何て思い込みが激しいんだ!!

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たまには頭の体操をしましょうか。

ここにある図を見てください。

ここに4枚のカードがあります。
片面には数字が、片面にはアルファベットが書いてあります。

こんなルールがあります。

『もし、カードの片面にアルファベットの母音が書いてあれば、その裏面の数字は偶数である』

このルールが成立しているかどうか、調べるためには最小限度のカードをめくればいいでしょうか。

さあ、考えてください。

たぶん「A」だけか、「A」と「4」を選んだでしょう。

これは「確証バイアス」の実験です。

バイアスとは、偏り、という意味です。
そして、確証バイアスとは、簡単に言うと、最初に思った先入観を裏付けるための証拠を重んじ、否定する情報を軽く見る、というものです。

つまり、自分が推測する証拠を肯定するものばかりを集め、否定する証拠は無視するのです。

さて、考えましょう。

まず「A」のカードは必ずめくらないといけません。
もし、「A」のカードの裏が偶数であれば、ルールは成り立っています。

そして、もう一つのカードは「5」なのです。

よく考えてください。
「母音の裏は偶数である」と書かれていますが、偶数の裏は必ず母音であるということではないのです。

「偶数の裏は、母音でも子音でもいい」ことに気がついてください。

「5」の裏が母音であれば、ルールは成り立たないことになります。(反証例)

したがって、「A」と「5」のカードをめくる必要があるのです。

文章上にある「母音であれば偶数である」ということにだけ目がいって、反証例を検討しない傾向が私たちにはあるのです。

たとえば、

「この健康食品を摂れば、こんなに体が良くなった」
「気のパワーを当てるとこんなに回復した」

といくら肯定する材料を集めても、それが正しいという証明ではないのです。

「健康食品を摂らなくても、体が回復した」
「健康食品を摂っても、体が回復しなかった」

という事実も集めなければならないのです。

思い込みがどれほど事実をゆがめているか、少しでもこの実験で分かればうれしいものです。

心霊スポット

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心霊スポットに行くのが大好きな人も多いかと思います。

そろそろ、そんな季節ですし。

さて、今日は、心霊スポットに行く時の注意についてお話ししましょう。

心霊スポットと呼ばれるには、必ず曰くがあります。

もし何もなければ、そこだけが心霊スポットと呼ばれることなんてないでしょう?

幽霊を信じる人も、信じない人も今から書くことに注意をしてください。

体調や精神に何かあると取り返しがつかないことになるのですから。

まずは、明かりはろうそくを使った提灯にしてください。
その方が風情があるではないですか。

お守りをできるだけたくさん持ってください。
特に片手にはお守りを握りしめていた方がいいのです。

浄化のための塩も懐に忍ばせ、不浄だと思うところにはまいてゆきましょう。
心霊スポットに行く前と、後には塩風呂に入って清めておいた方がいいのです。

列のいちばん後ろにならないようにしましょう。
もし、後ろに知らない誰かがいたら怖いではないですか。

先頭も歩かないようにしましょう。
気がついて、後ろの人たちが少なくなっていたり、知らない人たちだったら怖いじゃないですか。

何よりも大切なことは、幽霊や悪霊は、人の心の隙から入ってきます。
ですから、決しておびえないようにしてください。
おびえていることが分からないようにしてください。
それを知られると大変なことになりますから。

般若心経を一心不乱に心の中で唱えるのも効果的ですね。
でも、こんなばあいでも、息継ぎをする時、ふと何かほかのものに意識が移る、そんな瞬間がないようにしてください。
その瞬間こそ、取り憑かれるかもしれない瞬間ですから。

何かに出くわさないよう、耳を澄まし、目をこらし、体の感覚を鋭敏にして、常に警戒してください。
特に見えない背中や後頭部、足首などは要注意です。

妙な気配を背中や足首に感じたり、妙なものが視界の隅に見えたりしても、決して気にしないでください。
「何もないんだ」そうつぶやいてください。
そして、一切恐怖を感じないでください。

隣に一緒にいる友だちが、「これ、本当の友だち?」と感じる妙な気配があっても、知らないふりをしてください。

さてさて、こんなことを思いながら心霊スポットに行くとますます楽しいでしょう?

