょうね・・・?(^_^;)

マインドコントロールについていろんな定義がありますが、いちばんオーソドックスなものは、

「人の抵抗をかいくぐって意志決定を操作し、いかにもその人が自分で選択したかのように見せかけて、ビリーフ(価値観や信念など)を変容させ、それによって行動をコントロールする技術」

と言えるでしょう。

簡単に言うと、

通常は信じられないものを「何らかのトリックを使って」信じさせる

ことです。

そして、その信じたことが、その人の人格や行動に関わる重要なものであるならば、その人は、信じたことをもとに人生や生活での行動をしてゆくでしょう。
しかも、その人にとっては、強制されたものではなく、自ら選択したと信じていること、なのです。

この「何らかのトリック」こそが重要なのです。

さらには、「何らかのトリック」を与えるタイミングも大切なのです。

つまり、信じていないものを信じさせる、そのタイミングと仕掛けこそが、マインドコントロールできる大きな鍵となるのです。

まあ、タイミングがないなら、作り出せばいいのですが・・・(^o^)

みなさんもそうでしょう?

自分の道徳や信念、価値観は最初から頭の中にあったものではないでしょう?

どこかで取り入れたのです。

取り入れるときの判断は、それが現実かどうかをもとに正しさの判断をします。

では、その正しさの判断の根拠は、と問われたらどうでしょうか?

結局、自分にとっての体験や推論、解釈から、偉いことやマスコミが言うから、という程度にしかすぎないことが分かります。

その正しさの判断が絶対的に正しいものであるとするならば、全人類が同程度に同じ基準の道徳や価値観などを持たなければいけないのです。

現実がそうでないのは、正しさの判断をするときに個々人が「正しいと思うから、信じている」にすぎないからなのです。

たとえば、困って途方に暮れている人に、全く新しい考えをもとにした解決方法を与え、それが役に立つならば、その人にとっては「正しいもの」なのですから、簡単に信じてしまうでしょう。

マインドコントロールするのに、大げさに催眠術を使ってみたり、特殊な呼吸や念力の訓練をしてみたり、あるいは、さまざまな装置を使ってみたり・・・。

何とバカげたことか、と思います。

お金に困って、自分の無能さに悩んでいる人に、

「こうすれば儲かります。秘密の方法です。あなただけに教えます。人には夢が必要です。夢のない人はダメですよね。夢は待っていてもダメです。行動しないと。あなたはこのままだとますます惨めになりますよ。あなたが行動して叶えないと。あなたのことをバカにする人は実は、あなたの能力をねたんでいるのです。さあ夢を叶えましょう!!私の成功事例をもとにすれば、幸せになれます。まずは、私のセミナーに来てください。」

とでも囁くと、劣等感が強く、自己否定の強いくせに、プライドだけは高い人は簡単になびき、他人の言うことは「ねたみ」だと信じて、都合のよい意見や同類しか集めなくなるでしょう。

本人は、いたって自分の選択でそうしたと信じているのです。

このような人は、先日の心理ゲームのように、都合のいいものだけを取捨選択したバイアス(偏見)からものを見ないでしょう。

その人の思考が健全かどうかは、都合の悪いものを「否定的」として遠ざけ、都合のいいものだけを積み上げて、さまざまな証拠にしているかどうかです。

本当は、「否定的」と評価したものこそが大切であり、自分自身の思考方法を自分で検証できる大切なことなのです。

こんな例はどうでしょうか、

自分の不埒な行為の結果、別れを告げられ、あきらめきれずに「復縁」を望んでいる場合、
自己の力ではムリだ、自分はダメだ、でもどうしても彼氏が欲しい、取り戻したい、彼氏とともに幸せになりたい、と思っているとき、

「あなたの夢を叶えてあげますよ」

と囁かれると、心がぐらつくでしょう。

普段はそうでもないのに、このように囁かれた時だけは、「どんな犠牲があっても叶えたい。そうすれば自分は幸せになれる」と信じるでしょう。

人は誰でも不安や悲しみ、絶望を抱えるものです。
一方で、希望や夢、幸せも抱えたり、望んだりします。

これらをひっくるめて人間であり、人生であるのです。
現実は、感情や思考から、自分が嫌と評価したものを取り去ることなんてできないのです。

しかし、愚か者は、都合のいいものだけを取り入れようと躍起になり、自力では解決不能となったとき、

「魔法」

に飛びつきます。

ある意味、自業自得なのです。

たとえば詐欺師がいて、騙されたとします。
もちろん騙した詐欺師は罪に問われます。

では、「被害者」は悪くはないのでしょうか?

風邪をひいたとき、細菌が悪いのは誰も分かっています。
だからといって、不摂生をし、風邪をひきやすい生活をしていいのでしょうか。

そんなことして、風邪をひいたら「自業自得」でしょう。

風邪の菌は、不摂生をし、風邪をひきやすい生活をしている人を見つけ出すのが上手であるし、そこに狙いを定めるのです。

マインドコントロールの仕掛けを知りましょう。

そうすると、どれほど人が操られやすいものか、それが分かります。