恐怖はどこにあるのか、誰が作り出しているのか、そして恐怖を強化しているものは何かを考えてみてください。
戦ったり、防御したり、無視したり、言い聞かせたりしても、ますます恐怖が強くなるでしょう。

お守りや塩などは、恐怖を感じないために持つはずのものですが、それを持つことによって、すでに幽霊が出てくる時の防御となっています。
これもまた恐怖を強化しています。

頭の中だけで恐怖が作られ、それを現実のものと信じ、必死で戦い、さらに恐怖を強化しています。
そうすると、見えないはずのものが見えた気になったり、感じたりもするのです。

この恐怖を、日常の不安や悩みに置き換えてみてください。

もし、不安や苦悩で苦しんでいるとすれば、その人はこのように「ひとり肝試し」をしているのです。

肝試しは楽しいのですが、毎日が不安や苦悩との「ひとり肝試し」は辛すぎるのです。

それはそうと、心霊スポットにみなさん行きませんか?
ただし、私からの誘いですから、ただの肝試しではありません。

強力な暗示やさまざまな催眠的手法を駆使して、心霊スポットで、「不思議な体験」をしませんか?

かなり強烈な体験となりますから、心してきてください。

今日のブログは、たくさんの暗示だらけですね・・・(^◇^;)

呪いの方法、教えます

 

012よく不思議に思うことがあるのです。

呪いは存在するのか、と。

私の結論は、存在する、です。

しかし、念力や気の力、悪魔の力や邪悪な波動なんかでそうなるのではない、ということです。

呪いの発動にはいくつかの段階があります。

まず、相手方に「呪われている」ということを何らかの形で知らせる必要があります。

迷信深い人なら、それだけで呪いがかかるかもしれません。

あるいは、「そんな呪いなんて嘘っぱちだ」と信じないかもしれません。

けれど、そんな人でも心のどこかに呪われたという意識は残っています。

人は生きていると、いろいろな不幸や苦しみがあります。

それは呪いとは関係なく、誰でも発生するものです。

しかし、自分がひどく不幸だと思う状態に陥った時、ふと、

「これは呪いではないか」

と、不幸と呪いを関連づけてしまうと、そこで強力な呪いが発動するのです。

関連づけなければ呪いは発動しません。

お守りを持つ
お祓いをしてもらう
呪いの相手と戦う
呪いなんてかかっていないんだと言い聞かせる
自分の不思議な力を強めようとする

こんな行動をとろうとするでしょう。

よくここで考えてください。

これらの行動は、「すでに呪われている」のを信じていることが前提となっているのです。

つまりは、呪われた状態なのです。

そして、自ら呪いを強化している状態なのです。

いったん、呪いとさまざまな不幸を結びつけ始めると、それはどんどん大きくなります。

ストレスはたまるでしょう。
睡眠もとれなくなるでしょう。
場合によっては、体も心も壊すでしょう。
それから派生して、人間関係も、仕事も壊すでしょう。

こうして、呪いは成就するのです。

つまり、「呪いをかけた」ということをもっともらしく、できれば伝聞という形で、相手に伝えればいいのです。

そうすれば、本当らしく、不気味に伝わるではないですか。

不思議なパワーも儀式も何もいらないのです。

寝ていても、遊んでいてもいいのです。

ただ伝えるだけ。

これだけです。

呪いの正体は、

呪われていると信じている自分の思考

なのです。

そういえば、20世紀最大の魔術師といわれたアレイスター・クロウリーは、こんなことを言っています。

「呪われたと知ったら、笑えばいいのだ」

こんな時、どうしたらいいのか・・・

おなかが痛い

最近は、都会の雑踏の中で具合が悪くなって苦しんでも、誰も助けようとはしない傾向が増えてきましたね。

もし、自分がそんな事態に陥ったらどうするだろうと考えてみました。

あなたならどうしますか?

こんな実験があるのです。

あるビーチで、カメラの入ったカバンをわざと置き去りにしました。

もちろん、周りにはたくさんの人がいます。

しばらくすると、怪しげな男(実験のサクラ)が現れて、カバンを開けてカメラを盗み出しました。

しかし・・・周りにいた誰もがそれをとがめることはなかったのです。

次に、カバンを置いてその場所を離れる時、周りの人たちに、「ここにカバンがあって大切なカメラがあるから、見張っていてくれ」と頼みました。

またもや、怪しげな男が・・・

今度は、盗もうとしたところを周囲の人に取り押さえられてしまいました。

状況は何も変わっていないのにです。

ただ違うことは「見張ってくれ」ということを周りの人たちに与えたことなのです。

このように、人は、役割を与えられると、それを実行しようとします。

では、都会の雑踏の中で具合が悪くなって苦しんだ時、

「助けてくれ」

だけではなかなか人は助けてくれません。

面倒なことに関わり合いたくはないからです。

ではどうしたらいいのか・・・

役割を与えたらいいのです。

「ほら、そこの赤いシャツ着て、手に携帯を持った人!!苦しいから助けてくれ」

と具体的に人を指定して、助けを求めるといいのです。

もちろん、それでも無視する人はいるかもしれませんが、助けてくれる確率はぐんと伸びるはずです。

人の習性というものは、なかなかおもしろいものです。

怒られてしまった・・・マインドコントロール

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以前からお話ししていた、マインドコントロールのテキストを作成中です。
現在は、最後のチェックに入っています。

「理論編」「実際編」に分かれています。

同時販売になるのか、別々に販売になるのか、いくらになるのは分かりません。
もう少ししたら判明すると思います。

さて、ネットで告知していたら、たくさんの質問がありましたので、そのうちのいくつかにお答えします。

Q:こんなことしてもいいのか。いやしくも心理学を教えていると標榜しているあなた方がすることではない。

A:いきなりきついおしかりの言葉です。

いい、と判断したから、このようにしているのです。

逆に、なぜ、公表してはいけないのか、その理由を知りたいのです。

私たちが公表する理由はいくつかあります。

1.社会心理学でも学ぶことができますから、何も隠すものではない、ということ。

2.最近、洗脳とかマインドコントロールといいながらも、実際はオカルトを薦めているものが多すぎること。

たとえば、特殊な呼吸方法をしたり、気功の力や「不思議なパワー」によって洗脳できたりするという迷信が多いことです。

楽して、何もせず、呼吸や念の力で、たちまちのうちに人を操ることができる、という魔法なんてないことを明らかにしたいのです。

オカルトなんて持ち出さなくても、きちんと説明可能であるし、実際にできる、のですから。

魔法なんてどこにもないことは、人類の歴史で分かるではないですか。

そんな夢を見て、どれほどの支配者が現れたことでしょう。

ただし、マインドコントロールされた人たちは日常にいますから、オカルトではなく、科学的にどのようなメカニズムでそうなるのか、実際にそうすることは可能なのか、実験を交えて紹介しています。

心理学を教えるものが、そんなことしてはいけなというのは、その人の道徳観であって、私たちには関係ないことです。

Q:悪用する人が出たらどう責任をとるのか。

A:なぜ私が責任をとらなければいけないのか、全く分かりません。

包丁で殺人をしたからといって、金物屋に「包丁を売るな。責任を取れ」といっているようなものです。

包丁そのものは、善悪なんてないです。

人を刺すこともできれば、美味しい料理を作ることもできます。

そもそも包丁は、何かを切るために使うものであって、金物屋が、すべての購入者の責任を負うということはあり得ないし、理不尽なのです。

Q:ではなぜ、悪用されるかもしれないと分かって、販売するのか。

A:悪用する人もいるということは、予想はできます。

でも、手口を知ることによって、それらから防御したり、すでにマインドコントロールされている人たちを回復させたりするためにも使われることも予想しています。

誰が何をするのかまでは、予想できません。

私から逆質問していいでしょうか。

どうして、マインドコントロールを聞くと、スイッチが入ったかのように、そんなに躍起になるのですか?ということです。

マインドコントロールは、どんなに否定しても、人にとってはやはり魅力的なものなのです。

脅せば行動だけは従うかもしれませんが、本当にコントロールを望む人は、相手の行動のみならず「心まで」そうしたいと思っています。

人はコントロールできない、コントロールしにくいものなのです。

けれど、一定の条件や状況のもとであれば、非常に操作されやすくなるのです。
それを人為的に作り出せばいいわけでしょう?

カルトやネットワークビジネスなどで狂信的になってしまった人がたくさんいるということは、その方法はある、ということなのです。

もちろん、100%コントロールできる保証はありません。
純粋に心理学のテクニックを駆使したら、高い確率で可能となるのは間違いないのです。

優れたカウンセラーや交渉人やセールスマンになることもできますし、カルトの教祖や詐欺師にもなることはできます。

隠してました・・・まだ半分しか・・・

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これまで私は思考と事実の分離について、多くを述べてきました。

実は、お伝えしたいことの半分しか紹介していないのです。

私のセミナーでも、苦悩の仕組みやそれをどのようにしてすり抜けるのか、という時にもほとんど触れなかったことです。

経済でも、ミクロとマクロがあるように、思考や評価、事実、感情についてのお話しは、ミクロにしかすぎません。

よく似たことを教えているセミナーやホームページでも、思考などについては紹介していますが、マクロの部分については触れていません。

本当は、このマクロの部分が活き活きと生きてゆく上で大切なことなのです。
そして、この部分がないと、いくら思考や感情や事実との関係が理解でき、それを体得したとしても、ただそれだけなのです。

ミクロの対処のみでは、「活き活きと生きる」ということは非常に難しいのです。

多くの人に人生はどうなりたいのかを聞きますと、いい大学に入りたい、幸せな家庭を持ちたい、お金を儲けたい、ビジネスで成功したい、資格を取りたい・・・などと答えます。

これらに共通することは何かといえば、手に入れると消滅するものばかりです。

つまり、人生でのゴールを述べているのです。

ゴールは達成したら終わりなのです。

ですから、大学に入ったのはいいけれど、生きがいがない、目的が見つからない・・・と思うのです。

あなたが亡くなった時、墓碑銘(欧米で墓石に刻まれる故人の功績)に何を書かれたいでしょうか?

「○○はお金儲けをして、ビジネスで成功した」

そういうことでしょうか?

たとえば、たぶん、

「○○は、人のために尽くし、人の希望となった」

という、漠然としたものですが、あなたという人をすべて表すものを刻んで欲しいと思うでしょう。

生きてゆく上で、その人の人生の根底に流れていて、それに従って生きる時、人生というものはきっと活き活きとするものなのです。

「それ」というのが『価値』と呼ばれるものです。

何が価値なのか、その人によって違うのです。

けれど、価値はこんな性質を持っています。

●価値はゴールではありません。

つまり、手に入れることができないものなのです。
ゴールは達成することで手に入りますが、「人のために尽くし・・・」というものは永遠に手に入らないものです。
しかし、ゴールはその価値に沿ってあります。
人のために尽くすために、慈善活動をする、寄付するなどさまざまなゴールを持ちます。

●価値に沿って生きるということは、必ずしもいい感情を約束しません。

価値とは、短時間で気分が良くなるためにする行為でもありません。
薬物やアルコール依存の人は、薬やアルコールを使っているときは良い気持ちになります。
しかし、気分がハイになった状態がその人の価値である、ということにはなりません。
「人のために尽くし・・・」という価値に沿って生きる時、人に裏切られることもあるでしょうし、不安や怯えも感じることもあるでしょう。
けれど、それらも含めて、価値に沿って歩くのです。

たとえていうと、価値は北極星のようなものです。

あなたの人生はその価値のもと、さまざまな経験、いいことも嫌なことも経験しながら、それでもあなたの価値に向かって歩きます。

ぬかるみもありますし、きれいな花が咲いている時もあります。
雨が降っている時もありますし、晴れて気持ちがいい時もあります。

その方向が正しいかどうか、それはゴールという目印を通過することによって分かります。

しかし、あなたは北極星の方に向かって歩くのであって、北極星は手に入りません。

あなたの人生の価値、つまり北極星は一体なんでしょうか。

どんなに苦悩に陥ったとしても、どんな不安があなたを襲ったとしても、これら全部をひっくるめて人生なのですから。
それでも北極星に向かって歩いて行くのです。

私たちは、苦悩に対する対処とともに、人生の価値を見つけるお手伝いをし、そのための人生マップを作りあげます。

私たちのセラピーが対処療法ではなく、人生そのもののセラピーであるということがこれで分かるでしょう。

症状がある人も、ないけれど限界を感じている人も、価値を発見し、それに従って歩む時、人生はより良くなることを請け合います。

人が苦しむのは、その苦しみのためではなく、苦しみのために、歩みたい人生を歩むことができないことにあるのですから。

信じること・・・

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ネットでこんな画像を発見しました。

大笑い。(^O^)

この驚きようは、真に迫っています。

手の開き方、口の開け方、喉の筋、体の角度・・・

なによりも足の指が開いて、筆立てが倒れているのがまたいいです。

悲鳴まで聞こえてきそうですね。

さて、幽霊を信じるか、信じないかは別として・・・

信じる、ということはどういうことなのでしょうね。

そもそも何を信じているのかと言えば、「幽霊の存在」とか「霊界がある」とか「A型の人間は几帳面だ」とか、あるいは「人はポジティブに生きるべきだ」とか「道徳的に正しくあらねばならない」・・・などの価値観や信念、道徳観などでしょう。

これらをビリーフといいます。

人は、ビリーフをもとに判断し、意思決定、行動するのです。

しかし、ビリーフは、生まれた時から持っていたわけではなく、どこかの時点で取り入れられ、ビリーフとなったのです。

どうして取り入れられたのかというと、その人にとって「正しい」、「事実」だと信じたから、取り入れられたのです。

では、なにをもって「正しい」と信じたのでしょう。

人が何かを信ずる根拠は2つあります。

個人的な経験や推論、伝聞によって何となく感じているリアリティ感覚によって支えられているもの

権威のある専門家の発言とか、多くの人が認めている考えであるとかいった感覚に支えられているもの

です。

あるいは、「そうであってほしい」「そうでなければ困る」といった個人の価値のみによって支えられ、他者からは妄想と呼ばれながらも信じている場合もあります。

こう考えてみると、信じている根拠は不完全であやしものだと思いませんか。

だからこそ、ビリーフが事実とは違っていたり、一つの事実に対して多くのビリーフがあったりするのです。

さてさて、ここで悪いやつがいて、自分に都合の良いビリーフをある人に取り入れさせたらどうなるでしょうか。
そして、そのビリーフが、その人の人生や人格に大きな影響を及ぼすものであったとしたら、どうなるでしょうか。

マインドコントロールというのは、簡単に言うと、ビリーフをいかに受け取らせるか、そのテクニックともいえるでしょう。

人が行動したり、判断したりする時、どうすべきかと、その意思を決定しますが、マインドコントロールとは、その意思を決定する過程に操作者が影響を与えることです。

つまりは、操作者は被操作者が気づかないうちに影響を与えて、意思決定をさせ、それにしたがって行動や判断をさせればよい、ということになります。

催眠ではこのようなことは不可能です。
気や念力やなにか得体の知れない力によってこのようなことが可能、というのは事実ではありません。

純粋に社会心理学のお話しです。

かつて、「悪い企て」セミナーでマインドコントロールの理論と方法を詳細に紹介しました。
その時、大阪は遠くて、セミナーに行けないという人も多くいました。

そこで、今回は、テキストを大幅に改訂して販売することにしました。

心理学的なさまざまな技法をある特定の目的のために組み立てたら、どんなことになるのか、興味ありませんか?

人間はいとも簡単にコントロールされることがわかるでしょう。

何よりも、人間とは何か、というものを考えさせられる内容となっています。

自分のために、人のために使うと素晴らしいカウンセラーになったりして、大きな力になるでしょう。
そうでないと、教祖か詐欺師になるでしょうね。

自尊心を守るために

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不幸だと嘆き、悲しんでいる人に対して、こんなこと言ったことはないでしょうか。

『世の中にはもっとあなたより不幸な人がいるんだから、そんなに悲しむ必要なんてないよ』

でも、よく考えるとかなりひどい言葉のように思いませんか?

自尊心という言葉があります。

自分の能力や評価を肯定的に捉えている状態です。

ところが思いがけなく、自尊心を傷つけられることもあります。
そうすると人はさまざまな方法で自尊心を守ろうとします。

この時、人は「下方比較」というものをしてしまいます。
それが、自分より状況が悪い人を引き合いに出して「自分より悪い境遇の人がいるのだから、我慢しないと」というものです。

実際にそのような人がいるかどうかは関係ありません。
自分より悪い境遇の人がいる、と信じればそれでいいのです。

このようにして、他人を利用して自尊心を守ろうとするのです。

よく考えるとひどいことですよね。

根拠のない差別の原因となりますし、人を踏み台にして自尊心を守ることは、健全とはいえないでしょう。

反対に、「上方比較」というものもあります。

自分より境遇が上の人と比較することですが、「あのようになろう」と希望を抱くこともあれば、逆に劣等感を抱くこともあります。

一方、自尊心を守るために他人を利用せず、自分を利用することもあります。

自分をわざと不利な状況において、自尊心を保つ行為です。

たとえば、試験前にあらかじめ「全然勉強していないよ」と言い訳したり、実際に遊びに行ってしまったりすることです。
このように不利な状況だと公言したり、不利な状況を作り出したりすることを、セルフ・ハンディギャッピングといいます。

こうして試験に失敗しても、自分自身の能力のせいにすることから免れ、自尊心を保つことはできます。
上手くいい成績を出せば、自分に対する高評価を持つことができるのです。

自尊心を守るためにこんなさまざまな方法を駆使するよりも、もっとありのまま、生きてみませんか?

記憶の改ざん

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夢。

とても幸せな夢を見たり、非常に怖い夢を見たりして、目が覚めた直後はよく覚えていたりしますよね。
不思議なことに、時間が経つにつれて、夢の内容も薄れてゆきます。

そして、思い出そうとすればするほど、たぶん、もともとの夢とは違ったものになっていると思います。

記憶。

ふだん、自分が覚えているものは間違いないと思い込んでいます。
よく考えると、今の自分が自分たるゆえんは、記憶しかないのです。
もちろん、それを裏付けるアルバムや音声が残っていたりもしますが、それは、記憶を補助するものであるにしかすぎません。
それらから「思い出すもの」によって記憶がさらに補強されるからです。

今のあなたのアイデンティティーは、記憶によって支えられているとも言えるかもしれないですね。

では、あなたのアイデンティティーにまつわる大切な記憶は、どれほど正確なのでしょう。

1週間前の昼食の内容は覚えていますか?
64日前、あなたは何をしていましたか?
4歳の頃、犬にかまれた経験があったとして、それは何月何日で、誰がいて、場所はどこで・・・

もうあやふやですよね。

いや、私ははっきりと覚えている、と強調する人がいますが、それが事実だとどうして分かるのでしょう。
結局、それは他人の記憶や断片的な映像の解釈などが大半でしょう。

しかも、驚いたことに、人は、曖昧な記憶であれば、そこになかったことまで付け足して、記憶としてしまうものなのです。

なかったものを「思い出す」。
それを偽記憶といい、周りの状況から連想したものを記憶としてしまうのです。
そして、それを補強する、ということまでやってのけます。

「確か、小学生の時・・・・・があったよね?」
「あの時、こんなことがあったよね?」

こんな時に偽記憶が出てきやすいのです。

さて、私のように心を忘れた心理学研究者はこう悪巧みするのです。(^^)

人為的に偽記憶を相手に作ればどうなるだろうか、と。

つまり、記憶がその人そのもののアイデンティティーであるとするなら、偽記憶を持たせることで事実やその人自身に対する認識を変えることができるのではないか、と。

そして、この方法はみなさんが意識的にも、無意識的にも使っている方法なのです。

これをテクニックとして、人為的に作り、使ってみたらどうなるのか・・・

まあ、これらは冗談として、それでもこれらは可能かといわれれば、可能です、と断言できます。

人生や生活に徹底的に心理学を応用したら、もっともっとあなたの人生はより良くなるはずです。

記憶の改ざんということを例にとってみても、仕掛けを知らない人から見れば、

まるで、魔法使いのように見えるはずです。

仕掛けを知っている人から見れば、もっと楽に人生を生きていけるでしょうね、きっと。

以心伝心の幻想

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「以心伝心」

goo辞書を見ると『文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うこと。▽もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。』と書かれています。

そして、以心伝心は、人間関係のうちで理想とされている上に、以心伝心ができない人はあたかも「心貧しい人」のようにいわれることもありますね。(^_^;)

では、実験しましょう。

Aさん、Bさんの二人組で実験します。

Aさんは、

童謡の

「ちょうちょ」
「いぬのおまわりさん」
「はるのおがわ」
「ちゅーりっぷ」
「おもいでのあるばむ」
「むすんでひらいて」

のうち、一曲を選びます。
そして、はっきりと頭の中でこの曲をイメージし、流します。
それと同時に、右手の人差し指で、そのリズムをトントンととります。

Bさんは、Aさんの指の動きや雰囲気からAさんがどんな曲を頭の中で演奏しているのか、当ててみてください。
Aさんは、Bさんがどれほど正確にこの曲を当てることができると思いますか?

Aさんにとっては、頭の中に曲が流れ、指先で演奏しているため、それは紛れもない事実なのです。
だから、Aさんは、Bさんにその曲が何か聞こえていないし、伝わっていないという事実がわかりにくくなります。
そして、Bさんには、それが伝わっているはずだ、と思い込んでしまいます。

人は、自分が思っていることが、きちんと相手にも伝わっているはずだと、必要以上に思い込み、その思い込みが裏切られると(実際は、そうなって当たり前なのですが)、腹を立てます。

メールのやりとりや、電話でのやりとりでもそれはよくあるでしょう。

自分の意図したものとは違うとらえ方で、相手が受け取ってしまうことが。

人の心は分かりません。
推測するしかできないのです。
その推測も当たっているかどうか、というレベルなのです。

そもそも、自分が考えていることが相手に伝わらないのが事実であるのに、伝わらなかったからといって腹を立てることこそ、相手を尊重していないということになります。

つまり、「伝わっているはずだ」「伝わっているに違いない」「相手はそれを受け取るべきだ」という自分だけの『べき思考』が相手にも拡張されているのですから。

相手がどう考え、どう受け取り、どう判断するか、それは支配できないものなのです。

自他の区別ができず、相手を尊重できない人ほど、以心伝心という魔法を信じ込んでしまっています。

自他が違うこと、相手には相手の思いがあること、それは自らが支配できないこと、それらを事実として捉えることが「思いやり」なのです。

だからこそ、コミュニケーションとしての技術が必要となるのです。

錯覚や思い込みは、日常生活に多くあります。

それらにつまずくと「なぜ、こうなるんだ」と思います。

「なぜこうなるか」という仕組みを知り、人生や生活をより良くしてゆきましょう。